トランジット
初秋のモスクワ、空は晴れ渡り、寺本信彦の心は一仕事を終えた満足感
とともに清々しい気持ちになっていた。思い返せば、今回のデモンスト
レーションは強行日程であった。九月一日に成田を出発し、シンガポール
経由でヨハネスブルグに九月二日到着、九月三日にプレトリアで
デモンストレーション、九月四日にはヨハネスブルグからフランクフルト
経由でブカレスト。 九月六日にデモンストレーション。九月七日に
ブカレストからフランクフルト経由でパリに行き、日程調整の為にパリ
で二泊。九月九日の早朝のフライトでパリを発ちミュンヘン経由で
モスクワ入り。翌日に最終のデモンストレーションであった。今日、
九月十一日はフランクフルト経由でニューヨークに入り、一泊した後、
九月十二日のフライトで成田に帰るのである。モスクワに来るまでに
イミグレーションを含め八回のトランジット。日本に帰るにはあと二回の
トランジットが必要である。このままモスクワから直行便で成田に帰ること
が出来ればと思うのだが、航空連合の世界一周チケットを購入している都合
それが出来ない。あくまでも地球を一周しなければ日本に帰れない。
もっとも今回のように訪問国が複数で距離が離れているとたとえ
ビジネスクラスでも航空連合の世界一周チケットの方が遥に割安になる。
寺本信彦はトランジットで次のフライトを待つ間の空港の雰囲気が堪ら
なく好きであった。空港内のラウンジやカフェでパイプを吹かしながら、
またビールを飲みながら、その国、その国の雰囲気を味わうのである。
しかし、アメリカの空港は全面禁煙となり、他の国々の空港でも一部の
限られた場所でしか喫煙が許されず、喫煙場所を探すのが一苦労である。
愛煙家に対する禁煙テロルと言っても過言でないのではと思うのだが・・・。
今回、デモンストレーションに同行した通信機材メーカーの長谷川恒夫社長や
スパーバイザーの楠田輝夫とその助手の齋藤信二、全てが愛煙家であり、
酒にも目が無い。今回、一行が日程調整の為に立ち寄ったパリで旧友の
ドミニクに同行スタッフの為に観光案内を頼み九月八日は一日中付き合
せてしまった。ドミニクは三年程前に禁煙したと言っていたが、行く先々
のカフェやカフェタバで一行がワインやビールを飲みながら喫煙するのに
影響され、その日の午後にドミニクはカフェタバでジタンを買い寺本達の
仲間に入っていた。彼の数年に亘る禁煙への努力は無残にも打ち破られて
しまい、寺本信彦としては申し訳ない限りであった。また、パリは相変
わらずスリが横行していた。滞在先のホテルで日本人旅行グループが
バックパックを探られた話しも聞こえてきた。長谷川社長もメトロの
車内で二十歳前後の若い女に上着の内ポケットを探られ、近くに座って
いたフランス人がそれを見付け、大きな声でピックポケットと叫んだの
で女スリは次の駅で慌てて降りて逃げていった。当の長谷川社長に被害
は無く、また注意されるまで全く気付かなかった。更に楠田輝夫は
コンコルド駅で下車し、広場に出る階段を上り切ったところで後ろ
ポケットに入れていた財布を若い男に抜き取られた。しかし、その瞬間、
楠田輝夫は振り返り気丈にも若い男を睨みつけた。すると、気後れしたのか、
その男は愛想笑いを浮かべ右手に持っていた新聞の間に挟み隠していた
財布を楠田輝夫に返し踵を返し去っていった。楠田輝夫は高圧鉄塔や高所
での作業が本業で、厳つい体格と容姿で日焼けした顔に鋭い眼光、何処か
の筋の人間と間違われやすい。パリに出稼ぎに来ていたスリも流石に怖気
づいたようである。
昨日で予定のデモンストレーションも全て終了し、今は日本に向けて帰る
のみであった。寺本信彦以外は業務での海外出張が始めてで、寺本信彦に
とってはデモンストレーションでの客との折衝とは別に彼ら三人の面倒を
看なければならず神経を磨り減らす旅であったが、仕事が無事に終了した
こともあり、あと数日で開放されると思うと気分が些か楽になった。
一行がシェレメーチエヴォ国際空港に到着したのは午後十二時半近くで
予定のフライトまで二時間と余裕が有った。荷物検査を受けルフトハンザ
のカウンターでフランクフルト経由ニューヨーク行きのフライトをスルー
でのチェックインを済ませ、荷物を預けた後に出国審査の列に並んだ。
五ヶ所有る出国審査の窓口は長い列を作っていた。列の遠くから見る限り、
