嵐の中の戦い
ガリア王室の王女マリー。
海軍士官であり、海賊討伐前カイルが使者としてやって来た時、エルフと知って激しく嫌悪を剥き出しにしたガリアの姫君だ。
それが今、ウィルマに取り押さえられて甲板に組み伏せられている。
「くっ、殺せ!」
この世界でも言うのか、てか生で初めて聞いた。
一寸した感動を覚えるカイルだったが、改めて尋ねた。
「失礼、私はカイル・クロフォード。アルビオンの海尉心得です」
「エルフを海尉心得にするなんて聞いたことが無いわ」
「あいにくと正式な階級なので。出来れば貴官の正式な官姓名をお願いできませんか?」
「マリー・カロリング。海尉よ」
王族である事を隠すための偽名だろうが、相手国であるガリアに問い合わせれば正式な士官と回答してくるだろう。
「どうしてこの艦に乗っていたんですか?」
「答える義務は無いわ」
「船団に対する情報提供を行っていたが急に海戦となってしまった。いざという時、速力があり防御力もあるこの艦に乗っていた。だが、退却時に回頭が遅れて逃げられなかった」
カイルが言うと彼女は黙った。
旗艦としては一級艦が攻撃力防御力もあるが、速力が遅い。かといってフリゲートだと防御力に不安がある。走攻守のバランスが取れた七四門艦に王女殿下を乗せて万が一に備えていたのだろう。裏目に出てしまったが。
「降伏して下さい。捕虜として扱います」
「誰が!」
「このまま殺されても良いのですか」
「エルフに降伏なんて嫌よ!」
「どうするの?」
苛立ったレナが尋ねてきた。降伏しない士官は自由に処分できるが、王族となると問題だ。
戦争中とはいえ王族の扱いは丁重にしないと国際問題となる。殺せと言っているがその意向は無視して殺さずに何とか本国に引き渡す、とカイルは決めた。
「とりあえず、副長の部屋を監禁場所にしよう」
「え! あたしの部屋を!」
次席指揮官としてレナはテメレールの副長部屋があてがわれている。初めての専用個室を貰えると喜んでいたのだが奪われることにショックを受けていた。
「他に無いだろう」
身分を隠しているが王族なので他の捕虜と一緒にする訳にはいかない。かといって懲罰用の営倉に入れる訳にもいかない。
王族にはそれ相応の部屋が必要になる。
艦で一番グレートの高い艦長室は艦長の直属の上官以外に明け渡さないのが船の掟なので、皇帝陛下であっても譲る訳にはいかない。そのため艦長室に次ぐグレードの部屋を用意しなければならない。
となると副長の部屋以外に渡せる部屋はない。
「じゃあ、あたしは何処に行けば良いの?」
「士官室の一室だね」
「折角の専用トイレが」
副長の部屋には専用のトイレが付いており、それまで共用トイレを使用していたレナを喜ばせていた。それが台無しとなり、ショックを余計に受けていた。
「我慢しろ。というより僕以外の士官はレナしかいないだろう」
「あなたのお姉さんがいるでしょう」
「忘れさせて」
海戦中は大人しかったクレア姉さんだったが、カイルが回航艦長に任命されテメレールへ移ろうとすると『私も移る!』と言って聞かなかった。
あっさりサクリング艦長が認めなければ、艦付の魔術師は所属艦にいるべきだと言うことが出来たのだが仕方ない。
とりあえず士官区画の一角に部屋を与えていたが、ハッキリ言って邪魔だ。回航中の艦で魔法、特に爆炎魔法の出番はない。運悪く、敵の大艦隊に遭遇したとき相打ち覚悟で放つ程度だ。その大艦隊は今ガリアに向かって船団と共に逃走中なので遭遇する可能性はごく僅か。船団をガリアへ帰国させないための最終手段として、爆炎攻撃を持っている姉は艦隊に居た方が戦力になるのだが、本人が承諾しないので無理だ。
なによりライフォード大将に敵艦隊を焼き討ちする考えはなく、クレアをカイルと一緒にすることを許していた。
「とりあえず、連れていくか。レナ、荷物を纏めて別の部屋に移ってね。ウィルマ、マリーいやカロリング海尉を部屋にお連れして身の回りの世話を。失礼の無いように。言うまでもないけど許可無く外に出すな。後で海兵隊員を送るから、それまで見張っていろ」
