ボクと彼女だけの放課後
ボクは休み時間が嫌いだ。
黒板の前でうるさい男子達がガタガタと机に座りながら騒いで、下品に笑っている。何の話をしているかにすら興味がわかないどうでもいい会話、ただの雑音、言葉の無駄使い。
目線を少しずらすと教室の真ん中では女子達が美容や駅前の新作スイーツの話をしている。きっと映えるかき氷とか、カフェで始まった桃のフェアの話。うるさいが耳に入ってくる情報には少し興味が湧いてしまう。不思議だ。
廊下側の後ろでオタク達がこちらを見て話をしている。知性を感じない会話で気持ち悪く笑っている。まぁボクには関係無いし、害もないのでどうでも良い。
教室がそんな分布図になる中どこにも属せない人がいる。教室の隅っこ、窓際の最後尾がボクの席。
別に悔しくも羨ましくもない。
うるさい世界をシャットアウトするように本の世界に潜る。本は良い。その世界の主人公に自分を重ねて旅をして、恋をして、不思議な世界に立ち向かう。
それに対して現実なんて日々がただ過ぎて、騒がしいだけで、代わり映えのしない幼い子供が書いた小説のよう。劇的な感動も、運命の出会いもない。
嫌な気持ちになり、ため息をつく。
ほぼ同時にチャイムが鳴ってゆっくり教室が静かになっていく。少しザワザワして先生を待つクラスメイト達、着崩した制服を急いで直す女子達を後目にボクは本を閉じ、前髪をいじりメガネを押し上げる。
眠気と戦う退屈な時間が再び始まる。時間はふざけているのかと思うほどゆっくり進む。
前髪で目が隠れるのを良いことに微睡み始めた頃、授業終わりのチャイムが鳴る。
ダラダラと始まるホームルームで先生の話を聞き流し、机の中の本を触る。ボクはさっきまで読んでいた物語に思いを馳せる。あの続きはどうなるのだろうか、主人公はどんな気持ちなのだろうか、気になって仕方ない。どうでも良いホームルームはなかなか終わらずイライラし始めた頃、その無駄な時間がやっと終わった。
部活動生達が我先にとダッシュで教室を出ていく。あんなに急いで、そんなに部活が楽しいのだろうか。廊下を走って先生に怒られる彼らを滑稽に思いながら教室を見渡す。ギャル達がカラオケに行くか、カフェに行くかを楽しげに話している。ダラダラ、ダラダラと決まらない話し合いは脱線と軌道修正を繰り返して、やっとカフェに行くことに決まったようだった。きっと太る太るいいながら桃フェアのデザートを頬張るのだろう。話しながら準備する彼女達はなかなか出ていかない。早く出ていけばいいのに。
少ししてやっと教室は静かになる。残っているのは仲間を失い勢いを失ったオタクと、その他モブの部活に行きたくない人達。
そしてどこにも属せない、誰でもないボク。
早くみんな出ていかないだろうか。机の中の本のページを指で弄びながら窓の外を眺めて待つ。
1人また1人と教室から出ていく。
エアコンが止まる音がした。まだ暑さの残る季節。それを合図に渋々生徒が出ていく。室温が上がると共にどんどん生徒が教室を出ていく。
ボクは立ち上がり窓を開ける。少し熱い風が吹き込んで来てレースカーテンを揺らす。涼しくは無いが密室よりはマシだ。
誰も居なくなった。
ボクは机からやっと本を取り出し栞の挟まったページを開く。やっと来たボクだけの時間。
放課後、教室にボクしか居ない時間が好きだ。
ページをめくる音と、カーテンを揺らす風。
誰にも邪魔されずに本の世界に没頭できる。現実は遠のき、最低限の感覚を残してボクは物語の世界に浸る。遠くから聞こえる運動部の掛け声さえBGMに感じて心地いい。贅沢を言えば吹奏楽部にもう少し頑張って欲しいとは思うが、それはわがままというものだろう。
新しい匂いがする本。最近買った短編集をめくりながら物語の世界を旅していると、扉の方に人の気配を感じた。
ボクは本を閉じずにチラッとその人物を見る。クラスのギャルのリーダーが居た。彼女は息を切らしながら教室に入って来て、ボクと目が合うと気まずそうに1人ごとを言い出す。
「サイフ忘れたのマジないわ〜…カフェからダッシュとか罰ゲームっしょ…奢ってくれてもいいじゃん」
