第9話 火術貴族の問いと「認識」の話
リアナに案内された店は、ギルドから少し離れた横丁にあった。
看板には、でかでかと
「山猫亭」
と書かれている。
木の扉は使い込まれて黒光りし、窓からはスープと焼き肉の匂いが漏れていた。
「ここ、冒険者多いけど喧嘩は少ないよ。店主が握力だけで止めるから」
「握力で、ですか」
「前に椅子投げたやつの腕、片手で受け止めてねじ伏せてたからね」
「それ、行く前に聞きたくなかった情報なんですけど……」
そんな話をしながらも、ハヤトの胸は少し高鳴っていた。
ギルド帰りに仲間と飯を食う。
それは、マッサージ帰りに一人で屋台の薄いスープをすするのとは、まったく別の世界の話だった。
◇
「いらっしゃい。四人ね?」
店に入ると、恰幅のいい女将が声をかけてきた。
腕は太く、笑ったときの頬は力強く持ち上がる。
「リアナ、また来たの?」
「また来ました。今日は“初報酬祝い”!」
「ほう、それは景気がいい。じゃあ肉を増やしてやろう」
「やった!」
木のテーブル席に案内され、四人は腰を下ろした。
「何にします?」
「日替わりの煮込みとパン、それから野菜炒めを一皿追加で。あと水を四つ」
リアナが慣れた様子で注文を決めていく。
「お酒は?」
「私はまだやめときます」
ミナがそっと手を振る。
「ハヤト君も、今日は水のほうがいいですよ。初めての依頼で疲れてるでしょうし」
「そうですね……」
セレスは少しだけ考え、結局水を頼んだ。
「貴族だからって、むやみに酒の席を増やすわけにもいかないしね」
注文を終えると、女将は厨房へ引っ込んでいった。
店内は程よい喧噪に包まれている。
別のテーブルでは、先輩冒険者たちが今日の依頼の愚痴を言い合い、笑い合っていた。
その中で、四人のテーブルだけが、少しだけ落ち着いた空気をまとっていた。
「で」
水が運ばれてきて、ひと口喉を潤したあと。
セレスが、コップを指でくるくる回しながら口を開いた。
「さっきギルドで言った“話したいこと”なんだけど」
「静電気のこと、ですか?」
ハヤトが問い返すと、セレスは小さく頷いた。
「ええ。あなたの魔力のことと──この世界の“普通”の話」
「“普通”、ですか?」
「そう」
セレスは、少しだけ言葉を選ぶように視線を落とした。
「この世界では、生まれつきの適性がすべてよ。
火、氷、雷、木、土、金、月、日……どれを持っているかで、将来が決まる。
それ以外は、“無適性”」
ハヤトは、無意識に自分の胸元のあたりを押さえた。
診断のとき、何度も言われた言葉が蘇る。
──火でも水でもない。
──雷とも違う。
──分類不能。無能に近い。
「雷術っていうのも一応あるんですよね?」
ミナが控えめに口を挟む。
「神話級ですけど。七英雄の一人が雷を操ったっていう伝説とか」
「そうね」
セレスは頷く。
「でも、“雷”はあまりに強すぎて、普通の人間の適性としてはほとんど現れない。
それに──“雷”と“静電気”を同じものと見なす人なんて、まずいないわ」
「……ですよね」
ハヤトは苦笑した。
「俺も、ずっと別物だと思ってました。
雷は“空の怒り”で、静電気は“冬場の嫌がらせ”みたいな」
「妙に分かりやすい例えやめて」
リアナが噴き出す。
セレスは少しだけ肩をすくめて、続けた。
「でも、今日の戦いを見て、確信したの。
あなたの静電気は、“ただの体質”じゃない」
「体質……」
「マッサージでしか使えないなら、そうだったかもしれない。
でも、意識して“押し引き”していたでしょう? あのスライムの動き」
ハヤトは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……分かってたんですか?」
「見れば分かるわよ」
セレスは淡々と答える。
「体の表面で弾けるだけなら、“ただの刺激”で終わる。
でも、あなたのは違った。
“どこを止めるか”“どこをずらすか”──それを選んでた」
『鋭い娘じゃな』
『お前のやっておることを、ちゃんと“意図”として見抜いておる』
セレスはコップの水を一口飲み、言葉を継いだ。
「この世界には、ひとつの“決まりごと”があるわ」
「決まりごと?」
「“認識できる以上の能力は、使えない”」
その言葉に、ハヤトは思わず息を呑んだ。
「……それ、俺も最近、なんとなく分かってきた気がします」
「例えば?」
「俺、今まで静電気を“ビリビリしてるだけの魔力”だと思ってました。
だから、マッサージくらいにしか使えなかった。
でも、“押し引きできる力だ”って知ったら──」
「足を止めたり、動きをずらしたりできるようになった」
セレスが言葉を引き取る。