「アイアイ・サー」
抑揚の無い声で答えたウィルマだが、動きは素早い。マリーの腕を締め上げて立ち上がらせるとせっつかせマリーの悲鳴を残して副長室へ消えた。
「大丈夫なの?」
「まあ、怪我も殺しもしないと思う」
杓子定規的に物事を進めがちなウィルマだが、言ったことはキチンとやってくれるので心配していない。
とりあえずは一安心したカイルにレナは尋ねた。
「で、どうするの?」
「とりあえず、サクリング艦長に現状を伝えようと思う」
「決められないの?」
「事が事だし。報告、連絡、相談は基本だよ」
そう言ってカイルは甲板に上がろうとしたが、階段を登っていく途中で揺れが激しい事に気が付いた。
そして甲板に出ると鉛色の空が広がっていることに気が付いた。
「風が変わったことで予想はしていたけどこんなに早く悪化するなんて」
通常、中緯度のあたり、ガリア、アルビオンの辺りは偏西風により西風が吹いている。
例外は低気圧や高気圧が発生した場合で、位置によって風向きが変わる。
恐らく南に低気圧が発生して嵐を起こしているのだろう。
それで海戦中に風向きが変わった。そして風向きが更に変わり、嵐になろうとしていた。
「荒天用意! それとレナウンに連絡したいことがあると伝えてくれ」
カイルは嵐に備えると共に、レナウンに通信を送る。マストに損傷があって行動が制限される戦列艦テメレールが出向くよりも、軽快なレナウンに来て貰った方が話が早い。
直ぐにサクリング艦長指揮のレナウンは回頭してテメレールの近くに来た。
カイルはマイルズに手旗信号を行わせて事の詳細を伝える。
直ぐに返答が来て、マリー海尉はテメレールに置いておくように言われた。
「まあ、嵐じゃ移送できないからな」
本当はレナウンへマリーを移送して貰った方が監視などに良いのだが、嵐が近づいているため波が荒くボートを出せない。
嵐が収まるまでカイル達が何とかしないとならないだろう。
何とか晴れて欲しいが、カイルの願い虚しく嵐は激しさを増して行く。しかもカイルが見る限り嵐は今後も更に激しくなりそうだった。
「縮帆して耐えきれ」
乗員の数が少なく帆の操作が難しい。そのためカイルは早々にマストの負担を抑えるべく縮帆を命じた。他の艦より遅れだしたが仕方が無い。
対応しているうちに雨も降り始めてきた。視界が急激に悪くなり距離も開いたこともあって僚艦の姿が見えなくなる。
しかも日が暮れ始め周囲は闇夜となり、周りが見えなくなってしまった。
テメレールは完全に孤立してしまった。
「大丈夫なの?」
はぐれたことに不安を抱いたのかレナがカイルに尋ねた。
「位置はわかるから良いけど、風向きがね」
最後に行った天測の結果から、艦の現在推定位置は解る。
だが風が北風なのでアルビオンに向かうには逆風だった。風に流されてしまい北に行くのは困難だ。風に合わせて帆を調整するので手一杯でアルビオンに近づけない。
翌日になっても嵐は止むことが無かった。
風は西寄りに変わっているが相変わらず北からの風が強く北上できない。
何とか緯度は維持できているが東に流されている。
今いるのはアルビオンとガリアの間にある海峡だ。そこを東に向かって航行中。
ジブ――艦首の大三角帆を使って艦首を風上に向けているが、これ以上南に流されないようにするのが精一杯だ。
このまま漂流したら風に乗って南下したらガリアの海岸に流れ着き座礁。カイル達がガリア軍の捕虜になる可能性が高い。
なので必死に操船しようとするが上手く行かない。
「艦長、風が強くなってきましたぜ。これ以上は無理だ」
「そうだなマイルズ、畳帆して嵐をやり過ごそう」
そう言ってカイルはマイルズに捕虜を使って、全ての帆をしまうように命じた。
現在位置で漂流して嵐をやり過ごしてから風向きが変わるのを待ってアルビオンへ帰国する。この嵐で航行するのは無理だ。
だが真北にアルビオンがあるので嵐が晴れて風向きが変わり、北に向かうことが出来れば何とかなる。
「アイアイ・サー」
