開戦決定
「……確かなのか」
「はい」
サクリングが尋ね返すとウィルはハッキリと肯定した。
彼の実の親からの開戦決定の伝言。
ウィル、ウィリアム・アンソンは偽名で本当はアルビオン帝国皇太子殿下ウィリアムが彼の正体だ。
彼の実父は現皇帝ジョージ三世陛下。
その言葉となれば事実だろう。
隣にいる護衛兼お目付役のシーンという候補生もウィルの言葉を否定せず表情一つ変えずにいる。故にこの事ははじめから陛下から伝えるように言われているのだろう。
「どういう事だ?」
だから、真実としてサクリング艦長は受け入れ理由を尋ねた。カイルも知りたくて黙ったままだった。
「議会内において開戦派が拡大しています。何とか抑えようとした枢密院及び内閣でしたが抗しきれず、先日開戦を決定しました。近日中にガリアに宣戦布告します」
申し訳なさそうにウィルが答えた。
十二年ほど前、地獄のような戦争が終わったのは現皇帝の兄、当時の皇太子殿下が各国を説得して講和を結んだからだ。その時の活躍は超人的で講和とエウロパ条約の締結を成し遂げ平和を手に入れた。だが過労によって皇太子殿下は逝去され、名君の誕生はなくなった。
そして血みどろの後継者争いの後、ジョージ三世が皇帝として即位することとなる。
故に、実の兄が命と引き替えに築き上げた平和を自らが署名する宣戦布告の詔で壊すことを陛下は悲しんでいるだろう。
カイルは優しい人柄を知るだけに心中を察するだけで心が痛む。
「止められないか?」
一縷の望みを抱いてサクリングは尋ねたがウィルは首を横に振った。
「議会でも開戦派が優勢です。もはや陛下のお力でも押さえつけることは不可能です」
先の海賊討伐でのガリアの裏切り行為に対して民衆の反発は強かった。皇帝と議会の両輪で回る帝国では民衆の支持を集める議会の声も無視できない。
だから内心反対でも皇帝は議会の決定にサインしなければならない時もある。
「開戦は何時だ」
「時期は不明です。というより決定できないでいます。現在接近中の船団が入港しない限り難しいです」
「どういうことだ」
「現在貿易公社の大規模船団三〇〇隻が接近中です」
アルビオンは海外から物資を輸入する貿易立国だ。
食料も例外では無く、各国や植民地から得ている。朝食にでる三枚のトーストの内、一枚は海軍のお陰で、もう一枚は商船隊のお陰で食べられると教えるほど貿易に依存している。
そして今は春先、冬の間の蓄えを消費する頃だ。
勿論、国内でも農産品はあるが国民を十分に養うほどではない。少なくとも今年の収穫が出る秋までの食料を確保する必要があった。
その必要量を満たす船団が今、大蒼洋を航行中であり、入港するまで宣戦布告は止めておきたい。かといって安全が確保出来るまで到着を遅らせる訳にもいかない。食糧不足で国民が飢えるからだ。
「さらにスパイからの報告でガリアも開戦するべく動いているようです。ガリアが先に宣戦布告して船団を襲撃されると我が国は窮地に陥ります」
「船団はどれくらいで入港できる」
「一月ほど。宣戦布告は可能な限り引き留めたいとのことです。同時にガリアからの宣戦布告も抑えたいというのが父の望みです」
それを聞いたカイルは顔をしかめた。
ガリアに宣戦布告される前に船団を帰国させろ?
