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アルテアの魔女  作者: たつみ暁
第三部『アルテアの魔女と未来の彼方の子供達』
61/150

1:喪失(2)

「おれが会った男と同一人物だろう」

 エレとインシオンから、少年と少女の話を聞いたアーヘルは、腕組みして一通り聞き終えた後、おもむろに口を開いた。

「だがそのミライという娘の方は知らん。初耳だ」

「彼らがどこから来たのかは、聞きましたか」

『私達は、あなた方の想像のつかない所から来ました』というミライの言い方が気にかかって、エレは訊ねる。しかし、少年王はすまなそうに目を伏せて首を横に振った。

「得体の知れぬ大陸人だと思って、最初から話半分しか聞いていなかった。正体を問いつめようとも思わなかった」

 すまぬ、と最後に付け足して、アーヘルは頭を下げた。

「別に謝って欲しい訳じゃねえよ」

 インシオンが深々と息をつく。長い前髪が吹き上げられて揺れた。

「そもそも、連中の目当てがエレや俺なら、厄介事を持ち込んだのはこっちだ。これ以上迷惑かける訳にはいかねえ」

 彼の言う通り、カナタやミライの目的がエレ達を排する事だったならば、アルセイルは巻き添えを食っただけの被害者になる。早々にこの地を離れ、二人をもアルセイルから引き離すのが得策だろう。

「国王の事もある。俺達は明日にもイシャナに帰る」

「そうか」

 インシオンがレイ王に言及した事に、エレはきょとんと目をしばたたいた。アーヘルは納得しているようだが、自分の知らない内にどんな会話があったのだろうか。今訊きたい気もしたが、男二人の間に流れる、入り込みがたい沈鬱な空気を感じ取って、エレは口をつぐむ事にした。

「とにかく」

 気を取り直してアーヘルが両手を広げた。

「これからの晩餐には、皆列席してくれ。そなた達の為に料理人が腕を振るった。食わぬと言われたら、我々の立場が無い」

 そう言われては厚意を断る訳にいかない。インシオンも同じ答えに至ったのだろう、「世話になる」とうなずいた。

 晩餐はエレとインシオンだけでなく、シャンメル、リリム、ソキウスも同席し、アーヘルの傍らにはシュリアンがいた。今まで険のある表情で睨んできたのが嘘のように穏やかな顔をした王妃は、甲斐甲斐しく夫の杯に飲み物を注いでいる。

「アルセイルは夏になれば、南の極みから北上して来る魚で海が七色に光る。見物だぞ」

 アーヘルはよく喋り、大陸の話も聞きたがった。表向きは上機嫌な少年王であったが、その脳裏には、カナタの存在がちらついているのだろう。時折ふっと笑みを消して物思いに耽る間があるのを、エレは見逃さなかった。

 それでも晩餐はゆるりとした空気で平和に過ぎた。豪勢な南海の食事にシャンメルは健啖ぶりを発揮し、リリムも生の白身魚を気に入ったのか、そればかり食べている。

 エレはある瞬間にふと気づき、主のいない敷物に目をやった。先程までインシオンが座っていたはずだが、いつの間にかいなくなっている。

 アーヘルとシュリアンは、シャンメルとリリムにフェルムについての質問を投げかけている。エレはそっと腰を浮かせて周囲を見渡した。

「エレ」

 背後から声をかけられたのはその時だった。灰色の瞳が親しみをたたえて見つめている。やはり静かに席を立ったソキウスが、飲み物の入った杯をこちらに差し出していた。両手で受け取ると、もうひとつ、酒精の香りがする杯も差し出される。しかしエレは酒の飲める年齢ではない。困り顔を向けると、ソキウスはくすぐったそうに笑んで、外を指差した。

「私もあなたとは話したい事が山とありますが、まずは譲るべきだと思いまして」

 言われて視線を転じれば、夜に溶けそうな黒装束がテラスでぼんやりと立ち尽くしているのが見える。

「彼相手というのがはっきり言って癪なんですがね、私はあなたを応援しますよ」

 私が言っても信用度は低いでしょうが、と自嘲気味に付け足して、ソキウスは再度酒の入った杯をエレの前に掲げる。

「……ありがとうございます」

 エレは頬を朱に染めながら杯を受け取り、軽く手を振るソキウスに頭を下げて、テラスへ向かった。

 空には半月が輝いていた。夜風になぶられる黒髪が青みを帯びて輝き、赤い瞳はどこか遠くを見つめている。

「インシオン」

 呼びかけても、反応は無かった。

「インシオン?」

 少しだけ声量を上げて再度声をかけると、びくっと肩が震えて、インシオンが狼狽えた様子でこちらを向いた。小首を傾げながらエレは彼の隣に並び、酒の入った杯を差し出す。

「あ、ああ、悪いな」

 インシオンはぎこちなく杯を受け取り、一口、二口含んだ後、何を思ったか一気にあおった。今まで見てきた限り、彼が酒を飲む時は、一杯を少しずつ空けてゆく飲み方しかしなかった。やはり先程から彼らしくない。カナタに負けた事がそんなに心を折ったのだろうか。不安げな目を向けると、彼は気まずそうに視線を逸らした。

 テラスからは、晩餐の喧騒は少し遠く聴こえる。虫が鳴いて恋を呼ぶ中、エレは黙って手すりに手をかけ、相手が口を開いてくれるのを待つ。無言の時間が段々決まり悪くなってきて、持ちっぱなしだった杯の中身を傾ける。少し温くなった果実の搾り汁が喉を通っていった時。

「……レイが」

 ひどく細い声で、インシオンが口を開いた。

「レイが死んだ」

 言葉の意味をはかりかねて、瞬間、ぽかんとしてしまう。しかし理解すると、心底からの驚愕がエレの胸に湧き上がった。

 たしかに、一月前に謁見した時、ひどい顔色をしていた。だがまさか、あれが最後の邂逅になるなどとは思ってもいなかった。壊れかけの身体を抱えているのはよくわかっていたが、なんだかんだで彼は生きるだろうと、どこかで楽観視していたのだ。

 もう、あの柔らかい声を聞く事はできない。もう、エレの大好きな人と瓜二つの笑顔を見る事は無い。もう、二度と言葉を交わせない。やはり前回会った時に、説き伏せてでも回復のアルテアを使っておくべきだった。後悔が津波となって心の堰を突き崩す。

 突然両肩をつかまれて、エレは杯を取り落してしまった。こぼれた果汁が床に染みを作り、杯が転がる。

「俺は結局、あいつに何もしてやれなかった」

 インシオンが顔を伏せ、身を震わせている。絞り出すような声が、手にこもる力が、彼の悔恨の根の深さを示している。それでも涙の色を含んでいないのは、彼が死神として生きる内に泣く事を忘れてしまった証拠だ。

 エレの目があっという間に潤み、溢れた感情が水分の形を取って流れ落ちる。彼が泣けないのなら、せめて自分が代わりに泣いて王を悼もう。しゃくりあげながら、インシオンの頭を両腕でそっと包み込む。インシオンが、溺れかけた子供のようにエレにすがりついて、食いしばった歯の間から呻きを洩らす。

 人々の声は遠い。誰にも気づかれないように、二人は月光の下で喪失の悲しみを分かち合った。

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