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第9話 火術貴族の問いと「認識」の話




 リアナに案内された店は、ギルドから少し離れた横丁にあった。

 看板には、でかでかと



「山猫亭」



と書かれている。

 木の扉は使い込まれて黒光りし、窓からはスープと焼き肉の匂いが漏れていた。



「ここ、冒険者多いけど喧嘩は少ないよ。店主が握力だけで止めるから」



「握力で、ですか」



「前に椅子投げたやつの腕、片手で受け止めてねじ伏せてたからね」



「それ、行く前に聞きたくなかった情報なんですけど……」



 そんな話をしながらも、ハヤトの胸は少し高鳴っていた。

 ギルド帰りに仲間と飯を食う。

 それは、マッサージ帰りに一人で屋台の薄いスープをすするのとは、まったく別の世界の話だった。













「いらっしゃい。四人ね?」



 店に入ると、恰幅のいい女将が声をかけてきた。

 腕は太く、笑ったときの頬は力強く持ち上がる。



「リアナ、また来たの?」



「また来ました。今日は“初報酬祝い”!」



「ほう、それは景気がいい。じゃあ肉を増やしてやろう」



「やった!」



 木のテーブル席に案内され、四人は腰を下ろした。



「何にします?」



「日替わりの煮込みとパン、それから野菜炒めを一皿追加で。あと水を四つ」



 リアナが慣れた様子で注文を決めていく。



「お酒は?」



「私はまだやめときます」



 ミナがそっと手を振る。



「ハヤト君も、今日は水のほうがいいですよ。初めての依頼で疲れてるでしょうし」



「そうですね……」



 セレスは少しだけ考え、結局水を頼んだ。



「貴族だからって、むやみに酒の席を増やすわけにもいかないしね」



 注文を終えると、女将は厨房へ引っ込んでいった。

 店内は程よい喧噪に包まれている。

 別のテーブルでは、先輩冒険者たちが今日の依頼の愚痴を言い合い、笑い合っていた。

 その中で、四人のテーブルだけが、少しだけ落ち着いた空気をまとっていた。



「で」



 水が運ばれてきて、ひと口喉を潤したあと。

 セレスが、コップを指でくるくる回しながら口を開いた。



「さっきギルドで言った“話したいこと”なんだけど」



「静電気のこと、ですか?」



 ハヤトが問い返すと、セレスは小さく頷いた。



「ええ。あなたの魔力のことと──この世界の“普通”の話」



「“普通”、ですか?」



「そう」



 セレスは、少しだけ言葉を選ぶように視線を落とした。



「この世界では、生まれつきの適性がすべてよ。

 火、氷、雷、木、土、金、月、日……どれを持っているかで、将来が決まる。

 それ以外は、“無適性”」



 ハヤトは、無意識に自分の胸元のあたりを押さえた。

 診断のとき、何度も言われた言葉が蘇る。

 ──火でも水でもない。

 ──雷とも違う。

 ──分類不能。無能に近い。



「雷術っていうのも一応あるんですよね?」



 ミナが控えめに口を挟む。



「神話級ですけど。七英雄の一人が雷を操ったっていう伝説とか」



「そうね」



 セレスは頷く。



「でも、“雷”はあまりに強すぎて、普通の人間の適性としてはほとんど現れない。

 それに──“雷”と“静電気”を同じものと見なす人なんて、まずいないわ」



「……ですよね」



 ハヤトは苦笑した。



「俺も、ずっと別物だと思ってました。

 雷は“空の怒り”で、静電気は“冬場の嫌がらせ”みたいな」



「妙に分かりやすい例えやめて」



 リアナが噴き出す。

 セレスは少しだけ肩をすくめて、続けた。



「でも、今日の戦いを見て、確信したの。

 あなたの静電気は、“ただの体質”じゃない」



「体質……」



「マッサージでしか使えないなら、そうだったかもしれない。

 でも、意識して“押し引き”していたでしょう? あのスライムの動き」



 ハヤトは、ごくりと唾を飲み込んだ。



「……分かってたんですか?」



「見れば分かるわよ」



 セレスは淡々と答える。



「体の表面で弾けるだけなら、“ただの刺激”で終わる。

 でも、あなたのは違った。

 “どこを止めるか”“どこをずらすか”──それを選んでた」



『鋭い娘じゃな』



『お前のやっておることを、ちゃんと“意図”として見抜いておる』