係官の動作が緩慢に見え一向に前に進む気配がない。
「随分とスローですな」
根っからセッカチな長谷川社長が少しイライラした表情を見せた。
「ソ連時代の名残ですよ。まだフライトまでは十分時間が有ります」
そうは言ったものの、寺本信彦も内心はイライラしていた。
一九九一年にソビエト連邦が崩壊しロシアとなり九年経つが長年の
会主義体制に培われた官僚主義はそのままである。この国の役人は
何処に行っても横柄でサービス精神の欠片も感じられない。案の定、
右隣の列が騒ぎ始めた。窓口の方に目を遣ると、出国審査の女性係官
が窓口のブラインドを下ろし出て行こうとしていた。交代の係官が来
る様子もなく、前に並んでいた数人が苦情を言っている様子であるが、
係官は何ら意に介すことなく、それどころか不愉快であるかのような
顔をして行ってしまい、窓口は完全に閉じられた。仕方なく、右隣の
列に並んでいた人達は憤懣やるかたなく他の列の後ろに分散して並び
直した。寺本信彦は仕事で多くの国を回っているが、このような光景
に出くわしたのは初めてで呆気に取られた。
「なんだ、この国は・・・」
同行の三人も呆れた顔をしていた。
「まあ、これがロシアですよ」
寺本信彦が冗談めかして言った。寺本一行が並んだ列は問題も起
こらず何とか無事に出国審査を終え出発ロビーに入る事が出来た。
先ずは喫煙コーナーを探し一服してから暫く免税店を覘いて歩いた。
酒類は最終地のニューヨークの空港で買う積もりでいたので、
ロシアの特産品を探したが品数が少なく、寺本信彦はハバナ産の葉巻でも
と思ったが手持ちのルーブルでは間に合わなかったので買うのを諦めた。
「社長は土産は買わなくても良いのですか」
楠田輝夫が訊いていた。
「昨日、しこたま買ったから、もういいよ」
確かに、昨日、デモンストレーション終了後、モスクワの業者に案内
されて赤の広場に面したショッピングセンター(GUM)で人形の
マトリョーシカや毛皮の帽子などを買っていた。長谷川社長や楠田輝夫、
齋藤信二は行く先々の国で土産と称して買い物を楽しんでいた。
南アフリカのプレトリアでは社員や取引先への土産にと駝鳥の卵にペイント
を施した置物を大量に買い、それだけでダンボール箱が二つになった。デ
モンストレーションの機材や資材だけでも大量の荷物であるが、それ以上に
土産が増え、寺本信彦は入国の度に税関で説明するのが大変であった。
「寺本さん。出発は何時でしたっけ」
楠田輝夫は時間が有ればもう一度一服したい様子である。
「二時三十分です。まだ十分ほどでしたら大丈夫ですよ」
楠田輝夫を含め長谷川社長や齋藤信二は喫煙コーナーに急いだ。三人が
言葉の通じない海外の空港で問題でも起し、フライトに乗り遅れでもし
たら大変だと思い、寺本信彦も彼らに付いて喫煙コーナーに行き、
パイプを吸いながら時計を見遣った。
「寺本さん。フランクフルトの空港では乗換の際にまた荷物を引き取る
必要があるのですか」
長谷川社長は大量の荷物を載せたカートを押して移動するのが億劫
になっていた。
「社長、大丈夫ですよ。モスクワからフランク、フランク
からニューヨークは同じ航空会社ですから。先程のカウンターで
ニューヨークまでスルーでチェックインしてありますので、荷物は
自動的に次の便に乗せられます。私達はフランクで次の便のゲート
に行けば良いだけです」寺本信彦の説明に長谷川社長は安心した
表情をした。「それとフランクまでは三時間半のフライトですから、
喫煙は我慢して下さいね」
寺本信彦は念を押した。
「それ位は我慢できます。問題はフランクフルトからニューヨーク
までと、ニューヨークから成田までだよ。辛いところが有るね」
ヘビースモーカーの長谷川社長は苦虫を噛み潰ぶしたような顔をし
ていた。フランクフルトからニューヨークまでは八時間十五分、
ニューヨークから成田までは十三時間三十五分のフライト時間で、
確かに愛煙家には辛いところである。特にアメリカは禁煙が徹底
していて、ニューヨークのJFK空港は全面禁煙で、ダウンタウン
もごく限られた場所でしか喫煙が出来ない。ニューヨークでは空港
近くのホテルに一泊することになっているが果たして喫煙可能な
ルームが提供されるのか心配であり、先が思いやられた。
「社長、良い機会ですから、これを機に禁煙してみませんか」
楠田輝夫が冗談めかして言った。