一フリゲート艦に国家の命運を預けるような事を言わないで欲しい。
ただ、カイルの腹が決まった事は確かだ。
これまでも軍の動員が行われていたが、その度に戦争は回避されていた。
今回も同じく軍を動員して威嚇し外交交渉が妥結して動員が解除される可能性が高いと思っていた。そのためレナウンの艤装作業を行っていても何処か身が入らないことが多かった。しかし宣戦布告が確実というのならそれに備えて全力を尽くさなくてはならない。
「わかった。実の父上には善処すると伝えてくれ」
そう言ってサクリングはウィリアムにカイル、シーン候補生と共に出て行くように命じた。
「失礼します!」
三人は揃って敬礼すると艦長室を出ていった。
「では、君たちの寝床に案内する。と言っても士官候補生は、現在君たちしかいない。海尉心得が昇進試験に落ちたりしない限りね」
艦長室から出てきたカイルはおどけたように二人に言うが、自分を含む海尉心得達の降格は無いと考えていた。
今は海尉の数が足りず士官候補生を海尉心得に任命して人手不足を補っている。また出撃すれば、昇進試験そのものに出席出来ない。海尉心得の任期は一年半だけだが、免責規定があり艦が出撃中の間は除外されるので少なくとも次の寄港までは落ちる海尉心得はいない。
よほどのヘマをして艦長に不適任と見なされて降格されない限りだが。
何より伝えられた事の重大さ、アルビオンの開戦決定の事実と対応に押しつぶされないよう、笑う必要があった。
さらに二人の身分がバレないようにしなければならない。
幸い、この世界はネットもテレビもラジオも無いので顔が知られていない。
皇族と出会う機会など殆ど無く、皇帝陛下の顔を知らない国民が大半だ。貴族でも謁見できるのは僅かな上級貴族のみであり、海軍内でも提督クラスかサクリング艦長のように武勲を立てて叙勲されない限り会うことはない。
その点に関しては安心出来る。
あとは口の堅いごく少数の信頼できる人間に事情を話して秘密を保持することだ。それだけでも重大であり頭が痛い。
その頭痛を笑い飛ばしてからカイルは階段を降り始めた。
「お、カイルその子達は?」
士官室の前を通ったとき、カイルはレナに声を掛けられて心臓が止まる思いをした。
この前の謁見でレナは皇太子殿下と会っている。この場でそのことを言ったら正体がばれてしまう。
カイルが対応策を考える前にレナは立ち上がってウィリアムの前にやって来た。
「こ、今回、士官候補生に任命されましたウィリアム・アンソンであります。宜しくお願いします」
「海尉心得のレナ・タウンゼント。あなた達の上官だから覚えておきなさい」
上ずった声で答えるウィリアムに上官風を吹かせてレナは言った。
「明日から剣術の稽古を付けて上げるから覚悟しなさい。だから今夜はたっぷりと寝なさい」
滑稽なくらい上から目線でレナが言う。
ようやく出来た後輩候補生に先輩ずらしたいのだろう。ウィリアムの正体を知らずに。
でなければこんな態度をとることは出来ない。
「……レナ他に言うことは無い?」
念の為にカイルはレナに尋ねた。
「そうね。もう一人は?」
「カーク・シーンです。本日付で士官候補生に着任しました」
尋ねられたシーンは敬礼して答えた。一方のカイルはレナが覚えていないことに安堵すると共に記憶力の悪さに頭を抱えたくなった。そんなカイルの事情を知らずにレナは話しを続ける。
「年は?」
「一七です」
「クリフォード海尉と同じ年か。結構年を食っているわね。けど、あなたは新米の候補生よ。上官には従いなさい」
一瞬、カークは怒った顔をしたが直ぐに平静を取り戻した。
そしてカイルは話しを逸らすべく話しかけた。
「他にも士官や海尉がいるけど当直中だったり出張中だから、次の機会に紹介する。とりあえず下の候補生区画に行くよ。レナ、剣術の時は稽古を付けてあげて」
「勿論」
にっこりと笑うレナに最後の試験、もとい確認の為にカイルは尋ねた。
「……ところでウィリアムの名前に聞き覚えは?」
「確か艦長とビーティー海尉の名前ね。もう一人増えるのね」
「……レナって人の顔と名前を覚えるの苦手?」
「そうね。あんまり重要で無い人とか、ぱっとしない人とか、どうでも良い人は覚えられないわね」
「叙勲の時、勲章を付けて貰った人は?」
「胸触ってきた不躾な奴でしょう。もう会うことも無いだろうし忘れることにする。下級貴族の私じゃあんな場所行くことはもうないだろうし」
レナの家は騎士階級だ。父親が陸軍の将軍をやっているが家族で皇帝への謁見という出来事は無く疎遠なのも仕方が無い。
「そ……じゃあ彼らを下に連れていく」
そう言うとカイルは、二人の新任候補生を連れて下に向かった。
レナの物覚えが悪くて助かった。
だが記憶力が悪すぎる。記憶力向上のための訓練を加えた方が良いだろう。明日から覚えの悪い信号旗の読解と略号の暗記、読解、作成を勉強に加えよう。
文字と数字を含む三六の信号旗と付属する旗の意味。それらの組み合わせによる略号、例えばMの旗が揚げられると本線は停船中という意味、CBという二旗なら至急救援を求めると言う意味だ。
他にも複数の信号旗を組み合わせて一斉回頭の指示や艦長は旗艦に集合せよ、という指示もあり、そのような略号は何百種類とある。それらを覚えることも士官に求められており、彼らの頭痛の種になっている。
特にレナは覚えが悪いので苦しんでいる。明日以降もっと苦しんで貰う事にしよう。
だが、その前にカイルは二人の候補生を何とかしなければならなかった。
ちなみにレナには秘密を教えないでおこうとカイルは決めた。




