プロローグⅡ
次々と起こった不測の事態に、私は翻弄され続けた。
念願の魔城までやってきての仲間達の消息不明、選択画面の不表示、ログアウトの不可。
そうしてなにより、全ての仮想空間が本物の世界となってしまったかのようなリアルさ。
『アヴァロン』は、私の情熱を全てつぎ込んできたゲームだった。
様々な(親友が作り出した)偶然が重なったために親友の夕菜と共に入った。直ぐにでも止めるかと思った。
だが、そんな予想は崩れ去り、私は誰よりも早くこの世界を遊びつくすゲーマーとなっていた。
そうして一章と呼ばれる天界をクリアし、転生を経て仲間と共に、ここまで来た。
蛇足だが、夕菜は親友の私の制止も聞かず、飽きたといって一ヶ月ほどで退会した。
身勝手なやつである。さすが裕福な金持ちといったところか(偏見)。
仲間にもさんざんお世話になった。リオと槍夜。どちらも個性的で、頼りがいのある大切な友達になった。
そして一章の後、隠しクエスト第二章が現れた。そうして全ての終わりとなる魔界の攻略。
それは今ここに終結しようとしていた。私たちのチート集団(誰が言い出したか知らないが)と呼ばれるまでになった無双ギルドによって。
だが、どうしたことかそれは取りやめになった。
ほかでもない。上記に述べた事態によって。
しかし、それでも私は魔城の中でも最上階。魔王が居るはずの扉の前にいた。
そうして毒の回った身体を、血油を振り払ってようやくもとの剣の部分を表した相棒を片手に扉を開けようとしていた。
――自殺行為?知ってるさ。
これは既に現実?ああ、それも身体に教えてもらって知ってるよ。
もう、家族に友人に会えない?仲間はいない?絶望的?知ってる知ってる。分かってる。
この最強なんて呼ばれた私でも、毒の回ったゲームとは違う現実の世界での戦闘で、魔王と一対一で勝てるとは思っていない。
それでもいいんだ。いいんです。
ふと浮かんだ笑みを仕舞って、そのまま扉を押す。
軋む身体を無視して、自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。
「嘘でも夢でも現実でもなんでもいい。このためだけに私はこのゲームに全てを懸けてきたんだ」
ゴゴゴゴゴゴと、現実世界では考えられなかった腕力で、その扉を開く。
竜神族という転生後になれる、全ての能力が破格という種族の、カンストレベルまで上げたというに扉の重さが身体にくる。
そうして、人一人入れる程度に扉を押し開け、期待に高鳴る鼓動を抑え、私は一歩踏み出した。
そこは、扉に挟まれた狭い視界の中であっても見て取れる、荘厳な部屋があった。
先ほどまでの廊下とは違い、大理石のような光沢の美しい黒い石が敷き詰められた床。
中より吹き抜けた風は今までの生臭いものではなく、冷たく色のない匂い。
高い天井にぶら下がる大きなシャンデリアは、太い骨や魔物の角で出来ており、醜悪さを失わず紫色に部屋を染め上げている。
一見するだけもで分かるその部屋の広大さと荘厳さに息を呑んで、歩を進ませる。
扉から伸びるように赤い、目が痛くなるようなレットカーペットが敷かれ、血や肉を踏み汚れた靴を包み込む。
汚れるそれを気にもせず、ただ足を進めた。
そこにいる――魔王に向かって。
「お前が、魔王か」
その空間で、ただ一人王座に座る者がいた。
堂々と、見下すように、何段か上の備え付けられた王座から私を見るそいつは、圧倒的な存在感を放ちながらそこにいた。
濃い紫の蠢くような長い髪を後ろに撫でつけ、整ったその顔立ちに魔族特有の紅に光る、今まで見てきた中でも一番強い眼光の光。
その奥には黒い瞳孔が十字に割れており、鋭い目付きと相まって見られているだけで身を切られる感覚に陥れさせられる。
西洋系の高い鼻と血色の悪い唇に、青白く血が通っていないような肌。
纏うマントは漆黒で、身に纏う服は王らしく格調高き物。
そこからは、邪道の王だとは思えないほどのカリスマと高貴さが漂っている。