「若い頃から何度もやったよ。でも飲むと吸いたくなって、
結局は続かないんだよな。それに口が寂しくなってつい食
べ過ぎて太っちゃうんだよ」
「そうなんですよね」
楠田輝夫が同調し、横の齋藤信二も煙を吹かしながら頷いていた。
「社長。長距離フライトは食べて、飲んで、寝ていれば良いんですよ」
齋藤信二が言うと、
「そうですよ。社長。アルコールはお替り自由なんですから」
楠田輝夫も言った。
「目が覚めたら、ニューヨーク、成田って訳か」
長谷川社長は仕方ないかと云う表情をした。確かに一行は航空機の
中でも良く飲み、良く寝ていた。成田からヨハネスブルグまでシンガ
ポール経由で十八時間のフライトであったが、ビールから始まり、
ワイン、ブランディと終わりがなく、飲み飽きると熟睡するのである。
特に長谷川社長はワインに目が無かった。南アフリカはワインの産地
でも有名であり、美味くて安いワインが沢山有る。プレトリアでは夜、
ワインの美味いレストランを探してホテルから出掛けて行ったのである。
治安が悪く街灯も少ない暗い道を四人連れ立ってレストランまで歩いて
行き、食事とともに種類の違うワインボトル五本を空にし、満足して
再び暗い道をホテルまで歩いて戻ったのである。男四人だからこそ
出来たことで、あの国で一人では到底出来ない離れ業であり、誰にも
勧めることが出来ない。
喫煙をしながら談笑しているとフランクフルト行きLH―3216の
搭乗が始まるとの英語のアナウンスが流れた。
「搭乗時間ですから行きましょう」
寺本信彦はパイプをケースにしまい、皆を促した。
「もうそんな時間ですか・・・」
長谷川社長は名残惜しそうに吸いかけの煙草を灰皿に投げ入れ搭乗口
に向かった。機内では二列シートの窓側に長谷川社長、通路側に
寺本信彦が座り、楠田輝夫と齋藤信二は後ろのシートに並んで座った。
「今回は長谷川社長や皆さんのお陰で良いデモが出来ました」
寺本信彦はシートベルトを締めながら、デモンストレーションへの
謝意を改めて述べた。
「客の反応も良かったようですね」
「上々だと思います。これからが楽しみです。
でも、これ以上円高にならないことを祈ります」
「そうですな、為替だけはメーカー側の努力ではどうにもならないで
すからね。これからも円高に行く可能性が有るのでしょうか」
「これだけは分かりません。輸出する側としてはただ祈るだけです。
いくら日本製が良いからと云っても円高が進むと益々日本の製品は売
り辛くなります。困ったものです。しかし、我が社は輸入も手掛けて
いますので、痛し痒しですが・・・」
機は既に離陸し安定した飛行になり、シートベルトのサインが消えたが、
寺本信彦は長年の経験でベルトは外さず少し緩めた状態にしておいた。
航空機は突如として乱気流に巻き込まれ大きく揺れることがあるので
いつも慎重を期していた。機内サービスが始まり、軽い食事が出され、
寺本信彦はビールを頼み、長谷川社長は赤ワインを頼んだ。
「当初、海外でのデモンストレーションの話しが有った時は如何しよう
かと思いましたよ。カタログやデモテープ、CDも提供させて頂いて
おり、わざわざメーカーが出張って行く必要が有るのかと思ったりも
しまして。それに十日以上も日本を空けるのも心配でしたし、
女房などは反対でしたよ」
「今回の事では社長や皆さんには感謝しています」
「でも、良かったと思っています。直接客と会って技術指導も出来
ましたし、国内では聞けない全く違った意見も聞く事ができました。
日本のユーザーと海外のユーザーでは反応が違います。日本にいれ
ば分からない事が今回の旅で多く学べました。これからの商品の
改良や開発に大いに役立ちます。寺本さんには感謝しています」
「社長にそう言って頂ければ、私としては有り難いです」
「それに滅多に行けない国にも行く事が出来ました。こんな事でも
ないとアフリカなどはおそらく行く事はなかったでしょうから。
それに選んだようにワインの美味い国ばかりでしたから」
長谷川社長は少し赤くなった顔で笑った。
「それにパリも観光出来ましたし。あの方、パリの寺本さんの友人、
何て言われましたっけ」
「ああ、ドミニクですか」
「そう、彼が車で案内してくれましたから、短時間であちこち
見て回れましたので助かりましたよ。宜しく言っておいて下さい」
「彼とは学生時代からの付き合いです。なかなか良い奴です」
