第1話 砦の森の二人
静まり返った森の中に、梟の鳴き声だけが聞こえる。
一度は失われた緑はよみがえり、土に根を張り、枝を伸ばし、葉を茂らせ、実をつけ――、何度も季節はめぐり、また、春を迎える。
闇に包まれた森の木の幹に座っている少女は背中を丸めて、この世の終わりのような悲愴なため息をもらした。
「はぁ…………」
背後でざくっと草を踏み分ける音がするが、それが誰の足音なのかすぐに察して、少女は驚くことも振り向くこともしない。
「リュミエル、どうした……?」
月のように澄んだ優しい声音に、リュミエルと呼ばれた少女はゆっくりと振り返り、なんともいえない微笑を浮かべる。
夜露に濡れた草を踏み分けてリュミエルの側にやってきたのは、肩よりも少し長い金色の髪をゆるく後ろでひとまとめにした美麗な青年だった。
青年はリュミエルを優しい眼差しで見つめると、すっと腰を下ろして、リュミエルの隣に座った。
「こんな時間に外にいたら、母さんたちが心配するだろ?」
「大丈夫、ちゃんと窓から出てきたから。部屋で寝てるって思ってるわ」
誇らしげに胸を張って言ったリュミエルに苦笑を向ける。
「困った子だね……」
金髪の青年は言葉とは裏腹に、慈しむようにリュミエルの頭を優しく撫でた。
隣を見上げたリュミエルは、青年と視線が合う。
言葉にしなくても、青年が自分を心配しているのが分かる。
「もうすぐなの、試験……」
「ああ……」
「この試験が終わったら、私は十六になる。もうこれが最後のチャンスなのよ……」
吐き出された声は嗚咽交じりで、リュミエルは涙をこらえるためにぎゅっと唇を噛みしめた。
リュミエルは、王国唯一の王立魔術学校への進学を希望して魔術の勉強中だ。
ここ北の大国ドルデスハンテ国は、様々な鉱石が取れる鉱山が数多あり、その鉱石から作られた宝石や豊かな裁縫技術で作られる織物や衣装を各国に輸出する貿易の盛んな国である。
魔法使いや魔女が姿を消してから数百年、魔術の研究が盛んに行われ、王都ビュ=レメンには王国唯一の王立魔術学校がある。そこでは古に失われた魔術を勉強することができるのだが、王立魔術学校に入学するには難関な試験を突破しなければならない。
魔術を使えるかどうかは生まれ持った素質が大きいが、ドルデスハンテ国民で生まれながらに魔力を持って生まれてくる可能性は極めて低い。だが、適性があれば訓練次第で魔術を使うことができる。
リュミエルはドルデスハンテ国民には稀な生まれながらに魔力を持っている子供だった。といっても、微力すぎていまのままでは魔術を使うことは出来ない。魔術の適性はあり、訓練さえすれば魔術が使えるようになると言われており、王立魔術学校に入学するための予備校に通っているのだが――、今日返ってきた模擬試験の結果は散々だった。
王立魔術学校に入学できるのは十五歳までと決まっていて、次の試験がリュミエルにとって受けることができる最後の試験だった。
どうしても王立魔術学校に通いたいリュミエルは、自分のふがいなさが悔しくて涙が込み上げてくるのをぐっと我慢する。
青年は、隣で必死に涙を我慢するリュミエルを見て、慰めようと伸ばしかけた手を止めた。
無理しなくていい、もう諦めていいんだよ――
そう言ってやれたらどんなに楽だろうか……
でもきっと、俺がそう言ったらリュミエルは必死になって首を横に振るだろう。瞳に涙をためて、「絶対に合格してみせる」と言うだろう。
彼女がなぜ、魔術を上手く使いこなせないのか、その理由を知っていながら、それを話すことはできなくて――
もういいんだと言ってやることも出来なくて、青年は悲しげな瞳でリュミエルを見つめることしかできない。
しばらく続いた沈黙に、青年を仰ぎ見たリュミエルは、深い悲しみを映した瞳とぶつかって、胸がなぜだか痛んだ。
青年の美しく整った顔立ちを縁どる金色の髪は輝いて見えるのは、夜空に浮かぶ満月のせいではないだろう。
満月から青年に視線を移すと、彼は労わるような優しげな眼差しで微笑んだ。
その穢れのない澄んだ笑みを見て、彼がこんなに輝いて見えるのは心が綺麗だからだと思った。
「今日、満月だったんだね」
「ああ」
いま気づいたというように言ったリュミエルに、青年はやりきれないような複雑な表情で頷く。
リュミエルは、落ち込んでいた気持ちがどこかに吹き飛んでいくのに気づく。
こんなところで落ち込んでなんかいられない。
「絶対に、合格するから。王都に行けば、きっと見つかるから……」
リュミエルは決意を秘めた真剣な眼差しで月を見上げた。