第12話 記憶の断片
呻くように小さな声をあげた腕の中のリュミエルを、リュシアンははっとしたように見下ろす。
大きく見開いた瞳で燃え盛る炎の方を見つめるリュミエルの瞳にはその景色は映っていなかった――
※
炎が建物を覆い尽くすように床や壁、天井にまで燃え広がった“そこ”にリュミエルはいた。
服や頬が煤焦げ、吸ってしまった煙で喉が痛んだ。瞳からは涙が溢れてきて、それでも、瞳に涙をいっぱいにためたまま、リュミエルは必死に炎の向こうに手を伸ばしていた。
『――――っ』
のばした手の先、炎の向こうに誰かがいて、リュミエルは必死に涙声でその人物の名を叫んでいた。
だが炎の勢いは激しくパキパキと音を立ててすべてを飲み込むように焼きつくしていく。
『――――っ』
もう一度、その名を呼ぶリュミエル。
泣き叫ぶリュミエルは誰かに抱きかかえられて、燃え盛る建物から連れ出される。
直後、轟音とともに建物が崩れ、すべてが炎に包まれた――
『――――……っ』
※
はっと目を覚ましたリュミエルは、額にいっぱいの脂汗をかいていた。
今の光景は――……
思い出そうとした瞬間、頭に鈍い痛みが走り、眉根を寄せて手のひらを当てた。
「……気がついたか」
静かな声音が降ってきて、その時になってリュミエルは現状を把握する。
揺れる馬車の中、座席に座ったリュシアンの膝に頭を預けて横になっていた。
「あっ、私……」
慌てて起き上がろうとしたリュミエルの肩を優しくおしとどめたリュシアンは、気づかうようなリュミエルに話しかける。
「動くな、傷は痛まないか?」
尋ねられて、リュミエルはそういえばと思い出す。
そうだ私、薬を売っている途中でリュシアンをみかけて後を追って、背後からリュシアンを狙った賊の前に飛び出して……
思い出した瞬間、賊の小刀がかすめた右肩がぴりっと痛む。
「お前が持っていた薬を勝手に使わせてもらった。とりあえず応急処置はしたが、気分はどうだ?」
「大丈夫よ、私、もしかして……」
「気絶した。怪我した衝撃だろ?」
何気ないことを言うように言ったリュシアンの言葉にリュミエルは押し黙る。
本当にそうなのだろうか……
魔術学校に入学したくて魔術を学んでいるリュミエルはこれくらいの騒ぎで倒れたりしない度胸があり、なんだか違和感を覚えるが、その正体にたどりつくことは出来なくて、小さな吐息をついて瞳を閉じた。
いまは、あまり頭を使って考えたくなかった。
「もうすぐ、バノーファに着くから寝てろ」
そのリュシアンの言葉を聞いてしばらくしないうちに、リュミエルは再び、眠りに落ちていった。
※
再びリュミエルが目を覚ましたのは、バノーファの薬屋の自分の部屋だった。
馬車がバノーファに着いたのは深夜に差し掛かった頃で、リュシアンはリュミエルを薬屋まで送ってくれた。リュミエルは傷と初めての馬車旅からくる疲れのせいか、家に着くとすぐにベッドに倒れ込むように眠りについた。
そのため、目が覚めた頃には太陽は中天をとうに過ぎた頃だった。
まだ少しぼぉーっとする頭のままベッドからすべり降りたリュミエルは着替えを済ませて階下に降りていく。
本来なら今日も予備校がある日だったが、朝起きることが出来ずサボってしまった。
どうしても王立魔術学校に入学したいリュミエルは、いままで予備校を休んだことなど一度もなかった。
あーあ、いよいよ私も進退窮まったかな……
最後の試験まで、もうあまり時間がない。
でも、思うように魔術は使えないし、模試の結果もおもわしくない。
こんなんで、私は本当に王立学校に入学することができるの……?
いまのままの勉強法を続けても、今の状況から著しく良好な方向に進むとは思えない。
リュミエルはぐしゃっと前髪をかきあげた。
キッチンでミルクを取り出してグラスに注ぎ、一息に飲みこむ。
そうすることで、ぐちゃぐちゃしていた頭が少しスッキリする。
こんなとこで悩んでてもしかないよね。
組んだ両手を上に持ち上げ大きく伸びをしたリュミエルは、気合いを入れるようにぱんッと太ももを叩く。
よし、森に行って魔術の練習しよっと。
そう思い、キッチンを出ようとした時、キチンにある勝手口の外から話し声が聞こえて足を止めた。
「……そうなのよ、ははは」
母さん……?
どうやら外で、母さんが近所のおばさんと話しているようだった。
別に気にすることではないかと歩き出そうとしたリュミエルは、聞こえてきた会話に再び足を止めた。
「そうそう、この間、お店に行った時、久しぶりにリュミエルと会ったんだけど、大きくなったわねぇ~」
「ええ、あの子も、もうすぐ十六。あれからもう十一年も経つのね……」
「そうねぇ、ここに来た時はあんなの小さかったのに、いまでは看板娘になって」
――――っ!?
リュミエルは驚きに口元を押さえた。
母たちの会話はすでに違う世間話にうつっていたが、リュミエルの耳には入ってこなかった。
どういうこと……?
ここに来た時……?
あれから十一年……?
必死に思考を巡らせてもリュミエルに分かることは何もなくて、頭にずきんっと痛みが走るだけだった。
リュミエルはキッチンから飛び出し、無我夢中で大通りは駆け抜けた。
「おっと、ごめんよ」
どんっと肩が誰かにぶつかり、リュミエルはよろけながら振り返る。
「いえ、大丈夫で……、っ!!」
瞬間、目の前いっぱいに炎が広がり、大きく鼓動が跳ねる。
鶏肉を焼いて売り歩く移動販売の炎の火力が強すぎて一瞬、炎が目の前に広がっただけだったが、リュミエルの脳裏に記憶が押し寄せるように甦る。
炎に包まれた建物。そこに幼いリュミエルがいて、炎の向こうの誰かの名を必死に呼び、手を伸ばしていた。
つい、昨日見た夢よりも鮮明な光景に、息を飲む。
リュミエルは、心配して声をかける男の声も聞こえず、駆け出した。
無我夢中で走り出したリュミエルは、気がついたら魔術の練習や薬草を取りによく来る砦の森にいた。
勢いに任せてここまで来てしまったリュミエルは前方に見慣れた――、しかし古び蔦に覆われた小屋の側の木の幹に手をついて立ち止まった。
はぁーはぁーっと肩で荒く呼吸を繰り返す。
私、知ってる、この光景……
でも、分からない……
分かるのは……、私は母さんの娘じゃない――っ!?