寺本信彦はヨーロッパ出張の時はストップオーバーで必ずパリに寄り、
ドミニクや彼の家族と食事をともにしたりしている。今回も日程調整
で他の国を選んでも良かったのだが、敢えてパリを選んだ。
「これで、今回の仕事も完了しましたので一安心です。後は寺本さん
から注文を頂くだけですから、お願いしましたよ」
「それは勿論です」
「でも、海外出張も癖になりそうですな。第二次デモンストレーション
も計画願いましょうかな・・・。寺本さん」
長谷川社長はワインを数回お替りし、陽気になっていた。
「予算の都合も有りますので、今回のデモの結果をみてから次回は
計画させて頂きます」
寺本信彦は今回の旅で海外出張は一人の方が気を使うことがないので
楽だとつくづく感じていた。
機内は気圧の関係で地上よりアルコールの回りが早い。長谷川社長はほろ
酔い気分になったのかいつの間にか白河夜船で、後ろの席からの話し声も
止んでいた。間もなくして着陸するとの機内放送があり、キャビンアテン
ダントがシートベルトの確認に回り始めたので、寺本信彦は長谷川社長を
起しシートベルトを締めさせた。
「もうそんな時間ですか・・・」
長谷川社長は赤い目をしていた。
「フランクフルトの空港はこれで三度目ですからもう熟れたでしょう」
「三度目ですか・・・。でも、私には三度目であろうが海外の空港
はいつも初めてのように思えます」
「次のフライトが午後五時十分ですから、少し時間の余裕が有ります。
またルフトハンザのビジネスラウンジで暫く寛ぐことにしましょう」
「ああ、あのラウンジですか。覚えています。食事や飲み物のサービス
も有りましたね」
「でもあまり食べない方が良いですよ。次のフライトで直ぐに食事が出
ますから。ほどほどにお願いしますね。社長!」
「そうですな。でも日本食が恋しくなってきましたね」
「寿司などはどうですか? 」
「良いですね! 何処かに日本食レストランでも有るのですか」
「ニューヨークのマンハッタンに行き付けの寿司屋があります。
十一日の夜はそこに案内します」
「それは良いですが、ニューヨークの寿司は美味いのかね? 」
「それが結構美味いんですよ。何しろネタはニューヨーク沖の寒流で
獲れた魚で脂が載っています。鮪も本鮪で味は絶品です。ニューヨーク
やボストン沖で獲れた本鮪は日本の築地に空輸しているくらいですから。
板前も日本から来た熟練ばかりです」
「それは良い。中トロの握り、考えただけでも堪らないですな。
それに刺身を肴に熱燗で一杯・・・。是非行きましょう!」
長谷川社長は久し振りに日本食にありつけるので満面の笑みを浮かべた。
「ではそれで手配いたします」
寺本信彦も日本食が恋しくなっていた。
「寺本さん。やはり日本食が一番ヘルシーですかな。
どうも出張に出てから少し太ったようです。ベルトがきつく
なってきました」
長谷川社長は下腹の周りを摩っていた。
「そうかもしれません」
と寺本信彦は言ったが、皆があれだけ飲んで食ってすれば日本食に
限らず太るのは当然だと思った。寺本自身も海外出張で太るのは
悩みの種である。長距離フライトでは殆ど座りっぱなしで、定期的
に出される食事を食べ、酒も飲む。機内ではそれしか楽しみがない
のであるから仕方がない。出張先では取引先の招待で更に飲み、
食べる。この繰り返しで太るのが当たり前である。一度の出張で
最低二キロは確実に太り、帰国してからのダイエットが大変であった。
商社マンは強靭な胃と肝臓、それに体力を要する仕事であると寺本信彦
は自覚していた。
LH―3261便は定刻にフランクフルト空港に到着し、一行は機を降り、
トランジットの通路に向かった。通路の広場にエクスチェンジを見付けた
ので、寺本信彦は五千ルーブルほど持っていたのを思い出した。
「両替しますので少し待って下さい」
そう言って、寺本信彦はエクスチェンジの窓口に行きルーブルを
差し出し米ドルに両替を頼んだが、ルーブルは駄目だと断られて
しまった。EUで両替出来なければアメリカや日本でも当然駄目
である。
「なんだ、ルーブルは紙屑か・・・」
がっかりして次の搭乗ゲートに向かった。
搭乗口近くのルフトハンザのカウンターでフライトの再確認をする
予定でいた。先程、航空機を降りてから警備の警官が矢鱈に多いのが
気になった。それも自動小銃を肩に架けており、中には警察犬の
シェパードを連れている警官もいる。今迄になく物々しい警備である。
