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第十三話 武を交える違えた道

 太陽暦三百六十五年 八の月 火四つの日 ルーベルの村



 殉職した村長の代理に白羽の矢が立ったのは、村でも信頼の厚い神父ルークだった。

 まず村で瓦解した家屋や焼け落ちた畑などの被害状況を調査し、死者を丁重に荼毘し、近隣に救援を求めて使者を派遣する。

 身体が幾つあっても足りないほどの目まぐるしい怒涛の処理に、一区切りを終えたのは星の輝く深夜の事だった。

 教会の崩れた天井、その隙間から覗く夜空に目を向け、夜の暗さに自分の心境を重ねて知らず溜息が溢れる。

 星の輝きが今のルークには眩しすぎた。ユウキたちと重なって心労は増すばかり。


(……いえ、いけませんね。こんな時こそしっかりしなければ、あの子たちに叱られてしまいます)


 挫けぬように目を瞑り、見送ることしか出来なかった勇敢な子供達の後姿が瞼の裏に蘇る。

 きっと子供達のほうがずっと辛い思いをしているはず。我が子のように愛情を注いだ子供たちを糧に気力を奮い立たせ、手元の書類に目を向ける。

 だが書類が三十から四十の枚数に達した時には、とうてい溜息は抑えられるものではなかった。

 それもそのはず。被害は現在進行形で上昇し、改善の兆しは見出せない。


(前途多難とはこのことですね……。対策を練ろうにも、資金も人材もすべてが不足している……)


 昨日を懐古するのは一種の逃避だと頭では理解していても、感情は追いつかない。

 攫われた住人たちも以前として行方不明のままで、生存は絶望的だ。感情論を抜きにすれば救出に向かった子供たちさえも――。

 ダメだ、と頭を振って邪推を振り払う。それでも信じるしかなかった。我が身は神父だ。己が主である神に祈らずしてなんとするものか。

 そんな縋るような一縷の望みに賭けて、それを支えに、なんとか心の均衡を保っている状態なのだから。


(なにから手をつけるべきか……私の決断がみなさんの今後を左右するとなると、幾ら考えても足りないことはないでしょうね)


 顔を上げて周囲を見渡せば、心身ともに疲弊した負傷者たちの痛ましい姿が目に入る。

 即席で作られたシーツを張っただけの長椅子を簡易ベッドにして、うめき声を上げながら悪夢に翻弄されている。

 それも負傷の具合に係わらず、起きても覚めない悪夢を見続けるのだ。

 生きる希望そのものが、根元から折れ欠けているのだから。


(もって五日……いえ、三日でしょうか。それまでにどうにかして食料だけでも揃えなくては、体勢を立て直すどころか、村として機能さえしなくなる……)


 こめかみに親指を当てて懊悩するが、表情の険しさは増すばかり。

 人が生きるために必要な三要素として『衣・食・住』が挙げられ、その中でもいま一番必要なものは『食』。

 これが村の備蓄だけではとうてい賄える量ではない。食料庫の蔵が焼け落ちなかったのは僥倖とはいえ、大半が魔物に食い散らかされていたからだ。

 『衣』はおおよそ村の家屋は半壊したとはいえ、燃え尽きずに残ったものもかき集めればなんとかなる。季節も夏なので凍死する心配はない。

 『住』もこうして雨風を防げる程度の教会や難を逃れた家に避難すればなんとかなる。いますぐどうにかせねばならないほど切羽詰ってはいない。

 だが食料事情だけはいかんせん難しかった。日々失っていく糧は使い回しが出来ない。

 それも収穫時期なだけあって田畑を失ったのは致命的だ。家畜も減少し、今年はこのままでは冬も越せるか怪しいものだった。


(だが国にこれ以上の支援は期待できそうにありませんし、たとえ一時的にでも村を離れてどこかに避難させてもらうとしても……一体どこに?)


