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第十二話 現実vs理想

 視界が赤く染まった。

 だがそれは血ではなく、もっと熱く、激しく燃え盛る炎によって。

 その炎は巨大なトカゲの姿をして意志を持ち、いままさに眼下のダークエルフを討とうとしたユウキを襲い――発火、猛烈な火柱となって炎上する。


「ァ、あああぁアああああア゛ア゛――ッ!!?」


 突如出現した炎になんの防御もとることができず、逆流の勢いで天井近くまで吹き上げられて激突する寸前、反射的に《光輝魔装剣》で火柱を薙ぎ払う。

 剣で火を斬ることはできない。だが一瞬とはいえ斬り裂かれて生まれた割れ目に我武者羅に脱出することに成功し、受身もできずに無様に地面に叩きつけられる。

 しかし抵抗らしい抵抗もそれまで。意識は朦朧として身体はろくに動かせない。手足の肌も広範囲で熱傷し、服は各所が炭化して煙を上げ、酷い大火傷を負っていた。

 なにがおこったのか思考を回せるほどの余裕もなく、熱さの余韻と激痛に苛まれて身を丸め、渇いた喉を鳴らしていると――視線の先に、口元を三日月にして笑う女の姿。


「――久しぶりだよ。あたいに《火精霊サラマンダー》を引き出させたのはねぇ」


 その愉快な声に遠くなりそうな意識を繋ぎ止めるが、その分だけ激痛を長引かせることとなる。

 言葉の中に含まれた《火精霊》という単語により自分に起こった現象を理解するが、敗因に歯がみすることしかできなかった。

 術者本人が強敵なだけあって契約の《火精霊》も強力だ。鉄すらも溶かしかねない業火だった。


「しかもまだ生きているなんざぁ、ホント驚きだよ……。ぼーや、あんた剣なんざ持ってるくせに本質は魔術士かい? あれだけ焼かれて原型を留めてるなんて、たいした抗魔力だねえ」


 感嘆するダークエルフの言葉に、《聖剣の加護》により向上した抗魔力に救われたことを実感する。

 ただでさえゼロに等しかったユウキ本来の魔力量では、いまごろ消し炭になっていたことだろうか。

 本質の剣ではなく鞘によって得た一命とはいえ、このままでは僅かながらの延命でしかない。

 生へとしがみつくように取りこぼした剣を拾おうとするが、指一本すら満足に動かせなかった。


「けーど、チト迂闊に近寄りすぎだねえ……。技の弱点なんざ、使用者本人がよく熟知しているもんさね。ならとーぜん、対策も練ってある」


 こんなふうにね、と花のように舞う火の粉を指で弾き、口角を吊り上げる。まさに勝者と敗者の図。

 斧槍にこびり着いたゴブリンの血潮を一振りで拭い取り、肩にとんとんと当ててほくそ笑む。

 罠に掛かった獲物はこんな心境なのだろうかと、屈辱に震えながら奥歯を噛むが、気力を震えるほどの体力も残されていない。

 だが弱点を好機に繋げる機転など、理解は出来ても実際にするとなるとどれほどの胆力を必要とするものか。突き出された剣に顔から飛び込むようなものだった。


「さーて、丈夫なほうが可愛がりようもあるってもんだけど……そのなりじゃもうダメさね。あーあ、ちょっとばっかし残念だけど、壊れたおもちゃに興味はないんでねぇ……。そこで指咥えながら死のカウントダウンでもしてな」


 興味のうせた眼差しでガラクタでも眺めるかのように手を振り、気だるげに吐き捨てる。

 ダークエルフは生者に興味はあっても死者に関心はない。彼女が求めるのは一瞬の閃光のような熱い情熱のみ。命を燃やすような、そんな生を実感できる殺りとりだけ。

 ゆえに眼前で狂気によって感情が麻痺し、殺気だって吼えるだけのゴブリンは弱すぎて眼中になかった。


「なーに、寂しがることはないさね。すぐにコイツラも後を追わせてやるよ。魂に区別なんてないし、冥途の旅路も一人じゃ寂しいだろう?」


 ダークエルフの言葉に頬を地面に引きずりながら周囲を見回せば、あれだけいたゴブリンの姿は片手で数えられるほどにまで減少していた。

 いくら《神炎埋葬》が強力な魔装剣と魔術の併用とはいえ、あれだけの術を連続で扱うことは不可能なはず。ならば後は実力で排除したということで――


(……マジかよ。どんだけ化け物なんだ、この女……)