何処かの国賓でも到着するのではと思った。
「寺本さん。あそこに喫煙コーナーが有ります。
一服してからにしましょうや」
長谷川社長が目敏く見付けたので、一行は暫し紫煙に塗れる事にした。
喫煙コーナーには同じように一服を求める人々が集い、一時の満足感
を味わっていた。
「寺本さんがニューヨークで行き付けの寿司屋に案内してくれるそうだ」
長谷川社長が楠田輝夫と齋藤信二に話し、煙草に火を点け深く吸った。
「寿司ですか。良いですね」
楠田輝夫は嬉しそうな顔をした。
「ああ、早く日本食が食いたいですよ。成田からシンガポールの
飛行機の中で食べた切りですからね」
齋藤信二も日本食が如何にも恋しという顔をした。
「さっき通ってきた広場の大型モニターでアクション映画を
上映していたようですね。人集ができていましたよ」
楠田輝夫が何気なく言った。
「楠田さん。映画に興味が有るのでしたら、出発まで観てくれ
ば良いですよ。出発前に呼びに行って上げますよ」
齋藤信二が冗談めかして言うと、
「いいよ、言葉が分かんないから。機内の映画でも字幕がないので
チンプンカンプンなんだから。ラウンジでビールでも飲みながら
のんびりしている方が性に合ってるよ」
「それもそうですね、お互いに」
齋藤信二はそう言って笑った。
「それじゃあ皆さんはビジネスラウンジで待っていて下さい。
私はカウンターでフライトの確認をしてきますので」
寺本信彦が言うと、
「寺本さん、ラウンジの場所が分からないですよ」
長谷川社長が困ったような顔をしたので、寺本信彦は皆を先に
ビジネスラウンジに案内してからカウンターに急いだ。カウンターでは
長蛇の列が出来ていて、傍のモニターを見るとLH―404、
DELAYEDの表示が出ていた。
「出発が遅れるのか」、と思いながらも列の最後尾に並んだ。航空機の
遅れは何度も経験しており、中には乗り継ぎ便の乗客が少ないとの理由
でキャンセルされ、別の航空会社に振られた経験もある。乗り継ぎ便が
キャンセルされた時など当初の便に預けていたスーツケースが目的地に
届かず、翌日に改めて空港に取りに行った事もある。
海外出張を重ねていると、便の遅れなどは驚く事ではなかったがキャンセル
だけは困ると思った。デモンストレーションも終わり、後は帰国するだけで
あるが、モスクワの空港で預けた大量の荷物のトラッキングに使うエネルギー
が大変である。アメリカの国内便のキャンセルは日常茶飯事であるが、
ヨーロッパでの国際便にはキャンセルなどはないと核心はしていた。
長蛇の列はテキパキと処理され、寺本信彦は列に並んでから一〇分程で窓口の
担当者と話す事ができたが、
「ニューヨークでトラブルが有り、いつ飛べるか
分りません。案内のアナウンスをするのでそれまで待ってい下さい」、
と言われた。仕方なく寺本信彦はビジネスラウンジで待機することにした。
途中、楠田輝夫が言っていた大型モニターの前を通ると確かに大勢の人だかり
が出来ていて皆が真剣に見入っていた。通路の広場の大型モニターで映画など
上映しているのかと思いつつ、人垣の後ろから覘いてみると確かにアクション
映画を上映しているようにも見えた。寺本信彦は新作映画の予告編でも流して
いるのではと思った。超高層ビルの上層部に亀裂が入りどす黒い煙が黙々と上
がっている。すると次の瞬間、中層部で爆発が起こり炎と煙が噴出した。
カメラは角度を変え爆発が起こった中層部を映し出したが、それは同じビルで
なく隣のビルに航空機が突っ込み、爆発とともに炎と煙が噴出した迫力が有る
リアルな映像であった。が、大型モニターの右上にはCNNの文字が大きく
映し出されている。
「これは映画ではない、ニュースだ!航空機事故だ! 」、
寺本信彦は何処かで航空機が誤って高層ビルに突っ込んだと思った。
カメラがズームアウトした。何処かで見た風景である。
「ニューヨーク、マンハッタン・・・、ツインタワー! 」、
直ぐに思い出した。モニターの下にテロップが映し出されている。
二機の航空機が何らかの目的でツインタワーにアッタックしたのである。
フランクフルトからニューヨーク行きの便が飛び立たないのはこの事件が
関係していると咄嗟に思った。大変な事になったと思い、寺本信彦は一行が
待っているビジネスラウンジに急いだ。
「ニューヨーク行きの便は遅れていて、出発がいつになるか分からないとの
