第7話 幼馴染の嫉妬心
扉の奥にその姿が見えなくなっても、リュミエルはそこから動くことが出来なかった。
ほんの一瞬だった。触れるというよりも、かするような、触れ方だった。
なのに、リュシアンの触れた頬が熱を帯びて、その熱が全身に広がっていくのが分かった。
なんなんだろう、このカンジ――……
いままでに経験したことない、ふわふわした感覚に思考がうまく働いていなかったリュミエルは。
「おい、誰だよ、あいつは!?」
突然、背後から怒鳴られて、驚きに肩を大きく震わせた。
※
依頼を終えての帰り道、通りの向こうに見覚えのある銀髪を見つけて、オリヴィエはつい後を追ってしまった。
こんな時間に、なんであいつは出歩いてるんだ――
心配と苛立ちが胸に湧き上がり、オリヴィエはリュミエルの後を急ぎ足で追いかけた。
追いかけながら、リュミエルには連れがいることに気がついた。
民族衣装の上に首元に布を巻き、月の光を映したような長い銀髪を襟首で結わいたこの辺りでは見かけない顔の男だった。
誰だ、あいつ……?
リュミエルと男はバノーファに二つある宿屋のうちの一つ、小鳩亭も前で止まると、リュミエルが何かを男に言い残し、宿の中へと入っていった。
大通りに残された男がふいに振り返るから、オリヴィエはとっさに路地へと隠れる。
なにやってんだ、俺……
自分の行動が自分で理解できなくて首を傾げる。
そっと背中を建物の外壁につけ、覗き込むように大通りに顔を出す。
宿屋から出てきたリュミエルは笑顔で男としばらく会話をしていた。
その親しげな雰囲気は、ただ観光客を宿まで案内したという感じではなくて、オリヴィエはなんともいえない気持ちが胸の中に膨らんでいく。
その時、男がリュミエルの頬に触れている光景が目に飛び込んできて、どくんっと心臓が嫌な音を立てる。
男が宿屋に入った後も、リュミエルがぼぉーっとしたまま突っ立っているから、オリヴィエはとうとう我慢がならなくて、路地から飛び出した。
※
驚きに肩を震わせて振り返ったリュミエルは、そこにオリヴィエがいて、わずかに眉根を寄せてむっとした表情をする。
嫌なやつに会っちゃった……
「オリヴィエ……」
ため息とともに名前を呼んだリュミエルに、オリヴィエは距離を詰めて、もう一度尋ねる。
「誰なんだよ、あいつ!?」
その形相は怒りに歪められていてとげとげしい口調に、リュミエルはつんっとそっぽを向く。
「オリヴィエには関係ないでしょ」
砦の森で会った旅人だって言えばよかっただろうけど、オリヴィエの険悪な態度に、つい、可愛くない態度で言い返してしまう。
砦の森に行ったなんて言ったら、危ないとかなんだっかんだと、がみがみお説教が始まるのは目に見えている。
そりゃあ、街の人でもほとんど足を踏み入れない砦の森だけど、リュミエルは五歳の時から薬草を取りに出入りしていて、もう自分の庭といっていいほど砦の森のことは詳しく知っているつもりだ。
だいたい、店で売る薬草を摘みに行ったりするのは仕事なんだから危ないもなにもないのだけど、昔っから、オリヴィエはリュミエルが砦の森に出入りすることにいい顔をしない。
魔導師には薬学の知識も必要で、リュミエルが魔導師になりたいことを知っているのにも関わらず、砦の森に出入りすることを禁止するようなことを口にする。
それだけでなく、リュミエルがオリヴィエ以外の人、特に男の子と話していたりすると、やたらと不機嫌になって当り散らすのも昔から。
学校のクラスメイトで、休んでいた分のプリントを渡していただけでも、すごい形相で睨んでくるからたまらない。
リュミエルはそんな時のオリヴィエの行動は理解不能で、まわりの男子はオリヴィエの行動に恐れてあまりリュミエルと話してくれなくなるから、嫌になってしまう。
幼い頃から、近所に住んでいるというだけで比較されて、優秀なオリヴィエに比べて落ちこぼれと言われていたリュミエルは、そんなこんなの恨みもあってつんけんな言い方になる。
オリヴィエを威嚇するように睨みあげて、ぷいっと横を向いてオリヴィエの横を通りすぎようとしたら、強い力で腕を掴まれた。
「――――っ」
あまりに強く握られて、リュミエルは痛みに眉根を寄せる。
文句を言ってやろうと思うが、リュミエルが口を開くよりも先に、オリヴィエが大きな声をあげる。
「どこ行くんだ、話の途中だろっ」
有無を言わせない迫力の眼光に一瞬、気圧されたリュミエルは、ぐっとつばを飲み込み、叫び返す。
「私はオリヴィエに話すことなんてない。私が誰となにしようが関係ないで――」
「関係なくないだろっ! 俺は、お前のっ」
リュミエルの言葉を遮るように叫ばれたオリヴィエの声は低く掠れていて、リュミエルは思わず見上げてしまう。
オリヴィエはいつにも増して真剣な瞳でリュミエルを見据え、逡巡するように唇を小さく動かす。
「俺はお前の――」
思い切って言葉を紡いだオリヴィエだったが、不思議そうにこちらを見上げていたリュミエルの表情が一気に嬉しそうに変わったのに、呆気にとられる。
「リュシアン! どうしたの?」
オリヴィエが掴んでいた手からぱっと離れていき、宿屋から出てきたリュシアンの元にリュミエルは小走りで近づいた。
まるで主人の帰りを待ちわびていた子犬がはちきれんばかりにしっぽを振っているように、リュシアンに懐くように近づいてきたリュミエルから、ちょっと困ったような、申し訳ないような視線をオリヴィエに向ける。
「悪い、邪魔したか?」
そう言ったリュシアンの蒼の瞳とオリヴィエの翠を帯びた漆黒の瞳が静かにぶつかり合う。
そのことに気づいていながら、リュミエルは首を横に大きくふる。
「ううん、別に。それより、リュシアンはどうしたの?」
オリヴィエの存在を完全に無視したリュミエルの態度に内心苦笑をもらし、リュシアンは、均整のとれた口元に鮮やかな笑みを浮かべ、腰をかがめてリュミエルの耳元で囁いた。
リュミエルは囁かれた内容に、花が綻ぶようにぱっと笑顔を浮かべ、こくこくと何度も頷いた。
その様子を見ていたオリヴィエは、苛立ちに爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。