そう言ってボクの背後でロッカーを漁り始める。1人だけの時間を邪魔されて少し不快になりつつ、無視して本を読み進める。話しかけられて読書の邪魔をされたくない。しかし、物語が中盤に差し掛かった頃、予想外の展開が起きた。いや、若干嫌な予感はしていた。
それは本の中の出来事ではなかった。突然顔の横から甘い香水の匂いがした。びっくりして振り返ると間近に彼女の顔があった。
「何読んでんの?あんたいつも本読んでるよね?面白い?」
近い顔にドキドキしつつ、ボクは答えに困る。面白いのだろうか、いつからか現実逃避の手段になってた気がする。そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、目の前の椅子をクルッと回し彼女はボクの正面に座る。
「ちょっと貸して?どんなん読んでんの?」
そう言って彼女はボクの手から本をひょいっと奪い取る。そしてペラペラとページをめくると残念そうな顔をして本を返して言う。
「やっぱだめだわ…面白そうだけど漢字読めないから無理〜」
そう言って彼女はボクの方を見る。どうしろというのだろうか。目が合いそうでとっさに目を伏せると彼女の胸元に目線が行ってしまった。緩めたリボン、第二ボタンまで大胆に開いたシャツそこから黒いインナーが見えている。しまったと思った時にはもう遅かった。
「うわ〜…今胸元覗いたでしょ?むっつりなんだ〜」
そう言って彼女は大袈裟に胸元を抑えて恥ずかしがるフリをする。言われたボクは顔が真っ赤になるのを感じながら小さく謝罪した。
少し考えた後彼女は唐突に閃いた顔をした。
「これは罰ゲーム決定だね」
そう言って彼女は笑った。
その日から彼女とボクの不思議な関係は始まった。
レースカーテンが揺れる。暑苦しい部屋で二人きり、一つ机を挟んで座るボクと彼女。あまりにも近いその距離にボクは少しドキドキしつつ、彼女の言う罰ゲームとやらがなにかを恐る恐る聞く。
彼女は少し悩んだあと、不思議な事を言い出す。
「おすすめの小説読み聞かせて!読めないけど気になるじゃん?だからって勉強したくないし…」
ボクはびっくりした。同時に少しだけ嬉しいような気がした。自分でもその感情に戸惑って一瞬思考が止まりそうになり慌てて彼女を疑う。その後来たのはやはりネガティブな想像。このまま彼女の罰ゲームを断ったら明日から、ボクのあだ名はむっつりだろう。ベタベタとギャルの胸元を覗き込んだむっつりのレッテルが貼られているだろう。どうせ陰キャでクラスの中で浮いている存在、今もどんなあだ名が付いているのかも分からない。それでも、そこに変態のようなレッテルが新しく付くのはあまりいい気はしない。呼び名なんてどうでもいいが、イジるために絡まれて読書を邪魔されるのは不愉快だ。そんな思考を巡らせた後ボクは渋々彼女の罰ゲームを受け入れた。
そしてボクは手元の短編集のページを少し戻り、フッと息を吐いて読み始める。上擦った声は聴いていて不快で嫌気がさす。自分の気持ち悪い声が聞こえる度に辞めたくなる。そんな気持ちをグッと堪えて読み進めて行く。
彼女をチラッと見ると目を閉じて机に頬杖をついて居た。退屈なのだろうか、それとも集中しているのか分から無い。少しだけ揺れる髪が悪い気分では無いと言っているような気がした。
ボクは諦めて噛みながら、詰まりながらおすすめの物語を読む。表現力なんて無い、抑揚もない自分で辛くなるほどの稚拙な朗読を続ける。唇が乾燥しだした頃、物語は終わった。
読み終えたボクは恐る恐る彼女を見る。難しい顔をした彼女は何か考えているようだった。そんなに難しい話だっただろうか。
ボクが彼女に声をかけようとした時、彼女のスマホが鳴った。彼女ははっとして、教室に来た目的を思い出したようだった。彼女は勢い良く立ち上がりサイフを握り、椅子を元に戻した。そして彼女は慌てて電話に出ながら走って教室を出ていこうとする。
扉を出る時、彼女は振り返り手を振りながら言った。
「また明日ね!」
ボクは無意識に頷いて手を振っていた。