 微かな希望すら薄れ、ユウキの表情が絶望に染まっていく。

 残るゴブリンの数は四体。ダークエルフにとって黒化しようとも、所詮はレベル1がレベル2になっただけ。レベル10の彼女には始めから相手にならない。目の前に飛び交う小虫を払う程度でしかなかった。

 まさか人生においてゴブリンを応援する日がくるとは思わなかったが、冷静な部分が奇跡的にダークエルフに勝てたところで、次はユウキが始末されるので結果は同じだと告げていた。

 つまり詰みなのだ。ユウキの命はすでに二者択一で、そのどちらの結果も『死』でしかなかった。


(終わるのか……? こんなところで、なにもできずに……?)


 意識が泥のように深く沈んでいく。全身の火傷は致命傷で、放っておけば生命力は栓の抜けたビンの液体のように零れていくだけ。

 このまま命の液体は地面に流れるか、ダークエルフに飲まれるか、ゴブリンに踏み躙られるか。そんなどうしようもない未来が見えて、嗚咽が零れ、くしゃりと表情を歪める。

 涙が零れ、地面に吸い込まれていく。乾いた土は、何の抵抗もなく吞み込んでいった。まるで自分の命のように――。


(いやだ、そんなの……だっておれはまだ……なにもできていない。カレアを……ユーリを……ミザさんを……村のみんなを……助けられていない)


 心が負の感情で渦巻いていく。奪われるだけで、何一つ取り戻せていない。

 こんな人生を歩むために生きてきたわけじゃない。辛い稽古してきたわけじゃない。

 毎日が楽しかったわけではない。辛いことや悲しいことはあった。でもその分だけ嬉しいことや笑いあえることがあった。

 だからそんな日々を失いたくない。嘘にしたくない。否定されたくない。

 走馬灯のように蘇る思い出を、うたかたの過去になるのが嫌だった。“いま”をまだ続けたい。後悔で終わらせて未来をまぼろしにしたくない。

 そしてそれ以上に――自分と同じような目を、幼馴染の二人や、妹分や、両親のような神父と修道女と村のみんなにさせたくなかった。


(負けたくない……いや、負けられない……! たとえ未来が暗いものになったとしても……いまをまだ……諦めたくない……!)


