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第十一話 始動する運命の敵

 一歩、足を踏み込むたび、進むたびに、瘴気のような禍々しい気配が濃くなっていくのをユウキは肌で感じていた。

 脳裏では危険信号の警鐘が壊れたように鳴り響き、動悸の高鳴りは収まることを知らない。


(……近い)


 きっとこの先にあるナニカは、ユウキの手に負えるものではない。まるで炎の中に裸で飛び込むような、そんな自殺行為にも等しい前進。

 それでもこの先にあるナニカを確認しなければ、きっとユウキは、いやユウキ達は本当の意味で解放されないのだろうと、直感にも似た予感が鈍い脚を前へと進ませる。

 道中の警戒心を最大限まで引き上げ、罠はないか、毒が空気中に流れていないか、物陰に敵が潜んでいないか、暗闇からの遠距離射撃に対応できるかなど、幾多の脅威を想定するも、哨戒中のオーク一体出てこない。

 それがまた嵐の前の静けさを誘い、張り巡らせた緊張感を嫌が応にも高めていく。

 ウィルと別れて数分、やっとというべきかもうというべきか、緩急な通路の奥から無数の松明によって煌々と明るい場所がユウキを迎えるように照らしていた。

 その空洞にあと数歩で辿りつく頃には、警鐘は止まっていた。危険が去ったのではない。もう逃げられないと本能的なものが諦念のように告げていた。

 それを自覚した瞬間、意識を根こそぎ奪っていくようなナニカの威圧感が膨れ上がり、姿を晒す前からすでにユウキの気配を察知されたのだと理解する。


(……もうあとには引けないな)


 今更のような後悔や不安からくる弱気を押し込め、物怖じする恐怖を振り払い、深呼吸を一つして中に踏み込む。

 最後に一度理性が警鐘を鳴らしたが、聞き届けられることはなかった。


「……っ」


 通路とは違った眩しさに目を細め、左手で目元に影をつくり、場を注視する。

 円形に二十メートルほどの空間の中には、ユウキ以外に三つの生き物の存在があった。


(こいつら……)


 一つは、部屋の中央で大人五人分の体積を占める、肥えた豚の塊のようなオーガスクイーン。

 二つは、その隣でオーガスクイーンよりはやや小柄な体躯をした、不気味な鼠の異形であるゴブリンクイーン。

 二匹とも申し訳程度の干草の上で仰向けに巨体を晒し、放心状態で虚空を眺めている。瞳に生気はなく、ただ生きているだけの状態。

 不気味といえば不気味だが、問題はその二匹の間で立ち、部屋に進入したユウキを見つめる二十代前半の褐色肌の女性だ。


「――なんだい、こんなところに子供とはずいぶんと変わった客人だねえ」


 驚きと困惑の表情の裏で、獰猛な眼差しが獲物を見定める雌豹を連想させる。

 黒いドレスのような衣服に巨大な斧槍ハルバードを背に担ぎ、麗々しい腰下まである紫水晶のような灰色の髪に、赤より濃い緋色の瞳。

 人間と唯一違う長く尖った耳が特徴的な、希少な種族とされる闇エルフ族のダークエルフだった。


(こいつ……)


 一目で分かった。この禍々しい気配は魔族だと。それも爵位持ちの魔人クラス。

 対峙しているだけで伝わる存在感が、今までユウキが出会ってきた強者の中でも群を抜いて突出していた。

 人の十倍は寿命があるとされるだけあり、その精悍で豊満な体格を見れば、どれだけ武芸に長けているか大よその想像はつく。そしてどれだけ力量の差がかけ離れているのかも。

 どうしてこんな辺境な土地に大陸の百人といない魔人がいるのかは疑問に尽きないが、この事件の中枢にこのダークエルフが起因していることは想像するに難しくなかった。


「迷子かい、ぼーや? 残念、ここは地獄の一丁目だよ。運が悪いねえ、よりにもよってここにくるとは……。しっかし、あたいも暇じゃないからねえ、どうしたものか――ん?」


 逡巡するダークエルフの目がユウキの剣帯に入ると同時、その口元が得心したように三日月型に吊り上げる。

 その様子は、まるで面白い玩具を見つけたとばかりの、ネズミを甚振るネコのそれ。


「へぇ、なるほど。中々に骨がありそうだねえ。子供といえども剣士ってわけかい……いやこの場合は勇敢な騎士さまかね? 囚われのお姫様でも助けに来たのかい? ふふ、カッコイイじゃないかい」


