情報戦
「アルビオンは開戦を決定したようね」
駐バタビア大使館の駐在武官からの報告書を受け取ったガリア王国王女マリーは呟いた。
海賊討伐が終結してから、マリーはガリア王室の侍従武官として勤務し情報収集と分析を担当していた。
未だ海尉の身だが侍従武官ということもあり多くの情報に触れる事が出来る。
ロイテルはカイルとの会話から、アルビオンが開戦を決定しそれを前提に動いていると判断した。
その情報を上官であるウィット提督に渡し、その情報はガリア大使館のバタビア駐在武官を通じてマリーに回ってきた。
「ウィット提督が親ガリアで良かったわ」
バタビアは大国に囲まれており、大国の力関係を利用して生き抜くしか無い。
そのために情報収集を行っているのだが、その過程で相手国と親密になる者も出てくる。
特にガリアとは陸続きであるため接触の機会は多く、情報を流してくれる協力者も生まれる。ウィッテ提督もそんな情報源の一つだ。
「バタビアの予想通り、七日以降にアルビオン艦隊は出撃しそうね」
ガリア艦隊もアルビオン艦隊が出撃する前に出港したかった。
出来れば船団到着後に宣戦布告したかったが、本国艦隊の封鎖前に出撃できないか、あわよくばアルビオン船団を襲撃出来ないか、とガリア海軍上層部内で話しているほどだ。
だが、ガリアも艦隊の出撃準備を可能な限り整えたい。
搭載する物資が半分でも三ヶ月ほどは行動できるが、出来れば満載して万全の状況で出撃したい。
しかし敵も待ってはくれない。敵の先手を打つには早く出撃しなければならない、つまり準備が不充分になってしまう。
その整合性を取るためにも仮想敵であるアルビオンの行動を知りたかった。
そのためマリーは情報収集を行っておりバタビア方面からアルビオンの情報を集めていたのだが、思わぬ所から情報が入ってきた。
積み込みやその他の準備に掛かる時間を考慮すれば十日以降の出撃だろう。その時期ならばガリア沿岸に艦隊を配置して港を封鎖しつつ船団を待ち構える。
先の戦争でもアルビオンは同じ戦略を使いガリアを封じ込めようとした。
ならば今回はその先手を打って艦隊を外洋に出して洋上で待ち構える事が出来る。
ガリア沿岸にやって来たときには出港したばかりのガリア艦隊を眼前にして手出しできないようにすることも夢ではない。
「直ちにブルトンの大蒼洋艦隊司令部へ通報して」
「はい」
マリーは既に戦争を前提に準備を進めている。
彼女個人の望みでは無く、ガリアとしての決定事項だ。
現在、最新の機械を導入し大量生産されたアルビオン製品がガリア国内に入って来ている。良質で安い製品が出回っているためガリア国内の産業は危機に瀕している。
安いアルビオン製品に太刀打ちできず倒産した商店、解雇された失業者、家を無くした困窮者が巷に溢れている。
税収も伸び悩んでおりアルビオンへの反感も高まっていた。
それらの不満が高まり国内の怒りは爆発寸前だった。
最早ガリアの対アルビオン開戦は既定路線であり、マリーが手を貸すことも無い。マリー自身も忌まわしいエルフのいるアルビオンをのさばらせるつもりは無かった。
報告書を纏め上げ従兵に命じた後、マリーは更に次の手を考えた。
「物資の納入に行くアルビオン行きの商船の中にスパイを紛れ込ませる事が出来そうね。運が良ければ、アルビオン本国艦隊の内部を見る事が出来るわ」
基本的に水兵が積み込み作業を行うが、積み込みは猫の手も借りたい重労働だ。
手近な人間がいれば手伝わせる可能性も高い。
船の乗組員は常に不足しており、バタビアの商船でも臨時雇いを出しているはず。スパイを簡単に乗せる事が出来るはず。スパイを船乗りとして忍び込ませ、アルビオンに行かせれば物資の積み込みでアルビオンの軍艦に入れる可能性が高い。
「直ぐにスパイを納入に向かう商船に忍び込ませるよう手はずを整えて」
「アルビオン内にもスパイはいますが」
アルビオンはガリアの仮想敵国であり、情報収集のためスパイを送り込んでいる。
内部にも情報源を持っており先日皇帝が対ガリア戦に関する意見を提出するよう全提督に通達したという情報も入っている。アルビオンが対ガリア戦を決定したとガリアは見ていた。
ここに来て更にスパイを入れる必要があるか、尋ねた。
「情報は多いほど良いわ。それに潜入する機会を見逃したくないの」
「解りました」
命令された部下は直ぐにスパイの選出に入った。
「やはりウィッテ提督はガリアに情報を話したか」
ウィッテ提督を監視していた従兵の報告を受けてロイテルは考え込んだ。