 考えれば考えるほど眉間に深まる懊悩は晴れない。資源が底に尽きかけていた。

 一番近い主要都市のローゼンに使者を出して救援を求めた結果、昼過ぎに重傷者だけを病院に搬送し、少ない補給物資を得るに終わった。

 これだけ見れば薄情とも言える対応ともいえるが、魔物の襲撃はルーブルだけではなく近辺区域全土にわたって突発的に発生したらしい。

 現在はその対応と事後処理に追われているため、この小さな村に支援の意志を向けてくれただけでもありがたいといえる。自分の足元が脅かされているというのに。

 駐在する二人の兵士も友好的だ。積極的に瓦礫の撤去や死者の埋葬に尽力してくれる――その心の内で自分たちの無力さを嘆きながら。彼らのせいではないというのに。

 まるで砂上の楼閣だ。周りが切り崩され、あとは土台を失えば村そのものが崩壊する。それも時間の経過と共に徐々に蝕まれ、奪われていく。

 この状況でため息の零れない人間は、よっぽどの大物か大馬鹿者のどちらかか。どちらでもないルークは胸中でもう一度深いため息が零れた。


「……これから、どうすればいいんでしょうか……」

「まあ、なるようになれとしか言えんのう」


 つい溢れた弱音に返答があったのは、傍らであぐらを組みながら片手に酒をぐびぐびと嚥下するカレアの祖父・ガイエンだった。

 ぎょっと驚きで目を剥き、負傷者でありながら飲酒するガイエンを慌てて嗜める。


「っ、ガイエンさんまたお酒を飲んで! あなたも重症なんですよ、自重してください!」

「ふん、これが飲まずにいられるか。孫のように目くじら立てるなみっともない。漢ならばどしっとせいどしっと。……それにちゃんと自重しとるじゃろうが」

「どこがです!? 飲めば治るといってソウおばさんを困らせながら、浴びるようにがぶがぶと飲んで一体どこが自重を――」

「――ここに・・・おる・・、じゃろうが」


 胡乱な態度から一転して、獣の唸るような低い声。

 ガイエンの握る杯にビシリと亀裂が入り、垣間見た凶暴な本性が晒される。

 怒気を孕んだ隠せない焦燥感にルークは理解した。まるで牙を研ぐ猛獣のようだと。

 本心ではいますぐにでも孫の元に飛び出したいのだろう。それが親というものだ。

 だがいまの傷の具合では走っただけで命にかかわる。そんな状態で駆けつけても、足手まといになるだけだ。

 それを理性で理解して納得させるのには、酒が必要なのだ。体ではなく心を癒すために。そしていざという時には、ここにいる避難民を守れるように。

 自分の戦場は、ここにあると。


「……それでも、ほどほどにしてくださいね。この状況で酔っぱらいの世話までは手が回りませんから」

「カカ、言いよる。ならこの酒をわしの腹におさめんよう、ぬしも晩酌に付き合え。ほれ」


 そう言ってずい、と差し出された杯に浮かぶ酒の水面に、ルークの困惑な表情が映し出された。


「あ、いえ、それは神父として応えるわけには……なにより神の家で酒の類を口にするなど……」

「堅物じゃのう、そんなんでは人生そんじゃぞぉ? ……なら神父としてではなく、男としてこの酒を飲め。悩みの迎え酒じゃ」

「は? 悩みの、迎え酒……? それはどういう……?」

「人は日々の糧に悩み、悩みは酒で解決し、二日酔いは糧である水で解消する。それがわしの長年生きてきたわしなりの答えじゃ。カカ、どうじゃ? あながち間違いでもあるまい?」

