うごめく何か(後)
「獣化症候群の治療法って……。それは今、勇者様が探してるんじゃ」
「そうだ。だが奴らはすでに、伝説に残るある魔導具が治療に有効だと突き止めていた。ある種の概念や力を生物に付与する機能があるものらしい。言ってみれば、『機術士』が剣にやるのと同じことを人間にできる魔導具だな」
「そ、それは深く厳しいダンジョンの奥にあるんですか?」
勇者様は、治療に必要なものはそこにあると言っていたはずだ。
「いや、場所までは分からない。だが人体を改造可能なほど強力なものであれば、そうとみて間違いないだろう」
「そう、ですか」
「さらに奴らは治療法だけでなく予防法についても研究し、そちらも一定の成果を出したらしい」
「成果、って……?」
「羊毛が有効である。そう判明したのは、一ヶ月ほど前だったようだ」
治療法に予防法、どちらも勇者様が言っていた内容と同じだ。演説で語った内容はすべて、あの実験室の成果だったのか。
「で、でも勇者様は女神様の神託だ、って。たまたま先に真実に辿り着いた人がいただけって可能性も」
「では聞くがな、羊飼いのクラトス君。例の神託によれば羊は聖獣らしいが、君はそんな話を聞いたことがあるか? 聖獣を飼う立場故に得をしたことが、今までに一度でもあったか?」
「……ありません」
「私も無い。聖典のどこにもそんな記述は無いからだ。新たな教義が下されたと教会の方は今ごろ大わらわだろうが、果たして聖獣なんてものがそう簡単に決まるものか?」
正直、おかしいと思わなかったわけじゃない。過去の英雄たちの中には、例えばエイスースのように女神の助けを得た者は少なくない。でも、このくらいのことでいちいち神託が下ったなんて話、今まで読んだどの英雄譚にも書いてなかった。羊のこともそうだし、勇者ジークはいろいろと例外が多すぎる。
「では、アリシアさんはどうお考えなんですか」
「まず、勇者が現れたのはつい最近だ。少なくとも二ヶ月は活動していたあの地下実験室が、彼の指示で作られたとは考えづらい。かといって、例えばどこぞの学者や貴族がやらせたのなら、とうの昔に成果を金か名誉に変えているはずだ。ここまではいいな?」
「……ええ」
「つまり、黒幕ははじめから勇者の功績とするために研究を行い、勇者が現れるまでそれを伏せていたということになる。では、そんなことをして得をする人間は誰だ?」
「それは」
そんなの、勇者の仲間たちしかいない。勇者の功績が高まれば高まるほど、その仲間が受ける恩恵も大きなものになるんだから。
そして勇者の仲間三人のうち、学術研究を司る職業はただ一人。
「『賢者』……」
「そうだ。さらに言えば、被害女性の『女性が優先的に実験台とされた』という証言から、王女殿下の治療を至上命題としていたともとれる。三ヶ月近く前に現れた点も含めて、辻褄は合っているだろう」
「で、でもそんなの推測です! 証拠は何も……」
「そうだ、証拠は何もない。告発も、表立った捜査もできないだろう。だが、かといってこのまま看過できる疑惑でもない。だから君に協力を頼みたいのだクラトス君。まずは、君に届いたという手紙を見せてはもらえないだろうか。私の【鑑定】でなら分かることがあるかもしれない」
アリシアさんの言う通り、状況証拠だけ見れば怪しいのはフィナだ。でも、あいつがそんなことをするはずがない。そう思っていても、なら今の彼女は僕の知るフィナなのかと訊かれると、あの手紙の字がハイと答えさせてくれない。
「……少し、考えさせてください」
「すでに犠牲者も出ている問題だ。急かすわけにはいかないが、よい返事を待っているよ」
席を立つ僕に、アリシアさんは手を振ってくれた。
「僕はどうしたらいいんだよ、フィナ……」
帰り道で便箋を買うのを忘れはしなかったけど、書くべきことなんて何ひとつ思いつかなかった。
アリシアさんのターン
【鑑定】スキルと『子どもたち』のおかげで、ただのギルド職員のはずなのにリンバスで起きた事件について誰よりも詳しい人です。逆に言えばそれ以外の、例えば王都のことについては人よりちょっと物知り程度なわけですが……