 からかいの口調は穏やかだが、反面でダークエルフの戦意が膨れ上がる。

 それだけでユウキの肉体の制御する自由すら奪い去られたような錯覚を感じ、蛇に睨まれたカエルのように固まってしまう。

 顔は笑っていても目は笑っていない。凶暴な熊に素手で挑むことになっても、きっとこれほどの威圧感はないというほどの恐怖が骨の髄まで浸透させる。

 思わず一歩後退すると、ダークエルフはすかさず下がった分だけ一歩踏み込んできた。


「きめた。暇じゃないけど、特別忙しいわけでもないんでねえ……。せっかくこんなところまで着たんだ。ちょっと殺し合いでもしてみるかい?」


 そう軽口を言いながらも殺気は本物だ。背中の巨大な斧槍を片手で易々と抜き、鉄火のような眼光がユウキを射抜く。

 その瞳が逃がさないと明確に語っていた。その桁外れな迫力。対抗しようという意思すらたやすく摘まれるほどの威圧感が場を支配し、一合と剣を交わすことなく強者と弱者を生み出す。

 ユウキは腰元の剣を抜いていない。抜いたら最後、完全に敵として認識される。その数秒後には首か胴が飛ぶ。それは確定した未来。子供だからと手加減をするような相手ではない。


「どうしたい? こんなところまでこれたんだ、腰もとの剣は飾りじゃないだろう? はは、少しは楽しませておくれよ、ぼーや?」


 愉快な笑みを浮かべ、器用に斧槍を片手でくるくると回し、悠々と歩み寄ってくる。だが隙らしい隙はない。

 言葉の通じる相手ではない。彼女は路傍の石ころですら邪魔ならば蹴飛ばすような輩だろう。

 たとえユウキが特攻したところで傷一つつけられることはない。逃げては殺され、戦えば死ぬ。

 ならばどうすればいいか。ここは情報を持ち帰るだけでも価値がある。生きていれば次へと繋げられる。死なない限り負けではない。

 勝てないのならばせめて引き分けろ。勝機がないならば活路を見出せ。倒せないのなら生き延びる術を模索しろ。

 ――できなければ、ここで死ぬだけだ。


(考えろ、考えろ、考えろ! こんなところで死ぬわけにはいかねーだろうが……ッ!!)


 相手が進んだ分だけ後退するが、限られた空間では長くは続かない。

 柄頭に手を添えたまま、ジリジリと間合いを詰められ、あっという間に入り口付近まで押し戻されて――


「……あァン? チッ、そうかい、おかしいと思ったらアンタらの手引きかい?」

「あ? な、なにを言って……」


 立ち止まって途端に不機嫌そうに眉を潜めたダークエルフに、反射的に聞き返そうとして、遅れてユウキも気づいた。


「キ、きィ、キキ、ギギギッ、ギィッ……!」


 ユウキの四歩後方で、闇に蠢くように殺気立って佇むゴブリンの群集がいた。その数およそ二十。

 ゴブリンは気配を悟られると瞬時に入り口から扇状に広がり、まるでユウキは眼中にないとばかりに無視し、ダークエルフを囲むように陣をとる。

 きぃきぃと金きり声が場に木霊し、ダークエルフを威嚇すると同時に後方のゴブリンクイーンに呼びかける哀愁さも感じた。

 そこでユウキは理解する。オークもゴブリンも、母親となるクイーンを人質に取られ、ダークエルフの手足になって動かされていたことに。都合のいい駒のように、消耗品として扱われていたことに。

 それがもう我慢ならなかったのだろう。侵入者ユウキという切欠を元に反旗を翻すゴブリンの群れは、よく見れば体躯が薄っすらと黒化していた。

 あれはオークの死骸から血肉を取り込んだ症状だ。おそらくは筋力と耐久値が飛躍的に向上しているはず。


「へえ、やる気かい? ゴブリン風情にも矜持プライドがあったのは驚きだけどねぇ。まあ、アンタらの役目もぼちぼち終了だし、ここいらで処理しても構わないか。あたいの管轄はもう十分に果たしたしね」

