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叱責

「この大馬鹿者が!」


 カイルが不合格を言い渡された日の夕方、レナウンの艦長室に呼ばれたカイルはサクリング艦長の叱責を受けていた。


「君ともあろう者が法規、海戦要務令の模範解答を出さないとは何事だ! 合格間違い無しの解答をしくじるとは。しかも試験官のみならず司令長官まで脅迫するとは」


 試験ではああ言ったが、流石にカイルも告発までは行っていなかった。

 だが不合格を言い渡された事にサクリング艦長は怒り狂い、カイルを大声で怒鳴っていた。その姿に流石のカイルも怯えて恐る恐る言い訳をする。


「私は正しいと思った答えを述べたまでで……」


「惚けるな!」


 カイルの言葉を遮ってサクリングは怒鳴った。


「君ほどの人物が、あの場で求められている答えを知らなかったなどありえん。正直に言え。私を擁護するために述べたのではないのか?」


 サクリングはカイルを睨み付けた。カイルは何とか言いつくろおうと目を泳がせるが、サクリング艦長の厳しい視線の前にそのような思考は打ち砕かれた。


「……はい。ですが艦長の判断は正しいものでした。この考えは変わっておりません」


「一海尉心得が艦の最高責任者たる艦長を擁護するというのか。思い上がるな!」


 サクリングは自分の机を叩いて叱責の言葉を強める。


「君一人の言葉で海軍が動くと思っているのか。この艦の航海指揮を任され、作戦案を採用されたからといって増長しておらんか」


「ですが、あの時の艦長の判断に間違いはありません。戦列の乱れを突き追撃して捕獲するべきでした。そうすればガリア艦隊を壊滅させる事が出来ました。実際に艦長は追撃を行い戦列艦三隻を捕獲しました。これは誰も否定する事の出来ない事実です」


 実際、サクリングの評価は海軍内では高かった。

 またサクリング艦長は否定的だがカイルの意見も海軍内で大きな反響を呼んでいた。

 サクリング艦長の行動が正しく、軍法の方が間違っているのではないか。司令長官の指揮が悪かった、戦意が不充分だったのではないか。

 そのような意見が広がり始めていた。

 そのため試験の直後行われたサクリング艦長の軍法会議に注目が集まった。

 判決は有罪。

 命令違反、海軍要務令違反の廉でだ。

 だが刑罰は軽く通常なら除隊か予備役入りなのだが一年間の昇進停止処分で済まされた。

 サクリングへの評価と重く処罰すると最高責任者であるライフォード大将の能力問題、戦意不充分についても問われかねない状況だった。

 しかもカイルがバタビアで五月一日の海戦の詳報を話していたため、諸外国からも注目されている。外国の海軍士官でもサクリング艦長の行動を賞賛する声が相次いでおり、功労者を処罰するのを海軍上層部は躊躇った。

 これ以上問題を大きくするのを避けるため軍法会議はサクリング艦長への処罰を軽くし、早期に決着させることを選んだ。

 だが、軍法に反した罰も与えなければならない。

 故に軽い処分で済まされた。

 今度の定期昇進で提督への昇進が確実視されていたサクリング艦長の昇進が無くなったことで海軍上層部は安堵していた。

 その意味ではカイルが試験で艦長の決断を讃えたのは有意義な事だった。

 しかし、その結果カイルは今サクリング艦長の叱責を受けていた。


「ミスタ・クロフォード」


 一通り叱った後、サクリングは声を落として諭すように言った。


「海軍はこれが大きく物を言う」


 そう言ってサクリングは自分の肩章を指で叩いて見せた。


「君は一海尉心得に過ぎない。君の能力は高く買っている。私以外にも多くの者が君のことを買っている。そして今の階級では役不足だ」


 悔しさが混じった声を絞るようにして、サクリング艦長は続けた。


「一海尉心得の言葉に耳を貸すほどアルビオン海軍は小さくない。意見を通すには君はもっと高い階級、海尉どころか海佐、提督になるべきだ。それだけの能力を今既に持っている。少なくとも今の階級に止まる理由は無い。むしろ昇進しなければならない。その手段を振り払ってはならない、逃してはならないんだ」