 セレスはコップの水を一口飲み、言葉を継いだ。



「この世界には、ひとつの“決まりごと”があるわ」



「決まりごと?」



「“認識できる以上の能力は、使えない”」



 その言葉に、ハヤトは思わず息を呑んだ。



「……それ、俺も最近、なんとなく分かってきた気がします」



「例えば?」



「俺、今まで静電気を“ビリビリしてるだけの魔力”だと思ってました。

 だから、マッサージくらいにしか使えなかった。

 でも、“押し引きできる力だ”って知ったら──」



「足を止めたり、動きをずらしたりできるようになった」



 セレスが言葉を引き取る。



「知ったから、できるようになった。

 知らない間は、できなかった」



「そうです」



 ハヤトは、改めて自分の指先を見下ろした。

 あの本──教授から教わったクーロンの法則。

 同じ性質は反発し、違う性質は引き合う。

 言葉にしてしまえば単純な理屈。

 でも、知る前と知ったあとでは、世界の見え方が全然違っていた。



「私たちが使う火術も、水術も、月術も……」



 セレスは、自分の掌の上に、爪ほどの小さな火を灯した。



「形は違っても、“こういうものだ”っていうイメージに縛られてるのよ」



 小さな火は、すぐに消える。



「火は熱い。燃やすもの。光るもの。

 そういう“決まり”から外れた使い方は、ほとんど誰も考えない」



「でも、セレス様なら考えられるんじゃ?」



 リアナが茶化すように言う。



「例えば、火で圧力を操るとかさ」



「簡単に言ってくれるわね」



 セレスは肩をすくめる。



「理屈を知れば、可能性は広がる。

 でも、その“理屈”を知る人がほとんどいないのよ」



 そこで、セレスの視線が再びハヤトに向いた。



「あなたは、そこが違う」



「俺が……?」



「静電気を“ただの静電気”で終わらせていない。

 クーロンの法則とやらを知って、押し引きの感覚を覚えた。

 それは、この世界の誰も持っていない“認識”よ」



『ふむ』



 教授が、満足そうに唸る。



『こやつ、話が早いのう。

 電気を“概念”として扱うことの意味を、直感で理解しとる』



『お前が電気を使えるようになるほど、周りも電気に気づき始める。

 そういうものじゃ』



 ハヤトは、胸の奥が妙なぞわぞわに包まれるのを感じた。

 自分だけが知っていること。

 自分だけが見えている“押し引きの感覚”。

 それを、セレスは



「価値」



だと断言した。



「だから、確認しておきたかったの」



 セレスは、少しだけ真剣な顔になる。



「あなたは、その“知られていない力”を、どこまで追いかけるつもり?」



「どこまで、って……」



 急に大きな話を振られて、ハヤトは言葉に詰まった。

 どこまで行けるかなんて、考えたこともない。

 でも──どこまで行きたいか、なら。



「……俺は」



 一度、息を整える。

 いつか母が語った父の話が、ふと胸をよぎる。

 顔も声も覚えていない、遠い姿。

 それでも、



「知は力なり」



という言葉だけは、いつも心の真ん中にあった。



「俺は、“最弱魔力”って言われなくなるくらいには、強くなりたいです」



 それが、正直な本心だった。



「貴族とか、天才とか、元から強い人たちに、少しでも追いつきたい。

 静電気しかないって笑われないくらいには、戦えるようになりたい」



「それだけ?」



 セレスの問いは、淡々としていた。

 責めるでもなく、ただ確認するような声。



「それだけじゃないですけど……今はそれが一番、分かりやすいです」



 ハヤトは、自分でも驚くくらい素直に答えていた。



「いじめられて、殴られて、笑われて。

 それでも、勉強すれば変われるって信じてきたので。

 まずは、“静電気”でどこまでやれるか、試したいです」



 セレスは、じっとハヤトを見た。

 その瞳には、冷たさと、ほんの少しの熱が混じっていた。



「……いいわね」



 やがて、小さく笑みがこぼれる。



「シンプルで。でも、分かりやすくて、嫌いじゃない」



「セレス様が人を褒めた……!」



 リアナが大袈裟に驚いてみせる。



「ミナ、今の聞いた? 貴族のセレス様が、褒めた!」



「静かにして」



 セレスがリアナの額を軽く突く。



「ただし──」