 唇を噛んで落ちそうになった意識を繋ぎ止める。霞む視界の中で、ゴブリンを蹂躙するダークエルフの姿が見えた。残虐でありながら踊るように殺戮する死に神を。

 首が飛んで四体が三体に、胴が裂けて三体が二体に、袈裟切りにされて二体が一体に――。

 そしてついに最後のゴブリンが背後から飛び掛り、火の中に飛び込む栗のように内側から爆裂した。

 静寂に伴う終着。あっけないほどの終焉。終わってみればダークエルフの体には血飛沫の一つも付着していなかった。

 いっそ羨むほどの強さ。きっとユウキが何年、いや何十年かかっても辿り着けるかという武の高み。悔しさで胸が張り裂けそうになる。

 こんなに強いのに、彼女はどうして暴力という形でしか強さを表現できないのだろうかと哀れみすら覚えるほどに。


「――あァ?」


 視線の先で恍惚として佇んでいたダークエルフが突然、弾かれたように洞窟の先を見据え――溢れんばかりの殺気を噴出させる。

 まるで逆鱗に触れた竜のように。見えない『何か』を幻視し、射抜くような眼差しを暗闇に向けた。

 これが常人ならば腰を抜かすほどの殺意だ。打って変わって豹変したダークエルフは、歯軋りしながら獣が唸るように低く呟いた。


「……どうやら、ぼーや以外にもまぬかれざる客がいるようだねえ。しかも“あの場所”に踏み込んでいるたあ――なんたる無礼者さね」


 憎々しげな感情をむき出しにして吐き捨てる。本物の殺意の塊が目を細めて見えない獲物を狙い定めていた。

 縄張りに踏み込まれて逆毛を立てる凶暴な獅子が腹の底から喉を鳴らしている。粘質なほどの濃厚な殺気。

 最後に一目瀕死のユウキを睥睨し、鼻白を鳴らして踵を返した。


「じゃあね、ぼーや。来世でもいい男で生まれてきな」


 そう言って獣じみた速度で疾走し、後ろ姿が遠ざかっていく。瞬きの後には気配は完全に消えていた。

 ダークエルフが内心で狼狽するほど動揺した理由はなんとなく推測できた。ユウキと別れた幼馴染の相棒。それが原因だろう。方角的にもそれしか思い浮かばないが、間違ってはいないはず。

 ならばダークエルフがウィルたちと邂逅した後に待つのは、きっと不吉な結末で――。


(ダメだ! 立ち上がれ! このままじゃみんなが殺されちまうッ! あれを止めなきゃ終わりだぞッ……!)


 もはや戦いの舞台に勝者すらなく、敗者のユウキが辛うじて舞台の縁に蜘蛛の巣のような細い糸で引っかかっているだけ。

 あと数分でその糸も切れて退場し、散ったゴブリンたちの後を追うように死の行軍に続くだろう。

 そして、そのあとには見知った親しい友人や家族も――。


(ふざけんなよ! 動けよおれの身体……! いま無理しないでいつするんだよ! 頼むから、ほんの少しでも、いいからさ……!!)


 慟哭するような意思で懸命に訴えかけても、まるで自分の体ではないように重かった。

 熱いはずの体が冷たくなっていく。意識が朦朧として、心と体の糸はぷっつりと切れたかのように動かない。そんな無常にも相反する現実からだ理想こころ

 それでも、諦めきれないとばかりに魂の奥底からあらん限りの力で叫び――


「――動いて……くれよォ……ッ!!」


 そう強く、願った。

 自分のために、家族のために、友人のために、誰かのために―ーここで終わるわけには、いかないから。




『“――ゆうき――”』




 はっとして、顔を上げる。

 暗い世界の中で、聖剣を背後に小さく光る妖精がいた。

 ここは現実でありながら幻想の狭間。外とは違う内の心層世界の中で。

 可憐な妖精が微笑みながら、ユウキの傍までゆっくりと近づき、そっと手を差し伸べる。


(ああ、そうだよな……。ここで頑張らなきゃ、ダメだよな……)


