バトン
祖父が亡くなった。七十歳だった。
葬式は大勢の人で賑わっていて、祭り好きの祖父だったから、きっと本人も満足していると思う。
でも、俺は、その間ずっと考えていた。
あの人は、俺といて幸せだったのだろうか。
あの人と最期に交わした言葉は何だったか。
あの人に何かしてあげられただろうか。
思い悩むたび、時間の流れという逆らい難い波に苛立ちを覚える。
どうやら、人間は、大事なものを失って、初めてそれが大切だったと気づけるらしい。
遺影を見ると、口角を上げて、静かに笑っている。俺には、その笑顔が痛かった。
避けるようにして会場を去ると、そのまま家へ帰宅した。
自宅についても、あまり落ち着きはしなかった。何せ、本当に小さな頃から世話になっていたので、心にポッカリと穴が開いたみたいになってしまった。
そのうち、酒瓶でもぶら下げて千鳥足で帰ってくるんじゃないかーーそう思った時も、一度や二度どころではない。
だが、日にちが経つにつれ、だんだんと幻想が消えていった。
あの人は死んだのだ。もうこの世の何処にもいない。
そう実感すると、やはり目の奥が熱くなった。
ただいま。
そういっても、帰ってくるのは耳を突く静寂のみ。真っ暗なリビングが目の前に広がっているだけだ。やはり、少し寂しかった。
どかっとソファに腰掛けると、ちょうどお笑いをやっていた。昔大ヒットしたグループの一人が、殿様の格好をして色々なことをしでかす有名番組だ。
思えば、この番組も祖父との思い出がたくさん詰まっている。ネタはほとんど似たようなものが多かったが、それでも面白かった。
……ふいに、頬を透明な液体が伝う。水源は俺の目だった。
そうか。俺は今、泣いているのか。
止まらない。
止められない。
きっとあの人がいれば、男だろ!泣くんじゃねぇ!とか言いそうだが……。
「男だろ!泣くんじゃねぇ!」
!?
しゃがれた声。
大きな声。
聞き覚えのある声。
間違いない。
「じいさん……」
亡くなったはずの祖父が、目の前にいた。
作業着姿で、帽子かぶって、メガネを二重にかけている。
「まいったなー。もうちょい酒飲んどきゃ良かったわ。あ、あとタバコも。」
生前大好きだったお酒。
医者からどんなに言われてもやめなかったタバコ。
昔を思い出し、笑ってしまう。
「お……そうだ。一つ聞いときたいんだけど。」
「ん。なんだよ。」
「じいさんってさ……お、俺がいて幸せだった?」
「はぁ?」
「いや、ほら俺何もしてあげられてないs「バカ野郎!」
突如響き渡る怒号。死んでも雰囲気は全く変わっていない。
「当たり前だろ!てかそうだろ!家族がいるってだけで十分幸せだ!」
怒鳴り散らすような、だけど少し切ない声だった。
でも、その言葉が聞けた俺は、心のわだかまりがとれ、とても晴れやかな気分になれた。
「誰だっていつか寿命が来るんだから。しょうがねぇだろ。だけど、『心のバトン』は確実にお前らに渡せたと思うから。胸はって生きろ。」
「あっ!ま、待って!」
声が届く前には、祖父はいなくなっていた。
だが、不思議と喪失の痛みは無くなっていた。
じいさん。バトンはしっかり受け取ったから。安心して休んでてください。
そっちに行くまでまだまだ時間はかかるけど。
酒でも飲みながら見守っててくださいね。
澄み切った青空の日、そう心に誓った俺は、今日も生き続ける。