 表情を引き締め、再びハヤトに向き直った。



「“最弱じゃなくなる”ってことは、“目をつけられる”ってことでもあるわ」



「目を……?」



「今はまだ、誰もあなたの静電気に本気で興味を持っていない。

 変わり種のおもしろ魔術扱いで済んでる」



 セレスは、水の入ったコップの中をのぞき込む。



「でも、もっと強くなれば。

 もっと目立てば。

 “自分の利益のために使いたい”って人も出てくる」



「……」



 ハヤトは言葉を失った。

 思いもしなかった方向からの警告だった。



「貴族、軍、魔術研究者。

 “普通じゃないもの”を見つけたら、放っておく人たちばかりじゃないのよ」



 セレスは、自分の胸元の紋章を軽く指で触れた。



「だから、覚えておきなさい。

 “認識できる以上の能力は使えない”のと同じくらいに──」



「……はい」



「“認識され過ぎた能力は、自由に使えなくなる”」



 その言葉が、ハヤトの胸にずしりと落ちた。

 自由に、使えなくなる。

 自分の静電気なのに。

 自分の体から出ている力なのに。



『……当然のことじゃ』



 教授の声は、妙に静かだった。



『危うい力を持つ者は、常に“誰か”の都合に巻き込まれる。

 電気もまた、そういう性質を持っておる』



『だが、それでもなお使いたいか? 

 この静電気で、自分の行きたい場所へ行きたいか?』



 問いかけに、ハヤトは少しも迷わなかった。



『よろしい』



 教授は、くくっと笑う。



『ならば儂は教えよう。

 クーロンの先にある、電気を流すための“別の法則”も。

 その先にある“流れ”の理も』



 そのとき、ちょうど料理が運ばれてきた。

 湯気を立てる大きな煮込み鍋。

 こんがり焼けた肉片と野菜が、スープの中で踊っている。

 焼きパンの香ばしい匂いが、空腹を刺激した。



「はい、お待ち。新人さんの初報酬祝いだって? 肉、多めにしておいたよ」



「ありがとうございます!」



 リアナがパンをちぎって、スープに浸す。



「難しい話は一回置いといて、まずは食べよ。腹が減ってはなんとやら、だよ」



「そうですね」



 ミナも笑顔で頷く。



「ハヤト君、いっぱい食べてください。今日たくさん動いたんですから」



「……いただきます」



 ハヤトは、スープをひと口すくって口に運んだ。

 肉の旨味と野菜の甘みが、疲れた体に染み渡る。

 いつもの薄いスープとは、比べものにならない味だった。



「どう?」



「……めちゃくちゃうまいです」



「だよね!」



 リアナが満足げに笑う。

 セレスは、少しだけ遅れてスープを味わい、小さく頷いた。



「悪くないわね。これなら、また来てもいい」



「じゃあ、ここ“パーティの行きつけ”にしよっか」



「いいですね。いつか“常連席”とか言われるくらい通えたら」



 ミナの言葉に、ハヤトもつられて笑う。

 さっきまでの重い話も、肉の匂いと仲間の笑い声の中で、少しだけ角が丸くなっていくようだった。


 それでも──セレスの言葉は、きちんと胸の奥に残っている。


 認識できる以上の能力は、使えない。

 認識され過ぎた能力は、自由に使えなくなる。

 静電気は、その狭間にある。


 弱いと笑われるうちは、誰も本気で気にしない。

 でも、強くなればなるほど、目をつけられる力。


 ハヤトは、スープを飲みながら、心の中でひとつ決めた。

 力を持つだけじゃなく、その使い方を、自分で選べるように。

 教授から学ぶ電気の理を、この世界の“決まり”とどう折り合わせるか。

 静電気を武器にするだけじゃなく、守りにも、逃げ道にも変えられるように。



『よい決意じゃ』



 教授の声が、少しだけ柔らかく響いた。



『今夜は、クーロンをもう一段深くやるぞ。

 それから、抵抗というものの話に、指をかけてみる』



『眠気が来るまでで構わん。学びは逃げん。

 ……お前が逃げさえしなければな』



 ハヤトは、湯気の向こうに揺れる仲間たちの横顔を見た。

 剣を握るリアナ。

 炎を操るセレス。

 傷を繋ぐミナ。


 その輪の中に、静電気しか持たない自分もいる。

 最弱だと笑われた魔力で。

 それでも、確かに“繋がっている”と感じながら、ハヤトはスープをもうひと口、口に運んだ。



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