この戦いが終わったら
窓から差し込む日光が室内を明るく照らす。質素な宿屋の一室に置かれたベッドには清潔なシーツが敷かれ、黒髪の少女が小さく寝息を立てている。
僕が彼女の様子を看続けてもう数時間。そろそろ交代の人が来る頃合いだろうと思ったところで、彼女の口元が小さく動いた。
「う……」
「み、みんな、スズが目覚めた!」
「クラトス、殿?」
別室に残っている人たちを呼びに行く。クニーさんとニーコを連れて戻ってくると、そこには自分の喉にペンを突き刺そうとするスズがいた。
「スズちゃん!?」
「ちょ、ダメ! 待って!」
「離してください! 私は、私は……!」
「こうなるからボクが見張りをつけようって言ったんじゃないか。目を離してどうするんだいリーダー」
どうにか引き止めてペンを捨てさせると、スズは床にへたり込んで小さく震えだした。ここまでクニーさんの予想通りすぎて何も言い返せない。
とりあえず水を飲んでもらうと、ようやく落ち着いて話ができるようになった。
「あの、ここは……?」
「ヤマトの、いや、今のところはヤマトって呼ばれてる街の宿屋だよ。みんなで『暁光の迷宮』から戻ってきて、そのまま滞在してるんだ」
「今のところは? いえ、それよりジークはどうなったのですか!? それにクラトス殿のお姿も、そもそも全員が無事でここにいるなど一体何が起こったのか……」
「うん、順を追って話そうか。スズが刺された後、みんなでどうにかシークを抑え込んだんだけど……」
「ハッ、ハッ、ハッ……」
赤熱する石床の中央、切り取られたように無事なままの小さな円の中で勇者ジークが涙目で浅い呼吸をしている。恐怖で腰が抜けたのか立ち上がろうとしない。
むしろあの大炎球が自分に迫ってくる中で気絶してないだけでも褒めるべきか。高熱に当てられた髪の毛の方はもうダメかもしれないけど。
「ぴぇぇ、石がまっかっか……」
「相当な恨みつらみを感じる威力だったけど、とにかくこれで無力化完了かな? それであれをどうするのさリーダー」
「レオ、ジークを拘束しててもらっていいかな?」
「大丈夫なんスか? もっとボッコボコに懲らしめなくても」
「あんまり痛めつけて魔王が現れた時に不都合が出ても困るから、とりあえずは捕まえるだけにしよう。それより問題はスズだ」
ジークに制裁を下したフィナはすぐにスズの治療に取り掛かった。でも勇者の剣だけあってジークの宝剣はただの剣ではないらしく、いくら傷口に回復魔法をかけても塞がらない。レオの自然治癒促進も効果は微々たるものだ。
汗を流すフィナの横に、レオがジークを担いできて放り投げた。
「はいジーク様、これ以上怖い思いしなくなかったらおとなしく吐くッス。この傷どうやったら治るんスか?」
「こ、この剣はある竜種の牙を用いたものだ。斬られたものには『斬れた』という事実が概念的に貼り付き、それを除かないことには回復魔法で塞いでもまた開く仕組みになっている」
「それで取り除く方法は!?」
「知らん! 解呪系専門の職業ならどうにかできるかもしれんが、そもそも斬った相手を治療することなど考えたこともないから分からん」
よく分からないけど、要するに今のスズの体は『斬れている』状態が基本になってしまっていて、ジークにもそれは変えられないということか。
でも概念が貼り付いているというのなら、概念の付け外しができる魔導具がちょうどある。
「クニーさん、『祝福されし呪針』を使おう。あれで『斬れた』っていう事実を外せば回復魔法が効くようになるはずだ」
「それなんだけどね、リーダー。この魔導具は概念を付けることはできても外すことはできないんだ。しかも付与した概念も少し経つと消えてしまう」
「え? でも万能の英雄シプラスは……」
「外すのは自然に消えるに任せて、新しい概念をどんどん自分に付け加えていたから付け外ししているように見えたんだろう。記録のほうが間違ってたんじゃどうしようもない」
目の前が暗くなるのをどうにかこらえ、考える。絶望してる場合じゃない。どうすればいい。どうすればスズを救える。
「そうだ、ここはたくさんの英雄が魔導具を隠した場所のはずだ。『祝福されし呪針』がダメでも他に何か使えるものがあるかもしれない!」