紛れもない、問うまでもなく、彼が魔王と呼ばれる存在だった。
魔王は不躾に自らに問われた質問に気を害したのか、双眸を薄く細め、その死人のような口を動かした。
「なら、どうした」
「――そうか」
鼓膜を揺らす低い声色に、小さく言葉を返す。
声を聞いて、確信した。
ここは、本当にゲームという世界の中ではないと。私が認識する現実に、この世界が存在していると。
元々のゲームはこういう最終場面になると、基本的にプレイヤーと敵キャラクターの会話はない。
物語に沿うようにNPCが勝手に動き回り、戦闘が開始し、そうして勝利すればクエスト成功。敗北すればクエスト失敗。程ほどのペナルティとともに街にある教会から再スタートだ。
だが、この魔王は確かに私の問いに答えた。
微細な表情と声、私を敵とも認識しないその魔王と呼ぶに相応しいふてぶてしさでそこに生きているのだと証明した。
なら、私のやることは一つだけだった。
何のためにここまで来たのか、何故途中で引き返さなかったのか。
それはただこの一点に尽きた。
ここまで来たのは『魔王』に『会う』為、途中で引き返さなかったのは『彼』さえも『現実』になっているかも知れないと思ったから。
ああ、そうだ!私は!
「愛してる。結婚してくれ」
「…………………………………は?」
このゲーム、アヴァロンには今までになかった新要素が沢山ある。
その中に、プレイヤー同士で結婚というのがあった。それは友人同士が遊んでするものでもあったし、同性同士が外で結婚できないがゆえに本気で男性キャラクター同士結婚するものもいた。
そうして、ここがリアルになったならば?
それは、NPCであったキャラと愛し合って結婚できるなんて夢のような世界が開ける正に楽園というに相応しい世界に豹変するということだ――!!
ずかずかと大またで王座まで続くカーペットを駆け、目の前に立ちふさがる。
その不変そうな顔を、驚きで目を見開いた魔王の手を無理やり掴み上げ、あまりある情熱を吐き出す。
「お前を始めて見たとき(ゲーム開始に重要キャラクターとして説明に出てくるとき)から、心を奪われていた。
私の全て(就寝時間、勉強時間、情熱、その他)を注ぎ込みお前を打ち倒す(敵キャラとしてでしか出ないというのは分かりきっていたことだったため)という名目でさえも、会おうともがいていた。
だが、こうして話し合えるようになったのならば(何故か仮想現実からこちらが本当の現実となったので)話は別だ。
魔王――愛している。私と共に生涯を歩んでくれないか?」
「なっ…!?」
語っているうちに、血が通っていなさそうだったのに握り締めた魔王の手が鬱血してくるのも見えずに、ただその瞳を見つめながら愛の言葉を送る。
だってそうだ。普通の女子高生で、ゲームなどにまったく興味がなかった私がどうしてここまでこのアヴァロンに熱中できたか、それはただただ彼の存在があったからだ。
ストーリーが語られる中で、一瞬出てくる魔王の存在――だがその存在に、私は魅入られた。
何もかもが、私の中でドストレートだった。
長い光沢のあるうねった髪に、端整な西洋風な顔立ち、カリスマ性溢れるその姿。
恋というものを一度もしたことがなかった私にとって、それは始めての恋だった。
報われない?阿保らしい?なんとでも言え。私はそこで始めて愛を知ったのだ!
だから私は何もかもを打ち払ってここまできた。
話せなくとも、戦うことしか出来なくとも、彼を一目みたいと。
ストーリーの中で出てくるのなら、最終ボスとして彼は絶対に出てくるだろうと。
そうして、何故かここに来て仮想が現実となった。
目の前にあるものは現実で、NPCだったものたちは、戦うだけだった敵は生きて会話をし、語り合えるものになった。
自らはプレイヤーではなく切られれば傷つき、敵は確かに命をもってそれを切り裂く自分はそれを潰すものになった。
なら、することはただ一つだけ。
死を目の前にしても、有り余るこの愛を吐き出すだけだ!
