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候補生区画

 レナと分かれるとカイルは新任の候補生二人を連れて船倉の真上にある最下甲板に向かう。

 身分を隠した皇太子殿下とその従者と言うことで、カイルは緊張する。

 しかし、身分をバラさないようにするには彼らへの接し方も扱いも普通の候補生と同じようにしないとダメだ。現在、他の候補生がいないという状況でも下士官や水兵の目があり、彼らの注目を引くような特別扱いは出来ない。

 カイルは心を落ち着けて彼らを普通の候補生と思って口を開いた。


「ここが候補生区画だ」


 少し荒々しい口調で、そしてぞんざいな態度でカーテンを開けて帆布で区切られた区画を見せた。

 天井から吊されたランプで照らされた一角。フォーミダブルより狭いが、現在候補生がいないため誰もいない広々とした空間を見せた。

 カイル達が上の士官室へ移動した事もあり一人当たりの面積は海尉達より広いくらいだ。


「こんな狭苦しい場所に寝ろというのですか」


 だが文句を言ってきたのはカーク・シーンだった。

 ウィリアムのお目付役だが従者としての役目もあり、日のあたらない換気の悪い場所に皇太子殿下を置く訳には行かないと考えているのだろう。

 面積が狭いのはカイルも認める。帝城にあるウィリアムの私室などこの区画の三倍くらいある。皇族専用の区画などこの艦の容積の十倍くらいあるだろう。


「構造上、そうせざるを得ない」


 だが、カイルもミスタ・シーンの要求を許す訳にはいかない。一候補生として過ごすのなら、二人にはあてがわれた区画に入って貰うしかない。

 何より余裕のある空間など、この艦にはない。

 レナウンはレイジーを行い甲板を一つ減らしていた。その分、艦長室と士官室が一段ずつ下がり、候補生の区画も一つ下がり船倉に近い場所に変わっていた。

 だから彼らにはここに寝て貰うしか無い。だがカイルも何も考えずにこの場所へ案内した訳では無い。


「確かに換気は悪いが揺れが少ない場所だ。寝心地は良いぞ。油断したら場所を奪われるくらいに」


 カイルの言ったことは本当だった。船倉が近く換気が悪くても水線に近いため揺れが少ない甲板は多くの乗組員がハンモックを吊したがっている。


「結構な上等の区画だ」


「しかし」


「カーク、上官を困らせるな」


「しかし……はあ、わかりました」


 ウィリアムのアシストもあり何とか彼を納得させることが出来た。その時、肌も髪も真っ白な少女水兵ウィルマがやって来た。カイルは艦長室を出た後、海兵隊員にウィルマへ候補生区画へ来るよう伝言を頼んでおいたのだ。


「では世話係としてウィルマ志願水兵を紹介します」


「こんな少女が世話をするというのですか」


 自分どころかカイルより小さい少女を見てシーンが本気か、と尋ねた。


「ウィルマは志願水兵ですし、艦の仕事もよく知っております。最適な人選です」


 カイルは自信を持って言った。

 確かにまだ幼いが下士官兵の中では一番自分に懐いていて信頼できるからだ。

 古株のマイルズが一番良いのだが、熟練の下士官として出撃準備中の艦にはやる事が多いので引き抜けない。ステファンは能力はあるのだが色々と性格に問題があり外した。

 そのため年も近いので話しやすいだろうと考えてウィルマを付けることにした。

 何より、彼女は何も聞かずにカイルの命令に従ってくれる。他の水兵や下士官ならあれこれと聞こうとするがウィルマはカイルに一切の質問をせず命令すれば必ず実行する。

 カイルが不明瞭だったり見当違いな命令を下したら何の躊躇も無く実行して大失敗をやらかす可能性もあり、命じるときにはそれなりに緊張するが彼女以上にカイルに忠実な水兵は居らず考え抜いた末、世話係にすることにした。


「では私はこれで。あとはウィルマに言って下さい」


 そう言ってカイルはその場を離れた。

 残されたウィルマは二人が衣服箱のみで寝具を持っていないのを見ると一度下がり、船倉からハンモックを持ってきた。


「こちらをお使い下さい」


 そう言って無表情にハンモックの一つを解いて梁と梁の間に掛けて使い方を示した。


「こうやってお使い下さい」


「おい。湿気っていないか」


 カークが文句を言うとおりハンモックは空気中の水分を吸って湿気っていた。洋上の艦では湿気が多くどれも湿気っているのだが、陸から来たばかりのシーンはそれを知らず嫌がらせだと思って抗議する。