「ボクもそう思ってさっきから【鑑定】して回ってる。でもいくら探しても竜殺しの剣とか破滅の杖とかの類しかないんだ。世界樹の霊薬でも置いてあれば……ちょっとリーダー、首にさげてるそれ見せて」
部屋を見回していたクニーさんが僕の肩をいきなり掴んで首元を凝視しだした。そこにかかっているのは、スズにもらった羊のチャーム。
「そ、そのチャームがどうかしたの?」
「……これ、術機巧だ。それもかなり高度な」
「治療に使えるの!?」
「ちょっと待ってくれ、組み込まれた術式が複雑すぎて最終的な効果が分からない。確かに回復の術式の面影はあるんだけど、同じくらい呪殺の術式も入ってて、なんだ、なんだこれは……」
銀の羊を見つめるクニーさんの頬を汗が伝う。現状で可能性があるとすればこのチャームのみだが解析に時間をかけすぎればスズが危ない。それを分かっているクニーさんの薄い表情にも焦りが混ざってゆくのを、僕には黙って見つめることしかできない。
そんな僕らの背後から太い男性の声がした。
「それは、半死半生の状態を保つための道具だ」
さっきまで撮影用の術機巧を運んでいた騎士だ。いや、そのはずだけど、さっきまでと明らかに雰囲気が違う。後ろに控えるもう一人の騎士も佇まいがまるで別人だ。
「あなたは……」
「クゼハラの関係者、とだけ言っておく」
クゼハラ。スズの実家の人間。
「それで半死半生に保つ術式だって? そんな無茶苦茶な用途だなんて予想してなかったけど、言われてみれば……うん、たしかにそうだ。これは致命傷を負った人間に回復と呪殺を重ねがけして虫の息にし続ける術式だ。なんでこんなものが……」
「擬死行為、いわゆる死んだふりは隠密にとって重要な技能。それを補助するためのものだ」
スズからもらったアクセサリーがそんな術機巧だとは思わなかった。けど、なぜ僕にそんなものを。
「もしジークがクラトスを殺そうとしても首の皮一枚で助かるようにでしょ! いいから早く寄越して!」
回復魔法をかけ続けているフィナが声を荒げた。慌ててチャームを渡すと、フィナはそれをスズの体に埋め込み魔法で封じた。
「フィナ、どう?」
「【白き魔眼】で状態を確認……。うん、体力の低下が止まってる。これなら地上に連れ帰って専門家に見せる時間は十分に稼げるはずよ」
「よかった……」
とりあえず山場を越えたらしい。
ダンジョンの攻略、ジークとの戦い、スズの救命と神経を張り続けていた反動か、足の力が抜けてぺたんと座り込んでしまった。
そんな僕をジークは苦々しい目で見ている。
「貴様、自分を騙した女をそこまでして救ってどうするつもりだ」
「あいにく、女の嘘は三回許せって親から躾けられたからね」
「言葉の全てが嘘だったんだぞ。三回程度なものか」
「この言葉はそういう意味じゃないよ」
女の嘘は三回許せ。お母さんの教えだけど、これは四回目には怒れって意味じゃない。
人間は生きていれば嘘をついてしまう生き物だ。なら、この人になら嘘をつかれてもいい、そう思える女を見つけろと、そんな意味なのだろうと思っている。
「ふん、理解に苦しむな。それにお前が死に物狂いで助けて生き残ったところでそいつに帰る家など無い。あの騎士がクゼハラ家の使いということは、『暗殺者』の監視として来たものと見て間違いないだろう。隠密の家系から追手をかけられ、捕縛されて打首か野垂れ死ぬか、どちらにしても時間の問題だ」
命令を無視したスズをクゼハラ家は受け入れない、むしろ粛清の対象になる。ジークはそう言っているのだろう。
振り返ると、クゼハラ家の関係者を名乗った騎士はふたりとも姿がなくなっていた。
「ジーク様、この状況なのに強気ッスねー」
「勇者の社会的信用と影響力を侮るなよ。ここで敗れて貴様らに何を証言されようと、潔白を訴えれば相当数の支持者を得られるだろう。何よりクゼハラ家の生命線を握っている限り俺の英雄譚が終わることはない」
悔しいけど全てジークの言う通りではある。魔王への対策としてジークは生かして帰さないといけないし、ここで起きたことの証拠は何もない。僕らがいくら奴の暴挙を世間に知らしめてもジークの発言力とクゼハラ家の政治力でもみ消される可能性は高い。
それに気づいて唇を噛む僕と勝ち誇るジークに向かって、しかしクニーさんは首をひねった。
「いや、それはどうかな」
「どういう意味だ?」
「だってさっきの会話とか全部地上に筒抜けだし」
……は?
