狐の斥候
「見られてしまいましたか……。ええ、その通りです。私の名はスズ。『獣化症候群』の罹患者です」
真剣な面持ちで、彼女は、僕の聞いたこともない病名を告白した。
「じゅうか……え?」
「獣化症候群、です。ご存知ありませんか? では、この辺りにはまだ発生していないのですね。そのままこちらに近づかずに、いえ、もっと離れてお聞き下さい」
スズと名乗った彼女によると、『獣化症候群』というのは大都市を中心に大流行している奇病らしい。いや、正確には病気なのかも分からないので、謎の現象、と言ったほうがよさそうだ。
その症状はといえば、特に悪いことは何もない。痛くも苦しくもないし、気が狂ったり記憶がなくなったりなんてこともない。
ただ、耳としっぽが生える。まず獣のような耳が生え、その後で同じ獣のしっぽが生えてくる。それだけだ。
スズにも、ローブをめくると耳と同じく黒い狐のしっぽが生えていた。先だけが少し白く、とにかくフサフサ・モフモフ・ツヤッツヤの三拍子そろった立派なしっぽだ。
ちなみに、人間の耳は少しずつ消えるらしい。スズにはもう無かった。
「そんな病気が流行ってたんだー! こっちの田舎では聞いたこともなかったー!」
「実際に見なければー! 真に受けてもらえないようなー! 話ですしねー! ここまで伝わる間にー! 与太話としてー! 扱われてしまったのかもしれませんー!」
「それでー! なんでー! こうして話すのー!」
「申し訳ー! ありませんー! 感染してしまうわけにもー! いきませんのでー!」
そんなわけで、僕とスズは二十歩ほどの距離を空けたまま会話していた。
大声を出し続けるのは正直、しんどい。
「それでー! さっきのー! ことなんだけどー!」
「急に身体がー! 軽くなったー! 件ですねー!」
「あれってー! 君の職能なのー?」
「いいえー! 私の職能ではー! あれほどは変わりませんー!」
やはり。いくら『斥候』が敏捷性に優れた職業でも、あそこまでの強化は難しいだろう。
と、いうことはつまり。
「クラトス殿ー! もしやー! あなたも神託を受けておられるのですかー?」
「受けてるよー! 君の能力をー! 僕の職能がー! 底上げしたんだと思うー!」
「……!」
僕がそう言うと、スズは何かを考えるように下を向いて黙り込んだ。
そしてやおら顔を上げると、二十歩の距離を一瞬で駆け寄ってきた。
「クラトス殿!」
「は、はい!?」
「私を、あなたの旗下に加えてください!」
「えっと、待って、感染は!?」
「いえ、獣化症候群は人から人へは感染りませんのでご心配なく」
「なんでまたそんな嘘を……」
「その、やはり近くで見られるのは抵抗があったので思わず……。申し訳ありません」
顔を赤くしながら頭を下げる。獣化症候群で生えた耳もしっかり感情を映すようで、黒い耳が下向きになっている。
そんな狐の耳も似合っているとは思うけれど、女の子には女の子の感性があるのだろう。女の嘘は三度まで許せ、って母さんも言っていたし、責めるのは気の毒だ。
「ならいいんだけど……。それで、なんだっけ」
「私を、あなたのパーティに入れていただきたい。そう申し上げました」
「僕、ただの羊飼いだよ?」
「なんと……。あれほどの強化系職能の持ち主が、なぜ羊飼いなどされているのですか。騎士団で重宝されそうなものですのに」
「いや、えっと、言いづらいんだけどね? 僕の職能って、本来は人間には効かないんだ」
「それは、どういう?」
【教練の賜物】はあくまで獣や魔物を強化する職能だ。しかし、スズは明らかに僕の職能で強くなっていた。
これが意味するところは。
「僕の『獣使い』としての職能に、獣化した君の身体が反応しちゃったんだと思う」
僕らに職能を与えるのは女神様の御業だ。
もちろん、その効果の詳細を決めるのも女神様。そんな職能が効いたということは。
「つまり、私は女神からさえも獣扱いされた、と……?」
「たぶん……」
「はは、は……」
遠い目で天を仰いだスズに、僕は掛ける言葉もなかった。
どうか、強く生きてください。
獣人趣味(ケモナー、獣耳スキーなど)の世界には、ひとつの地雷があります。
それは、『獣耳と人間耳の共存(通称:四つ耳)』です。
『狼と羊皮紙』のように狙ってやっている作品もありますが、深く考えずにやらかすと命に関わります。お気をつけください。