「…………」


 なんというか、とんでもない三角形だった。

 それだというのに、妙に納得してしまう自分が不思議で仕方がなかった。

 豪快にして大胆な人。ルークはガイエンをそのような印象で抱いていたが、同時にとても思慮深い人だと改めて感心した。

 なぜならばいいかげんに見えて、その瞳はとても澄んでいて紳士的だからだ。

 きっとルークを気遣ってのことだということは、捧げられたお酒以上に汲み取れた。


「なるほど……言動は矛盾していますが……ふ、ふふ、たしかに飲みたい気分では、ありますね」

「じゃろう? それに意味は違うが、子供らを迎えるための酒とも思えばいい。祈願を夜空の月に託すのもまた一挙というものよ」

「それは主を崇める神父として推奨はできませんが、そうですね……目に見える美しいものに惹かれるというのは、人として当然のことですしね」


 神も月も、天上の存在は人の手に届くものではない。

 だが想像するだけの神は人によって姿は様々でも、月は誰でも丸くて綺麗だと認識し、その天の輝きに見惚れて目を細めてしまうのなら……。


「あのように優しく夜空を照らされては、その恩恵を授かりたいと思うのも無理はないですか」

「カカ、そうじゃそうじゃ。手を伸ばしても天上の月には届かんが、こうして杯に浮かぶ水面の月には、ほれ、手が届く」


 そう言ってガイエンは杯を一度月に向って捧げるように掲げ、子供達の安否を祈願し、ゆっくりと口につける。

 そして豪快とも取れる動作で一気に飲み干すと、ルークに笑みを浮かべて茶目っ気に告げた。


「――これを天からの一握りの恩恵と思い、感謝して喉にとおす。兵士は戦場で天に命運を任せるのでな。これも一つの粋というものよ」


 そう、頭で考えるのではなく、心で思うように行動する。

 一種の博打のようにも感じるが、価値観は人それぞれだ。

 共感できたのならば、習えばいい。できなければ、習わなければいいだけだ。

 そしてルークは共感できてしまったので、微苦笑を浮かべながらも進められた杯を断ることはできなかった。

 ガイエンと同じように、大切な子達を想い、慕っているのだから。

 杯に浮かぶ水面の月に願いを込め、天に捧げ、一気に飲み干す。

 アルコール度数が想像以上に高かったため、途中で咽るように咳き込みながらも何とか嚥下し、杯をガイエンに返そうとした時に――教会の扉がやや慌しく開いた。

 何事かと、ガイエンとルーク、それと起きていた負傷者達がこぞって扉のほうに目を向ける。

 ローゼンから派遣された衛兵の一人である青年が、やや息を切らせながら困惑の表情でルークに告げた。


「や、夜分遅くに失礼します。神父様、ご来客が訪れていますが……」

「ご来客? 私にですか?」

「はい。あ、いえ正確には村長に――」

「失礼する」


 衛兵の言葉が最後まで続く前に、大柄が男が扉を潜って姿を表す。

 年の瀬はガイエンと同じ頃で、六十から七十といったところか。だがその威厳と風格は、とても老いを感じられない厳格という風体の戦士だった。

 男は入り口で片手を上げ、後方の部下達に待機を命じる。すると十数人の兵士は教会の外で列を組み、微動だにせずに待機に応じた。その錬度からして相当の実力を感じさせる。

 だがその様子から察するに敵意は感じられない。むしろ頼もしささえ感じさせる雰囲気が彼らにはあり、警戒心を抱いていた避難民達の顔色が徐々に晴れていく。

 まず男は始めにガイエンを見て目を細め、次に隣にいるルークに目礼して一歩前に進み出た。


「夜分遅くに突然の来訪申し訳ない。私はロアの領主を治める、ノルド・ロア・グラマーズと申す。この度は近隣一帯に発生した魔物の襲撃に関して情報を求めて周っているところである。僅かばかりだが物資を提供する代価に、ここであった出来事を伺いたい。貴殿がこの村の村長を務める者でよろしいか?」

「……はい、代理ですが今は私がその役職を承っております。話を伺いたいというのであれば私でよければ提供しましょう。物資にも感謝いたします。ですが心に傷を負った負傷者から情報を求めるようなことはしないでいただきたい」