事です。ニューヨークで航空機による事件が有りそれが原因のようです」
「ハイジャックか何かですか?」
長谷川社長や他の二人は対岸の火事でもあるかの様で別に驚いた様子
も見せなかった。
「それが・・・、ニューヨークのツインタワーに航空機が突っ込んだんですよ。
先程、楠田さんが言っていた広場のモニターの映像は映画でなくそのニュース
を流していたのです。とにかく凄いです。確かにアクション映画を見ているよ
うですが」
寺本信彦が言い終えると、長谷川社長と二人は大型モニターの有る広場に
ニュースを見に走った。寺本信彦はラウンジでビールを飲み、フライト案内
のモニターに変化がないか注意しながら彼らが戻って来るのを待った。十五分
程して彼らは流石に驚いた顔をしてラウンジに戻ってきた。
「凄い事になりましたね」
三人は口を揃えて言った。
「ケネディー空港で起きた事件でもないですから大丈夫ですよ」
事件、事故で滑走路が使えない状態でもなく、数時間遅れで飛び立つで
あろうと寺本信彦は考えていた。空港から離れた場所で起こった事件で
あり、他の三人もそれほど深刻さを感じてはいなかった。
「その内に飛ぶでしょう。待つしかないですよ」
長谷川社長が言うと、楠田輝夫と齋藤信二も同調するように首を縦に振った。
待つと決まったら齋藤信二は気を利かせて冷蔵庫に缶ビールを取りに行き、
トレーにツマミも載せて戻ってきた。
「一杯、やりましょう」
そう言って、皆に缶ビールを渡した。
「寺本さん、予定の仕事は終わったことだし、あとは帰るだけですから。
急ぐ旅でもなし、数時間の遅れは大した事でもないですよ」
長谷川社長はノンビリと構えていた。
「ニューヨークの寿司屋の閉店時間に間に合うでしょうか」
缶ビールを片手に齋藤信二は心配していた。
「予定では到着が午後七時二十五分ですから、二時間遅れればホテル
からイエローキャブを飛ばしても無理ですね。それに翌日は
午後十二時十五分のフライトですから・・・。到着の日も翌日も
時間的に無理です。残念ですが・・・」
楠田輝夫と齋藤信二は如何にも残念そうな表情をした。
「しかたないなぁ・・・。それじゃあ、東京に戻ったら、
会社の近くの寿司屋で今回の反省会をすることにするか」
長谷川社長が気前の良いところを見せると、
「さすが、社長。期待していますよ! 」
楠田輝夫と齋藤信二は手を叩いて社長を囃し立てた。
一行がフランクフルトの空港に到着してから一時間以上経過したが何ら
進展もなかった。寺本信彦は気になり一人でラウンジを出て広場の大型
モニターを見に行った。先程と同じニュースに新たな映像も加わっていた。
画面下には午前八時四十六分にアメリカンエアーの航空機がツインタワー
北棟にアタック、午前九時三分にはユナイッテドエアーの航空機が
ツインタワー南棟にアッタック、更に三機目がペンタゴンにアッタック
とのテロップを流していた。映像は余りにも生なまし過ぎ、残酷であった。
航空機がツインタワーにアタックする映像は角度を変え何度も繰り返し映し
出された。更には遠くから心配そうにツインタワーを見上げる多くの人々、
何台もの消防車、救急車、パトカーが走り回る光景。燃え盛る炎と熱気に
追われ高層ビルから飛び降りる人の映像まで映っている。遂には南棟と
北棟が煙と粉塵を上げ一瞬にして倒壊する映像までも映し出した。
タワーが崩れ去る瞬間、ツインタワーの周りは火砕流が押し寄せたかの
ようになり人々は悲鳴を上げ逃げ惑っている。大型モニターの前にいる
人々は呆然とし、無言で映像に見入っている。こんな事が現実に有りえる
のかと思った。況してや国防総省の本部庁舎であるペンタゴンにまで
航空機がアタックするなど考えられない。アメリカ合衆国の国防の要であり、
幾重もの防空体制により護られているはずである。しかし、映し出されている
シーンは恰も映画の一場面の様にも見えるがこの惨劇は現実であった。
寺本信彦は衝撃を受けた。あまりにもショックだった。寺本信彦は喫煙所に
行きパイプに火を点けた。自分の膝が震えるのを覚えた。
「誰が、何の目的でこの様な事をするのか?」、
憤りを感じると共に悪い予感がした。
フライトインフォメーションのモニターに目を遣ると、LH―404、
CANCELLEDの表示に変わっていた。寺本信彦は急ぎルフトハンザの
カウンターに走った。相変わらず長蛇の列である。寺本信彦は最後尾に並び