「魔王、私を受け入れてくれるならば、私は生涯お前を愛し続けることを誓おう。だから―――」
「―――離れろ」
ブンッと重い音が聞こえた。
その瞬間に魔王の目の前の地面が抉れ、数メートルにわたり衝撃波のように亀裂が走る。
私の愛の言葉は遮られ、容赦のない攻撃に殺伐とした空気で空間が凍る。
え?私?勿論逃げた。だって死んでしまう。
魔王の手にかかって死ぬのなら本望だが、まだ私の愛の言葉の返事を聞いていない。
あの魔王の攻撃が照れ隠しで、それで私が死んでしまったら情けなさ過ぎる。照れ隠しなんてありえないが。ポジティブに考えよう。
最愛の人から向けられた刃に軽く傷ついていると、美しかった、今では散々に砕かれた床に深々と刺さった剣を引き抜く魔王。
それは柄に数々の宝石や骸骨で彩られた黒々とした長剣だった。
鋭い切っ先は私に向けられ、その鋭い眼光は言いようもない殺意に染められている。
それを受け流し、私も収めていた剣を引き抜く。魔王の手を掴むのに邪魔だったので収めておいたが、まさか使うことになるとは。
最愛の人に向ける自らの刃。それは銀色の、しかし白くも見える剣で、魔王と対峙しモノクロの対比を生み出していた。
まぁそれを予想して装備していたんだけれど。
そうして、放たれる殺気に剣を握り締める力を強め、その後に訪れる展開を思って鎮痛に問う。
「どうしても、戦うのか」
「そのために、お前は来たのだろう――!」
魔王の双眸が強い光を発し、マントが揺れる。
その瞬間に戦いは始まった。
一瞬の後、目の前から魔王が姿を消す。
それはそれほどの速さで移動したことを意味し、鍛え上げられたシオンの洞察力で見えた一瞬の黒に向かって刃を滑らせる。
金属の弾きあう音が響きあい、余韻が耳に残る。
顔を歪め、悪役そのままの表情の魔王とそのまま拮抗状態になった剣を引き、再び振るう。
一合、二合、三合。打ちつけ会うたびに威力は増大し、響きあう音も弾ける二つの剣の間の火花も大きさを増してゆく。
その中で精神を集中させ、彼の剣に神経を持ってゆく。
おそらく、きちんと判断は出来ていないが、彼が持っている剣は魔剣の一種だろう。
身体を切らせたら最後、どのような付随効果があるかは知らないが、とりあえず身を滅ぼすことになるのは確かだ。
ボス戦とはいえ、攻撃当たったら一発ゲームオーバーとか何それと思いながら、彼の攻撃を受け流すため剣を振るう。
この魔城の中で戦ってきて、おそらく彼が一番の強敵というのは間違いなかった。
傷を負わされてきたものの、それは数に押されただけであり、一対多数での傷に過ぎなかった。
対策としてカンスト、さらに極上の装備をしてきたかいがあったというものだが、目の前の敵はそういう次元ではない。
まず一対一でやりあうのが間違いなのだ。
一人を囮として置き、遠くからの魔法攻撃、捨て身の攻撃を繰り返し精々3人いて漸く倒せるレベルだ。
そう、今まで一緒に歩んできた仲間がいてこそ倒せる敵。
しかも――打ち合う中で、自分の身体が悲鳴を上げてくるのが分かる。
魔王に会った喜びで吹っ飛んでいたが、自分の身体は傷だらけ、しかも毒も回っていて、ある意味魔王が手を下さずとも死ぬような重症体なのだ。
それを魔王が知っているのか、知っていて戦っているのか、それとも私の突然の告白で判断が出来なかったのか、それとも戦うことが魔王の義務なのか・・・、とりあえず分かることは、私がまだ魔王と話し合える時間があるということだけだ。
「…っ、魔王!」
「まだ喋れる余裕があるか…・!」
「私は戦う気などない!ただお前と話したいだけだ!」
「戯言を…!信じるわけがなかろう!」
鬩ぎ合う中で、どうにか思いを伝えようと言葉を出す。
しかし魔王は攻撃の手を休めるどころか、さらにその過激さを増す。
信じられないって―――!どうして!自分でも随分と魔王相手に馬鹿なことをやったという自覚はあるのに!
