零章
短編にするはずが何故か連載になってしまったものなので話の進み具合が早いかもしれません。
※誤字・脱字あり
始まりは黄昏時、燃えるように紅い遠くの山から甲高い女性の悲鳴のような、恐ろしい獣の唸り声のような、世の末を告げているような何かが空気の波紋を広げて一面に走り去る。
風は木々をしならせ木陰に息を潜めていた鳥達は共鳴し、一斉に紅の空へと羽ばたいた。疎らだった斑点が次第には一つの黒い個体になり、時の狭間を駆け巡る。それはまるで漆黒の龍が地を見下しているかのようだ。その異様な出来事に人々は動きを止め、耳を澄まし空を見上げる。
それは日が落ちても一向に治まらない。それどころか風や奇怪な音も一層煩くなり、普段なら聞くこともない生き物たちの鳴き声が不協和音する。ついには激しい雨も降り始め、時季に似合わず嵐が巻き起こった。
神が狂気し乱れ舞う。
「うああああああああああああああ!!!!!何故お前は消してしまった」
触れることを許されずにいたから願わずにはいられなかった。
自分の犯した過ちに神は嘆く。
最愛の君を自らの手で消してしまった。空虚の思いを拭いきれず誘惑された愚かな心を強く呪う。怒りと哀しみに溺れた神はもがき苦しみ悲痛な奇声を上げ泣き続けた。
我が身を抱きしめた手には力が籠り、肉にくい込む程に鋭い爪を立てて袖と共に肌を引き裂く。腕を天に突き上げ湿った地面に拳を叩き着けた。
艶のある長い髪を振り乱し引っ張りながら耳を塞いで瞳を強く閉じ、幾度も叫ぶ。
しかし、それだけではまだ足りない。
長く伸びた白い手で空を切って風を起こし、地を踏んで密かな自然を奮い起たせる。疾風と化した神が通過すれば、深く根を張った大樹らでさえひしひしと音を立て倒れていく。向かった先は今日を鏡の如く写し出した濁りのない泡沫の血に染まった湖。勢いのままに湖を二つに割り、その間に自分を呑み込ませて全身を溺れさせた。
波が治まり少し後、湖はあくまで内面は見せず外だけを偽りなく写し出し、神をかくまった。
こんな時、この空間がどれだけ落ち着くか。
この躯、消えてしまえばいい。
全ての記憶を取り消して忘れてしまえばこんなに辛いことなどなかろうに。
君が私に微笑む綺麗な顔がふと頭をよぎる。あの幸福な一時はもう戻っては来ない。自業自得か。
神は涙を枯らすことなくひたすら喚く。
その日から翌日の夜明けにかけて雨は降り続けたのだった。
「暁海起きなさーい!!」
良く通るお母さんの声が下から聞こえてきた。目の前は眩しさのある赤一面で瞼を開けずとも朝の光を感じる事ができる。はぁ、もう朝が来てしまったか。嵐のせいで家は揺れ、外の物が倒れる音が酷くてなかなか寝付く事ができなかった。
もう少し布団にくるまってだらだらとしたいところだが、学校があるのでしょうがなく起きることにした。布団を畳み制服に着替えて居間に行くと既に朝ごはんが年期の入ったテーブルに置かれていた。お母さんは頬杖をつきながらテレビの音量を上げて天気予報を見ている。
「おはよ。」
「おはよう。夜ちゃんと眠れた?お母さん怖くて全然眠れなかったわ。」
「うん、私も。」
それだけ言うと私は朝ごはんを頬張る。チラッとテレビを見ると全国に晴れマークがついていた。
果たして今日は本当に雨は降らないのだろうか。昨日だって天気予報は全国的に晴れマークだったが夕方から突然の嵐だった。
「いやあ、なんだか昨日はすごかったな。」
丁度お風呂上がりのお父さんが新聞を片手に居間に入って来た。
「お父さんお疲れ様。お野菜大丈夫なの?」
お父さんは夜、一睡もせずに育てている作物を嵐から守るために作業をしていたらしい。
「ああ、なんとな。もう、大変だったよ。いろんなもんがぶっ飛んでくるし。中田さん家なんか屋根が飛んでっただらしいぞ。」
「ぇえ!ほんと………。後で中田さんに電話してみようかしら。」
うわぁ、大変だ。ここは古い家が多いからな。
「でも今日は良いお天気になるそうね、昨日の雨で濡れちゃったから洗いなおさないと。もう洗濯物がいっぱい!」
ああ忙しい忙しいと洗濯機を回しに居間を出て行った。
相変わらず落ち着きのない人だ。
炊飯器の蓋は開きっぱなしだし障子最後まで閉めないし蛇口から中途半端に水が出てるし、もう、全てが中途半端でムカつく。最後までやれよ。