思わずクニーさんを二度見した僕の横でジークも口をパクパクさせている。
「な、な、な……?」
「勇者様も自分で言ってたじゃないか。音声をやりとりする術機巧ならお金をかければ小さいのができるって。つまり騎士が二人がかりで担いでたあの箱のほとんどは映像を撮るための機構だったわけで、その部分だけ破壊するのはそんなに難しくないわけだ」
「は、話が違うぞ『賢者』! あの機巧ではもう放映はできないとさっき……」
「言いましたよ? 映像『は』撮れないって」
「たぶん、画面は砂嵐のまま音声だけがずっと全国放送されてたんじゃないかな。いや、今も放送中か。いえーい全国のみんな聞いてるー? 術機巧のことなら安全安心高品質のパンゴ機術工房までご相談をー」
「んな、な……!」
フィナもクニーさんの意図に気づいてわざとはぐらかしたのだろう。幼馴染としては頼もしいと同時に、女を敵に回すとここまで恐ろしいのかと思わされる話だ。
「いやー、それにしたってまさかそこまでの暴露大会になるとは思わなかったけどね。でもクゼハラ家とのことだけならまだ復讐劇として同情してくれる人もいただろうけど、最後のはさすがに不味かったかも」
「最後の? 何だっけ?」
「獣化症候群患者のこと化物って言っちゃったよね。あれ、王都の国王陛下とリーリエ王女殿下も聞いてたと思うよ? 勇者様が自分の獣化症候群を治してくれるって信じてたお姫様はショックだったろうなー」
絶句。その言葉を辞書で引いたら今のジークが挿絵で載ってるんじゃないだろうかってくらいの顔をしている。
と、話が一段落したのを見てレオが立ち上がった。
「んじゃ、ここに長居してもしょうがないしボチボチ帰りますかー」
「かえる! はやくお空飛びたい!」
次々立ち上がる僕らの中で、さっきまで強気だったジークだけが床にへばりついている。
「い、嫌だ! 今地上に戻るのは嫌だ!」
「じゃあここでリンドヴルムのエサになるッスか?」
「それも嫌だ!」
「めんどくさいし、この半分の痛みで腕を切り落とす術機巧を使って胴体だけ持って帰ろうか。あ、痛みを二倍にもできるから安心していいよ」
「絶対に嫌だ!!」
「戦えなくしちゃうのはダメだってば。クニーさん、『祝福されし呪針』を出してもらえる?」
「ああ、なるほどね」
「と、いうわけでジークも獣人に変えて僕の職能で操って連れ帰ってきたんだ。今はフィナとレオに監視されながら王都に向かってるはずだよ。『祝福されし呪針』では概念を外せない、つまり獣化症候群は治療できないって分かっちゃったから、その対策も含めて話し合ってくるみたい」
「そんなわけだから全員そろっての打ち上げはまた今度だね。あ、ちなみに勇者の動物はタヌキにしたよ。理由は推して知るべし」
「なんと……」
あの放送の影響力はとてつもなく大きくて、名家クゼハラは今や国中の敵になっている。貴族たちの力関係は激変しつつあると先に王都に戻ったフィナも言っていた。ヤマト・クゼハラの名を冠したこの迷宮都市ヤマトも街名を変更する予定らしい。
……迷宮都市『クラトス』にしようって意見もあるって聞いた時は心臓が止まるかと思ったけど。
「さて、キツネさんも目覚めたことだし今後のことを考えようか。リーダーもトリちゃんもリンバスには帰るんだろう?」
「うん、リリィもいるし、アリシアさんたちにもちゃんとお礼を言いたいしね」
「りんばす?」
「忘れちゃってたかー。ボクらと一緒に来るかい、ってことだよ」
「いく!」
「よし、決まりだ。夜でも風を頼りに飛んで町を出られるトリちゃんはともかく、角の生えちゃったリーダーは外見が元に戻るまであんまり往来を歩かない方がいいだろうから、出発日は……」
「お待ちください!」
話がまとまりかけたところで、スズが声を上げた。
「私は貴方がたを裏切っていたのですよ!? そんな女、口汚く罵って衛兵にでも突き出すのが道理でしょうに! 何をさも当然のように元の鞘に収めようと……!」
「キツネさん真面目だねー。でもそういうのはもうこっちで話ついてるから。どうせ『色々あったけどこれからもよろしくだぜ!』ってなるんだからサクッと省こうよ」