「かん、かつ……? どういうことだ……?」


 言葉の端に含まれた疑念にユウキが口を挟むと、ダークエルフはつまらなそうに鼻白を鳴らし、嘲笑的な口調で一蹴する。


「ぼーやには関係のないことさ。冥土の土産にもなんないしねえ……。ちょっと待ってな。すぐにこいつら片付けて遊んでやるからさ」

「っ……!」


 不敵な笑みを絶やさぬまま、ダークエルフはこのような局面でありながらもなんでもないように言い放つ。

 遊びといった。それは彼女にとって殺し合いでさえ、同義ということ。つまり命を刈り取ることに、なんの罪悪感も自己の呵責も感じないということだ。

 まるで庭の雑草でも刈り取るかのように軽視されたユウキの命に対して、恐怖に支配されていた心が闘志の火により雪解け、怒りが上書きされて体の硬直が解ける。

 こんな奴に村を滅ぼされ、大事な家族や友人を連れ去られたのかと思うと――無性に腹が立って仕方なかった。端的に述べると、キレた。


「……ふざけんなよ、クソ女。なにが遊びだ……テメエに殺られるなんて、まっぴらごめんだねッ!!」


 裂帛の気合で弱気を払拭し、腰元の剣を一気に抜刀する。

 賽はとうに投げられた。後戻りできないことは重々理解している。始まりがあれば終わりがあるように。いま大事なのは結果ではなく過程だ。

 行き着く先がどんな結末であれ、たとえ破滅でも、いまここで選択した答えに間違いなどあるはずがないから。


「へぇ……言うねぇぼーや。けどそれだけ立派な啖呵を切ったんだ――覚悟はできてるんだろうねぇ?」


 瞬間、完全な敵として認識されたユウキは戦慄に全身の毛穴が開き、産毛が逆立つ。対峙しているだけで喉が渇いた。

 別段ユウキは望んでも覚悟もない。だが一度剣を抜けば、後はもう打破するまで鞘に収めることはない。

 敵の前に剣を持って立ち塞がるならば赤子だろうが老婆だろうが戦士だ。明らかな格上であろうが関係ない。生き残るために全力を尽くすだけ。

 立ちはだかる壁ならば、乗り越えてでも突破するだけだ。


「ハッ、覚悟なんてもんはいくら固めてもきりがねーんでな。もともとてめえと違って、おれは自分の意志でここにいるんだよ!!」


 背負っているものがある。もはや自分の命は自分だけのものではない。

 ゴブリンのような誇りや矜持ではなく、ただの子供じみた意地。だが魔物に気迫で負けるわけにはいかなかった。

 胡乱な眼差しだったダークエルフの瞳が、どこか蠱惑的なものに変わり、笑みが深まる。


「ほほう、威勢がいいぼーやだね。気に入った。ぼーやは持ち帰ってあたいがじきじきに可愛がってあげるよ」

「黙れ変態女。てめえなんかじゃ足りねえんだよ・・・・・・・。真人間になってから出直して来い」

「ふふ、イイね。イイよ。嗚呼、ゾクゾクするじゃないか……。久しぶりに意気がいい獲物が手に入ったもんさね……!」


 三者三様に獲物を構え、視線の応酬が繰り広げる。一瞬でも目を逸らせば、その瞬間に呑み込まれてしまいそうな威圧感。

 濃密な殺気が空間に渦巻き、ダークエルフの出方を窺うものの、飄々とした態度でありながらも付け入る隙が見当たらない。それは黒化して強化されたゴブリン達も嗅ぎ取っているようだ。

 すぐにでも襲ってきそうな肉食獣を眼前にして、ユウキは重心を僅かに沈めて剣を構える。隙がないのならば生み出すしかないが、問題はその手段だ。

 視線をダークエルフのまま意識の触覚をゴブリンに寄せると、同じようなことを考えているのだと、なんとなくゴブリンの意図が漠然と理解できた。協力ではなく一時的に利害が一致しているだけとはいえ、敵の敵は味方とはよくいったものだ。

 優先順位的にゴブリンにとってユウキは二番以下だ。オークよりも下。ならばここは単純な戦力として数えたほうが得策だと判断しているのだろう。納得しているかは別だが。ユウキ自身も。

