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条約の公平性

 テメレールの武装解除が終わり、バタビア側への引き渡しが済むとカイル達は陸上にあるバタビア海軍の宿舎に移された。

 士官は士官クラブの一角を、下士官兵は倉庫を改造した臨時の収容所へ入れられた。

 多くは従ったが、ウィルマが頑としてカイルから離れる事を良しとせずカイルと一緒にいることを望んだ。

 仕方なくカイルはバタビア側と協議し、従兵として士官クラブの一角に一緒に入る事を許した。

 レナと姉であるクレアの世話係も必要だと思っての事だ。

 何故か、ウィルマとレナとの関係が悪いので不味いかと思ったが、クレアとは仲が良いようなので安心した。別の不安が湧いてきたがカイルは無視した。

 抑留生活は悪くは無かった。元々条約で抑留者に対して衣食住の提供と可能な限り便宜を図るよう定められており締結国には履行を求められていた。

 そのため監視はあるが勝手に出国しない限り行動は自由だ。

 特に士官は中世の騎士と同じ、約束を守る気高き身分という扱いなので条約違反をしない限り行動を制限されることはない。

 手紙も書くことが許されており、カイルも海軍への報告と家族へ近況を書いてバタビア政府に送って貰った。

 途中、五月一日の海戦についてバタビア側が聴取を求めてきた。捕虜及び抑留者は階級と氏名、兵籍番号、所属以外を話す義務は無い。だがカイルは軍機に抵触しない範囲で答えた。

 前回の海戦はアルビオン側の勝利であり、捕獲艦を三隻出しながら損害は皆無だった事を強調した。アルビオン優勢である事を話しておくのはバタビアをアルビオン寄りにする事が出来るのでロビー活動としても良い。

