第13話 願いを叶える方法
滅多に人が足を踏み入れない砦の森は静寂に包まれ、時折、風に吹かれた葉擦れの音がするだけだった。
この森は数百年前に戦火に包まれ焼け落ちてしまった。草木は数十年をかけて以前のように生い茂り森は再生したが、動物はこの森には住みつかなくなってしまった。たまに梟を見かけるくらいだ。
リュミエルですら足を踏み入れたことのない、更に奥にいけば、動物がいるのかもしれないが、リュミエルはこの小屋の経つ場所よりも奥には足を踏み入れたことがなかった。
呼吸がだいぶ落ち着いたリュミエルは、ふっと小屋を見上げた。
屋根の瓦はところどころ朽ち、外壁には覆い尽くすように蔦草が撒きついている。
昔、ここに魔法使いが住んでいたというが、リュミエルはその魔法使いに会ったことはなかった。
その魔法使いがどんな魔法使いなのか、いまはどこでなにをしているのか何も知らないし、小屋の中には足を踏み入れたことはなかったが、なぜかこの場所は居心地がよかった。
リュミエルは木の幹に寄りかかるようにして座り込み、はぁーと小さな吐息をもらした。
断片的によみがえった記憶、しかし、はっきりとすべてが分かるわけではなく、もやもやとする。
よく分からないけど、そういえば、私って幼い頃の記憶があやふやなのよね。
母さんと父さんが私の両親だって疑うこともなかった。
でも、あの会話ってそういうことよね。私は、五歳の時に薬屋にもらわれてきたということ。
考えてみても、その当時の記憶なんてなくてはっきりしたことなんて何一つ分からない。
母さんに聞けば分かるのだろうけど、ずっと実の娘のように愛情を注いでくれた母にそれを聞くのは心苦しかった。
っていうか、私、本当に幼い頃の記憶がない――
今まで気にしたことがなかったから気づかなかったけど、思い出そうとしてはじめてその事実に気づく。
どうして――……
顎に手をあてて考えこんだリュミエルの背後で、カサッと草の揺れる音が聞こえて顔を上げた。
そこには太陽の光を反射させてキラキラ輝く金色の毛並みの狼がいた。
「エルドール……」
「どうした?」
エルドールはゆっくりとリュミエルに近づき、リュミエルの隣に腰を下ろす。
「さっきから難しい顔をしているが」
「えっ……」
リュミエルは慌てて、眉根を抑える。
「そんな顔してる?」
少し声が裏返ってしまって、リュミエルは内心焦ってしまう。
昔っから、エルドールにはなんでもお見通しで隠し事が出来たためしがない。だが、自分が薬屋の娘ではないかもしれないなどという不確かなことを話すのは躊躇われる。
視線を彷徨わせていると、その仕草を一つも漏らすまいとするように見つめるエルドールの視線に気づいて、ちょっと肩をすくめた。
きっとここで話さなくても、すぐにエルドールにはばれてしまいそう。
リュミエルは観念して、昨日と今日の出来事を話した。
※
「――ってことなの。もう頭が混乱しちゃって考えがまとまらなくて……」
リュミエルが話し終えるまで黙って聞いていたエルドールは、しばし、考え込むように視線を斜めに落とした。
リュミエルは、エルドールの言葉を待つように、視線を上に向けた。
空は澄み渡るブルー、葉と葉の間から木漏れ日が降り注ぎ、時々森を吹き抜ける風は爽やかで、ゆったりとした時間の流れにリュミエルは瞳を閉じた。
なんだかこのまま寝てしまいそう……
そんなことを考えて、エルドールが口を開いた気配を感じて、瞳を開けた。
「リュミエルは、俺と会った時のことを覚えているか――?」
静かな問いかけにエルドールを見れば、澄んだ紫瞳がまっすぐにリュミエルを見据えていて、心をついた。
「覚えてるよ……、忘れるわけないじゃない……」