「ふむ、承知した。なに安心なされよ、無粋なマネはせん。いや、しようものならばそこの爺に剣のサビにされかねませんからな」


 ノルドは顎鬚を撫でながら、ちらりとルークの隣で酒を進めるに皮肉を放ち、その視線にガイエンはふん、と鼻白を鳴らした。


「誰が爺じゃこの老いぼれめ。少し見ぬうちにまた鼻持ちならんようになってからに……」

「さて、昔と違い、『誰か』に叩きのめされる日々がなくなったからですかな」

「ほほう? ならまた叩きのめしてやろうかの? 床に熱い接吻でも交す勢いでの」

「ふん、こちらこそ引導を渡してやってもよいのだぞ、老兵。わざわざこのような辺境の地に移ったのだ、静かに隠居して孫でも抱いておるが良いわ、ナマクラ《剣神》が」

「貴様こそ、孫に溺愛しておると聞くぞ。剣ではなくドレス選びにでも精を出しておれ。堅物の《鉄兵》が」


 両者口を開くや罵詈雑言の嵐に、ルークが目をまるくする。

 だがその言葉とは裏腹に、口元が笑っているのが内心の嬉々を読み取れた。

 《剣神》と《鉄兵》。自国の窮地を幾度となく救った十二の聖騎士。その二柱。

 古き英雄同士の盟友との再会に、事態は一転して変動を迎えることとなる。



16



 戦場で敵と相対し、剣を鞘から抜いたのならば、どちらか死ぬまで収められることはない。

 そう祖父に教わったのは、つまるところ一つの覚悟を固めろという意味だ。

 人を傷つける武器は、使いどころを誤れば包丁でも立派な凶器だ。扱う人によって、その特性は変化する。

 ならば剣の穂先を相手に向けたのならば、自分も向けられる覚悟を固めなければならない。

 それはすなわち、殺し、殺される覚悟だ。


「スゥ――…」


 呼吸のために、気持ちの入れ替えのために、肺腑にゆっくりと酸素を送る。

 眼前に立ち阻むのは、幼馴染のウィルを襲った闇エルフ種のダークエルフ。

 いや、事に及んではこの事件の元凶かもしれない相手。これだけの規模の襲撃だ。兵を率いる将でいても不思議ではない。

 その隙のない立ち振る舞いと一連の動作からして、強力な魔力の内包と戦技の技量は、カレアを凌駕していることは明白だった。


「ハァ――…」


 取り込んだ酸素が肺腑を通して全身を巡り、指先から足先まで神経を尖らせる。

 得体の知れない強敵を相手にして、傲岸不敵に振舞うカレアだが、その半分は虚勢だ。

 町を襲ったゴブリンや、牢屋で斬り捨てたオークなどとは話にならないほどの圧倒的な存在感を前に、内心の焦燥感を押さえ込むだけでもずいぶんな精神力を必要としている。

 師である祖父よりも上とは信じたくはないが、及ばずとも遠からず。それだけ武の高みにいるであろう強者と対峙して、カレアの戦闘に対する本能的なものが、濃厚な死を前にして逃げろとさえ警鐘を鳴らしていた。