名目上ウィッテ提督は上司だが、それは表向きの話しでロイテルは政府上層部直属の情報官だった。
軍部が勝手に動かないよう内偵することを任務としている。勿論諸外国の情報収集も任務だが、その情報が何ら加工されること無く直接政府へ報告することが任務だ。
情報が軍部内でどのように加工されているかを知る必要があっただからだ。
なのでウィッテ提督の監視もロイテルの任務だった。
「まあ、ガリアとの付き合いが長いからな」
中立国だが隣国ガリアとの戦争をバタビアは幾度も経験している。特に国境沿いは幾度も領土の所有権が変わっており複雑だ。そしてガリア系の住民も多く親ガリア的な空気がある。
ウィッテ提督もそのような地域の出身なのでガリアに便宜を計るのではと考えて監視していた。
「処分しますか?」
「いや、このままにしておく」
別に困るような情報では無い。ガリアが艦隊を早急に洋上に出せば封じ込めに失敗して戦争にならない、あるいは戦争を膠着状態に持ち込むことが出来るとロイテルは考えていた。
何より、ガリアもバタビアから大量の物資を購入する切っ掛けになると考えていた。
それにガリアとのパイプは有った方が良いので提督は更迭しないようにしておく。ガリアと交渉する際、ウィッテ提督にガリアとの交渉を纏めさせたり情報を引き出すなどの事をして貰えそうだ。
そのため、ウィッテ提督に関しては監視の強化のみ指示して手出ししないよう命じた。
「済まんねカイル」
エルフだがカイルとは友人だと思っている。だがバタビア国家に忠誠を誓うバタビア海軍軍人であり祖国の為に行動しなければならない。
そのために友人が不利になることもしなければならない。
アルビオン艦隊の作戦は一部破綻しガリア艦隊と対峙状態になるだろう。カイルの危険も増えるだろうが、祖国バタビアはキャスティングボートを握り、利益を得ることが出来る。
それは祖国にとって好ましいことである。
自分の業の深さを考えながらもロイテルは自分の任務に戻った。
「何とか期日までに着けたな」
アルビオン艦隊と契約したバタビア商船ライク号。金持ちを意味するのだが、あいにくと船も船長にも財産が殆ど無く、日銭を稼ぐ日々だ。
だが今日は食料などの日用品を積んでアルビオンのポート・インペリアルへ行くだけの簡単な仕事だ。しかも契約額が通常の三割増しという久方ぶりに景気の良い契約で張り切っていた。
ただ時間厳守、今日四月七日までに到着するため臨時雇いを雇って大急ぎで積み込み船を走らせた。
普段は人件費を節約するために最小限の乗員しか乗せずゆっくりと行くのだが、今回は急ぎと言うことなので風を効率よく捉えるべく人を増やしていた。
「おい、ダウエス。帆を畳む用意をしてくれ」
「はいっ」
元気よく答えたのは臨時雇いのダウエスだった。
だが、それは偽名であり本性は<ウイユ>のコールサインをもつガリア海軍のスパイだった。
バタビアに潜伏していたときポート・インペリアルへ行く船に乗り込み情報収集、特に本国艦隊の動向を掌握せよとの命令を受けて、臨時雇いの船に乗り込むべく行動を開始した。
アルビオン側が大量の物資を購入していたため人手が足りず、どの船も臨時雇いを求めていた。ウイユは船乗りとしての訓練も受けていたため簡単に雇われ、潜入することに成功した。
だがウイユの本番はこれからだ。
荷物の納入にかこつけてアルビオン本国艦隊の艦艇に潜入し情報を収集する。
乗り込むことで乗員の充足率――定員に対して実際に乗り込んでいる水兵の割合、乗組員の士気、艤装の状態、兵装の状態など戦闘力を詳しく見る事が出来る。
それらを見定めて報告するのがウイユの任務だ。
やがてポート・インペリアルの泊地に入り込み、凝視するとウイユは唖然とした。
「……いない」
いると言われた情報収集対象であるアルビオン本国艦隊が一隻もいなかった。
少なくとも三〇隻以上の戦列艦を有すると言われていたのに残っているのは艤装が不充分な予備艦のみだ。
フリゲート艦も連絡用なのか数隻が待機しているだけだ。
「おいダウエス。ダウエス!」
「は、はい」
突然の事態に一瞬放心してしまい船長の言葉を聞き逃していた。
「入港したら陸の倉庫に入れるから手伝え」
「艦隊じゃないんですか?」
「急遽出港したそうだ。荷は陸の倉庫で保管するそうだ。準備しろ」
「は、はい」
そう言うと準備の為着替えると言って自分の衣装箱を開けて持っていた紙で通信文を書く。そして衣装箱の奥に隠していた伝書鳩を出すと手紙を筒に入れ、そっと外に飛ばした。




