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アルテアの魔女  作者: たつみ暁
第三部『アルテアの魔女と未来の彼方の子供達』
82/150

7:背を押され(3)

 昼を過ぎると、それまで晴れていたイナト上空が急速に曇り始めた。今にも泣き出しそうな灰色の空を、リリムは窓際からぼんやりと眺める。

 インシオンは『レイの墓参りに行って来る』と一人、城から少し離れた王族墓地へと向かった。エレを失ってあまりにも憔悴している背中を見ると、そのままいなくなるのではないかと不安になったが、本人に立ち直る意志が無ければどうにもならない。遊撃隊の人間にできるのは、待つ事だけだった。

 視線を外から室内に向ければ、ソファに寝そべるシャンメルの姿が映る。どういう経緯か、ソキウスはミライに親身になってそばづいているので、この客室にはリリムと少年の二人しかいなかった。

 セイレーンの海域で海に落ちたリリムを、迷わず飛び込んで助けてくれた。見失わないよう、リリムの小さな身体を、意外と逞しい腕でしっかりと抱え込み、『神の足』でイシャナまで駆けてくれた。

 命を削ってまで助けようとしてくれた。それがひどく申し訳無いのに、「あたしの為に」という事が、嬉しくて仕方無い自分がいる。

 彼を見つめると胸がどきどき言うようになったのは、いつからだろう。リリムは思い返す。

 インシオンに拾われ遊撃隊に配属された初対面時は、良い印象は全く無かった。

『足引っ張ったら、即斬り捨てるからね?』

 笑顔で握手を求めながら物騒な事を言い放って、なんだこいつは、と憮然としたものである。

 しかしそれが彼の本性でない事を知った。とある地方の隠れ家で、インシオンが破獣化の発作で穴を空け、ソキウスとアリーチェも町に降りていた時、かつて遊撃隊に煮え湯を飲まされた盗賊団が意趣返しに来たのである。自分達が関わっていない時代の復讐に辟易しつつも、これで死ぬかもしれない、とうっすら予感したリリムの肩を抱いて、『大丈夫』といつに無く優しく囁いたのは、シャンメルだった。

『オレがリリムを死なせない。インシオンがいなくてもやれるから』

 青灰色の瞳に真剣な光を宿して放ったその言葉通り、彼は一人で見事に立ち回り、盗賊達を撃退した。

『ね、言ったでしょ?』

 返り血と自身の血にまみれ、傷も痛むだろうに、大した事が無いとばかりに彼は無邪気な笑みを披露してみせた。

『オレだってやれるんだって』

 彼がちょっとやそっとの怪我で苦しむ事が無いのは、過去に受けた虐待に起因するのだと知ったのは、その後だった。少しでも古傷に効く薬草を煎じようと、祖父から教わった知識を活用して、薬草茶ハーブティーにこり始めたのも同時期である。だが、彼はリリムの淹れた茶をあまり好んではくれなかった。苦いだのまずいだのと理屈をつけて、のらりくらりと逃げ回っていたのである。

 それでも、リリムは諦めなかった。いつかシャンメルが自分の淹れた茶で「うまい」と笑ってくれる日を望んで、研鑽を怠らなかったのである。

「……リリム」

 ひそやかに声をかけられて、リリムの意識は現在に立ち返った。目を覆っていた手を外して、シャンメルがこちらを見ている。

「インシオンは?」

「まだ」

 首を横に振ると、「あーあ」とぼやくような溜息が洩れた。

「ほんとうちの隊長も困ったもんだよねー。エレがさらわれてイライラしてたと思ったらさ、今度は逃げられてドーンと落ち込んで。すっかりエレ中心に世界が回っちゃってるじゃん」

「変わったよね」

「そうだねー」

 くすりと笑うと、同意が返って来る。エレがインシオンの世界を変えた。できれば、いや、必ず彼女に戻ってきて欲しいと思うのは、二人の共通の思いである。

 しばらく沈黙が落ちた後。

「あのさ、リリム」

 シャンメルが寝っ転がった体勢のまま、視線だけこちらに向けて、言った。

「お茶淹れてくんない?」

 瞬間、きょとんとしてしまう。聞き間違いだろうかと目をしばたたくと、「リリムのお茶」屈託無く少年が笑った。「飲みたいな」

「……わかった」

 ぎこちなくうなずきながら、リリムは準備に取りかかった。

 厨房からお湯をもらってきて、持ち歩いている茶器を荷物から取り出し、ペパーミントとレモングラスを調合して、清涼感の溢れる一杯に仕上げる。湯気を立てるカップを差し出せば、シャンメルはソファから身を起こし、「さんきゅ」と受け取って、口に含んだ。リリムはその隣に腰を下ろして、まっすぐ前を向いたまま反応を待つ。

「うまーい」

 満足気な感想がシャンメルの口からこぼれる。胸のあたりがくすぐったくて頬が熱くなるが、続けられた言葉に、心臓がどきりと脈打った。

「リリム、これ全部記憶で淹れてるんでしょ? すごいよね」

 気づかれていたのか。心拍数がますます上がる。

「アルセイルでもさ、同じものしか食べてなかったじゃん? あれ、味がするものだからでしょ? ああもうかなりわかんないんだなーって思った」

 リリムの『神の目』の代償は、味覚嗅覚を失ってゆく事。それは遊撃隊の誰もが知るところだが、もうほとんどの感覚が失われている事は、誰にも気づかれていないと自負しているつもりだった。まさか見抜かれていたとは。

「わかるよー」

 当然とばかりにシャンメルがからりと笑って、カップをテーブルの上に置くと、ごろんとリリムの膝に頭を預けるように転がってきた。

「ずっと見てるんだから」

 それはどういう意味か。というか意味を持っているのか。リリムの胸が更なるお祭り騒ぎを始める。

「リリムがわからないならさ、オレが代わりになるよ」

 シャンメルの手が頬に触れる。カップを握っていたせいか、ほんのり温かい。

「オレがそばにいてさ、リリムの代わりに、色んな味やにおいをさ、伝えてあげる」

 にこりと笑った後目をつむり、シャンメルはかみしめるようにしみじみ洩らす。

「あー。だから、長生きしたいなー」

「長生きできるお茶を淹れてあげる」

 二人で微笑み合った。そのまま自然に会話が途切れ、シャンメルがリリムの頭を引き寄せる。リリムも素直に目を閉じて顔を伏せる。

 唇が触れ合った時、長らく味わっていなかった、ミントの爽やかな香りが舌を撫で、鼻を抜けていったような気がした。

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