士官候補生
艤装作業を進めている間にレナウンは出撃準備を整えていった。
乗員の補充もその一つでカロネード砲のお陰で乗員数は少なく済むが、それでも四〇〇人以上は必要だ。
しかもカロネード砲が正式な大砲と認められていないため、必要な乗員数に比べて規定の乗員数が足りない。乗員数は大砲を基準に規定が策定されているため、正規の大砲が少ないと乗員の数も少なくなり、支給される予算が少なくなる。つまり給料が払えない。
幸いサクリングの人徳もあって熟練水兵や下士官が集まっていたし海賊退治での賞金を給与に充てるなどして予算は確保した。
それでも単純に頭数が足りないため、レナウンの士官達が連日町に繰り出して強制徴募を行っていた。
「あー疲れる」
士官室に戻って来たレナがぼやいて大股を開きながら椅子に座った。
「みっともないよ」
「本当に疲れているんだって」
強制徴募を終え、艦に連行した徴募水兵達に服を支給したり制服を与えたりした後なので仕方ない部分があった。
「あなただって同じでしょう」
テーブルに突っ伏しているカイルを見てレナが指摘した。
「まあ認めるよ」
カイルも艤装作業の監督で連日忙しかった。食欲が無くて夕食を無理矢理胃袋に詰め込んだ後では余計に疲れてしまい、椅子から起き上がることも出来ない。
「でしょう。なんでこんなに忙しいのよ」
「仕方ないよ。士官の数が少ないからね」
何より問題だったのは士官の数が少ないことだった。
確かに海尉や候補生は余り気味だった。
それは対ガリア戦準備前の状況であり、予備艦が現役復帰となったり民間の商船を支援艦艇として借り上げたり買い取ったりした結果、士官の需要が高まり士官不足を招いた。
ただ海軍当局も思い切った増員が出来ない状況だった。
先の戦争後、幾度か戦争の危機がありその度に海軍の艦艇を準備したことはあったが、戦争にはならず増員した分、余る士官が多かった。
それに士官というのは十分な時間を掛けて教育を受けなければまともに使えないという事実だ。
ただ号令を下すだけで十分な陸軍と違って海軍は巨大な艦船を動かすために的確な指示を出す必要がある。
そのためには艦船の知識や航海術、操帆術などの知識、海域、気象に関する知識など覚えることは多い。何よりそれらを的確に活用する必要がある。
何年もの経験が必要であり一朝一夕に海軍士官が生まれる訳では無い。
エドモントを昇進させたのも士官不足を解消するための方法としてだった。候補生より海尉心得のほうが海尉と同等の扱いと権限を得るので何かと都合が良い。
それだけ責任も大きいし失敗したときの影響も大きいが、サクリングは任に堪えると考えていた。
何より手が足りないので士官を増やすことを考えていたのが真相だが、それでも足りない。
「そろそろ士官が増えて貰わないと出撃前に過労で死ぬわ」
レナの疲労蓄積だけでなく、レナウンの士官不足が深刻化していた。人員配置の基準である大砲の門数が少ないためだ。
しかも現在艤装作業の真っ最中であり、その作業の指揮監督もしなければならない。
同時に港にでて強制徴募の指揮も行わなければならない。
本来なら下士官達に任せてもよいのだが、士官でなければ行使できない権限も多いので結局付いて行くしか無い。
サトクリフ主計長はサクリング艦長の配慮で新米艦長になるブレイクニーの為にブレイクへ残してきてしまった。そのためレナウンには主計長がおらず適任者も見つからなかった。やむを得ずエドモントが主計長代理となり物資の購入の為、今も艦に戻れずにいた。他の士官も鎮守府や工廠との打ち合わせなどで席を外していることが多い。
「艦長も何とか確保しようとしてくれているよ」
それでも士官の数は足りずサクリング艦長は方々へ手紙をだして確保しようとした。
「ようやく候補生が見つかったよ。ウィリアム・アンソン。アンソン家の三男だ」
サクリングがカイルを艦長室に呼び寄せたのはそんな時だった。レナと話しているとき海兵隊員がやって来て艦長がカイルを呼んでいると伝えてきたため、大急ぎでカイルは艦長室へ上がっていった。
「誰ですか?」
ただカイルは何故自分が呼び出されたのか解らず、疑問符を浮かべたままだった。