順番を待った。順番を待つ人々の表情が到着時とは違い真剣な表情に変わり、
中には不安気な表情の人々もいる。搭乗口近くの公衆電話では涙ぐみながら
電話口で話している若い女性もいる。おそらくはニューヨークにいる家族か
知人とでも話しているのではと寺本信彦は思った。カウンターだけでは捌き
切れず、数名のルフトハンザのスタッフが説明に列を回り始めた。寺本信彦
の前にもスタッフが来て搭乗券を確認し状況を説明した。アメリカ全土の空港
が閉鎖され、何時再開されるか目処が立たないこと、空港周辺のホテルは今回
の事態で既に満杯になっており部屋の用意も出来ないことなど説明され、
何らかの対策を採るのでラウンジで暫く待機してもらいたいと言われた。
寺本信彦はしかたなくラウンジに戻り、皆に状況を説明した。
「その内に再開されるよ」
長谷川社長や他の二人は暢気に構えていた。
テーブルにはルーマニアで土産に貰ったワインのボトルが既に二本空になって
載っていた。寺本信彦は空になったワインボトルを見て引率する身になっても
らいたよ、と心の中では思っていた。
既に午後六時を回り、フランクフルト空港に到着して二時間以上が経過した。
アメリカの全空港が閉鎖される事など今まで聞いたことがなく、前代未聞の
事態である。現代のビジネスはスピードを要求される。空港閉鎖が続けば人々
の交流と物流も止まり、アメリカ経済は大打撃を被り深刻な事態となる。
世界経済にも影響が及ぶことは必至であり、場合によっては株価にも影響
しかねない。そんな事は絶対に有りえない。寺本信彦も一時的な閉鎖で直ぐ
にでも解除されると思っていた。そう願った。しかし、今日中に解除される
のか、或いは明日か・・・。もし、このままの状態が何日も続けば・・・。
寺本信彦の脳裏に不安が過ぎった。
「まだ事態がどの様に展開するか分かりませんが、もし、このまま空港封鎖
が続くようでしたら、日本時間の午前九時に社長の会社と私の社に電話を
入れておきます」
寺本信彦が長谷川社長に言った。
「日本時間の午前九時はこちらの時間で何時になるんですか? 」
「ええとですね・・・、夜中の二時ですね」
「まだ七時間近く有りますね。幾らなんでもそれまでには解除されるでしょう」
「それだと良いのですが・・・」
寺本信彦も幽かな期待を持っていた。
しかし、それから一向にアナウンスが流れてこない。寺本信彦は些かイライラ
してきた。四人が陣取っているテーブルには缶ビールの空き缶の数が徐々に増え、
空のワインボトルが三本になっていた。ラウンジ内の国ごとの時計を見ると
フランクフルト午後七時十五分、ニューヨークは同日の午後一時十五分、東京は
九月十二日の午前二時十五分を差している。既にフランクフルトに到着して三時間
以上が経過していた。寺本信彦は状況説明のメールを東京の社に送っておこうかと
思いラップトップコンピュータを取り出したが、数ヶ所有るインターネット回線用
コネクタは既に使われており、順番待ちの状態で、直ぐには使えなかった。
午後八時に少し前であった。ルフトハンザのカウンターに急ぎ来て貰いたいとの
インフォメーションが届いたので全員で向かった。カウンターではニューヨーク行
きフライトの再開の目処が全く立たないのでANAのカウンターに行き交渉するよ
うにと指示された。モスクワ空港で預けた荷物も既に航空機から降ろされ荷物受渡場
に出されているとも言われた。ニューヨーク行きは諦め、空席が有れば成田行きに
乗り日本に帰ってもらいたいとの意思表示である。航空会社としては今回の事態に対
しては全くのお手上げで責任放棄とも取れなくもないが幸いニューヨークでの仕事が
無く、世界一周航空券によるトランジットだけが目的で、成田への直行便に乗れるの
は寺本達にとっては物怪の幸いである。フライトインフォメーションのモニターには
ANAのフライトは午後八時四十五分となっている。時計を見ると午後八時十分。
残された時間は三十五分しかない。これを逃すと翌日の午後一時三十分まで待たなく
てはならなくなる。駄目元で寺本信彦と一行は荷物受渡場まで急ぎ四台のカートに
手分けして荷物を積み込みANAのカウンターを目指し突っ走った。大人四人が息せき
切ってカウンターに辿り着いたのはフライト時刻の一〇分前であった。カウンター内に