 人間の子供よりもずっと小さな手でありながらも、その温かさは母親のような慈愛に包まれていた。

 涙が零れそうになる。言葉で交わさずとも、想いは十分に胸に伝わっていた。


『……はじめて名前を呼んでもらったな、プリムラ』


 あの時に名前を呼ばれる嬉しさが、なんとなく分かった気がした。

 プリムラが優しく微笑んだ。そしてユウキも、同じように口元に笑みを浮かべていた。

 身体が軽い。意識もしっかりしていて、熱傷した腕も、炭化した脚も動く。

 この手に掴めるものが、剣以外にもあるとするならば――前へと進め、立ち止まるな。

 まだ戦える。まだ救える。まだ、護れる。

 だから、そう、だから――


『――ありがとう』


 差し出された手を、静かに、握りしめた。



 14



 嘗て四百年ほど前の魔族との大戦時において、『災厄の杖』は魔王が装備していた究極にして至高ともいえる最上位の礼装武具だった。

 絶大にして畏怖の象徴とされる魔王。その存在を魔の頂点へと導いた『災厄の杖』が――どういうわけか、いまウィルの目の前で巨大な氷の結晶体となって封じられていた。

 逸話や文献でしか見たことのない、もはや半分以上が伝説と化した魔王の遺産。それが平民の子供の手の届く場所にあるなどと、到底信じられなかった。


「……本物なの、これ……?」


 本物を見たことがないので真偽のほどは計れないが、贋物であっても危険であることにかわりはない。

 なぜならば専門の知識がないウィルでさえ、封じられていながらも感じる刃のような鋭さが、視界を通して直接脳に突き刺さるような幻覚を抱かせる。

 これはマズイと、美しいほど精緻な造形でありながらも見るものを虜にするような不吉な気配が、まるで長年の怨念が込めた負の塊のように映っていた。


(う、あ……ダメだ……これはダメ・・・・・だ。うまく言葉にできないけど……これはあっていい・・・・・ものじゃない・・・・・・


 ウィルは知識ではなく本能で悟った。それは原始からの獣じみた直感だ。

 『災厄の杖』が歴史の表舞台から姿を消した理由の一つに、魔王亡き後に幾多の魔術師の命を奪ったというものがある。

 矜持からか慢心からか使用した心境は様々だが、辿る結末は破滅のみ。たちどころに魔力を吸収し、魔力が枯渇すれば生命力を奪い、ひいては魂まで吸い取られて骨すら残らずに消滅するという。

 人の手には扱えぬ呪物とされ、魔王亡き後はどこかの神殿で厳重に封印されていると聞いていたが……まさかこんな地下深くに眠っているとは夢にも思わなかった。


(けど……いったいどうすればいいんだろう……)


 だが発見したとはいえ、ウィルにはどうしようもない。こんな危険なもの処分しようにも、下手に振れて封印が解かれては本末転倒だ。

 そもそも今回の目的はあくまで捕虜の救出と奪還だ。いまのところ危険性がないのならひとまずは棚上げし、カレアたちを救出した後に大人に相談して王国に報告し、上の偉い人の指示に従う方針でいこう、とそう結論つけて『災厄の杖』から視線を外し、通り過ぎようとした時――氷柱の陰から殺気を帯びた気配を目ではなく肌で感じた。


「っ!?」


 振り向く手間すら惜しみ、咄嗟に真横へと跳躍する。

 その直後、まるで岩でも落ちてきたかのような衝撃が先ほどまでウィルのいた場所に落下し、轟音を立てて地面がクレーター状に隆起する。

 ウィルの小さな体が爆風と衝撃波で三メートルほど吹き飛ぶものの、手で顔を庇いながら両足で着地できたため靴底がいくらか磨り減るに終わった。

 いや無事に終わってもらわねば困る。本当の命の危機は、いまから始まるのだから。


「コイツは――ゴブリンキング!?」


 顔を上げた先で、成人男性よりも一回り大きな紫緑色の体格をした、悪意ある亜種がウィルを睥睨する。

 ウィルの腰回りはあろうかという太い石斧を振りかぶり、熊のような大柄な体格は見るからに脅威だった。

 しかしその眼は死んだ魚のように虚ろだ。垣間見える狂気だけが鬼火のように灯っていた。

 いくら魔物とはいえ、いまのゴブリンキングが尋常ではない状態だということはウィルにも理解できた。

 理解できたが、それで事態が打破するわけではない。たとえ何者かに操られるにしろ、薬物で自我が飛んでいるにしろ、友好な相手には到底見えなかった。


(ゴブリンがいるんだからキングがいてもおかしくはないけど……でも、どうしてここに? それになんで、一人なんだろう……?)