 同時にサクリング艦長の擁護に繋がると考えての事であり、この点については、カイルは積極的に話した。



 士官が特別扱いされる一方、下士官兵だとならず者に近いと見なされ、行動が制限される。脱走警戒というよりトラブル、酒乱やケンカ防止の為の措置だ。

 だが収容先の倉庫の周辺のみという制限はあるが、彼らも比較的自由に行動できた。


「大丈夫か?」


 カイルがマイルズ達の元に訪れたのは陸上に移った翌日だった。

 部下に会うことも条約に認められた権利でありカイルはそれを行使した。


「大丈夫です。皆も元気にしております」


 纏め役であるマイルズが報告する。四〇名程の部下を見て彼らが元気な様子にカイルは安堵した。


「足りない物は無いか? 調達してくるぞ」


「大丈夫です。バタビア側が用意してくれますのでご心配なさらず」


「海尉心得の方こそ足りていますか?」


 二人の会話にステファンが混ざってきた。


「私に足りない物だと?」


 バタヴィア側に見られているため、私という言葉を使って精一杯の威厳を見せつけつつ尋ねた。抑留側に弱みを見せる訳にはいかない。


「ええ、こちらなんぞ手に入らないでしょう」


 そういってステファンはカイルに物を渡した。


「……これは?」


「牛の腸でさあ」


 卑下た笑いを浮かべながらステファンは答えた。

 牛の腸は適度な張力があるので、とある道具、男の一物を覆うのに使われる。


「どういう意味だ?」


「いえ、必要でしょう。そちらには花がありますから」


 そういってレナの方向を見た。


「ステファン、ここは中立国だが貴様はアルビオン海軍の軍人だ。不道徳な行為に関しては海軍の規則で処罰できる規定があるのを知っているか」


 声を抑えつつ、カイルはステファンに顔を近づけ睨み付ける。

 素知らぬ顔をするステファンだが小声でカイルに伝えた。


「中に脱走計画書があります」


 中立国とはいえ拘束されるのを良しとしない者は多い。何としても本国に帰ろうとする人間はいる。

 ステファンもその一人のようだ。何処から持ち出してきたのか完璧な計画が書かれているのだろう。


「私には必要ない。直ぐにここを去りアルビオンに戻ることになりそうだしな」


 だがカイルは牛の腸ごとステファンに突き返した。


「問題を起こすなよステファン。マイルズ、監視を厳重にしろ」


「アイアイ・サー」


「それとステファンには風紀を乱した廉でグロッグの配給を一日停止だ」


「げっ」


「アイアイ・サー」


 アルビオンの慣習としてグロッグの特配を必ず行うようにバタビア側に求めて了承された。飲酒にバタビア側は顔をしかめたが、相手国の文化を尊重するということで許可を得た。下士官兵はグロッグが支給されて喜んでいたが、その権利を取り上げられてステファンは凹んだ。

 それだけ言うとカイルはステファンを無視し背を向けて帰って行った。




「何を馬鹿なことをしているんだ」


 カイルが帰った後、マイルズがステファンを叱った。


「けど逃げ出したくありませんか? あのサクリング艦長ですよ。帰ってまた艦に乗り込めば捕獲賞金で大金持ちですよ」


「だからって中立国から逃げ出すのは問題だ」


 脱走は捕虜の権利とは言え、中立国で行うのは相手側の心証を悪くするし国際問題となる。なので絶対に行わないようカイルは厳命していた。


「けど何時までもここにいるのは」


「海尉心得が仰っていただろう。直ぐにここを出られると」


「しかし中立国でも数ヶ月かかりますよ」


 交戦国なら数年かかることがある事を考えれば短い。だが戦果を上げやすく商船を襲いやすい開戦直後に参加できないのは捕獲賞金の減少を意味しており、下士官達にとって死活問題だ。