「知ったから、できるようになった。
知らない間は、できなかった」
「そうです」
ハヤトは、改めて自分の指先を見下ろした。
あの本──教授から教わったクーロンの法則。
同じ性質は反発し、違う性質は引き合う。
言葉にしてしまえば単純な理屈。
でも、知る前と知ったあとでは、世界の見え方が全然違っていた。
「私たちが使う火術も、水術も、月術も……」
セレスは、自分の掌の上に、爪ほどの小さな火を灯した。
「形は違っても、“こういうものだ”っていうイメージに縛られてるのよ」
小さな火は、すぐに消える。
「火は熱い。燃やすもの。光るもの。
そういう“決まり”から外れた使い方は、ほとんど誰も考えない」
「でも、セレス様なら考えられるんじゃ?」
リアナが茶化すように言う。
「例えば、火で圧力を操るとかさ」
「簡単に言ってくれるわね」
セレスは肩をすくめる。
「理屈を知れば、可能性は広がる。
でも、その“理屈”を知る人がほとんどいないのよ」
そこで、セレスの視線が再びハヤトに向いた。
「あなたは、そこが違う」
「俺が……?」
「静電気を“ただの静電気”で終わらせていない。
クーロンの法則とやらを知って、押し引きの感覚を覚えた。
それは、この世界の誰も持っていない“認識”よ」
『ふむ』
教授が、満足そうに唸る。
『こやつ、話が早いのう。
電気を“概念”として扱うことの意味を、直感で理解しとる』
『お前が電気を使えるようになるほど、周りも電気に気づき始める。
そういうものじゃ』
ハヤトは、胸の奥が妙なぞわぞわに包まれるのを感じた。
自分だけが知っていること。
自分だけが見えている“押し引きの感覚”。
それを、セレスは
「価値」
だと断言した。
「だから、確認しておきたかったの」
セレスは、少しだけ真剣な顔になる。
「あなたは、その“知られていない力”を、どこまで追いかけるつもり?」
「どこまで、って……」
急に大きな話を振られて、ハヤトは言葉に詰まった。
どこまで行けるかなんて、考えたこともない。
でも──どこまで行きたいか、なら。
「……俺は」
一度、息を整える。
いつか母が語った父の話が、ふと胸をよぎる。
顔も声も覚えていない、遠い姿。
それでも、
「知は力なり」
という言葉だけは、いつも心の真ん中にあった。
「俺は、“最弱魔力”って言われなくなるくらいには、強くなりたいです」
それが、正直な本心だった。
「貴族とか、天才とか、元から強い人たちに、少しでも追いつきたい。
静電気しかないって笑われないくらいには、戦えるようになりたい」
「それだけ?」
セレスの問いは、淡々としていた。
責めるでもなく、ただ確認するような声。
「それだけじゃないですけど……今はそれが一番、分かりやすいです」
ハヤトは、自分でも驚くくらい素直に答えていた。
「いじめられて、殴られて、笑われて。
それでも、勉強すれば変われるって信じてきたので。
まずは、“静電気”でどこまでやれるか、試したいです」
セレスは、じっとハヤトを見た。
その瞳には、冷たさと、ほんの少しの熱が混じっていた。
「……いいわね」
やがて、小さく笑みがこぼれる。
「シンプルで。でも、分かりやすくて、嫌いじゃない」
「セレス様が人を褒めた……!」
リアナが大袈裟に驚いてみせる。
「ミナ、今の聞いた? 貴族のセレス様が、褒めた!」
「静かにして」
セレスがリアナの額を軽く突く。
「ただし──」
表情を引き締め、再びハヤトに向き直った。
「“最弱じゃなくなる”ってことは、“目をつけられる”ってことでもあるわ」
「目を……?」
「今はまだ、誰もあなたの静電気に本気で興味を持っていない。
変わり種のおもしろ魔術扱いで済んでる」
セレスは、水の入ったコップの中をのぞき込む。
「でも、もっと強くなれば。
もっと目立てば。
“自分の利益のために使いたい”って人も出てくる」
「……」
ハヤトは言葉を失った。
思いもしなかった方向からの警告だった。
「貴族、軍、魔術研究者。
“普通じゃないもの”を見つけたら、放っておく人たちばかりじゃないのよ」
セレスは、自分の胸元の紋章を軽く指で触れた。
「だから、覚えておきなさい。
“認識できる以上の能力は使えない”のと同じくらいに──」
「……はい」
「“認識され過ぎた能力は、自由に使えなくなる”」
その言葉が、ハヤトの胸にずしりと落ちた。
自由に、使えなくなる。
自分の静電気なのに。
自分の体から出ている力なのに。
『……当然のことじゃ』
教授の声は、妙に静かだった。
『危うい力を持つ者は、常に“誰か”の都合に巻き込まれる。
電気もまた、そういう性質を持っておる』
『だが、それでもなお使いたいか?
