機術士の事情
「まだリンバス城址が……いや、今はリンバス城跡か。とにかくあの瓦礫の山が王の城だった遠い昔の話だ」
ちょっと耳の痛いところから話を切り出しながら、クニーさんは棚に並べてあった本の一冊を取り出した。開くと、黄ばみきった紙に文字と図解がびっしりと並んでいる。
その中の一節を、クニーさんはそっと指差す。
「ここの記述によると、ボクのご先祖様、つまり当時の店主のところに、見たこともない奇妙な力が宿った石が持ち込まれた。その名前がまた奇天烈でね」
「名前?」
「『魔王の玉座』。その石はそう呼ばれていたんだ」
魔王。数百年ごとに蘇っては人類に甚大な被害を与える、強大なる魔族の王。たしかに、その名を冠した奇石というのはどうにもおだやかじゃない。でも。
「失礼ですが、魔王という名前自体は珍しいものではないように思いますが……?」
スズの言うとおり、強大な存在だけに人間社会でもその名前はよく見かけるものだったりする。魔王岩とか魔王窟みたいな地名はあちこちにあるし、たしか『魔王』ってお酒もあったと思う。奇妙な石に、それっぽいから魔王とつけたと考えるのが自然といえば自然だろう。
しかしそんな指摘を見越していたとでも言うように、、クニーさんは小さく口角を上げて続けた。
「まあね。ただ、それを持ち込んだ人間がなかなか問題でね。あながち名ばかりともいえないんだ」
魔王と名のつくものを持ち込んで、信憑性の生じる人間なんてそう多くない。まず思い浮かぶのは、やはり。
「まさか、勇者?」
「惜しい。当時の勇者様の仲間だった『聖騎士』、ジャガー卿。彼が、この店に『魔王の玉座』を預けたんだ。記録によれば、魔王の力を宿した石はミスリルより強く固く、かつ絹より軽くしなやかだったので、ボクのご先祖様はそれで防具一式を作り上げて『聖騎士』様に献上したそうだよ」
「ジャガー卿……」
その名前には聞き覚えがある。たしか、昔読んだ本にこんなことが書いてあった。
『「不屈の盾」「生ける要塞」「黄金の鉄塊」。『聖騎士』の重厚さを讃える称号は枚挙に暇がないが、その中にあってただひとり「疾風の貴人」と呼び倣わされた騎士がいる。
かの者の名はジャガー・オークリッジ卿。愛馬クレイに跨り神速の槍を振るう姿は、今日まで多くの詩に謳われるそのままその通り。清廉潔白な生き様も相まり、男の中の男と賞賛する者も絶えない偉大なる英雄である。
だが賢明なる読者諸兄には、彼にあやかり息子にジャガーと名付けることだけはお勧めしかねる。なぜなら彼は「早すぎる」という理由で夫人に愛想を尽かされ、最後まで子宝には恵まれなかったからだ。
槍で全てを手に入れた男にも、扱いきれない槍があったのである』
村の酒場に置いてあった『英雄噺で今日も一杯 〜この一冊で酒がうまい〜』の記述だからか余計なくだりがある気がするけど、大人物なのは間違いない。そんなジャガー卿の神速が件の防具あってのものだというのなら頷ける話だ。
「そういうわけなんだけど、分かってもらえたかな」
「つまり、クニー殿はこの黒曜石が『魔王の玉座』と同じものであるとお考えで?」
「全く同じかは分からないけど、近しいものには違いないと思う。ご先祖様が英雄の装備を作った材料なら、是非ボクも扱ってみたい。だから、さあ。さあ!」
手に入れた素材が予想以上の大物だったことに驚く間もなく、クニーさんは真っ黒に書き込まれた契約書を押し付けてくる。どうしても今ここで契約を結んでしまいたいらしい。
「いかがしますか、クラトス殿」
「職人組合の親方の紹介だし、いいかなとも思うけど……。できれば、腕前を見せてもらいたいかな」
口には出さないけど、僕はこの人が凄腕の職人とは信じきれずにいる。僕よりは年上といっても二十歳そこそこ、レベルも経験も十分なのか正直言ってかなり怪しい。
「キミの考えていることは分かるよ、クラトス君。でも、ボクの腕前ならキミらはもう見ているよ」
「……と、いうと?」
「キミたちが結婚指輪でも選ぶのかってくらい真剣に見つめてた、あの髪飾り。あれ、作ったのボクだから」
「け、結婚指輪!?」
スズ、反応するのはそこじゃない。女性はやっぱり恋愛とか結婚の話が好きなんだなとは思うけど。
妙に慌てているスズの手を取り、僕は席を立った。
「すみません、帰らせていただきます」
地名にもお酒にも名前が残ってて、災厄の象徴なのに妙なところで身近な存在。日本でいうところの『鬼』みたいなものですね、この世界の魔王は。