「海尉心得のことだ。何か策を巡らしているんだろう」


「そうですかね? ガリアの捕虜連中を真っ先にバタビア側へ解放していましたけど」


 身代金などで臨時収入になると考えていたステファンはあてが外れてがっかりしていた。


「兎に角、下手な事は考えるな。暴れないように今日一日くらい酒を抜いて休んでいろ」


「折角陸にいるのに酒を飲めないなんて」


 ステファンは自分の不運を嘆いた。




 下士官兵と面会を終えてからカイルは自分の宿舎に指定された士官クラブの一角に戻った。

 士官の特権とはいえ倉庫で暮らしている部下に申し訳ない気持ちだがバタビア側との交渉もあり、それなりの格というものが必要だ。

 戻って早々、カイルは面会室へ向かった。駐バタビア・アルビオン駐在武官レインフォード海佐が面会を求めていると伝えられたからだ。


「お待たせしました。カイル・クロフォード海尉心得です。済みません、部下の面会に行っておりました」


「気にしなくて宜しい。当然のことだ。それより君の送還のことだがバタビア政府は拒否した」


「でしょうね」


 カイルは予想していたので落胆はしなかった。短時間でカイル達を帰国させてはアルビオンに肩入れしているとガリアからバタビアへ抗議が来てしまう。

 もっと時間をおいてからアルビオンに送還したいのがバタビア側の心情だろう。


「ですがもうすぐ帰国許可が下りると思います」


「? どういう事だ?」


 その時、カイルに来客があることが伝えられた。カイルがレインフォード海佐の許可を得て部屋に通して貰う。

 入って来たのは憔悴したロイテル海尉だった。


「ああ、ロイテル海尉。お疲れ様です。今駐在武官と話をしていた所です。部下とも面会できました、ありがとうございます。ところでガリアの捕虜との面談はできますか?」


 カイルが世間話の様に尋ねるとロイテルは一瞬口元を引きつらせてから答えた。


「……済まない……ガリアの捕虜は既にガリアへ帰国していた」


 ガリア軍捕虜の移送についてロイテルは追跡調査した。するとウィッテ提督の指示によりテメレールの乗組員は全員がガリアへ帰国していた。

 カイルは一瞬口をほころばせるとロイテルに尋ねた。


「どういう事でしょうか? 我が国の交戦国の人間を直ぐに帰国させることがバタビアの方針でしょうか。ならば我々も即時帰国を望みます」


「だが、それは」


「公平に扱って貰わないと困ります」


 カイルはそう言っているが困るのはバタビアの方だ。

 政治判断とは言えガリアの捕虜を早期に帰国させたとあらばアルビオンの将兵も早期に帰国させなければ中立を捨てガリア側に付いたと思われかねない。


「我がアルビオンも帰国を求めます」


 カイルの言葉に乗ってレインフォード海佐も後押しする。

 ここぞとばかりにこの一件を盾にして、バタビア政府に要求を強めてくるだろう。


「わかった。そのことについては上と相談して決定する。直ぐに帰国は決まると思う。だが武装解除した軍艦を返還する訳にはいかない」


 乗員は人道上の配慮から帰国させる、という大義名分が立つ。だが軍艦は明らかに兵器なので出港させる訳にはいかない。


「それならテメレールはこのままバタビアで解体します。損傷が激しく、これ以上の航行は不可能でしょう。解体して船材を売り払い得た収入を賞金代わりにします」


「わかった。そのようにしよう。じゃあその賞金で今夜は宴会だな」


「どういう事です?」


 ロイテル海尉の言葉にカイルは疑問を持った。

 普通は送り出す方が金を出すものだろう。どうして自分たちが出さなければならないのだ。


「こうなることを見越してバタビアに来たのだろう」


 ロイテルはカイルの目論見を一つ一つ解き明かした。

 一つ一つは至極もっともな事だ。だが、それらが組み合わさると大事になる。

 ガリアの捕虜を追いかけている過程でよく分かった。

 まず捕虜の中にガリアの王族がいた。偽名を使っているが本物の王族マリー王女であったことは間違いない。

 ウィッテ提督も名簿を見て直ぐに気が付いただろう。ガリア側にも名簿が渡されていたこともあり早期帰国要請が来る。

 バタビアもガリアとの関係を悪くしたくない。何しろ陸で国境を接しているため、ガリアの心証を悪くして最悪攻められるのは不味い。

 中立を戦って守る気概はあるが戦争は可能な限り避けたいのがバタビアの考えだ。

 だからマリーはガリアに帰さないと不味い。そして王族を帰したと思われないよう他の乗員も一緒に帰す必要がある。特に親ガリア的な連中、ウィッテ提督あたりは捕虜をガリアへ帰そうと考える。そして実際に帰国させてしまった。

 こうしてバタビアはガリアに攻め込まれる口実を消し去った。だがそれは交戦国を公平に扱うという主旨から外れる。バランスを取るにはアルビオン側にも同じ事をしないとダメだ。

 出来れば帰国を抑えておきアルビオンとガリアの間で話し合いを行ってから両国の乗員をそれぞれ引き渡した方が良い。

 ロイテルなら止めただろうが、現地に赴く前に捕虜が引き渡され全て終わってしまった。

 なのでバタビアはカイル達にも帰国の許可を出すしか無い。

 それを見越してカイルはバタビアに来たのだ。

 知ってか知らずかロイテルは政府の情報官であり政府へのパイプもある。カイル達の帰国許可はすんなりと通るだろう。


「手間賃代わりに慰労してくれても罰は当たらないだろう」


 自分の目論見を見破られたカイルは苦笑した。

 勿論、利用する、利用されたは、お互い様だ。だが何らかのお礼をロイテル海尉にしたいと思っていたのでカイルとしても異存はなかった。

 こうしてカイル達はバタビア政府了承の元、数日後に帰国することが出来た。

 帰国前に部下と一緒にロイテル海尉を囲んでの大宴会が行われた。

 テメレールが良い値段で売れて大金が手に入ったので使わせて貰う。分配の前渡しという事で他の乗員達の分も残さなければならない。

 それでも結構な金になり、酒も食い物も大量に持ち込んで盛大にやった。

 そして満足してカイル達はアルビオンに帰国した。

 だが帰国するとカイル達はサクリング艦長が軍法会議に掛けられていることを聞かされた。

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