 抜剣し、正眼に構えて他に敵がいないか注意するものの、その心配は杞憂に終わった。

 だがキングという名を冠するわりには臣下はおろか子供のゴブリン一体すらいない。取り巻きのいない王をはたしてキングを呼べるのかは微妙だ。

 ゴブリンキング単体が強いとはいえオーガよりは劣り、ざっとゴブリン五体分ほどの戦力でしかない。上位の冒険者にとっては弱くはないが強すぎることもない魔物だ。

 それでも楽観視はできない。ウィル一人で相手をするには危険であることに変わりはないのだから。勝機よりも敗亡のほうが天秤は傾いている。


「……っ」


 円の動作で間合いを見定め、ゴブリンキングの一挙手一投足に気を配る。

 時間をかける気はないが、それで急いて死ねば最悪だ。刃園のギリギリから轟然と呻る石斧は一撃でも直撃すれば即死級だ。人の脆弱さがつくづく嫌になるほどに。

 風を裂き、穿ち、薙ぎ払う死の風斬り音。それに慣れ始めたウィルもまた急成長を遂げているが自覚は皆無だった。ただなんとなく、見えるようになってきたというだけ。

 そして三度ほど接近して後退する攻防ヒットアンドアウェーを繰り返した所で、ある一つのことに気づいた。


(こいつ……動こうとしない……?)


 まるでこの『災厄の杖』の番人であるかのように。敵が一定以上の範囲に近づいたら攻撃するだけの機械のように。

 無骨な石斧を片手に本能のままに振り回し、型も何もない力任せな攻撃は当たれば脅威だがあくまでも当たれば・・・・の話だ。体格などのリーチを除けば筋力はウィルよりは上だが、それ以外は勝っている。これならば冷静に対処すれば倒せない相手ではない。

 生死のかかった戦闘を一人で経験する圧迫感プレッシャーに押しつぶされないように、深呼吸で息を整え、冷静に事態を観測して攻撃を詰めていく。

 訓練は本番のように。本番は訓練のように。ガイエンの剣筋に比べればハエが止まっているような速度だった。

 目で見えている。見えているのならばかわせる。ならば相手の懐に入り込むことも不可能ではない。


(なら、これで――)


 腰元の水袋の中の霊水を媒体に、水魔術の《水爆球ウォータボール》を弾幕にして《崩尖華ホウセンカ》で貫けばいける、と確信する。動かない敵はただの的でしかない。

 ウィルは水袋の栓を親指で外し、詠唱して両肩上に二つの《水爆球》を形成する。そのまま重心を僅かに落とし、剣を水平に凪いで弓構えの《崩尖華》の型をとった。

 そして、勝てると、安堵にも似た緊張の弛緩が無意識の内にウィルの警戒心を微かに解き、全身からかき集めた力を剣に乗せて、一気に加速し――


「――そこまでだよ、ぼーや」


 ぞわりと、まるで冷たい手で頬を撫でられたかのような悪寒に満ちた冷笑がウィルの耳朶に届いた。

 その声が誰の者かはわからない。それでもただ一つわかったことは、この声の主はやばい・・・ということだけ。

 背中に走った深い悪寒に反射的に突進を止めたものの、崩れたバランスは瞬時には直せない。《崩尖華》という矢はすでに射出される寸前だったため、無理やり中断させると弓弦が切れたように胸が反れた。

 無理な体勢で集中力の途切れた《水爆球》もウィルの頭上で弾け、膜を作るように淡く霧散していく――刹那、


「《炎槍大蛇フレア・スネークランス》」


 ウィルの眼前を炎の大蛇が投擲されて、大槍のように豪速で掠めていった。

 眩しいと感じ、次に熱いと感じたときには目だけではなく半身を焼かれたかのような熱波に苛まれ、咄嗟に《水爆球》の蒸発しかけた水素を回復魔術に変換させ治癒する。

 直接触れてもいないのに肌は薄っすらと熱傷を受け、上着も薙ぎ払われたように炭化していた。

 もし《崩尖華》を中止していなければウィルに命中し、もし《水爆球》の消滅があと数秒早くとも遅ければ緩和できずに失明するほどの灼熱具合だった。

 その証拠にウィルを通過した炎蛇が顎を振り下ろした相手――ゴブリンキングの胸には槍に貫かれたかのような空洞があり、その空洞から炎蛇が全身に巻きつき、轟々と踊るように燃え盛る。