 だが敵に背を向けて逃走を計れば背後からばっさりと斬られて終わりだ。逃走するにしても期を作らなければならない。

 故にカレアは一人では不可能なことを瞬時に認め、背後のユーリに意を伝えるために刀身を僅かに斜めに逸らして、鏡のような透き通った刃越しに目配りを交わした。

 それだけでカレアの意を汲み取ってくれたユーリに胸中で感謝の旨を示し、手になじむ東方製の片刃の剣柄を両手で握り締め、『静』の動作で左足を踏み出し、正眼に構える。


――一撃。


 そう、一撃だ。

 多く入らない。確実な一撃をもって相手を仕留めればいい。

 長引けばそれだけ不利になる。長期戦では技術以前に体格的な諸々で差はますます開いていくばかり。

 だから一撃。まずは一撃。初撃にして終撃の一を、なんとしても手繰り寄せる。

 それがどれほど困難なことかは承知の上で、射抜くような眼光をダークエルフに向けた。


「へぇ……」


 ダークエルフとカレアの瞳が、刃よりも先に交差する。

 反れることのない刀身のように。目で牽制し、相手の呼吸にさえ注視する。


 知らず、両者共に笑みを浮かべていた。


 愉悦とも、歓喜ともとれる薄氷な笑みだった。

 隠し切れない本能的な部分が、ダークエルフは無論のこと、カレアにも垣間見えていた。

 先ほど述べたように、カレアの内心の半分は虚勢である、それは嘘ではない。

 そしてもう半分はなんなのかと問われれば――高揚感と、本人でも意識せずに応えていた。


 初めてだった。強い相手で、殺していい・・・・・相手は。


 滾るのだ。焚火の上に素足で立っているような感覚でありながらも。

 どうやら身体の芯まで剣士であることは祖父譲りか。鬼は剣ではなく人に宿るらしい。

 山の獣や魔獣を斬るのではなく、生きた知的生物である人型を『斬る』のは――剣士にとって通過儀礼のようなもの。

 それも相手が強ければ強いほど、優越感と達成感も深まるほどの困った狂人が剣士だ。

 守る剣は逆にいえば倒す剣でもある。戦争では殺したぶんだけ英雄になれる。

だがその方向性をカレアが見誤ることはない。大切な家族や友人が、誤った道に進まないように照らしてくれるから。

 だから、その光を奪おうとする輩を許す道理はなく、排除するに躊躇いはない。

 斬る。ただそれだけ。焦燥や恐怖はあっても、迷いや後悔は微塵もなかった。


「フン……勇ましい嬢ちゃんだね。まるで刃そのもののようなゾクゾクとする眼をしてるじゃないかい。嫌いじゃないよ、そういう子は。調教しがいがあってね……」

「そう? まあ、変態に評価されても嬉しくはないけど、戦士として評価されているなら光栄とでもお答えしようかしら?」

「フフ、それはどうかねえ。たしかに年のわりには肝は据わっているようだけど、処女も破けてないような半人前を評価してやるには足りないねぇ」


 嘲りの表情でカレアをからかうダークエルフだが、飄々と受け流される。その意図が言葉上にものだけではないことにカレアは気づいていたから。


「……それは剣士として、ということかしら?」

「そうさね。お嬢ちゃん、アンタからは血の臭いが薄いねえ。獣や魔物を狩ったぐらいじゃあ、一人前の剣士とは呼べないよ」

「そう……だからといって、あたしは好き好んで人斬りになりたいとは思わないわね。ええ、アンタとは違ってね・・・・・・・・・

「ヒヒ、そうかい。そりゃあ残念だね。お嬢ちゃんはアタイと同類の臭いがしたんだけどねぇ……」

「……否定はしないわ。その上で、あなたとは違うとそう言ったのよ」

「へえ? そうかい。まあ口だけならなんとでも言えるもんさね。ならあの世で説法でもして、来世では尼にでもなりな」

「その言葉、そっくりそのまま熨斗つけて返すわ。来世で出直してきなさい」


 吼えるような獣同士。言葉は通じても理解はし合えない。

 対立しあう獣と獣が和解できないように。言葉で交して理解し合えないのなら、剣を交えるしか方法はない。

 そうして勝利者が剣を収めたとき、初めて敗者は耳を傾けるのだから。

 それが命令というニ文字の、一方的なものであったとしても。


「んで? せっかくお友だちと再会を果たしたんだ。別れの挨拶を交わすぐらいの時間なら、泣いて頼めば考えないこともないよ?」

「あら、考えたところで結果は変わりそうにないけど? そっちこそ泣いて頼めば考えないことはないわよ? あ、でも別れを交わす相手がいなかったわね。独り身だと余計な心配をしなくていいのかしら? 羨ましいわね」

