「ここは、きっちりと筋を通させましょう」
幼い少女の風貌。
軽く小さな体躯。
そして、オウムにも似た緑色の巨大な羽根と、オレンジの混じった髪。鳥そっくりの足。
「有翼人種……!?」
スズが、驚きも隠さず伝説の亜人種の名を呟く。
僕らの目の前で空を舞っているのは、獣化症候群で耳としっぽが生えた『後付け』の獣人ではない。翼を持ち空を舞う、正真正銘の亜人種だった。
「亜人種……。英雄譚ではおなじみの存在だけど、本物を見たのは初めてだ」
「私もです。実在したばかりかこんな人里の近くにいるとは」
「そんなに珍しいッスか?」
目を離せない僕らの横で、レオがどうということもないという顔をしている。そういえば、この子は蛇の亜人・ラミアの住む洞窟を抜けてきたんだった。常識のレベルがすでに違う。
「いえ、普通に生きていれば、亜人に出会うことなどそうそうありませんから……」
「生活圏が違いすぎるからね……」
別に人間と亜人の関係が険悪とかいうわけではなく、単に住む場所が違うのだ。僕らが日光の差さないジメジメした洞窟や、崖と濁流しかない山岳地帯に住めないように、彼らも僕らの町に住むことができない。
将来、どちらかが相手の領域を侵すことがないとは言い切れないけれど……。少なくとも今は、亜人というのは別世界の住人なのだ。
「そんなもんスかー。それで、どうします? すごい楽しそうッスけど」
「そもそも、彼女は何をしているのでしょうか。ステージと言っていましたが」
「言葉そのまま、歌のステージに見えるけど……」
有翼人種は、観客たちがウォイ! ウォイ! と謎の合いの手を入れている頭上をひらひら舞いながら、僕には理解できない言語の歌を披露している。楽しげな雰囲気が逆に異様だ。
「むー、見た感じだと危なくはなさそうだし、放っておいてもよさそうッスね」
「違う意味で危なげだけど、下手に刺激して怒らせてもまずい。ここは僕らも相伴に預かろう」
「クラトス殿がそう言うのであれば、異論はありません。しかし、伝説と違ってなんと美しい……」
ハルピュイアの歌声については諸説あり、この世のものとは思えぬ美声だという本と、気が狂うような奇声だという本と両方読んだことがあるが、あの有翼人は前者のようだ。目をそらそうと気をそらそうと、耳を塞ごうとも旋律が血に溶け込んでくる。
……いや、もっとこうお淑やかな曲ならそういう感想でいいんだろうけど、あのノリノリな感じはたぶんそういう歌じゃない。血に溶け込むというより、骨に食い込んでくるといったところか。
そんなステージが一時間ほど続いた頃、ようやく、有翼人種が歌を終えた。
「はいはいみんなあーりがとーう! お昼のステージはここまで! 続きはまた今夜ー!」
名残惜しそうに「えー」と声を上げる観客たちに笑顔で答え、森へと飛び去ってゆく。その後ろ姿が見えなくなるのを待って僕らは窪地へと滑り降りた。枯池であろうそこでは、ステージが始まる前と同じように、観客たちが虚ろな目で虚空を眺めたり木の実を拾って食べたりしている。僕らが近づいても何も反応しない。
その端の方で、リリィは雑草をつついて遊んでいた。
「リリィ!」
「…………」
呼びかけても、肩を揺すってみても反応がない。虚ろな目をこちらに向けさせてみても、焦点は合わずどこか遠くを見つめている。つい昨日まで隣でサンドイッチを食べていたのが嘘のような変わりようだ。
「なんと痛々しい……」
「これ、どうしちゃったんスか?」
「たぶん、有翼人種の歌を聞いたせいだ。彼女たちの歌には人や魔物を惑わす効果があるって本に書いてあった。こんな無防備な人たちが山の中で無事なのも、魔物が歌で混乱しているせいじゃないかな」
スズのご先祖様、ヤマト・クゼハラに関する膨大な書物のひとつ『ヤマト・クゼハラとその同胞たちが馳せし西方覇道録』。その中に、有翼人種の歌を聞いた者が錯乱して仲間を攻撃してしまうというのがあった。
効く効かないは生まれ持った体質によるらしいとも書いてあったと記憶している。
「ではクラトス殿、リンバスへ連れ帰りアリシア殿に診せてはいかがでしょう。『司祭』の彼女なら回復の手立てもありましょう」
「うにゃ、回復ならあたしも使えるッス。試してみていいッスか?」
「お願い、レオ」
「【治癒の波動】」
『聖騎士』の【治癒の波動】には、いわゆる回復魔法のような即効性はない。人の身体が持つ、自らを回復しようとする力を高めることで、時間をかけて回復させるという職能だ。時間がかかる代わりに負担も少なく、子供や老人にもやさしい力だと聞くし、リリィにはちょうどいいだろう。
問題は、有翼人種の歌による錯乱にも効くかどうかだが……それは杞憂だったようだ。ほんの三十分ほどで、虚ろだったリリィの目がぱちぱちとしばたいた。
「にゃー……?」
「おお、気がついたッス!」
「ま、まずそれが出るんだ?」
「おそらく、猫になった夢でも見ていたのでしょう。本当によかった……」
【治癒の波動】は仲間全てを対象にした職能だ。レオの近くにいた人たちから順に正気を取り戻しては、自分たちが山の真ん中にいることに驚いている。
「あの人たちももう大丈夫、かな」
「ここで日数を過ごした者は衰弱しているようですが、ギルドに連絡すれば迎えも来るでしょう。心配ありません」
「ほんじゃ、あたしがマタロー君に乗ってひとっ走り街まで行ってくるッス。おふたりはあの人たちが勝手にどっか行かないか見張っといてもらっていいッスか?」
レオが連絡係を買って出てくれた。僕も馬には乗れるけど、魔物に襲われたら戦えないし、【騎乗】の職能を持つ彼女が適任だろう。
「分かった、お願いするよ」
「こちらはお任せください」
「おお! スズさんが初めてツッコミ以外であたしと話してくれたッス!」
「んなっ」
「そういえば確かに」
初対面の頃は妙に距離感が広かったのが解消されている。ここに来るまでも、会話しているともしていないとも言えないやり取りが多かった。たぶん、リリィが帰ってきたことでスズも気が緩んでいたのだろう。
「そ、そんなことはどうでもよいのです! さっさと行ってください!」
「ほいほーいっと。じゃ、すぐ戻るッス」
マタローに跨り、赤い後ろ姿が木立の中へと消えてゆく。彼女なら町まで戻るくらい造作もないだろう。観客だった人たちもおぼろげに記憶があるのか思ったより落ち着いているし、それほど手はかからなさそうだ。
それを確かめて、スズが僕に耳打ちしてきた。
「ところでクラトス殿、先ほどの有翼人種のことですが」
「うん、僕もそれを話そうと思ってた」
なんの目的か知らないけど、町の人を拐い、僕らのリリィまでこんな目にあわせたんだ。無事に帰ってきましたハイおしまい、で済ませていいはずがない。
「ここは、きっちりと筋を通させましょう」
「そうしよう」
午後の太陽の下、僕らの作戦会議が始まった。
クラトスとスズは枯池の真ん中で普通に話してますが、山の枯池、涸れ沢はかなりの危険ポイントです。そういった場所は水が通りやすく、ひとたび雨が降り出せば鉄砲水を食らう恐れがあります。
よい子は真似しないようにしましょう。