この静電気で、自分の行きたい場所へ行きたいか?』
問いかけに、ハヤトは少しも迷わなかった。
『よろしい』
教授は、くくっと笑う。
『ならば儂は教えよう。
クーロンの先にある、電気を流すための“別の法則”も。
その先にある“流れ”の理も』
そのとき、ちょうど料理が運ばれてきた。
湯気を立てる大きな煮込み鍋。
こんがり焼けた肉片と野菜が、スープの中で踊っている。
焼きパンの香ばしい匂いが、空腹を刺激した。
「はい、お待ち。新人さんの初報酬祝いだって? 肉、多めにしておいたよ」
「ありがとうございます!」
リアナがパンをちぎって、スープに浸す。
「難しい話は一回置いといて、まずは食べよ。腹が減ってはなんとやら、だよ」
「そうですね」
ミナも笑顔で頷く。
「ハヤト君、いっぱい食べてください。今日たくさん動いたんですから」
「……いただきます」
ハヤトは、スープをひと口すくって口に運んだ。
肉の旨味と野菜の甘みが、疲れた体に染み渡る。
いつもの薄いスープとは、比べものにならない味だった。
「どう?」
「……めちゃくちゃうまいです」
「だよね!」
リアナが満足げに笑う。
セレスは、少しだけ遅れてスープを味わい、小さく頷いた。
「悪くないわね。これなら、また来てもいい」
「じゃあ、ここ“パーティの行きつけ”にしよっか」
「いいですね。いつか“常連席”とか言われるくらい通えたら」
ミナの言葉に、ハヤトもつられて笑う。
さっきまでの重い話も、肉の匂いと仲間の笑い声の中で、少しだけ角が丸くなっていくようだった。
それでも──セレスの言葉は、きちんと胸の奥に残っている。
認識できる以上の能力は、使えない。
認識され過ぎた能力は、自由に使えなくなる。
静電気は、その狭間にある。
弱いと笑われるうちは、誰も本気で気にしない。
でも、強くなればなるほど、目をつけられる力。
ハヤトは、スープを飲みながら、心の中でひとつ決めた。
力を持つだけじゃなく、その使い方を、自分で選べるように。
教授から学ぶ電気の理を、この世界の“決まり”とどう折り合わせるか。
静電気を武器にするだけじゃなく、守りにも、逃げ道にも変えられるように。
『よい決意じゃ』
教授の声が、少しだけ柔らかく響いた。
『今夜は、クーロンをもう一段深くやるぞ。
それから、抵抗というものの話に、指をかけてみる』
『眠気が来るまでで構わん。学びは逃げん。
……お前が逃げさえしなければな』
ハヤトは、湯気の向こうに揺れる仲間たちの横顔を見た。
剣を握るリアナ。
炎を操るセレス。
傷を繋ぐミナ。
その輪の中に、静電気しか持たない自分もいる。
最弱だと笑われた魔力で。
それでも、確かに“繋がっている”と感じながら、ハヤトはスープをもうひと口、口に運んだ。