「……クハ、言うねえ、嬢ちゃん。ここまでコケにされたのも久しぶりだよ……。決めた。ゆっくり、たっぷりと、嬲り殺しにしてやるさね」


 冷笑を浮かべながら残酷な口調で斧槍を担ぎなおすダークエルフ。殺意はもはや濃い瘴気のように気丈を振舞うカレアを覆っていた。

 だがカレアは胸中でほくそ笑む。掴みは良好。いい感じに挑発したことにより、ダークエルフの意識はカレアに向けられている。

 これで背後のミザ達に危害を加えるのは、カレアを倒した後になるだろう。戦闘に対する心配事が一つ減り、意識をダークエルフだけに集中することができる。

 とにかく動きを読む。目で捉えて攻撃をかわしていれば間に合わない。手足を捥がれ、羽を落とされた羽虫のように無様に地べたを這うだけ。

 だから、先手がどれほど大事なのかを理解し、それ故に即時決断の行動を迷わずカレアは下し――全力で地を蹴った。


「――フッ」


 ダークエルフの呼吸が肺腑から抜け、瞬きする一コンマの刹那が重なったとき、約三メートルの距離を瞬時に駆け抜ける。

 あえて真っ直ぐ一直線に突っ込むことで、カレアは先手を打った。

 完全に虚をつかれる形とになったダークエルフだが、動揺は一瞬で消し去り、吐いた酸素を吸い、瞼は閉じずにむしろ開かれる。

 剣の刃園と槍斧の間合いでは、接近されればされるほど後者は不利だ。

 だがそれが分かっていてあえて暴風に飛び込むような胆力に驚嘆し、ダークエルフは口笛を鳴らすような一呼吸の後、横薙ぎに槍斧を振――


「“術式解放スペル・ロード”――《鋼鉄乙女の抱擁アイアン・メイデン》!」

「なっ……!?」


 ダークエルフの意識が完全にカレアに固定された瞬間、ユーリが死角から闇魔法を詠唱抜きで発動させる。

 地面が隆起し、ワニ口型の鋼鉄の拷問器具が閉じ込めるように、抱擁するように左右から押し寄せる。

 正面にはカレア、左右からは《鋼鉄乙女の抱擁》。

 狙ったようなタイミングで、いや、狙ったのか。どのような合図かはダークエルフには不明だが、まんまとしてやられた。

 《断頭台への行進ギロチン》を披露し、《鋼鉄乙女の抱擁アイアン・メイデン》も使用したユーリに後はない。

 同じ手が二度も通じない相手にとって、ユーリにとって油断を招いたダークエルフの最初で最後ともいえる間隙を縫う一撃。

 押し潰すような迫りくる刃の拷問器具が、その小麦色の肌に触れようとした瞬間――


「しゃらくさいわッ!!」


 轟然とした怪物並の力任せの横薙ぎが、闇でありながら物理属性でもある《鋼鉄乙女》を粉々に破砕する。

 砕け散る破片。舞い散る闇の飛沫。赤よりも紅い髪と瞳の少女――。

 獣が這うようにして、ダークエルフの横薙ぎの一閃を紙一重で掻い潜ったカレアとダークエルフの瞳が交差し、コンマ一秒の静止の空間が生まれる。

 そこから弓で撃ち出される矢のごとく、カレアの右手が閃いた。


「ッ……!」


 技後硬直に伴い、ダークエルフは最小限の動きでなんとか柄を引き戻し、カレアの一撃を咄嗟に防ぐために斧槍の柄を刃の剣線上に乗せる。

 だがそれはつまり、カレアに先手を奪われたということ。攻撃を許したということ。

 敵の攻撃に対し、ダークエルフは意識せずに防御の構えをとったのだ。


 速く、強く、鋭く――流れる流星のように。


 カレアの斬ることに特化した片刃の剣と、ダークエルフの薙ぐことに特化した斧槍。

 どちらも長所と短所があるように、耐久面や重力面に大きく差が生じている。

 ならばこの場合、懐近くまで接近されたカレアの剣撃に対し、ダークエルフが斧槍で対処するのは困難だ。

 それをダークエルフは考えるよりも先に、戦闘に対する直感が働き、弾けるものだけを弾くことに変更する。

 カレアの初撃は喉元への突き、迷いのない動きは逆算すれば真っ直ぐに穿つということ、突き技の途上にあった刃を柄で正確に弾き、微妙にズレた穂先が首元の風を穿つ。

 だがカレアはただ我武者羅に突っ込んだのではなく、自分の刃園の届く絶妙の間合いで足場を固め、切り返しを放った。

 予想以上に速い剣の引き戻しに、ダークエルフの動作が腕よりも眼に力が入る。

 二撃目は左肩、もう半ステップで左にかわす。三撃目は右脇、身体を回転されていなす。

 突き、穿ち、貫く。この技量のみの三連撃は、驚くことに一呼吸の内に繰り広げられていた。

 そして四撃目は心の臓。三連撃をかわされ、焦りからか僅かに挙動が大振りになった強い引き戻し。

 だがその頃には、技後硬直も解けたダークエルフの斧槍をもつ左腕に、大地さえ切り裂くような力が込められ――


「――!?」


 ガィイン! という打撃音と共に、ダークエルフの斧槍が腕ごと左に弾かれた・・・・

 バランスが崩れる。武器を手放すことはなかったが、不可解な衝撃に思考が一瞬空白と化す。

 バランスの崩れた体勢の中で、衝撃の伝わった箇所が視界に入ると、そこにはカレアの右からの横蹴りが見えて――


(大振りに見せかけた、引き際の蹴り――!?)