「――!? ――!? ――!!?」


 声帯すら瞬時に燃焼した喉からは声にならぬ悲鳴が零れ、身体の内部と外部の両方から炎上し……もはや焚火のマキと化したゴブリンキングに抗えるはずもなく、数秒暴れるようにもがき苦しみ、後には炭化した骨だけが無残に地面に崩れ落ちた。

 その様子を一部始終呆然と眺めていたウィルの顔色は蒼白だ。魔物とはいえ生きたまま知性ある生き物が焼かれたのだ。肉の焦げる臭気に胸元から競りあがった胃液を吞み込むことが、せめてもの抵抗らしい抵抗だった。


「あ……あ、あぁぁ……」


 戦意の失せた表情で背後の通路から感じる気配に萎縮する。目は釘付けにされたようにそらせない。剣を取りこぼさなかったのが奇跡なぐらいだった。

 かつん、かつんと足音を鳴らしながら悠然とした佇まいで暗闇から姿を現したのは、生きるために練磨された精悍にして豊満な肉体をした、背に巨大な斧槍を携える灰髪緋瞳のダークエルフ。

 一目見て各上だとわかるほどの威圧感を身に漂わせ、ウィルを見つめる視線は鋭利な刃のようであり、氷のように冷たかった。

 その冷たい瞳がネコのように細められ、値踏みするようにウィルを吟味する。


「……フン、かわしたかい。どうやら運だけじゃなさそうだね……。さっきの子といい、これまたどうして……。ぼーやも囚われのお姫様でも助けに来た口かい?」

「……え?」


 なにげなく告げられた言葉に虚をつかれたかのように、意識が恐怖から忘我にかわる。

 言っている意味を頭が理解しようとして、凍りついた感情が拒絶した。

 それでも働かなくてもいい脳は活動をやめない。それどころか次々に推理の糸を辿っていく。

 まるで前例があるような複数形の言い方をするのはなぜか。理由は簡単だ、これが二度目・・・だから。

 このダークエルフは背後の通路から来た。そこはウィルが通ってきた場所だ。だからそこから次に現れるのは、少しの間だけ別離した幼馴染の友人のはずで――。

 ユウキの最後に見せた神妙な顔が、脳裏に浮かび、消えた。

 それはなにかを、暗示するかのように。


「そんな……まさか……」


 かすれた声が無意識に零れる。胸中で坩堝のように煩悶に埋もれ、解答の真偽を模索した結果は絶望へと繋がる答えへと辿り着いただけ。

 真っ白な意識が水に沈むように溺れていく。呼吸することすら苦しくなる。これがユウキならば熱を帯びたかのように赤く染まっていくのかもしれないが、ウィルは反対に冷たくなっていった。

 かぶりを振りながら自身の解答が間違いであることを祈り、喉を震わせながら問いかける。


「……ユウキを……どうし、たの……?」

「ユウキ……? ああ、あのぼーやのことかい? さぁてねぇ……いまごろは黄泉路でもさ迷ってるんじゃないかね」

「――――」


 そんな、どうでもいいという口調に、怒りが湿った導線に点火するも――すぐに鎮火する。

 ダークエルフの言っている言葉の意味がウィルの想像のとおりだとすれば、そんなのは許さない。そんなのは許せない。

 それでも、だからこそ、同時に――ここで終わりなのだと強く実感することとなった。


(うそだ……ユウキが……あの、ユウキが……そんな……)


 鈍い頭が痺れたように動かない。ぽっかりと胸に空いた孔はあまりにも深すぎた。

 剣が拳から抜け落ちて地面に突き刺さる。そのまま支えを失ったかのように膝先から崩れ落ちた。

 ダークエルフはそんなウィルを見て、つまらなそうに鼻白を鳴らした。これなら前のぼーやのほうがマシだったと落胆する。

 しかし見逃すことはできない。無抵抗の子供を斬って喜ぶ趣味はないが、ここの居場所を知られた以上は生きては帰せない。

 背中の斧槍を音もなく抜き取り、右腕を持ち上げて頭上に掲げる。せめて苦しまないように一太刀で終わらせてやろう、という慈悲をもって。

 断頭台の罪人のように。心の折れたウィルは呆然とした意識の中で無気力に『それ』を眺めていた。


(ああ……なにか、あっけなかったな……)


