指揮権発動
現在アルビオン海軍はカイルが提出した作戦案を元に動いている。
まず本国艦隊が七日以降に出撃する、とガリア側に思い込ませる。
レナウンがバタビアへ行き物資を集めていたのもその一環だ。不足しているのは事実だが予備が無いだけで出撃自体は可能だ。
その過程で納入期限を四月七日と示すことで艦隊の出撃が七日以降と思わせる。
ガリアも時間が欲しいからそれが真実だと思い込む。
だが、実際に出撃するのは七日以前だ。予想外の出撃にガリア艦隊は狼狽し、封鎖を恐れ、ガリア船団への襲撃に備え護衛のために出撃するだろう。
しかし、本国艦隊の出撃は偽装出撃であり数日後には本国に戻ってくる。
ところが出撃したガリア艦隊は本国艦隊がアルビオン本土に戻っていることを知る術がない。そのため出撃時に受けた命令を愚直に実行するしかない。
この世界には携帯やメールなどないし、テレパシーなどの遠距離通信魔法もない。途中で味方の施設に寄港するか通信文を持った連絡艦と合流する以外通信手段はない。一度出撃したら陸上からの命令も情報も受け取れず、出撃時に受けた命令に従うか独自に行動するしかない。
さらに船団も襲撃を避けるために進路の変更や停滞も余儀なくされる。仮にガリアの大蒼洋艦隊が合流しても、脚の遅い船団と一緒では足枷を嵌められているようなもの。監視も比較的簡単に行える。
そのためリドリー提督を経由して送られた作戦案は皇帝の目に止まり、海軍本部へ送られ本国艦隊司令長官ライフォード大将へ下命され実行に移された。
計画は成功しガリア船団は針路を変更しガリア大蒼洋艦隊と合流するべく停止を余儀なくされている。
その間にレナウンはアルビオン船団と合流、指揮下に入れて早急に本国に帰港させる。
それがレナウンに与えられた任務だった。
「船団を発見しました!」
商船の情報を元に航行していたレナウンはすぐさま船団を発見することに成功した。
逃げ出してからまだ時間が経っていなかったのと海賊の襲撃で船団の一部がばらけて再集結作業の最中で停船していたからだ。
レナウンは直ぐに船団の旗艦を探し出すとサクリング艦長が乗り込んでいった。
「失礼致します」
船団の司令官ロシュフォード少将が尋ねてきた。
「どうしたんだ」
「この度は海軍本部からの命令書を持ってきました」
「拝見する」
そう言ってサクリングが持ってきた命令書を受け取り読み込む。
「どういう事だ」
「命令書にある通り、私が船団の航海指揮を行うよう命令を受けました」
海軍本部通達の命令書でサクリングが航海指揮を行うよう命じる旨が記されていた。
本当ならサクリング艦長が指揮官として命令できれば良いのだが、一海佐であり階級が上の少将を指揮することなど出来ない。そこで司令官の地位はそのままに航海の指揮権だけをサクリングが受け取ることにした。
これなら海軍部内の波風を最小限にして船団を予定の航路に送り込む事が出来る。
「これでは指揮権の剥奪では無いか!」
だが司令官であるロシュフォード少将は拒絶した。
無理もない。自分の権利、権限が奪われるのであれば抵抗するのが普通だ。
「しかし、これは海軍本部からの通達です」
「戦地においては上級司令部の命令でも聞けないことがある」
遠距離通信が発達していないため命令書がやって来るのに時間が掛かったり、命令書の到着する順序が前後するなどして混乱することがある。
また命令を出した前提条件、状況が命令書が送られている間に変わって実行不能となる事も多い。
そのため司令官には命令を拒否する権限も与えられている。
「では命令を拒絶すると。海軍本部への弁明はキチンとお考えでしょうな」
「そ、それは」
だが命令を拒絶できるのは明確な理由があってこそだ。
司令官の一存のみ、私情で押し通らせることなど出来ない。
「今、お答えして貰えませんか?」
「き、貴官は海佐ではないか」
「私は海軍本部の命令で動いております。航海指揮を命令されたからには、実行しなければなりません。それとも海軍本部の命令に疑いがあると」
「いや、そういうわけでは。階級に対して分不相応では」
「私の経歴に疑問があると?」
経歴という言葉を強めに言ってサクリングが凄むとロシュフォードはたじろいだ。
サクリングが先の戦争で多数の武功を上げた事は海軍内でも知られている。躊躇する提督を戦意喪失と断じ解任して単独で砲台攻略を行い成功させたことは今でも語り草だ。戦争終結による人員削減と怨みを買っていなければ提督に昇進していてもおかしくない。
そのため提督からでさえ注目されており、恐れられていた。
下手をすれば指揮権どころか命さえ奪われかねないとロシュフォードは恐れた。
「わ、わかった。命令に従い貴官に航海指揮権を移譲する」
「ありがとうございます」
そう言ってサクリングは敬礼した。
「大丈夫なのかい?」
「何が?」
レナウンの海図室で針路を記入しているカイルにウィリアムが尋ねる。
船団と合流後、レナウンは船団を指揮下に入れたために彼らに針路を指示する必要がある。
急な出撃のために航海長の着任が間に合わず、事実上カイルが航海長として指示を出している。つまり船団の航海長として指揮を取っている。
「平気だよ。予定通りに進んでいる」
カイルは自信満々に言った。
航海指揮権を司令官から奪ってきたサクリングは艦に戻った後、カイルに伝え船団の針路を指し示すように命じてきた。
元よりそのつもりだったし、自信も計画もある。それに航海が好きなのだ。拒絶するなどカイルは考えておらず、喜々として船団に針路を指示した。
「でも空が曇ってきているけど」
ウィリアムから空模様を聞くとカイルは外に出て空を見上げた。
空に浮かぶ羊雲、高い空に出来る巻雲だ。
時間を追う事に雲の量が増えて行き、船団の後方、西の空は鉛色の曇り空になって行く。
「予定通りだ」
「本当なのかい?」
カイルの航海技術が卓越していることは知っている。自分より上の海尉心得に昇進していることも知っている。だが、自分と同じまだ一一才の子供であり、本当に上手く行くのか疑問に思ってしまう。
しかも帝国の未来が掛かっているから尚更だ。
「大丈夫だよ」
それでもカイルは笑って答えた。
「船団に通達。針路を東へ変更。荒天用意!」
やがて、空を雲が覆い雨がしとしとと降ってきた。
幸い風はそれほどでも無いが、雨で視界が急激に悪くなる。
船団が散らばらないように四方の護衛艦艇が見張っているが雨に紛れて離れてしまう船も出てくるだろう。
だが、雨の中を進まなければアルビオン本国にたどり着けないのも事実だ。
「本当に大丈夫なのかい」
雨脚が強くなる中、海図室で針路を記入するカイルにウィリアムが尋ねる。
偽名を使い乗艦しているが皇太子として船団が無事に祖国へ到着することを願っている。
「この程度の雨は想定内だ。寧ろ、上手く入れて良かった」
「入れて良かったって、どういう……」
そこまで言ってウィリアムは黙った。
耳まで裂けていると思えるほどカイルは口元を吊り上げ、笑みを浮かべている。少し引いて見てみると口だけで無く顔どころか身体全体からどす黒いオーラを出しながら笑っている。
歓喜。
自分が求めていたモノがようやく手に入ったと喜んでいるそんな笑顔だった。
そして呟いた。
「もうすぐ、最高の風が来て航行できるぞ」
あまりの喜びように笑顔が狂気を含んで不気味に見える幼馴染みにウィリアムは引き気味だった。




