虎の威を狩る兎
相手とスズの堪忍袋が、同時に中身をぶちまけた。
もう売り言葉に買い言葉で、男とスズの口論がやむ気配はない。
「俺は『剣闘士』、弟は『重戦士』だ。こんな上等な職業の持ち主、この町にゃ他にいねえ! そんな俺たちが面倒見てやろうってのを断るたァ、さぞかし立派な職業の持ち主なんだろ? ええ?」
「ぐ……」
『剣闘士』、『重戦士』はともに三級の戦士系職業だ。魔法がまったく使えない代わりに、剣や斧を扱う職能が充実していることが多い。近接戦闘だけなら二級にも劣らない強力な職業とされている。
少なくとも、第四級のスズと第五級の僕らに歯が立つ相手じゃない。
「い、いえ、職業で全てが決まるわけではありません! 知恵と機転、そして不屈の精神こそ強さの鍵です!」
それでも気圧されまいと、騎士の家系らしく言い返したスズを男たちはまた笑う。
「聞いたか兄弟、なかなか勇ましいことを言ってるぞ。親の顔が見てみたいもんだねぇ」
「頭がおかしくなるくらい騎士物語が好きな親父なんだろうぜ、兄弟。よしいいだろう、そこまで言うのならこうしよう」
兄を名乗った方が、壁際に建てられた掲示板へ向かう。木製の簡素な板には、ギルドに持ち込まれた多種多様な依頼が並んでいる。
その中のひとつ、『推奨:第三級Lv.5以上』と書かれた石版を持って、男は戻ってきた。
「これを達成できたら、お前らに俺らの指導は不要ってことを認めてやろう」
「『三十以上のソルジャーアントを引き連れたアントクイーンが森に出没。全て討伐されたし』……?」
読み上げたスズの頬を、冷や汗が伝った。
ソルジャーアントと、アントクイーン。名前の通りアリ型の魔物だ。
女王の周りを兵隊が守るように隊列を組んで行動するのが特徴。肉を好み、人間を襲うことも多い危険な存在として知られている。
手強い相手だ。もちろん『獣使い』の職能で手懐けることもできない。なぜなら虫だから。
「どうなんだ。やるのか、やらないのか」
「く、クラトス殿……」
それほどの敵だ。さすがに、勢いでやるとは言えないんだろう。スズが申し訳なさそうにこちらを見てくる。
でも、ここまで来てしまったらもう後には退けない。
「分かりました。もしこれを達成できたら、二度と僕らに「そこまで」」
男たちの背筋が伸びた。
僕の背筋も伸びた。
スズはもともと伸びていた。
僕らの背後、つまり男たちの正面から声がした。氷水のように冷たく、そして澄んだ女性の声だった。
「あ、アリシアさん……?」
「今日は出張だったんじゃ……?」
「よく知っているな、その通りだ。では、こちらからも質問だ。私の頭に生えているものがなんだか分かるか」
尋常でない男たちの様子に、振り返って良いものか一瞬ためらう。しかし神聖騎士を目指す男が、女の人の声に怖気づいてよかろうはずもない。
ゆっくりと振り向くと、そこには三十歳前後とみえる金髪の女性が立っていた。碧い瞳が鮮やかな美人だが、僕の目線はそれより上を向く。
「兎の耳、です……」
「そうだ。だから登り坂を往くがごとく仕事を済ませ、脱兎のごとく帰ってきたのだ」
得意分野で実力を発揮することを、兎の登り坂と言うんだっけ。
あまり聞かない慣用句で男たちを威圧する女性の頭からは、茶色い兎の耳が垂れていた。
新キャラのアリシアさん。
雰囲気としては、虎を噛み殺すロップイヤーを想像いただければだいたい合っているかと思います。