 だが沈黙は分と続かなかった。事態の好転を計るためゴブリンの群れは理性のタガを外して凶暴性を高め、強者に対する恐怖を殺意で塗り潰し――


「ギィ、ギヒャァ――ッ!!」


 数瞬後――合図もなく一斉にゴブリンたちは黒い波のようにダークエルフに肉薄した。

 粗野で凶暴な雄叫びが一面に響き渡る。ゴブリンの怒涛の波に乗るようにしてユウキも付随した。

 迷いなく、容赦なく、黒い殺意の波に吞み込まれようとしたダークエルフだが、口元に浮かんだ笑みが消えることはなく。

 斧槍を頭上で激しく回転させ、細い豪腕で殺到する敵が己の刃園に入ると同時、


「《神炎埋葬フレア・ジ・スルト》」


 《火》の上位《炎》属性の付与を刃に込め、円錐形の暴風が飛び込んだゴブリンの群を草木のように切り裂き、肉片を飛び散ら、跡形もなく焼却した。

 されども恐怖などないとばかりに突撃する二陣のゴブリンたち。その様子を嘲笑うかのようにダークエルフは柄を握る拳に力を込め――次に浮かべる感情は愉悦ではなく本物の驚愕のそれ。

 それは一度に半数の仲間を失ったゴブリンたちではなく、ダークエルフの唯一の興味対象であるユウキの姿を一瞬とはいえ見失い、再び捉えた時に起こしていた行動だった。


「オ、オオォォ――ッ!!」

「なッ!?」


 暴風の中心、すなわちダークエルフの頭上までゴブリンを踏み台にして跳躍したユウキが、《神炎埋葬》の台風の目となる範囲外から一人、死角をついて攻撃に移っていた。

 ここにきて初めてダークエルフの表情から笑みが消える。周囲を薙ぎ払えばゴブリンは殺せるがユウキの攻撃を許し、ユウキの攻撃をかわせばゴブリンの攻撃を許すことになる。

 一対一ならば確実に倒せない。だがいまは一体多数。実力の差を物量で押し切り、千載一遇の好機を逃さずユウキは《光輝魔装剣》を発動、初撃から全身全霊を賭けて勝負に出た。

 油断を招いたダークエルフの無防備な隙を逃すことなく、針に糸を通すかのような勝率の中で起こした決死の結果は――飛沫した鮮血が、物語っていた。



12



 発動準備が完了したユーリの言葉に、カレアは黙想するように一度目を瞑り、次に決意を固めて目を開いた。

 いまから自分の合図でこの牢に囚われた捕虜達――いや、この場所に囚われた百名以上の捕虜の命運に関わる行動を起こそうとしているのだ。

 頭の中で何度も二手・三手先の行動を想定するも、成功率は良くて五分五分。どうしても迷いと緊張感は不安となって拭えない。

 されどもこのままここにいても秒単位で状況は悪化していく。事態が好転するような材料ユーリを得た以上、躊躇いは悪化する原因を増やしていくだけ。

 ギリギリまでユウキとウィルを待つにしても限界がある。反撃とまでいかなくも脱出の糸口を掴んでいる現状、糸の切れないうちに行動を起こすべき。

 ミザとシャルロットとも協議した結果、意見は同じで迅速な行動を求められている。決断するならば今この時にして他ならない。


(ユウキ、ウィル……信じているわよ、途中で絶対に合流するんだからね)


 胸中で不安を押し隠し、少しでも二人の手助けになるよう自力でここぐらいは脱出しようと決意する。

 奥で繰り広げられる異種姦を二人に見せたくないという思いもあり、カレアは頃合を見計らい――やがてオーク全てが此方に背を向けた瞬間、シャルロット、ミザ、ユーリの順に目配りし、作戦を開始する。


