新たな生活
「おはよう、スズ。精が出るね」
「おはようございます。ええ、日々の積み重ねが大事ですから」
アントクイーンを討伐し、崩壊した宿屋の前でひと騒動あってから二日後。
移った先の安宿の前では、今朝もスズが素振りを繰り返していた。
「素人質問なんだけど、素振りってどんな効果があるの?」
「そうですね、まずは技術の定着です。レベルや職業が同じなら技術の高いほうが勝ちますから重要です。それと、わずかですが経験値も得られます」
「え、そうなんだ」
前者はともかく、後者は意外だった。経験値は強い敵と戦うことで手に入れるものかと思っていたけど、そうとは限らないのか。
「素振りは、いわばイメージとの戦闘ですから。強敵との命をかけた戦いほど多くの経験値が得られる、という原則からすれば手に入るのは本当に微量ですが、長年続けることで大きな差となって現れます」
「なるほど、だから剣士はみんな素振りを欠かさないんだ……。だったら、僕も剣術を覚えるなら早いほうがいいのかな」
実は自主的な素振りは昔からやっていた。でも、剣が扱えるわけじゃない。理由は簡単、僕の村に剣を教えられる人なんていなかったから。
僕の質問に、スズは少し考えて頷いた。
「そうですね。冒険者として、剣を振れるに越したことはないでしょう。基礎のみにはなりますが、私で良ければお教えしますよ」
「本当に? なら、お願いしていいかな」
「剣もいいけど、そろそろ行かないと遅刻すると思う、にゃー」
背後から声。リリィだ。
農家の娘だけあってか、実は僕らの中でリリィが一番の早起きだったりする。今日も朝から準備してくれたようで、手には三人分のお弁当を持っていた。
「そうだね。ありがとうリリィ。……でもその語尾はいらないよ」
「でも、こうするとお兄ちゃんはうれしいってアリシアさんが言ってた、にゃー」
「うん、それも聞いた。けどいらないからね」
「にゃー?」
「返事にしないで」
「まあまあ、とにかく出ましょう」
リリィからお弁当を受けとり、三人連れ立って宿を出る。行き先も同じ、リンバス・ギルドだ。
リリィもギルドに向かうのは、ただの付き添いじゃない。立派な仕事だ。
アリシアさんのはからいで、マタローはギルドの馬に、リリィはその世話係になったからだ。正直、僕らでは馬を維持するのは難しかったから助かっている。
一方の僕とスズがギルドに向かうのも、単に仕事を請けに行くのではない。
今日は、アントクイーン討伐の報奨金がもらえる日なのだ。討伐した数が数だけに、確認や計算に手間取ったらしい。
「……え?」
「あの、もう一度ご説明願えますか」
そして期待に胸を膨らませ、報奨金の計算結果を聞いた僕らの反応が上の通りだ。
「えっと、自分で見ます?」
「いいんですか?」
「ええ、特に禁止されてはいませんから」
若い女性事務員――今日はアリシアさんが不在らしい――が、机に立てられていたガラス板をこちらへ向けた。ガラスの表面に光る文字が表示されている。
このガラスは『術機巧』といい、道具の中に魔法の紋様を埋め込んで特殊な機能をもたせたアイテムだ。
術機巧にもいろいろあり、たとえば今見せられているのは二枚のガラス板の間に紋様を挟んだもの。ガラス板に文字を浮かび上がらせ、入出力もできるという機能がある。術機巧の中ではよく見る方で、ギルドや大きな商店に行くとだいたい使われている。
ちなみに、伝説の英雄譚には必ずといっていいほど術機巧が登場する。強力な術機巧が英雄を助けたり、逆に敵の武器として登場して英雄たちを苦しめるのだ。僕もいつかはひとつ持ってみたいと思っている。
でも、今考えるべきは世界を蝕み破壊する伝説の術機巧ではなく、目の前の量産型のことだ。ガラス板に顔を近づけた僕とスズは、思わず顔を見合わせた。
<依頼概要>
依頼者:
リンバス役場 流通課課長 マルコス・アンバー
依頼内容:
三十以上のソルジャーアントを引き連れたアントクイーンが森に出没。西からの羊毛商人が迂回を余儀なくされ、羊毛価格の上昇につながっている。十日以内に全て討伐されたし。
推奨:
第三級 Lv.5以上
報酬:
アントクイーン :五万ミルカ
ソルジャーアント:千ミルカ/体