今日、彼女は来るのだろうか。
「また明日ね」
その言葉を真に受けて良かったのだろうか。社交辞令も分からないと笑われるだろうか。ボクはそんな不安を隠すように本をめくる。何故か今日は物語の世界に入れない。集中しようとすればするほど心が教室の扉を見つめている気がしてもどかしい。
今までこんなに現実世界につなぎ止めてきた言葉があっただろうか。「また明日ね」ただそれだけ。
その短い言葉のせいでボクは本の世界に入れない。開け放たれた教室の扉と対比するように今日は物語の扉はしっかりと閉ざされている。
そんな状況に若干の苛立ちを感じていた頃、扉の近くに人影が映る。少し期待してそちらを見ると彼女が息を切らして立っていた。
「ごめん!生徒指導に捕まってさー?何がスカートが短いだよ!好きにさせて欲しいわー…」
そう言って彼女は当たり前のようにボクの目の前の椅子を掴み、後ろ向きにクルッと回す。椅子に座ると楽しそうに、まるで絵本の読み聞かせをねだる子供のような目をこちらに向ける。
ボクは緊張しつついつもの短編集を開き、彼女の好きそうな物語を朗読する。昨日よりはスラスラ読める。思い出すと恥ずかしいが昨日帰ってから少し練習した。せっかくの物語をボクの声で汚したくなかったから。それでもつっかえながら、噛みながら読んでしまう自分が不甲斐ない。段落のタイミングで彼女の方をチラッと見ると、場面を想像しようとしているのか目を閉じて頷いている。少し可愛いと思ったのは秘密にしておいた方が良さそうだ。
ボクが読み終わると彼女は目をあけ、満足気に笑う。彼女の表情を見て、ボクも少し笑う。
「あ!初めて笑った!八重歯あるんだ!可愛いじゃん」
彼女のその言葉で思わずボクは口元を隠した。歯並びはちょっとだけコンプレックスだからだ。だからいつもマスクをしている。そんなボクの気持ちなんてお構いなしに彼女はボクの腕を掴んで
「もう1回!もう1回見せて可愛かったから!」
と迫ってくる。抵抗虚しく片手で両腕を抑えられたボクが俯いていると彼女はムスッとしておもむろにもう一方の手の指をボクの唇に当てる。
そしてあろうことか唇を指で押し上げ八重歯がある所をめくる。彼女の指が少し歯茎に触れるのをかんじ、びっくりしていると彼女はしまったという感じの顔をして、ボクの拘束を解く。
「ごめん…可愛いかったからつい…痛くなかった?」
少ししょげた彼女を見ると怒る気が不思議と起きなかった。びっくりしただけだという事と、少しコンプレックスに思ってる事を伝えると彼女は安心した顔になった。
少し空白の時間が流れたあと、彼女はおもむろにポケットをゴソゴソとあさり、仲直りの印と言って棒付きキャンディを取り出して渡してくれた。
ボクはそれを受け取りくわえる。彼女ももう1つ取り出してくわえる。色々あったが朗読の時間は終わりのようで、彼女は椅子を元の方向に戻して帰り支度をする。帰る直前、彼女が思い出したようにスマホを取り出しながら急接近してきてボクの肩を抱き寄せる。
「写真一緒にとろ!後で送るからさ!」
そう言って彼女は盛れる角度とやらを探し、ボクをさらに抱き寄せる。ドキドキしながらされるがままになっていたが、写真を撮る瞬間少しだけ反抗心でイタズラをすることにした。
写真を撮り終わったあと、チェックする彼女はボクのイタズラに気づいて嬉しそうに頬をつついてくる。
ボクは少し照れながら彼女と連絡先を交換し、最初のスタンプと一緒に写真が送られてくる。
制服を着崩した彼女と野暮ったい陰キャのボクのツーショット、ちぐはぐなふたりだが一緒に飴をくわえ、にっこり笑った良い写真だ。写真に映る自分の八重歯を見て嫌な気持ちにならなかったのはいつぶりだろうか。誰かと笑いあったのはいつぶりだろうか。彼女のおかげで少し自分が好きになれそうな気がした。
きっとボクがボクじゃなかったらこんな幸せは見つからなかっただろう。恋心にも似た小さな痛みと大きな幸せを感じながらボクは楽しそうな彼女と一緒に帰りながら、制服のスカートを1回だけ巻いて短くした。