それが逆に警戒心を逆撫でしまったのだろうか、思わず気持ちを抑え切れなかったせいか…。
過去の自分の行動を悔やみながらも魔王の剣を弾き距離を取る。
ここまでくると既に、毒が全身に回り、確実にHP(体力)が少量になっていることが明白だった。
息ぐるしい身体、うまく力の入らない腕、これではあと何分も戦闘を続けていられないと唇を噛む。
「信じてくれ!私はただお前が恋しく、愛しているだけだ!」
「馬鹿げたことを…!その口、塞いでやろう!」
そう魔王が告げた瞬間に、彼の身体がふわりと地面から浮き出す。
天上の高い部屋で頭を上げなければ見えないほどに魔術も無しに浮き上がった魔王に、顔を歪める。
一定以上のレベルや特定の魔物、そうして一部のヒトの亜人種につく特技。『浮遊』。
それは羽を使ったものであったり、自身の意思であったりするが、それは対峙する側にとっては酷く厄介な代物だ。
まず飛ばれると、同じ飛行の術を持っていないと攻撃できないし降りてくるまでが時間が掛かる。
ゲームの設定上、何秒間飛ぶと一旦着地。というものが決まっているが、それはそうでもしないと地上にいるものが手も足も出ないからだ。
勿論矢や銃など、遠距離型の武器や魔法、スキルを使えるのならば対処の仕方はいくらでもあるが、今の私は魔法やスキルを使うMP(魔力)は尽きているし、矢や銃を取り出すのは紛れも無い隙になる。
結果、どうしようも出来ない。
そうして浮かび上がった魔王は、剣を握っていないほうの手の平に黒い魔弾のようなものを浮かび上がらせる。
音唱は無い。きっと彼が音唱を必要とするものは、大魔法レベルのものなのだろう。
思考するうちに、彼はその手の平をこちらに向けた。
「散れ」
「(ヤバイ・・・ッ!)」
声に鼓動するように黒い魔弾がこちらに投射される。
矢のような速さで迫るそれに、思考に埋もれていた身体を躍動させ、床を駆ける。
駆けても駆けても追ってくるように次々と着弾する魔弾に、身体を止めさせることは叶わない。
床が魔弾によって砕け散ってゆく中で、砂埃にかき消されてゆく魔王を見た。
その顔はどうしてか、私を追い詰めているというのに酷く歪んでいて、何故か見るに耐えなかった。
魔王が縦横無尽に魔弾を連発し、密閉状態とそう変わらない部屋が砂埃に埋め尽くされ、視界が不明瞭になったころ。私は漸く足を止めることが出来た。
さすがに見えない中で攻撃をしても意味がないと悟ったのだろう、動きを見せない私に彼は何もしてこない。
魔弾で砕かれ壁になった瓦礫に背をつけ、一息つく。と同時に駆け巡る痛みに顔を歪めた。
耐えてきたものの、脂汗が落ち、剣を握る手が震える。
魔王の攻撃を避け続けるために動き続け、どうやら毒が更に進行したようだ。
確実に迫る死へのカウントダウン。現実世界ではなく、ゲームだった世界で死をこうも身近に感じるとはと、なんだか笑えた。
砂埃は、時間の経過と共に晴れてゆく。
魔王ならば、魔法によっての爆風でもなんでもこの煙を払う方法があっただろうにと疑問に思いつつも、再び剣を握り締める。
ココまで来たのは虚勢だ。体力(HP)も尽き、魔力(MP)も尽きた私が出来た最後の足掻き。
ゲームならば死ぬまで好き勝手引きずりまわせるこの身体も、今でも痛みに耐えかね動きたくないと動くことを拒否している。
アイテムの取り出し方などは、ここまで来るのに学習した。
腰につけてある小さな袋に手をいれ、あるものを取り出す。
そうして懐にその小さな感触を隠しいれる。
目を閉じ、再び目を開く。
なんだか、本当はこれが夢でした。とか、そんな予感はしていないけど、戻るならこれが最後のチャンスだと思ったのだ。
しかし、目を開いても変わらぬ風景に苦笑しつつ、覚悟を決めた。
想いが伝わらないのなら、実力行使だ。
砂埃の中――僅かに薄い煙の場所で、見て取れた魔王の姿。
その姿は今だ宙におり、真剣な顔をして何かを考えている――ってあれ、思考中?どうしたの魔王。
傍からみれば隙だらけの彼に、一物の不安と疑問を抱えながらそれでも私はそれを絶好のチャンスと見た。
きっと、今しかない。
そうして、話を聞いてもらえるチャンスも。
隠れていた床の破片である突き刺さった壁から踏み込んで、一気に駆ける。
それに気付いたのか、思考を中断した魔王が私を視界に納め、手に先ほどと同じような物体を作り上げようとする。
「させるか!」
「!?」
声を出して、その瞬間に、全神経を足に集中して、縮みこみ、バネのように床を蹴り上げる!