それにスクランブルエッグケチャップつけすぎだし。
はぁ。
『―――××県守子町で昨夜、風速三十メートルを越える突然の嵐に見回れました。』
あれ、松屋がテレビに出てる。
右上には昨夜午後11時と書いてあった。この町で唯一のスーパーマーケットである松屋の前でキャスターがかっぱを着て中継している映像が流れた。
松屋の大きな看板が柱から折れてしまっていて大きな粗大ごみになっている。
あーあー。
そのままニュースに耳を傾けているとどうやら超自然現象が起きていたらしい。
これは私も目にしているのだが、昨日の夕方、ここらでは一番高い山の方角から超音波みたいに高くて不快な音が聞こえて、その直後に鳥が一斉に空に飛んでいって群れになった。その後もその音は不規則に聞こえてきて、雲が厚くなっていったのだ。
その後は言うまでもない。
そして物理的にも可笑しな事が起きていた。
この町がある所にだけ、雲が渦を巻いていたのだ。全国的規模のレーダーでは小さすぎて分からないのだがピックアップしてみると実際に此処にだけしか雲の渦は巻いていない。
天気予報士のほか怪奇現象研究家などがそれぞれの憶測を立てていた。
「おーい!」
後ろからチャリのベルの音が鳴った。
「暁海、おはよう。」
「おう、智香おはよう。」
「自転車の車輪泥だらけじゃん」
「そうなんだよ。漕ぎづらいし靴汚れるし朝から疲れるよ。」
「はは、智香ん家は学校から遠いからねえ。」
「そうなんだよね、バスの一つや二つあれば良いのに。」
私たちが住んでいる守子町ははうんざりするほど何にもない。一つ一つの建物が遠く離れているから最低でも自転車が乗れないと此処では身動きが取れない。例えば智香ん家から学校までの距離はざっと十キロ近くあるのだ。なので自転車に乗る際には万が一に備えて車輪がパンクした時のために自転車の後ろには修理道具が積むのが守子町の常識だ。
「そうそう、さっき報道陣達がちらほらいるの見かけたんだよね。今日のニュース見た?」
「見た見た。超自然現象が起きてるってこんなへぼい町が特集されてたよね。」
「俺さっき学校の前で取材受けたぜ。」
「わ、中田!!」
靴を智香と履き替えている時に後ろからひょいと顔を出してきた。
頼むから心臓に悪い登場の仕方をしないでくれ。
ん?あ、中田と言えば。
「中田、屋根ぶっ飛んだんだって!?」
ああ、と中田は今思い出したかのような素振りを見せた。
「そうなんだよ。キレーサッパリ丸ごと屋根がぶっ飛んでさ、二階で寝てた俺、もうあっという間に全身びしょ濡れよ!あっは!!」
何が面白いのか急に中田のテンションが上がりだした。よくそれで学校に来ようと思ったもんだ。いや、もしかしたらそのあまりの衝撃に気を紛らわしているのかもしれない。
話によると取り敢えず散乱した家を片して親戚の家に避難する事にしたらしい。
そのまま中田と合流して教室に入るともうほとんどの生徒は席に座っていた。まぁ、もう先生も来てるしな。私が席に着いたところでチャイムが鳴る。ギリギリセーフ。
先生が出席をとる。
一番後ろの席なのですぐに分かったが二十人しかいない教室にちらほらと空いた席が目立つ。遠くから来ている子たちが多いのに欠席・遅刻をする事はあまりないのでこの光景は珍しい。
数えるとなんと五席も空いていた。どうやら一人を覗いて他はなにかしら昨日の被害にあったらしく後片付けのために欠席とのこと。
ホームルームで連絡事項があった。この学校も築半世紀以上経つためガタが来ている。なんとそのせいで中田の家同様に体育館の屋根がぶっ飛んだそうだ。中田曰く「いらないデジャヴ」に私は驚き、げんなりした。
「いい加減建て替えようぜ。」と学級委員は呟く。
全くその通りである。
とまぁ、そういうことで今日は通常授業を変更して少子化問題に貢献している私たち学生が学校を大掃除することとなった。
こんなことなら普通の授業をする方が何倍ましだったか。
もう今日はずっと布団のなかでぬくぬくと寝ていれば良かったと思う。中田もこんなことなら来るのではなかったと机に突っ伏して嘆いている。