胸の熱くなる想いでそう言った声は涙で掠れそうになって、リュミエルはぎゅっと唇を噛みしめた。
だが、込み上げる想いとは逆に頭がずきずきと痛み、忘れるはずのないエルドールとの出会いの記憶に靄がかかり、はっきり思い出すことができない。
「あ、れ……」
リュミエルは戸惑いに額に手をあてて、必死に記憶をたどるが、やはり断片的にしか思い出せない。
エルドールと出会ったのは私が――――、も――――で、目の前で――――……
私を――――だから、エルドールは――――……
ずきずきと痛む額を押さえながら、眉をしかめてリュミエルはエルドールを見上げた。
「やはり、な……」
困惑して見上げるリュミエルを見るエルドールは冷静で、一人納得しているようにぽそっと呟いた。
「そんな、忘れるはずがない……、だって、私のせいでエルドールは――っ、だから私は――……」
だから私は、絶対に王立魔術学校に行かなければならないのに……
確かにある記憶なのに、自分のことなのに、はっきりとしない曖昧な記憶に、苛立つようにリュミエルは唇を噛みしめた。
冷っとしたものが頬に触れ顔を上げると、心配そうに瞳を揺らしたエルドールがリュミエルの頬に顔を摺り寄せた。
「そんな不安そうな顔をするな。お前は大事な記憶を忘れている。でもそれは一時的なもので、お前を守るためには仕方がなかったことなんだ」
エルドールの言うことの意味は難しくて理解できなかったが、自分を見つめるエルドールの方が泣きそうな顔で。自分を慰めてくれるのが分かってリュミエルは無理やりにも微笑んでみせた。
私なんかよりも、エルドールの方がずっとずっと辛いのに……
いつも、リュミエルのことを一番に考えてくれる優しいエルドールに悲しい顔をさせたくなかった。
「大丈夫だ、必ず記憶は取り戻せる」
エルドールの落ち着いた声音がすぅーっと心にしみ込んでいく。エルドールが言うと、それが慰めや気休めで言っているのではないと思えるから不思議だった。
「うん、私、必ず記憶を取り戻す、そしてエルドールの――――も」
そう言って泣き笑ったリュミエルははっとする。
「あっ、でも、このままじゃ王立魔術学校の入学試験に合格できる自信ないよ……」
目先のことに囚われていたが、リュミエルにとって今一番の問題はそれだった。
リュミエルにとって王立魔術学校の入学試験に挑戦できる最後のチャンスは目前に迫っている。しかし、今のままのリュミエルが使える魔術のレベルではとても王立魔術学校の入学試験に合格することは難しい。
「うぅ……、短期間に魔術が上達するようななんでもなっちゃう薬とかないのかなぁ……」
途方に暮れたリュミエルはひとりごちる。
「なんでも願いが叶う薬とか……、――――っ!」
そこまで言って、リュミエルはあることに気づく。
「そうだ、あるじゃない! なんでも願いを叶えることのできる魔法みたいな方法がっ!!」
言いながら勢いよく立ち上がったリュミエルを、エルドールは不安そうに見上げるが、名案を思い付いたと思っているリュミエルはそのエルドールの視線には気づいていなかった。
思いついた勢いのまま、リュミエルはエルドールを振り返ることなく、駆け出した。
リュミエルが向かった先は、つい先日、リュシアンに案内した小鳩亭だった。
昨日、帰りの馬車の中でしばらくは小鳩亭に滞在すると言っていた。
小鳩亭につくと、食堂で働いていた友人を見つけてリュシアンの部屋を聞くと、わき目もふらずに階段を駆け上がり、リュシアンの部屋を目指した。
コンコンっとノックすると同時に返事を待たずに扉を開けたリュミエル。
いきなり開けられた扉に警戒して身構えたリュシアンに、リュミエルは決意のこもった声で言った。
「私も“天空の宝”を探すわ――」