は日本人女性スタッフが数名いた。寺本信彦は彼女達を見ると何故か安堵感を覚えた。
ルフトハンザからANAに行くよう言われたことを説明し、航空券を提示すると、
にこやかな表情でキーボードを打ち新たな搭乗券を打ち出してくれた。搭乗券を見た
瞬間、「これで帰れる」、と寺本信彦は思い搭乗券を手渡してくれた女性スタッフと
握手したい衝動に駆られたが、それだけは自制した。
荷物を預け、機内に入り周りを見ると七割程度の乗客数で、まだ搭乗してくる乗客
もいるようである。寺本信彦は座席に座ると、緊張感から解きほぐされ体全体の力
が抜けるように感じた。幸いであった、出発は定刻より遅れるようであった。
一行が搭乗して三十分程過ぎたがまだ飛び立つ気配がない。その内に預かった荷物の
持ち主に該当する搭乗者がいないのでチェック中との機内放送が流れた。
フランクフルト空港に着いてから緊張の連続で、やっと成田行きの便に乗れたかと
思ったら今度は荷物のトラブルである。まさか爆発物でも仕掛けられたのではと思う
と緊張が走り、寺本信彦は再び落ち着かなくなり、
「もう勘弁してもらいたいよ」、
と思い情けなくなった。長谷川社長や他の二人に目を遣ると緊張の欠片も無い様子で、
サービスされたシャンパンを美味そうに飲み笑みさえ浮かべている。機内アナウンス
を聞いたのか聞いていないのか、荷物のトラブルなどは全く眼中になく、安堵感に
包まれ、この機で日本に帰れると思い疑っていない。海外出張時のトランジットは
寺本信彦にとっては楽しいひと時に違いないが、今回の様な深刻なトラブルは初め
てで、二度と御免であると思った。幸いに暫く経ってから全ての荷物と乗客が
マッチングしたとの機内アナウンスがされ、機はフランクフルト空港を成田に向け離陸した。
安定飛行になると食事のサービスが始まり久し振りに日本食にあり付け、日本茶も飲めた。
「寺本さん、これで日本に帰れますな」
そう言う長谷川社長を見ると美味そうに日本酒の熱燗をチビチビと楽しんでいる。
寺本信彦は疲労困憊で食事を終えると、アイマスクを付け、背もたれを倒すと直ぐに
熟睡し成田に到着する直前まで全く気が付かなかった。機は成田空港に定刻より少し
遅れて到着した。入国審査を済ませ、荷物を受け取り、到着ロビーに出て社に電話を入れた。
「寺本です。今、成田に到着しました」
「寺本さん! 」
電話口の向うでは如何にも驚いたような声がした。
「どうされたんですか。皆さん、心配されていたんですよ」
電話口の言葉は穏やかだが、内心はかなり怒っている様である。
「ニューヨークには行かずにフランクフルトから成田に直接帰ってきました」
「こちらでは皆がニューヨークに行ってしまったのではと思い大変だった
んですから。長谷川さんの会社や寺本さんのお宅から心配されて何度も
電話がかかって来るし・・・。変更が有ったのでしたら、メールを送るか、
自宅に電話でもしといて下さいよ」
やはり、完全に怒っている。
「いやぁ・・・、すまん、すまん。でも、今回の事件でフランクフルトの
空港でも色々とすったもんだで大変だったんですよ。分かって下さいよ。
まあ、明日、出社したら皆には詳しく説明させてもらいますから」
寺本信彦は平謝りで電話を切った。家に帰れば家族にも攻められると思い、
自宅への電話が躊躇われた。時差を気にすることなく夜中でも自宅には電話し
ておくべきだったと後悔したが遅かった。でも、あの時はフライトの事が心配
でそこまで考える余裕がなかったことは確かである、と心の中で言い訳した。
自宅に帰り惨劇のニュースを改めて何度も見た。一日早い便に乗っていれば
一週間以上アメリカに足止めされたのは確実である。或いはツインタワー見物
に行き、惨劇に巻き込まれていた可能性も有る。もし、あの日、午前中の便に
乗っていればカナダか中南米の国に降ろされていたかも知れない。色々な状況が
頭の中を駆け巡り、フランクフルトの空港にいた時には感じなかった強い恐怖感
に襲われ、冷や汗が出てきた。寺本信彦は何度もニュースを見ながら、あの日、
フランクフルト空港の搭乗口近くの公衆電話で涙ぐみながら電話口で話していた
若い女性の姿をふと思い出し、家族か知り合があの惨劇に巻き込まれたのではと
思った。改めて自分の運の良さに感謝し、心の中で犠牲になられた方々に哀悼の
意を表し、二度とあの様な悲劇が繰り返されないことを祈った。
82号全作家掲載作品です。