確かにカイルも貴族に連なる立場だが、エルフであるためフォード一族どころか貴族社会では鼻つまみ者だ。
そのため貴族の知り合いはほんの僅かだ。
「うむ、公爵家の傍系で自身は騎士階級の出身だ」
更に気になるのは艦長の話し方がやたらとぎこちないことだ。まるで予め与えられた台本を読まされているような不自然な話し方だった。
「ただ見所のある若者らしくクロフォード公爵の推薦と後見もあって乗艦させる事になった」
だが自分の父親が推薦と後見をしたと聞いてカイルは納得した。
カイルは長男だが、エルフのため当主となっても貴族の風当たりは強いだろう。そのため小さいうちから海軍に入隊し生きていくことを決めた。
クロフォード公爵の地位は姉のクレアが婿をとり、その人に就いて貰えばよいと考えている。
その若者を後見したのは、入り婿にして公爵を継がせる一環だろうとカイルは考えた。
もしかしたらクレア姉さんの事を考えて結婚させず直接養子にして継がせるかもしれない。
悲しくないか、と言われれば確かに悲しい。
だがエルフである自分をこれまで育ててくれただけでも十分に感謝している。
贅沢を言えば自分の兄か弟になる人物に会わせて欲しかったが、艦上生活が殆どで碌に上陸――休暇もとれない状況では会えないのも仕方なかった。
まして艦が士官不足でオーバーワーク気味となれば余計に無理だ。ブラック企業の従業員のように仲間意識から会社を辞められない状況に陥っていた。
……改めて考えて見ると今の職場も充分にブラックだが、海軍に入隊したかったしもっと酷い艦もあるのでレナウンを離れる気はない。
何より、サクリング艦長なら賞金をたっぷりと獲得してくれるだろうし。
ブラックな職場に染まりつつあるなとカイルは思ったが、海軍士官が夢だったので止めるつもりは無い。それこそがブラック職場を成立させているのだが、一海尉心得ではどうすることも出来ないし、他のもっと悪い職場に送られないよう精々頑張るしかない。
それにレナウンの改造を計画したのは自分だ。どんな結果になるか見届けたいので降りる気など毛頭ない。
しかし、どうしてそのような状況で候補生が志願したのか気になった。
給料が支給され賞金を得て金持ちになれるチャンスはあるが危険も大きいのにどうしてだろう。
父が推薦したというのも気になった。
人を見る目が厳しい父が簡単に推薦したり後見したりするとは思えず、信じられなかった。
ただ元海軍士官で厳格な父が後見し推薦する人物なら問題無いだろう、とカイルは考えていた。
「他にも従者としてカーク・シーンという者が同じく士官候補生として乗艦する。二人とも士官としては申し分ないようだ」
「そのようですね」
ぎこちない艦長の口調は、カイルの心の機微を察しての心遣いだとカイルは勝手に解釈した。
自分の兄になるかもしれない人物と二人だけで話せる機会を作ってくれるのだろうと。
そう考えると態とらしい動作も納得がいく。
良い事をしたのだから堂々としていれば良いのに意外と艦長は照れ屋なのかも知れない、とカイルは思い込んだ。
「では、会って貰おう」
そう言うと、背後の扉が開いて中に士官候補生の服装をした少年二人が入って来た。
「ウィリアム・アンソン。士官候補生としてレナウンに着任しました」
「カーク・シーン。士官候補生としてレナウンに着任しました」
入って来た二人を見て、カイルは絶句した。
いや、片方カーク・シーンと名乗った黒髪の少年は別に問題無い。何処にでもいるような貴族の少年だ。見た感じ剣術をしていそうな筋肉の付き方で年上に思えるが、特に警戒するような特徴はない。
問題なのはもう片方、ウィリアム・アンソンと名乗った方だ。
カイルの兄か弟になると思っていた人物。会いたいと思っていた人物。
それが目の前に居て、カイルは驚いた。
いや、絶句と言うべきか。
おかしな風体をしている訳では無い。寧ろ見覚えがありすぎる人物だった。
威厳のある態度にカイルの父親に似た鋭い目つきと銀色の頭髪。
「初めまして、カイル兄さん」
そして何より親しい者に見せる無防備で無邪気な、威厳を台無しにする笑顔。
自分を兄さんと呼んだのは、カイルの幼馴染みであり現皇太子殿下のウィリアムだった。