「しかし!」
「あれあれ? ボクらにでっかい借りがあるのに口答えするのかい?」
「うぐ……!」
痛いところを突かれてスズが黙り込んだ。やっぱりクニーさんの攻撃は容赦ない。
さらにニーコが不安げな目を向ければスズは追い詰められてゆく。
「スズちゃん、いっしょにかえらないの?」
「いえ、その……」
「僕らも話し合って、やっぱりスズとパーティを組みたいってことになったんだよ。スズがジークに送り込まれたことは驚いたけど、スズだって被害者だったんだから」
「……それでも何も落とし前をつけないというのは筋が通りません」
「硬いなー。なら、一生かけて償えばいいんじゃない?」
「と、言いますと?」
「病める時も健やかなる時も支えてあげる関係になる、みたいな」
その文句、聞いたことある。結婚式で誓うやつだ。
それに気づいたのかスズの顔が一気に赤くなってゆく。
「な、ななな」
「クゼハラ家と縁が切れて姓も無くなったようなもんだし、ちょうどいいんじゃないかな。スズ・メイヴになっちゃいなよ」
「トッシーさんとスズちゃん、つがいになるの?」
「そうだよトリちゃん。ふたりの愛の巣を作るんだよ」
「ご冗談も大概にしてください!」
大きい声が出た。そりゃそうだ。
「おや聞いたかいリーダー、収入の安定しない冒険者なんてお断りだってさ。現実的で嫌だねえ女ってやつは」
クニーさんも女性だと言う点は指摘しないほうがいいのだろう。なんだかおかしな話になってきた。
「そ、そんなことは言っていません! 私のような女を娶ってはクラトス殿のためにならないからです!」
「ならキツネさん本人としては問題なし、と。リーダーはどうだい?」
「どうって言われても、僕なんかがスズみたいなお嬢様をもらっても贅沢させてあげられないし……」
「ぜ、贅沢なんてそんな……!」
「つまりリーダーも心情的には問題なし、と。よしこれで相思相愛。リンバスに帰ったら『司教』のアリシアさんとやらに頼んで式を挙げよう。大丈夫、若夫婦っていうのはお金なんかなくても幸せなものなのさ」
「は、はい!?」
「いいかい、君たちはまだ理想の結婚とか考えちゃう歳だろうけどね。二十歳を過ぎて振り返ってみれば、十代の頃のあれは凄いチャンスだったのにとかいう後悔だらけになるのさ。ボクは君たちにそうなって欲しくないんだ」
断じて面白いからじゃないよ。
そう真っ直ぐな目で言い切ったクニーさんにスズが気圧されている。これは強引にでも止めないとまずい流れだと僕でも分かる。
「え、えーっと、なんだか話が大きくなってきたし冗談はこの辺にしてご飯でも食べない? スープあるよ?」
「ごはん!!」
「え、ええ、そうですね! いただきます!」
「じゃあ全員分持ってくるから一緒に食べよう!」
ごはんごはんとニーコに急き立てられながら立ち上がってドアに手をかける。やれやれ、とクニーさんが呟いた気がしたけど気にしない。
これが僕のパーティ。一体感が無くて手に負えなくて頼もしい僕の仲間たちだ。
階段を駆け下りる自分の足音が、なんだかとても軽快だった。
これにて第3章『獣使い、狸に怒る』完結です。第1部完結にもなります。
(5話でプロローグ完結、20話で第1章完結、50話で第2章完結ときてたので、第3章も切りよく100話で終わらせようと思った結果文字数がアンバランスに。特に内容と関係なくてすみません)
悪徳勇者とついでに司教も社会的に抹殺したので、もうフィナもスズも苦労しなくてよくなりました。
第2部からは、獣化症候群とは何なのか、どうすれば治療できるのか、大迷宮に潜っても分からずじまいだったその部分に焦点が当たってゆきます。そして名前だけ何度も出てはやばいやばいと言われてきた存在もようやく物語に絡んでくる予定です。
なおここまで(ほぼ)毎日更新でやってきましたが、次章開始までは少しお時間をいただき、その間は不定期に番外編など上げていく形にしようと思っています。
まずは21万字に渡りお付き合いくださりありがとうございました。