「しかし、偽りを述べるなど」


「戦争など嘘と偽りの積み重ねだ。敵のみならず時に味方も謀る必要が出てくる。君もいずれそのような立場に立つだろう。だが決してアルビオン海軍軍人としての吟爾を忘れてはならない」


「と言いますと」


「祖国に忠誠を誓い、繁栄に尽力することだ」


 一度言葉を切ってからサクリングは続けた。


「言葉ではいくらでも言えるが、実行するのは難しい。順風に帆を合わせて進むのは簡単だ。だが目的地が風上にあるのなら大きく迂回して進む事も必要だ。がむしゃらに風に逆らうなど馬鹿馬鹿しい。切り上がり、風に対してジグザグに進まなければならない。それと同じだ。君の技術や見識は君だけで無く帝国全てに行き渡らせるべきだ。それにはこのレナウンでは不充分だ。せめて海尉となって一艦を指揮しなければな」


 海尉でも海尉艦長として級外艦の艦長に任命されることがある。

 アルビオン海軍では臨時の階級だが、海尉よりも上位となる。そして海佐への進級が早くなる地位だ。


「だから一刻も早く海尉になれ。暫くは昇進できないだろうが、次の機会は必ず、石にかじりついても昇進しろ」


「……解りました」


 自分がよかれと思ってやったことが、むしろ艦長を失望させてしまいカイルは意気消沈した。


「とりあえず辞令だ」


 落ち込んだカイルの姿を見てサクリングは机から二枚の書類を出して渡した。

 受け取ったカイルは驚いて目を見開いた。


「正式なものだ。拒否するかね」


「いいえ」


 カイルは拒まずに受け入れた。


「宜しい。ならば只今よりその辞令は有効だ。ああ、それと海軍本部から新たな命令が本艦に下った。本艦は新大陸方面艦隊へ配属されることになった。ミスタ・クロフォード出港準備をしたまえ、下がって良し」


「はい」


 二枚の辞令を受け取るとカイルは艦長室を出ようとした。


「カイル」


 ドアに手を掛けたとき艦長に呼び止められた。


「ありがとうな」


 サクリング艦長に感謝の言葉を言われ思わず振り返った。

 背を向けたままだったが、艦尾の窓ガラスに映る艦長の顔は照れを隠しているのか厳めしく、目が斜めに向いていた。


「失礼します」


 カイルは踵を揃え背筋を伸ばすと深々と一礼してから艦長室を後にした。




「カイル」


 士官室に戻るとクリフォード海尉をはじめ営倉から出されたビーティー海尉、それにレナ、エドモント、候補生のウィルにカークがカイルを迎えた。


「カイルううううううっ」


 一番熱烈に歓迎したのは案の定、クレア姉さんだった。カイルに抱きつくと頬ずりした上、笹のように長い耳をハミハミする。


「止めてよ」


 流石に身の危険を感じたので姉の元から離れていく。耳をこれ以上弄られたら腰砕けになり、何をされるかわかったものではない。恐怖心で筋肉を動かし、行動不能になる前にカイルは脱出した。


「えー、でも試験に不合格になって悲しんでいると思ったのに」


「大丈夫だよ。不合格になるのは覚悟の上だったし。だから不合格になった腹いせに司令部を爆炎魔法で攻撃するとか止めてね」


「そんなことしないわよ」


「僕の目を言って」


「それはともかく」


 視線を逸らしているクレアと追求しているカイルの間に割って入ったレナが言う。


「まあ、この後も海尉心得として任務に励むことになるんだから頑張りなさいよ。今までと同じなんだから」


「いや、違うよ」


「え? どういう事?」


 戸惑うレナにカイルはサクリング艦長から受け取った辞令二枚を見せた。


「海尉任官試験の前に航海士の試験を受けたんだ。見事合格。航海士の資格を得たよ」


 アルビオン海軍ではいくつかの資格制度を採用しており航海士もその一つだ。この資格があると航海責任者として乗艦できる。航海長になれるし昇進の一助にもなる上、資格手当もある。