バコンッと床が砕け散るような音を背後に聞きつつも、私は宙に舞った。
小賢しいといわんばかりに歪む顔が、距離をあげるに連れてどんどんと近づいてゆく。
だがその顔は直ぐに驚きに支配された。
それもそうだ。今の私には、相手を傷つけるための武器がない。
完全に逸れた注意に、ニヤリと笑う。
そうして一秒にも満たないその最中、胸元から一つの秘密兵器を取り出した。
一度きりの使い捨て、槍夜が教えてくれた期限限定の厄介なクエストを成功させ、漸く手にした特注品。
その名も〈必殺の短剣〉――複名のカタカナのカッコいい名前は忘れた、しかし驚くべき特殊効果のある武器である。
急所――所謂心の臓と呼ばれる臓器を貫けば、どれほどに厄介で、心臓を串刺してもしなないような強敵さえも一撃で仕留められる。
そんな夢のような武器だ。
魔王の武器が数ミクロンでも肌に掠れば死ぬような武器であるならば、これぐらいの武器もあっていいはずだ。
見た目はボロボロの木で出来たような一度使えば壊れるようなそれ――それを相棒の剣を捨てた右手で握り締め、迫る魔王に振りかざす。
この武器には心臓を貫けば必ず相手を殺す。という効果が付けられているが、その強力な作用によりその攻撃判定は厳しい。
心臓を確実に貫いていなければならないし、貫く以前に甲冑などで短剣の方が壊れてしまえば元も子もない。
だからこそ、今に相応しい。
魔王は見た目を重視したデザインになっているのか、その服装は王族めいた気品の溢れるもので甲冑などで身体を防御していない。
そうしてヒトと同じ姿形をした彼は、きっとその胸の左側にある臓物も、私と同じ位置に配置してあることだろう。
魔王の顔が、よく見えた。
どう見ても好みのど真ん中で、こんな状況でも、死に体でも、これから彼を殺そうとしていても、やはり会えて良かったと思う。
だからこそ、魔弾を完成させ憎しみさえ灯った瞳で睨む彼に言葉を告げた。
「愛してる」
彼の目が見開かれた。それは確実な隙で、私は迷わずに振り絞った腕を引き離した。
愚直なまでに心臓を狙った短剣は、なんの抵抗もなく服を貫き、そうして心臓を貫く。
そうして、ここに『短剣で心臓を貫いた』事実に基づき『魔王が死んだ』ことが確定される。
それは今までずっと目標にし続けてきた者を殺したわけであって、意味も分からずやってきたこの世界でたった一つの支えを失ったことと同じだった。
使いきりのその短剣は、パキリという乾いた音と共に砕け散る。
それと同時に浮かんでいた魔王の身体がぐらりと傾き、重力に従い、羽を落とされた鳥のように落ちてゆく。
それは、既に自ら殺した最愛の人の骸だった。
形は今だ人としてのなりを留めているだけの、残骸。意志がなければ、ただ腐り落ちて土に還るのみ。
きっと、このまま床に打ち付けたとて、完璧なまでのヒトの形が少々崩れるだけだろう。
そう思って、落ちてゆく彼だった物を乾いた目で見て――今だ手の届く範囲にあったその身体を抱きしめた。
くるりと軽い身体で彼の後ろに回りこみ――彼ごとそのまま地面に衝突する衝撃を受け入れた。
鈍器で打たれたような痛みと強烈な臓器への圧迫感で、色々なところが砕け押しつぶされた感覚がする。私のヒトとしての形が少々崩れたらしい。
それに大きく顔を歪ませつつ――そんなものは関係ないというように、私は腰に巻きつけたアイテムの入った袋を弄り始めた。
その中でも彼を手放さない。
『死んだ』ばかりの彼は、まだ温かく、私が抱きとめたせいで体の形は今だ崩れてはいない。
先ほど意味のない骸と判断したその身体を、私は壊れなくてよかった、と安堵した。
そうして、弄った小さな袋から小さな木の実のようなものを出す。