 強制的な一ターン休みが更に続く、カレアの剣に紅い魔力の波動が迸る。

 それは一撃にして終撃に相応しい。出し惜しみなしのカレアの最速剣技。

 眩しいほどの深紅の輝きが魔槍となって収斂され――


「咲華流剣術・突きの型――《崩尖華ほうせんか》」


 弦から放たれた矢よりも速く、瞬き一つすれば絶滅するほどの威力と速度を持って、ダークエルフの胸元に迫り――


 間を挟むように、《火精霊サラマンダー》が出現した。


 自動防御型・精霊召喚魔法。

 術者の危機に際し、意思を持った精霊が主の身を守るために自在に召喚する。

 同時、炎の壁が《崩尖華》と激突し、拮抗し、生じる火花が炎に飲まれるように消えていく。

 驚愕と焦燥に色を染めるカレアの姿に、その場面に、なにかを思い出したダークエルフはニヤリと厭らしくも酷薄な笑みを浮かべ、愉快そうに囁いた。


「――ああ、そういえばユウキって子も《火精霊》に焼かれたんさね。よかったねぇ、お友達と・・・・同じ死に方・・・・・ができて・・・・

「――――」


 風のように耳に入り込んできた情報に、カレアの目が見開かれる。

 口をきゅと閉じて僅かに俯いたカレアの表情は前髪に隠れて窺えない。だが言葉に揺さぶられ動揺した隙は好機だと、ダークエルフは大きく槍斧を振り翳す。


「安心しな。嬢ちゃんも坊やと一緒に大船に乗ったつもりで三途の川を渡ればいいさね。さあ、まずはその邪魔な手足とはさよならといこうか――」


 カレアの背後で、ミザが、シャルロットが、ルシエルが、絶望に色あせ顔色を青くし、目を背ける。

 だがそんな中で、ウィルとユーリの二人は前だけを見ていた。

 なぜなら、カレアを良く知っている二人は、ここで終わらないと信じているから。

 やるといったらやる女、ユウキがこの場にいたらきっとそう言う少女だから。


「――そう、ならアナタは胴体とさよならでもしなさい」


 カレアの眸が、爛と紅玉のように輝いた。それは強い意志の光。

 消えかけた深紅の光を包み込むようにして、紅蓮の輝きが爆発的に膨れ上がった。


「なっ」


 その時起こった現象に、驚きの色を示したのは敵のダークエルフだけではなかった。

 焼かれる花を連想した光景が、激突する炎の壁がまるでカレアの剣に吸い込まれるように、収束し、凝縮し、刀身を炎へと染めていく。

 誰に教わるわけでもなく感覚のみで構築したそれは、花の咲いたような炎の剣――《紅蓮魔装剣フレアブーストレイヴ》。

 カレアは属性である《火》を取り込み、己が力として昇華した《炎》の剣が、形なきはずの《火精霊》を穿ち、真っ直ぐに貫いた。

 そしてそのまま、後方にいるダークエルフへと紅蓮の剣は迫り――驚きに目を見張りながらも、戦士の本能が反射的にそれを迎え撃つ焔の槍斧を形成し、勢いよく振り下ろされた。


 雷鳴が轟くような撃音。


 大気さえ焼き払うような紅蓮と、大地さえ溶解して切り裂くような焔の熱量が同時に激突し、洞窟内に爆風となって響き渡る。

 だがこれはダークエルフの好機だ。単純な力技では、魔力を付与したところでカレアでは膂力が圧倒的に足りない。

 このまま押し切ると判断したダークエルフ。コンマ数秒の刹那の判断。

 だがその判断はカレアの瞳に移る刃の交差路によって、間違いだと気づいたときにはすでに遅かった。

 剛に対して柔。まるで風にそよぐ柳のように、ダークエルフの力で弾く方法ではなく、カレアは刀身を滑らせるように相手の力を利用して流した。

 焔を帯びた槍斧が、カレアの髪を掠めながら地面に激突する。裂け、割れ、陥没しながらも、目前の華は輝き続ける。

 その瞳はただ一心に、前だけを見て、前だけに向けられていた。


――なぜ……?


 そう、ダークエルフの瞳が戸惑いの色を帯びていた。

 友人を失ってなお、折れず、迷わず、真っ直ぐに突き進めるのかと。

 だがカレアの答えは、清清しいほどに明白だった。


――どうして敵であるアンタの言うことを、あたしが信じなくちゃいけないの?


