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アルテアの魔女  作者: たつみ暁
第二部『アルテアの魔女と南海の王』
38/150

2:暗転(2)

「エン・レイ姫!」

 レイ王のもとを辞してインシオンと二人でイナト王城内の長い廊下を歩いていると、突然セァク式に名前を呼ばれて、エレは振り返った。褐色の肌に尖った耳。イシャナとは異なる、身頃を胸の前で合わせて帯で留める衣装。セァク人の青年が親しげな笑みを浮かべ、両腕を広げて少し早足に歩いて来ると、無遠慮にエレを抱きしめたのである。エレも、傍らに立つインシオンまでも言葉を失って固まってしまったのだが、エレが青年の名前を記憶から掘り返した。

「……ヨラン殿?」

「そうだよ!」

 戸惑い気味に名を呼ぶと、青年は嬉しそうに笑顔を弾けさせる。

「商売の話でイナトに来ていたんだけれど、まさかこんな所で会えるなんて。まさにゼムレア神の粋な計らいだね」

 ヨランはセァク皇族から分かたれた血筋の貴族である。元々の身分に加え、祖父の代で商売を興して財を成し、セァク家臣の中でもそれなりの発言力を持っている。

 皇家の遠縁という事で、幼い頃からエレとの面識もあって、わりと親しく言葉を交わす仲ではあったが、さすがにこうして公共の場でいきなり抱擁される事は無かった。唖然としていると、「ああ、ごめんよ」と腕をほどかれたが、彼はエレの両肩に手を置き、何だか必要以上に顔を近づけて語りかけてきた。

「ヒョウ・カ皇王から聞いてびっくりしたよ。イシャナ軍に入って各地を回っているんだって? そんな危険な事、君がすべきではない」

 そうしてインシオンをちらりと見やり、皮肉げに口元を持ち上げる。

「噂の『死神』の下で、アルテアの力をいいように使われて、苦労しているんだろう? 火遊びはやめて、一緒にセァクへ帰ろう」

 傍らのインシオンが不快そうに小さく舌打ちするのが聞こえた。英雄として、賞賛以上に羨望も嫌味もさんざん浴びてきた彼の事だ。いきなり殴りかかったりなどはしないと思うが、眼前で侮辱されては、誰も良い気分はしないだろう。エレの心で小さく苛立ちの火がくすぶった。

「遊びではありません」

 ヨランの顔をじろっと睨み、少々早口に返す。

「私は私の意志で、誰かを救えるならと思って遊撃隊にいます。アルテアを使うのも私自身で決めた事です。苦労とも思っていません。インシオンを悪く言うのはお門違いですよ」

 そうして肩に置かれた手を引きはがし、「では、これで」と頭を下げると、

「行きましょう」

 今度は自分からインシオンの腕をつかみ歩き出した。インシオンが軽い驚きを顔に浮かべて、引かれるままについて来る。

「エン・レイ!」

 ヨランの声が背を追って来たが、振り返るものかと決意してすたすた歩き去る。

「辛くなったらいつでも頼りにしておくれよ! 僕が君を迎えに行く!」

 インシオンを馬鹿にした人のそんな言葉に耳を傾けてたまるか。辛くなっても絶対に音をあげてやらない。そう決意しながらも、悔しさの炎が心を支配するあまり、目の端にじんわりと涙の粒が浮いた。

「……おい」

 廊下を曲がったところで、頭を拳で軽く小突かれ、エレははたと我に返った。見上げれば、赤い瞳が困ったように細められ、エレを見下ろしている。

「何もお前が泣くこたないだろ。俺はああいうのには慣れてる。実際、お前の力をあてにしてるんだから、奴の言う事も否定しきれないんだよ」

「でも」

 半年間してきた事を、火遊びの一言で片づけられた。インシオンを侮辱された事以上に、自分の行動を根底から否定された事が、エレの自尊心を大きく傷つけていたのだ。

「ったく」

 大きな手がぐしゃぐしゃとエレの頭を撫で回す。

「いちいち気にするな。さっさと水に流せ。これくらいで凹んでたら、この先もたねえぞ」

 インシオンが言うのだから、気にしない、忘れる、それが正しい対処法なのだろう。しかしエレの心はまだそこまでの図太さを備えていない。

「はい……」

 と小さく答えながらも、胸の奥ではまだ、怒りの感情が黒色にくすぶっていた。

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