 そのため海尉になる前に航海士の資格を得る候補生も多い。


「あと艦長から航海長への正式な就任の辞令が出ているよ。これで海尉心得よりは上になったよ」


 航海士の資格を持つと准士官の階級が与えられ、士官室の正式な一員として遇される。

 見習い海尉である海尉心得より上となる。しかも、候補生に戻ったとしても航海士の資格は有効であり、士官室から候補生区画へ移ることも無い。


「ううう、年下なのに生意気」


「なら航海士の資格を得なよ」


「剣なら負けない」


「航海士の試験に剣術はないよ」


 レナの言葉にカイルは呆れた。


「航海士はどのような仕事をするのですか?」


 傍らに寄ってきたウィルマが尋ねた。


「ああ、艦長の命令に従って航海計画を立てるんだ」


「今と同じでは?」


「今までは艦長が兼任していて僕は艦長に提案を出していただけ。最終的な承認者、責任者は艦長だったんだ。これからは僕が航海責任者になる。航海日誌などに航海計画の責任者として名前を残すことが出来るので昇進に有利になるよ」


「おめでとうございます」


「ありがとう。まあ、航海士は結構人がいるからね。下士官上がりの優秀な人もいるから交代される可能性が高いけど」


 次の瞬間、ウィルマの腕がカイルに伸びた。


「どういう事ですか?」


「え?」


 いつになく真剣に尋ねてくるウィルマにカイルは気圧された。振りほどこうとするが思いのほかウィルマの力は強く、放すことが出来ない。


「何が?」


「今の話。下士官上がりとはどういう事ですか?」


「ああ、そのことか。航海士の受験資格は下士官以上と艦長の推薦が条件だ。だから下士官からも受ける事が出来る」


 ウィルマの力が強くなってきて痛みを感じ始めたカイルは早口で伝える。


「私でも受けられるという事ですか?」


「今は志願水兵だから無理。けど熟練水兵に昇進して更に下士官に昇進すれば受験資格は得られるけど」


「……私、下士官になって航海士になります」


 ぼそりと、だが強い口調でウィルマは言った。


「まあ夢があるのは良い事だけど、試験は難しいよ」


「はい、だから航海術を教えて下さい」


 そう言って彼女は紅い瞳をカイルに向けた。


「わ、わかった」


 彼女の強い視線にカイルは耐えきれず了承した。


「一寸、贔屓が過ぎるんじゃないの?」


 それを見ていたレナが文句を言う。


「部下の教育は士官の任務だよ」


 上官最大の任務は部下への教育だとカイルは考えている。転生前に最初に配属された船の船長から指導を受け実務についての知識を授けて貰った事を感謝している。

 転生後も今は提督となったリドリー艦長やサクリング艦長から多くの指導を受けてカイルは海尉心得をしている。だから、彼らから受け取ったものを後身に渡すのは重要な使命だと考えている。

 ウィルマの迫力に圧倒されて反射的に答えてしまっていても、使命に反するような事はないはずだ。


「けど碌な教育を受けていない孤児でしょ」


 確かに環境というのは教育上重要だ。これまで孤児として生きてきたウィルマが航海術をモノに出来るかどうか。

 そのための基礎知識、能力があるかどうかカイルは考えた。


「……レナより見込みがありそうだ」


「何ですって!」


 怒ったレナがカイルをヘッドロックして旋毛を拳骨でぐりぐりとやった。

 上官に対する暴行だが、レナの発育しつつある胸部を堪能できているカイルを助ける者はいなかった。

 クレアは、爆炎魔法を展開しようとしてウィルに止められ、ウィルマはステファンに押さえつけられていたからだ。

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