「姫様」

「はい」


 まず始めの行動としてシャルロットは両手を合わせて祈り、《浄化》魔術を発動させる。

 それによってカレアとミザの両手両指に巻きつけた媒体となるシャルロットの髪が淡く熾火のように輝き、ミザは鉄格子の上部を、カレアは下部の柵を握り締める。

 それにより錆びていた場所が酸化の要領で分解され、虫食いのように穴だらけとなる。

 後は力を込めれば折れるほどの強度にまで低下した鉄格子を握り締め、一つ頷いた。

 第一段階は成功。だが油断はできない。バレれば終わりだ。

 焦りは失敗に繋がる。素早く確実に動作にあたならければならない。


「――ユーリ、やって」


 そのカレアの合図によって、ユーリがカッと目を開く。

 狙いは一つ。発動させる魔術は二つ。脱出に邪魔な黒球に、ありったけの魔力を込めた術式をユーリが解放する。


「“術式解放スペルロード”――《断頭台への行進ギロチン》!」


 黒い闇が凝縮し、巨大な刃が黒球の上で形成され、矢を引き絞るように一度浮き、一気に落下する。

 ドゴォン、と重力感溢れる激音が黒球に直撃するものの、火花を散らしながら拮抗するのみで破壊には至らない。なんという強度かと舌を打つ。

 だがこれも想定通り。数瞬後、時発装填ともなる二つ目の術式を、ユーリは《断刃》を維持しながら併用発動させた。


「“術式解放スペルロード”――《鋼鉄乙女の抱擁アイアンメイデン》!」


 黒球の真下の地面から、勢いよく左右に縦割れした鋼鉄の巨大人形が出現される。

 四肢のない鉄人形の中身は空洞だ。かわりに無数の細い針、剣並の分厚い釘、鋭利な槍の穂先などが幾重にも内部に突き出していた。

 まるでワニ口のような肉厚な構造。閉じ込められた犠牲者の悲鳴が外部に漏れないよう設計された恐るべき拷問器具。

 それが黒球を噛み砕くように圧迫し、《断刃》と《鋼女》の二重奏が前後左右一気にブツカリ合い、激しい金属音が響き合い――数秒を持って薄氷のような破砕音を立てて黒球は四散した。

 ここまで僅か三秒足らずの出来事。しかし轟音により異変を察知したオークの群れがこちらに意識を向け、一瞬事態が理解できずに呆けるものの、立ちどころに現状を把握して殺意と欲望の色を滾らせながら叫んだ。

 だがもう遅い。カレアは柵を力任せに引き折り、最後に脱出経路に伴う障害物の排除のため、瞬時に奥の惨劇場に走り出した。

 オークは抱いていた女性を物のように乱暴に放り投げ、地面に置いていた木斧を拾い、一斉に牢から出ようとした先頭集団に対し、


「――そんなにそこがいいなら、死ぬまでいなさいケダモノ」


 とん、と軽やかに推進力を載せて跳躍し、《魔装剣》による山吹色の斬光が幾重の斜線を描いて閃いた。

 咲華流剣術・斬りの弐型――《斬華繚乱ザンカリョウラン》。

 カレアの倍はあろうかという体躯のオーク二体が、山吹色の剣風によって三枚おろしに斬り裂かれ、一言も発することなく黄色い目を剥いて絶滅する。

 合計六擊の回転剣舞。正確には剣ではないが、カレアの卓越された剣術は《魔装剣》と相まってナマクラ以上の威力を持ち、鉄格子を棍棒並みの実剣として補っていた。


「……死に際にせめて、血の華と散りなさい」


 がんっ、とオークたちの残る牢屋の扉を乱暴に閉め、外側に引っ掛けてあった厚みのある南京錠の鍵を閉める。

 そのまま鍵口を《火》の凝縮魔術で溶接し、牢の中で残留するオークが鉄格子の向こう側で閉じ込められて怒り狂っていた。

 一緒になって閉じ込められた捕虜に目を向けるものの、その痛ましい姿となった者の瞳に輝きはなく、虚ろな双眸は心を完全に閉ざしている。あるいはすでに壊れてしまっているのか。