殲滅時追加報酬 :二万ミルカ
依頼者:
リンバス役場 治安維持課課長 シオ・モルディ
依頼内容:
【継続】リンバス近郊に多数のブラックボアが出没。商人や狩人に被害が出ている。出来る限り多数かつ継続的な討伐を求む。
※良質な肉は市営食堂にて買取可。
推奨:
なし
報酬:
ブラックボア:五百ミルカ/体
討伐十体以上:三千ミルカ
<遂行結果>
遂行者:
冒険者 クラトス・メイヴ スズ・クゼハラ
遂行内容:
アントクイーン 一体 殲滅
ソルジャーアント 三十二体 殲滅
ブラックボア 十三体
<遂行報酬>
受領者:
冒険者 クラトス・メイヴ スズ・クゼハラ
報酬:
アントクイーン討伐 五万 ミルカ
ソルジャーアント討伐 三万二千ミルカ
殲滅時追加報酬 二万 ミルカ
ブラックボア討伐 六千五百ミルカ
多数討伐追加報酬 三千 ミルカ
合計 十一万千五百ミルカ
「じゅ、じゅういちまんせんごひゃく……」
「ブラックボアにも、懸賞金がかかっていたのですね」
「町の近くに魔物が群れで出てくるわけですからね。もちろんですよ」
僕らの予想では、ブラックボアの倒したぶんの成果は減算されるのでは、と思っていたのだ。でも実際は、ゆるくとはいえ僕の使役下にあったということで僕の討伐扱い。それどころか、巻き込みで倒れたブラックボアのぶんまで報酬が出ていたのだから驚きだ。
僕のような駆け出し冒険者の場合、一日にブラックボアを二匹狩ればどうにか、三匹狩れば十分に生活できるのだ。軽く三ヶ月ぶんを十日間の依頼で稼いでしまったことになる。
「それと、持ち帰った女王アリの頭。あれも素材として引き取れますよ。査定は……一万六千ミルカですね。もし買い取り希望ならあっちの窓口に持っていって下さい」
三ヶ月と二週間ぶんになった。
「あの、質問よろしいですか? 三級職用の依頼とはいえ、なぜこれほど報奨金が高額に?」
「なぜといわれても、これが相場ですが……。あ、そっか。ふたりとも知らなかったんですね」
「?」
「普通、依頼の推奨レベルって四人組を前提に考えるんですよ。勇者様のパーティが四人だかららしいですけど。それをふたりで分けたら、そりゃ大儲けですよねー」
「え、アリシアさんはそんなことひと言も」
「スズさんが一年冒険者やってるって聞いて、知ってて当然と思ったんじゃないですかね?」
「あー……」
たしかにスズは職業持ちとしては一年先輩だ。でもギルドで仕事を請け始めたのは獣化症候群にかかってからだから、実は冒険者としての知識は僕と大差なかったりする。
「申し訳ありません、クラトス殿……」
「いや、うん、しょうがないよ」
「そんな依頼を、駆け出しの四級と五級がふたりでこなしたっていうもんだから大変でしたよ。推奨レベルが間違ってたんじゃないかーとか不正があったんじゃないかーとか。おかげで、事務方も巻き込まれて夜遅くまで書いたり読んだり……ふぁぁ」
確認に時間がかかったのはそのせいか。
事務員さんはあくびしながら言っているが、僕らとしては笑えない話だ。
「もしかして、僕らとんでもない自殺行為をしてたんじゃ……」
「だからアリシアさんも、すぐ諦めていいって言ったんでしょうねー」
とりあえず、こんな依頼をふっかけてきたオルさんロスさん兄弟にはいつか必ず仕返しをしよう。そう心に決めた。
と、そんなことを考えていた僕の背後で、慌ただしくドアを開ける音がした。
「クラトス・メイヴはいるか! 留置所より、大至急の呼び出しがかかっている! ここにいれば名乗り出られよ!」
僕の名前が、留置所に呼ばれていた。
同姓同名の人違いであることを願ったけれど、他の人たちの視線は、クラトス・メイヴという冒険者がひとりしかいないことを教えてくれていた。
安宿に泊まり、質素な食事で暮せば一日千ミルカ。冒険者として継続的にやっていくなら薬や装備品も要りますから、一日千五百ミルカは駆け出しでも必要です。
もっといいもの食べて酒も飲みたいとなれば、一日だいたい三千ミルカ。四人パーティがその生活をするなら、クラトスたちがもらった報奨金は十日ぶんといったところになります。十日間の仕事で、報酬も十日ぶん。ベテランにとっては物足りないラインでしょうね。