 最後はこんなものかと、他人事のように考える。身体の傷よりも戦意こころが先に失せていた。

 たとえユウキと二人がかりでもこのダークエルフは倒せない。それは剣を交わすまでもない事実。とはいえ交渉など論外だ。

 倒せないということは、攫われた人たちを、大事な人たちを助けられないということ。

 どれだけ嫌でもその事実が覆ることはない。このダークエルフと遭遇した時点で詰みだ。逃げることもできない。まさしく死と隣り合わせの存在。

 あとに待つものは終焉という結末だけ。その過程で辿る道程になにをしようが、その結果だけが先に見えていた。

 ならいまにできることは、死を静かに受け入れて極力痛みのないように殺されるか、もしくは四肢をもがれてなお無駄な抵抗を試みて殺されるかだ。

 どちらを選ぶかなど明白だ。いや選ぶことすらできない。すでにウィルの心臓は凍りつくほどの恐怖と、穿たれた空虚な絶望に染まっているのだから。

 恐怖と絶望に呑まれ、棒たちになってしまったウィルは決められた運命に逆らう気力もなく、前者を選ぶように刑は決行される――はずだった。


「むっ」


 斧槍を振り下ろそうとした矢先、何かが高速で飛来して刃の表面にぶつかり火花が弾け、


「――《断頭台の行進ギロチン》」


 黒き刃がダークエルフの頭上で形成され、轟然と振り下ろされる。

 鞘走らせるようなそれをダークエルフは咄嗟に後方に跳ぶことでかわし、《ギロチン》はウィルの眼下の地面に深々と突き刺さって消滅する。

 その衝撃で舞い上がる砂埃。同時、複数の足音。五人の気配。


「――立ちなさい。あたしはそんな弱い弟子をもった覚えはないわよ」


 その中の一人、ウィルの前に背を向けて立つ紅の少女が、凛然とした声で叱咤する。

 その声色に涙さえ浮かびそうな胸の切ない痛みを覚え、ウィルは眩しそうにその後姿に目を細める。

 こんな時でさえ、最初にかける言葉が厳しいのが、彼女らしい・・・といえばらしかった。


「……カレア」


 助けに来た幼馴染に逆に助けられて情けない思いを抱きながらも、歓喜の心を隠すことはできなかった。

 ちらりと振り向いた先でカレアは微苦笑を浮かべ、ウィルが零した剣を地面から抜き取り、その剣先を迷いなくダークエルフに突きつける。

 祖父の剣はよく手に馴染む。きっとこの剣は形だけではなく、想いも強く込められているからだろう。

 炎を宿したような烈火の瞳が、敵を焼き尽くすかのように射抜き、見定める。


「あたしの弟子を、友人を、傷つけた罪は重いわよ。――あなたにそれが償えるのかしら?」


 その言葉は剣よりも重く、強く、優しいものだった。まるで見えない盾に守られているかのように。

 先ほどの終末の問答で、たとえ死ぬと分かっていても抵抗する後者を選ぶ人間は、きっと諦めることを知らないだろう。

 なぜならそれが人間であって――人が持つ、人がゆえの、人の『強み』でもあるのだから。

〈解説・その12〉


 《五行精霊》について。

 ダークエルフの使役している火精霊の一柱がこれに当てはまる。


 火精霊サラマンダー水精霊ウンディーネ土精霊ノーム風精霊シルフ木精霊ドライアード


 火は水に弱く、水は土に弱く、土は風に弱く、風は気に弱く、木は火に弱い。

 これは精霊だけではなく属性魔術にも当てはまることである。


 《五大精霊》については、光、闇、雷、氷、無が存在するが、五行精霊よりも上位精霊のため、人が契約することは歴史的に見てもごく僅かであり、無精霊にいたっては契約者は『原初の魔術士』一人だけとされている。

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