しかしそれは白色に光っており、ただの木の実ではないことを示していた。
「ぅ、ぐ…なんの、つもりだ」
「!! 魔王、なんで…」
死んだ者が喋りだした。可笑しい、手に持っている実はまだ食べさえていないのに。
取り出した実を片手に動き出した死体をみて愕然としていると、胸を押さえ、呻きながら彼は私の上から苦しそうに退く。
そのお陰で打ち付けられた腰辺りが見えたのだが、見なかったことにしておこう。簡単に言えば魔王意外と体重重い?ということだけだった。
それを見た魔王が眉をひそめたが、それ以前の胸の痛みに更に顔を顰めてしまった。
それに不安を感じて、手に持った発光する実を彼の口へ伸ばす。
死んでいないのは不思議で仕方がないが――もしかしたらあの武器が最終ボスである魔王に効かないものだったのかもしれない――それでも多少の攻撃力はあっただろうと、苦しみもがく彼を見て検討をつける。
私の差し出した手を見た魔王はその手を振り払い――何故か既に上半身以外動かせない私の身体を抱き起こした。
突然の行動に目が白黒する。え、何魔王どうしたの。
とりあえず魔王の力が強すぎて上と下が別々になりそうなのを不安に思いつつ、大人しくその腕の中に納まった。
こ、これままさか噂の膝枕ではないだろうか――どうしよう。こんな状況なのに嬉しい。
だが、嬉しさに浸っている場合ではない。私には確認しなければならないことがあるのだ。
先ほど突き刺した短剣――あれは確かに必殺という性能を発揮したはずだ。以前同じクエストをして入手したものが使っているところをみたことがあるが、あれは確実に敵に死を齎していたのだ。
「魔王…どうして死なない?」
「ふっ、死んで欲しかったか…やはりお前も口だけだな…、仮にも我は魔王だ、死にさえしてもそうそうに力尽きはせん」
それに、ああそういえばと思いついた。
確かに、そういう魔物もいた。確実に身体を真っ二つにして退治判定も出たというのに動いてくる魔物。
そういう相手は一定時間たつと消えるから、体力を使わないために逃げ回るのが得策なのだが――こう、知能がある者がやると、本当に生きているように見えて、なんだか悲しくなった。
あぁ、彼が生きてさえ居れば――そんな攻撃をしなくなった彼を見て、妄想するが、それを振り払って反論した。
「しょうがないだろう。お前が私の話を聞いてくれるには、こうするしかなかった。
それに、死んで欲しくなど ないさ。口だけなんて 言わせない」
おかしい。ヒュウヒュウと喉が変な音を立てる。
そういえば、毒が回ってたな。なんて、戦いの最中に忘れてしまっていた事実を思い出したり、そういえばなんで身体がこんなことになっているのにまだ喋れるのだろうと至極常識的な疑問を持ったりした。
本当に、私は死ぬのだと実感できた。
ほら。と手に持った実を彼の口に押し当てる。口を開こうとしない彼に変な物じゃない。と言って無理やり口に含ませて飲み込ませる。
随分と素直な魔王の心境の変化に首を傾げるが、それよりも彼がそれを飲み込んだことに安堵した。
その光る実は、とあるクエスト――早い話、一章のクエストの最後で得られた実だ。
天界への協力を仰ぐための最後の戦いで最高神から得られる、万物の最極端の産物という設定のものだった。
この世界では、何故かそこだけ現実らしく、死んだ者は生き返られないことになっている。
確かに敵に殺されたプレイヤーは教会で目覚め、ペナルティと共に金をふんだくられるという昔ながらの仕様となっているが、ギルド仲間と共にグループを組んでボス戦などで戦ったときは、仲間が殺されてしまっても蘇生させる方法はないとされている。