 自分の信じるものを信じる。ただそれだけ。それだけで十分だった。

 遠い相手を見つけ、走り、並び、駆け抜ける。

 その誰かが誰なのかは関係ない。敵味方なく自分の前に立つというのなら、それを超えて見せるだけ。

 眼界の更に限界を超えて、一秒前の自分さえも超えて。

 それが剣士としての在り方を抱く、剣に魅入られた少女の応えた道。


 刃園が、接近戦のカレアの間合いとなる。


 今が好機。今しかない。体勢を立て直されれば次はない。本気で敵と認識されれば後はない。それをカレアは直感で理解し、本能が訴えかけていた。

 集中する。解けば死ぬと頭の芯やら冷たいものが囁き続ける。それによって究極ともいえる境地の中で五感が研ぎ澄まされていく。

 視界はクリアになり、神経系は燃焼するように加速し、脳は更なる覚醒を遂げる。

 急速に戦いの中で開花する天賦の才は、カレアをもう一段上のレベルへと昇華した。

 発動する剣技。翡翠の稲妻が紅蓮と混ざり、融解し、千鳥が鳴くように迸る――。


 速く。

 もっと速く。

 なによりも速く。

 誰よりも――迅く――。


 百を一撃に凝縮したような、速射砲のような爆閃。満開と成す華の剣が咲き誇る。

 咲華流において《舞嵐華》は一番の威力を発揮する、まさに全身全霊の一撃。

 それに付随される《紅蓮魔装剣》と相まって、もはや爆発的な威力を内封していた。


 《紫電烈華しでんれっか


 それは咲華流において独自にカレアの生み出した、薙ぎの型・第三式の《炎》と《雷》の併用魔術剣技。

 かつて《剣神》と呼ばれた師であるガイエンでさえ、その域に達するのに二十の月日を要した岩さえ斬り裂く斬撃が、体勢を崩したダークエルフの胸元に数瞬の内に殺到し――


 どんっ、と鈍い一撃。


 ――鮮血が、二人の舞うような剣技の終着を告げた。


〈解説・13〉


今回は、現在までのキャラクターのパラメーター紹介。

メーターは数字のほか、ランクもSからGまで表示(下記参照)。


0~30/G、31~60/F、61~120/E、121~250/D、251~500/C、501~1000/B、1001~2000/A、2001~/S。


・ユウキ/男/十歳/人種。

筋力:365/C

耐久:311/C

敏捷:328/C

器用:204/D

魔力:13/G

体力:294/C

総合:C+


オーガスの血を取り込んだことにより、筋力・耐久・敏捷・体力の四ステータスが上昇。ただし《聖剣の加護》がなければ毒となり即死だった。

聖剣の力を発動させれば魔力上昇に伴い身体能力も強化されるが、魔力値が低すぎるため使用不可状態。潜在能力は未知数である。


・ウィル/男/十歳/人種。

筋力:167/D

耐久:155/D

敏捷:176/D

器用:188/D

魔力:640/B

体力:215/D

総合:C-


ユウキがオーガスの血を取り込む前のステータスが、魔力を除けば反映されている。

ただし非戦闘員の成人男性の総合がFなので、ウィルも十分に高い部類に含まれる。

ネックは運の悪さと心の弱さ。剣士というよりも魔術師に向いている。


・カレア/女/十歳/人種。

筋力:114/D

耐久:108/D

敏捷:812/B

器用:877/B

魔力:1780/A

体力:268/C

総合:A-


剣神の申し子。ガイエンいわく、男子であったのならば《剣神》の称号は間違いなく二十までに継承されていたとのこと。

ユウキとウィルには話していないが、一年前に首都に武器を買いに行った際に、開催されていた武芸大会の年少の部に腕試しのつもりでカレアを参加させ、無傷で優勝。

ちまたでは容姿と相まって《剣聖女》と囁かれているが、本人は赤の他人の評価よりも家族と友人にしか関心がないため、優勝の賞金を貰うと野次馬を避けるためにすぐさま姿をくらませた。

なお賞金は自分の剣と、ガイエンの酒と、幼馴染用のフルーツで消えた。


・ユーリ/女/八歳/人種。

筋力:24/G

耐久:11/G

敏捷:65/F

器用:377/C

魔力:2918/S+

体力:62/F

総合:B-


魔力に特出した幼女。幼馴染の三人と行動をよく共にするため、敏捷と体力はやや同年代よりも高め。器用さがCなのは魔力制御に長けているため。

天才を超えた怪物級の魔力量を保有していることは、戦争の引き金や軍事利用にも繋がりかねないため、村でも少数しか知らない。ユウキと同様で両親はおらず孤児院暮らし。

ただし血の繋がらない家族には恵まれているため、不幸という自覚は皆無である。


次回は人外級の、ガイエン、ノルド。《姫巫女》シャルロットの予定。

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