しかし、こうなってしまったからには早く終わらせることに越したことはないので早速先生たちの指示に従って体育着に着替えて清掃場所に向かう。通常時の掃除当番の班に分かれて学校全体を掃除するらしい。私の班は体育館裏の清掃を担当することになった。紅葉した草木の下には瓦礫が思っている以上に埋もれていて中学生が持っていけそうにないくらい大きな物まであった。まあそれは先生たちになんとかしてもらうしかない。私たちは取り敢えず運べるものは壁際に寄せ集めて掃き掃除をするという段取りで作業することにした。
ごみを退かせば退かすほど変なものがたくさん出てきた。昨日より前に捨てられたと思われる物もいくつも出てきた。
去年の三年生が使っていた絶版になった教科書。布とゴムの縫い目が途切れた薄汚れた上履き、一昔前のジュースの空き缶。
そして見るからに怪しく官能的な表紙の雑誌……。
まぁ、私たちって今お年頃だしね。こんなものがあったって仕方ない。グループには男子もいるので気付かれないようにそっとごみ袋に入れておいた。
一通り終わると私たちの足腰は悲鳴を上げていた。
腰が……足が痛い。
これまた予想以上に重労働だった。同じグループだった女の子が終わったことを先生に伝えに行ってくれたので、その間残った私たち四人は適当に暇を潰すことにした。
「あー、疲れた。給料払ってほしい。」
「誰か俺に一万払え」
「じゃあ私には一万五千円払え。」
「学校に請求するべき。」
「「「なるほど!」」」
階段にみんなで座ってどうでもいいことを話ていると気が付けば日が傾いていて一日の終わりを告げようとしている。
クラスで一番背の高い大嵩君の携帯電話に着信音が鳴った。
「うわあ、中田達が一足先に終わったらしいよ。」
「えー、いいなあ。早く先生来ないかな。」
また携帯をいじり始めるが急に大嵩君の指が止まってわざとらしく驚いた顔をしていた。
「ん?どうした、どうした!!」
「いや、なんかさ、天玄山に取材に行った報道陣達が誰も帰って来ないんだって。朝から行ったのに……。」
「ええ!嘘マジでぇ!!?」
「そりゃ大変だ!ちょっくら俺達も探しに行くか?」
「おう、行こうぜ。そして私が一番先に皆を探しだして勇者になる。」
「違うだろ、俺が先だ。」
中田はよく面白いデマをメールで送ってくる。
それに乗って私たちもふざけるというお約束のようなものがあった。
天玄山と言えば地元じゃ一番有名で大きな山だが、軽装で普通に頂上に登るのにそれほどでそんなに時間は掛からない。一時間ぐらい歩けば頂上に登れるだろう。
取材だから多少の時間は掛かるだろうが報道番組の取材だ。そんなに時間が掛かっては報道時間に間に合わなくなってしまう。かといって道に迷うこともまずない。道に迷うほどあの山は入り込んでもいないし標札も立てられているのだ。
誰も帰って来ないなんて発想は守子町の人にはない。
だから気にも止めずに中田のメールをふざけとして受け止めていた。
でも、中田にしてはインパクトの足りないデマだなと思った。
中田は満員電車に乗っていたらオカマさんに「あらいい男」とお尻触られたとか現実味がありそうでないような話を作ってくるのに今日のはまるで現実味がないし面白味にも欠けている。
まぁ、今朝の屋根がぶっ飛んだってのが(現実だけど)が一番インパクトのあって本人事態が何故かネタになっていたけれど。
「すみません、でもまだ誰も帰って来なくて!連絡も全く取れません。今どこに要るかも分からないんです。」
「探しに行ったアシスタントも帰って来ません!!」
普段お目にかかれない重たい機械が沢山積まれた車に沢山の人が集まって電話をしていたりパソコン画面と焦りの顔で向き合っている。
そんな光景を帰宅途中に見た。
中田のメールは本当だったのか。ただ事ではないらしい。
家に帰ってお母さんから話を聞くと超自然現象の正体を暴こうと不可思議な高音が聞こえたとされる天玄山に取材班が行ったのが始まりのようだ。しまいにはヘリも来るという次第には大騒動にまでなった。
夕方のニュースを見たところ天玄山を取り上げているテレビ局は一切なくなっていた。
今朝はこれほどかと言うほどに特集までしていたのに。
翌日もその次の日も、報道されることはなかった。
私たち守子町の人間は知っている。
天玄山に集まった人間は皆、夜になって忽然と姿を消した。
神隠し。