 本当ならば一緒に救出してあげたかったが、意志なき人形と化した彼女らでは、酷なようだが足でまといを連れて逃げられる余裕はカレアたちにはなかった。

 無力感に苛まれながら胸中で謝罪を述べ、目を背けて意識を出入口に向ける。そこには成功を喜ぶユーリと、ほっとした表情のミザと、唖然とした顔をするシャルロットがいた。

 ……前者二人はともかく、シャルロットがどうしてそんなに目と口をぽかんと丸くしているのか、カレアには理解できなかった。


「……どうしたの? そんなマヌケな顔をして? というか、お姫様がそれでいいの?」


 歩み寄ってシャルロットに問いかけると、彼女はカレアの頭から足許まで何度も視線を動かせながら、呆然とした顔で言った。


「あなた……何者なの……?」

「え? どういう意味?」


 無粋ともいえる唐突な問いに対し、カレアは疑問符を浮かべながら柳眉を潜める。

 心なしかどこか興奮気味のシャルロットを理解できず、小首を傾げて返答を促す。


「いえ、そんな……信じられないわ。ど、どうやってあんなすごいことを、その華奢な体で振る舞えるの……?」

「すごい? いまのが? そうかしら……これぐらいの剣技なら、お城の騎士や王立学院生なら容易いんじゃないの?」

「そう、なの……? わたしくあまり神殿から出たことがないものだから……そういうものなの、なんですの……?」

「そういうものじゃないの? たぶん」


 あやふやな根拠で納得させるものの、お城の騎士や王立学院生の実力は分からないので、カレアは師であるガイゼンと同等に計っていた。

 大陸でも五指に入る実力者であるガイエンで、だ。外の世界をよく知らないカレアは、自分の実力が同世代からどれほどかけ離れているのか自覚していなかった。

 なまじ武を磨き合うユウキとウィルも剣才に恵まれていたこともあり、井の中の蛙と逆の状態となっていた。

 そしてそれはここにいるカレアだけに留まることではなく、


「で、では……あの、あの子の、すさまじい魔術は……」

「んゆ? え? これぐらいふつーでしょ? なに驚いてるのおねーさん……?」

「ええっ!?」


 立て続けに起こった信じられない出来事をさらりと流され、シャルロットは自身の中の常識が覆るのを感じていた。

 反射的にカレアに目を向けると、さすがに困った顔をしながら苦笑を浮かべ、あー、さっきのは内緒ね? と片目を瞑って人差し指を唇に当てている。

 その様子にシャルロットは喉元まで浮かんだ幾多の質問や疑問をため息と共に押し隠し、がっくしと肩を落とすことで了承の意を示した。

 同年代や同世代の子供と人付き合いの少ない環境や立場にいることは自覚しているものの、これが普通なのかと思うと自分の劣等生ぶりが嫌になる。

 ……密かに《浄化》魔術以外にも真剣に取り組んでみようと、胸の内で小さく決意するシャルロットであった。


「はいはい、二人共、話はそこまでにしてひとまずここから脱出しましょう」


 ミザが脱線し始める意識を切り替えさせ、出入り口に向けて視線を促す。

 カレア、シャルロット、ユーリの三者も表情を引き締めて、今後の行動の警戒を強める。

 背後ではいまも奥の牢屋に閉じ込められたオークたちが獣のように喚き散らしている。言語は理解できないがそれでよかった。理解できれば耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言に違いない。

 いっそオークのいる牢屋を中ごとすべて燃やし尽くしてしまおうかとも考えたが、意志なき人形とはいえ同じ被害者である人間を殺すことに躊躇いが生じ、決断を下すことができなかった。

 皮肉なものである。まな板の上の鯛である残虐なオークがいまや蹂躙した捕虜に守られていようとは。理解していなければ知る由もないだろうが。


(――ごめんね)


 ぐるりと一度カレアは周囲を見回し、捕らえられている数多くの捕虜たちに心中でもう一度謝罪を述べる。

 こちらを眺める捕虜たちの眼差しに宿る感情は、不安や恐れといった警戒心に満ちたものだった。まるで魔物に向けるものと同じように。

 誰も牢からの開放をカレアたちに求めない。子供ということもなるが、なにより怖いのだ。牢を出ても無事に外に脱出できる保証もなければ、怒りを買って魔物に殺されかねない恐怖に。

 カレアとしても戦えない者や脱出する意志がない者に力を貸すことはできない。ここにいれば少なくも殺される可能性は低いのだから。命以外はどうであれだ。

 それに外部で討伐隊が編成されて救助に当たった時、変に捕虜が散らばられているよりもこの場に留まってくれた方が助かる見込みもあると、そう自分を無理やり納得させてカレアは、いやカレアたちは背を向ける。

 後に残酷や冷酷と罵られようとも、この小さな二つの手には掴めるだけの限界があるから。


「……行きましょう。ユウキとウィルもこちらに向かっているでしょうし、鉢合わせした時に敵と間違えないようにね」

「うん!」


 《夜影》を解いたユーリの元気な返事が、後ろめたさへの罪悪感を軽減してカレアは薄く微笑んだ。

 他の魔物に気づかれぬ内に脱出するため、居心地悪さから逃れるためにも、ミザが先頭に立って出入口へと歩き始めようとしたとき――


「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」


 背後でカレアたちを強ばった声で引き止めたのは、同じ牢屋にいた貴族令嬢のルシエルだった。

 足を止めて訝しげな眼差しを向けると、押し目を感じているのか一瞬は怯むものの、ふ、ふんっ、と胸を張って両手を組み、傲岸な態度で言い放った。


「あ、貴女たちだけじゃ心細いでしょ? どうしてもというならば、その……わ、わたしも着いていってあげても、よろしくてよ?」

「「「…………」」」


 どうしても? 着いていってあげても?