回復魔法は勿論のことあるが、それが間に合わないとやはり死ぬ。
仲間はそのまま戦闘が終わるまで放置され――外道がそこにいると、その身体を盾に使われたするが――大体の場合は置物とそう変わりなく対処される。
そうしてこの実は、そんな仲間を蘇生させられる唯一のものなわけだ。
とまぁ、説明をしたが、この実を試すのは実は初めてだったりする。
実は一つしかもらえないものだし、説明も最高神からの一度きりで、記憶が確実なのか、魔王という魔の生物にもそれが効くのか分からない。
だが、驚きの表情を露にし、痛みを表情から拭いさってゆく様を見て、心の底から安堵した。
だって嫌だもの。愛した人を自ら殺すって。何処のサスペンスだ。
「ほら、言ったとおりだ。私は、愛する人に嘘は つかないよ」
「…ああ、嘘ではなかったな」
なんだろうか、含みのある言葉を、影のある表情で返した魔王は、私を痛ましそうに見つめた。
悔やんでいるかのようにも見えるその表情に、私は少し期待してしまった。
痛みも何も感じなくなった私は、変わりに随分とお気楽な思考も手に入れたようだ。
それでも、始まりの喜びも憎しみもないようだった表情をここまで百面相させることが出来た自分を、なんだか褒めてやりたくなった。
似合わないといってしまったら最後なのだが、こういう表情もいいと思う。
そうして、痛みは消えただろうに、苦しそうな顔をして彼は私に問いかける。
「何故、我を愛しているなどといえる」
「好きだから。だから、愛している。ただ、それ だけだ」
愛を理解できないから苦しんでいるのだろうか、そう思って迷いなく断言する。
簡単に言うと一目惚れなのだが、この場でそれをいうのは野暮というものだろう。
だって何だって私は彼が好きで、今も昔も、きっと未来までも愛しているのだから問題ない。
苦しい。痛覚は消えたはずなのに、何故か喉が苦しかった。息をするのが苦しい。心臓が動く音が五月蠅い。
今、私はどんな顔をしているだろう。自らの血と、魔物の血で真っ赤で、上半身だけで、毒が回った目が充血して気持ち悪い事になっているかもしれない。だって、もう目が見えないんだもの。
「我は、愛することを、知らん」
「そう か。じゃあ 私 愛す から、私 ことも 愛してくれよ」
ブツブツと自分の声が切れる。魔王の声はよく聞こえるのに、私の声は聞こえない。
視界が赤黒く、しかしそれでも彼の姿は見えていた。
泣きそうな顔をしている。先ほどまで自分が殺そうとしていた相手が死に掛けていて、そんな顔をしている。
情けない顔をすると、随分と幼く見えるもので、ふと可愛らしいという感想が浮かんでしまった。
魔王は、耐えるような顔をして、私の乞いに答えた。
「ああ。愛そう。愛してやろう。だから、死ぬな」
「……あ ぁ」
どうしよう、泣きそうに嬉しい。
耐える魔王を尻目に、私が先に泣いてしまった。
視界が不明瞭で、何も分からないが、そんな感覚だけを感じた。
最後の力を振り絞って、無理をいう彼に言葉を託す。
「わたし は、逝く いつか また 逢える だから 待って て」
魂は巡るという。
死んでも、その魂は潰えることはなく、また新たな魂となって世界を巡る。
それを人は転生というが、今はそれを信じてみよう。
何年もかけて魔城までやってきて、知らぬうちにこの世界に入り込んで、本当に存在する命を殺して、生死を彷徨って、存在しなかったはずの愛する人に愛を告げて報われて、そうして今死のうとしている。
こんなありえないことの連続なのだから、少しはそんな希望的なことを信じてみても、いいじゃない。
頬を濡らす涙と、潰えて行く自らの命を感じながら――私は、この奇想天外な生涯を閉じたのだった。