「こんなものをウィリアム様に使わせる気か」


「艦上ではこのようなものです。慣れて下さい」


 カークの文句を無表情に抑揚の無い声でウィルマは受け流した。自分自身は何も間違った事を言っていないと言う考えが彼女をそのように動かした。

 その態度にカークは激昂した。


「酷すぎるではないか。艦長に抗議する」


 そう言って艦長室に行こうとしたカークをウィルマが一歩踏み出して押さえつける。


「!」


 直ぐに体勢を立て直そうとしたが、足払いをされて床に押さえつけられた。立ち上がろうとしても首筋にナイフを当てられ動けなかった。


「カーク!」


 ウィリアムは助けを呼ぼうとしたが目の前にウィルマのナイフが突きつけられて黙り込んだ。


「覚えておけヒヨコ共」


 抑揚の無い声でステファンから習った悪態を述べつつ、ウィルマは二人に語りかけた。


「絶対にヘマをするんじゃないぞ。ミスタ・クロフォードの脚を引っ張るようなら、この俺が海にたたき込んでやる」


『……』


「返事は?」


『……はい』


 二人は弱々しく答えた。


「宜しい」


 ウィルマはナイフを収めると踵を返して出て行こうとした。


「二度と船が陸と同じと思うなよ。文句を周りに垂れ流すようなら潰すからな」


 捨て台詞を残してウィルマは候補生区画を出て行った。




「候補生区画が騒がしくないか」


「ウィルマが候補生に指導をしているんでしょう」


 ハンモックを吊して寝床の用意をしていたマイルズの言葉にハンモックに寝転がっていたステファンが答えた。


「変な事を教えたんじゃないだろうな?」


 海兵隊員の伝令が来たときウィルマは直ぐに行こうとしたが、ステファンが止めて何か言っている所をマイルズは見ていた


「何、候補生に海の上の掟をたたき込むようウィルマに言い聞かせたんですよ」


「ミスタ・クロフォードに知られたらどうするんだ」


「ですけど、陸者には海の仕来りをみっちり教え込んでおかないと、あとあとトラブルを起こしますよ。前はゴードンがいたから良いですけど。今の海尉や海尉心得は少し甘いですからね。今のうちに身体に覚えさせないと」


 海は過酷であり、嵐に巻き込まれる事もある。吹き飛ばされそうな中でもマストに登らなければならないこともある。その時、身体が竦んで動けない事があってはならない。動揺しない精神力を養うためという理由で新米をいたぶったりすることがある。陸と海は違う事を教える洗礼。娑婆っ気を抜くという奴だ。

 そのため古参から新米へのいびりは黙認される傾向にある。


「やり方というのがある。ミスタ・クロフォードに知られたら罰を受けるぞ」


 ステファンの言う掟が手荒だと言うことはマイルズも想像できた。それも暴行を含む類いの奴だ。

 実行したら上官への暴行で死刑もあり得る。そんな事を教えたらこっちの身も危ない。

 海の仕来りを下士官が新任の士官候補生に対して行う事は勿論ある。だが、法に抵触しないあるいは発覚しない術というのがある。

 一度命令したら愚直に進めてしまうウィルマにそのような機微が理解出来るとはマイルズは思えない。


「だからウィルマをけしかけたんですよ」


 自分の手は汚さないためにウィルマをけしかけた。幾らウィルマでも殺しはしないだろうしいたぶる術は教えている。

 シーンとかいう候補生は剣術が得意そうだが、陸での話しだ。少し大柄だが狭い艦内だと少し動く度に頭を梁にぶつける。一方、小さくて小回りの利くウィルマの方が自由に動けるしナイフなら天井や梁、壁にぶつかる心配もない。

 さらにシーンのサーベルは長すぎるので壁や天井に当たり動きを封じられる。

 ウィルマが負けることは万に一つも無かった。


「釘を刺すことが彼らのためにもなる。なにより二人の候補生がヘマをしてミスタ・クロフォードの顔に泥を塗らずに済むと言って聞かせたら、すんなり納得していましたからね。彼女がやったとしても俺が言ったという証拠にはありませんし」


「それで艦長やミスタ・クロフォードが騙せると思うか? ミスタ・クロフォードはウィルマを信用している。貴様の方が偽証と言われるだろうな。証拠を採用するのは士官の権限の内というのを忘れていないか?」


 士官の権限というのは絶大だ。艦上での裁判や懲罰などでは何を証拠として採用するか否かは担当士官の胸三寸だ。明らかにこじつけや嘘の証言でも信頼に足る証拠として採用し死刑を含む刑罰を下す事がある。

 それは士官候補生であっても同じだ。


「絞首刑にならない事を祈っておけ」


「うへえ」


 マイルズはキツく言ったがステファンはおどけたままだった。




「あー疲れる」


 小父さんからの宿題も出されてクタクタになったカイルは自分の部屋に戻るとそのままベットに入り込む。下が何か騒がしかったが、ウィルマが宜しくやってくれるだろうと考え、気にしない。今日は衝撃的な事件が多すぎてこれ以上考えられなかった。だから、何も考えずカイルは眠ることにした。

 明日が良い日になるように祈りながら。

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