 言葉をなくして絶句しながら、ぽかんとした顔でユーリ以外の三者は口を開けてルシエルを見た。

 跳ねっ返りのお嬢様もここまでくれば驚嘆に値する。だがルシエルは自分の足で牢屋から出て、四人に歩み寄ろうとしていた。

 その事実にカレアはルシエルの胆力を評価する。それだけでなにか照れ隠しと相まって許してしまえるのが不思議だった。バカな子ほど可愛いというやつか。

 知らず、くすりと純粋な笑みがこぼれた。先程まで生まれたての子牛のようにブルブルと震えていたが、案外根っこのほうが丈夫なのかもしれない。


「なっ、なにがおかしいんですの!?」

「いえ、つい――ねえ? 素直じゃないわね……」

「な、なにがよっ!」

「さあ? なにかしら、ね?」

「ななな……」


 ムキになって赤面するルシエルを軽く流し、カレアはミザ、ユーリ、シャルロットに目を向ける。

 どうする? という視線の問いに対し、三者三様に、任せた、という意思疎通が完了する。もはや苦笑しか浮かばなかった。

 ここで長々と詮議していても仕方がないので、一先ずカレアから折れて話をつけることにした。


「いいわ、ついてきても。そのかわりこちらの指示には従ってもらうわよ? さもなくば……」


 チラリと奥の暴れるオークたちを眺め、凄みを帯びて釘を打つ。勝手な行動を起こされて邪魔をされれば溜まったものではない。

 ルシエルもカレアとユーリの技量は先ほど目にしたばかりなので異論はない。むしろ貴族なのだから指揮を取れ、といわれれば困ってしまう。

 なのでここは変に反論することなく、ふん、わかりましたわ、と最後の矜持とばかりに余裕を持って優雅にルシエルは振舞った。足元は震えたままだが。


「……きっと、かならず」


 最後にもう一度だけ牢獄全体を振り返り、今度こそカレアたちは前へと進みだした。



13



 一歩その頃、ユウキがダークエルフと戦闘を開始し、カレアたちが牢から脱出を成功した時を同じくして、ウィルは一足先に誰よりも早く事件の核心に迫っていた。


「……なに、これ……?」


 ユウキと別れて数分。後戻りできない道を真っ直ぐに突き進むと、大規模な空間へとたどり着いていた。

 その空間は衛兵隊の敷地にある野外訓練場をも上回る面積。半球形に一キロメートルはある空洞内部には、壁側に幾つもの通路が仄暗い穴を見せていた。

 きっとここは巣の中心部なのだろうとウィルは推測する。しかし人間ならば千人単位で収容できる広大さだ。迷路というよりもアリの巣のようなつくりか。

 中に進むにつれて視界の奥に映る一つの通路から、ユーリの魔力残留が濃く流れていた。きっとあの奥が牢獄なのだろうと確信する。

 だが、ウィルは歩を進めるうちに視界に捉えた中央の台座にあるものに目を疑い、呆然と立ち尽くしていた。


 ――そこには氷漬けにされた史上災厄とされる悪魔の杖が、まるでこの場を支配するように祀られていた。


〈解説・その11〉


 アースガルドで判明されている七系統の属性には下位と上位が存在し、上位属性を扱えるものは王宮でも重宝視されている。

 

 ・《光》→《輝》

 ・《風》→《凪》

 ・《火》→《炎》

 ・《水》→《氷》

 ・《木》→《森》

 ・《金》→《錬》

 ・《土》→《地》


 七系統以外には《聖》は王族だけが扱える《加護》であり、《魔》は魔族だけが扱える《呪詛》である。下位と上位はないものとされている。

 《闇》、《雷》、《無》の属性に関しては未知数であり、かつて伝説の勇者が《雷》の上位である《天》を扱っていたとだけ伝承に残されている。

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