早速、マイルズが捕虜を船倉から出してきて作業を始めようとした時、事件は起こった。
「作業を止めなさい! 南に艦が漂流すればガリアに戻れるわ!」
艦尾からマリー殿下、いや海尉が出てきて叫んだ。しかし後から来た海兵隊員に取り押さえられた。
「放しなさい! この無礼者!」
「済みません! ミスタ・クロフォード。着替えと言うことで離れたとき、取り逃がしました」
ウィルマに代わって見張っていた海兵隊員がマリーを抑え謝った。
丁重に扱うように命じていたが異性と言うこともあり遠慮しすぎたか。
だが、今の状況は不味い。
マリーの一言で捕虜達の動きが明らかに鈍った。
水兵であっても航海術を心得ている人間は少ない。船上での重労働が主なので言われたことしかやらず、帆の操作はともかく船の動かし方、位置の把握は出来ない。そうした航海術は訓練を受けた航海長や士官の役割だ。
捕虜であっても唯々諾々と従っていたのは自分たちが船を取り戻しても漂流し飢え死にするのが目に見えているからだ。
だがマリーの一言で自分たちの現状を知った捕虜達は作業を止めてしまった。
「彼女を早く元の部屋に戻せ!」
「あら! 艦は危険な状態じゃ無いの? このまま艦を南に向かわせればガリアの大地に逃れる事が出来るわよ」
「レナ! 彼女を早く連れて行け! ウィルマに常時監視させろ!」
「放しなさいよ!」
「黙りなさい」
レナに指揮された海兵隊員に連れられマリーは副長室に戻された。
だが、捕虜達は動かない。自分たちが有利になる方法を知らされてサボタージュを始めた。
「捕虜を船倉に戻せ! 俺たちだけで帆を畳むんだ!」
カイルは捕虜を船倉に戻して帆を畳もうとした。その時マストから不気味な音が響く。
同時に風上からやってくるものに気が付いた。
「! 総員退避!」
気が付いたカイルが大声で作業中止させ退避させた。次の瞬間、突風が吹いてテメレールに襲いかかる。
既に張りが限界だった帆は突風によって破れ四散した。また艦尾のマストが折れ甲板に倒れてしまった。
「皆無事か!」
「はい」
マイルズが報告する。風の精霊が荒ぶる状況から突風を察知してカイルは逃げるように指示した。
お陰で負傷者はいなかったが、操艦に必要な帆が無くなってしまった。
「どうしますか」
マイルズが尋ねてきた。
このままでは艦が漂流する。流されればガリアに漂着してガリア軍に捕まり自分たちが捕虜となる。
「マストを結んでいるロープを切断して切り離せ! 海に引き込まれるぞ! 終わったらシーアンカーを艦首から出して、少しでも流されるのを抑えろ。それとメインマストの無事な帆を展開して裏帆を打たせ南に流されるのを防げ」
シーアンカー――巨大な凧のような物を海中に入れてその場で漂泊するための道具だ。この状況では海流と風に流されてしまうがないよりマシだ。
北西の風が吹いていて艦は南東に流される。しかしガリア漂着を避けるため南に流されてはならない。そこでメインマストに逆方向から風を右舷開きで受けさせ北寄りに流れるように修正する。
「ですが、東に流されますよ」
「ああ、仕方ない。だが方法はある」
カイルはそう言って乗組員に作業を命じた。その時、マリーを監禁し直したレナが戻って来た。
「カイル、あの女海尉を監禁したわよ。ウィルマに命じてトイレの時も監視させているわ」
「ありがとう」
ウィルマにやらせておけば大丈夫だ。彼女の疲れを考えて休ませていたがやり過ぎだったか。
「で、あの女海尉どうするの? 敵対行為で絞首刑にする?」
物騒な事を言うレナだが、この場合は正しい。
降伏したにもかかわらず捕虜として大人しくしない場合、死刑を適用しても良い事に国際法ではなっている。
これ以上、捕虜をサボタージュさせないためにも彼女を処刑して黙らせる方法は確かに有効だ。
だがカイルは実行しなかった。
「いや、使い道はある。厳重に監視しておいて」
「どうするの?」
「状況を切り抜ける方法がある。兎に角、今は嵐を乗り切るぞ!」
カイルはそう命じて嵐を乗り越えるべく指揮を執った。




