第8話 ギルド帰還と電気の「見えない証拠」
森を出るころには、太陽はすでに頭上から少し傾き始めていた。
ギルドで報告を済ませたあと、リアナたちは宿へ向かった。
だがハヤトは、荷を背負い直して小さく言った。
「……俺、少し寄り道してくる」
貧民街の路地を抜け、長屋の戸を押すと、母が驚いた顔で振り向いた。
「おかえり。……無事でよかった」
「稼いできた。今日は、贅沢しよう」
麻袋の口から覗くのは、卵と干し肉、それから小さな果物。
母は目を丸くして、すぐに申し訳なさそうに笑った。
「そんな……あなたにばかり背負わせて、ごめんね」
「背負ってない。……一緒に食べよう。俺も、ちゃんと食べたいんだ」
母は黙って頷き、竈に火を入れた。
スライムの核を詰め込んだ麻袋が、ずしりと重い。
「うわ、けっこう重いね、これ」
リアナが肩に担ぎ直しながら苦笑する。
「中身ほとんど“ぐちゃぐちゃのゼリー”ですからね……」
ハヤトは、袋の端から垂れてきた粘液を、必死に指でぬぐった。
乾きかけたそれは、べたついていて嫌な感触だ。
「核を売れば、ギルドが素材として買い取ってくれるわ」
セレスが、淡々と説明する。
「魔道具の材料にしたり、薬に混ぜたり。……世の中、何に需要があるか分からないものね」
「スライムを飲み薬にするって聞くと、ちょっと抵抗ありますけど……」
「そういう加工は、全部専門家がやってくれるから大丈夫」
ミナが柔らかく笑う。
「私たちは、ちゃんと仕留めて持って帰るところまでが仕事です」
街道に出ると、遠くに城壁が見えてきた。
夕暮れにはまだ早いが、行き交う荷馬車の影は少しだけ長く伸びている。
「ね」
リアナが、ふいに声のトーンを落としてハヤトの横に並んだ。
「どう? 初依頼」
「……まだ実感わかないです」
ハヤトは素直に答えた。
「戦ってる間は、必死すぎて。
終わったあとも、なんか“本当に俺、戦ってたのかな”って感じで」
「戦ってたよ。ちゃんと“前線にいた”」
リアナは即答した。
「スライムの動き、何回も止めてくれたでしょ。
あれがなかったら、私ここまで突っ込めなかったから」
「でも、俺、斬ったりしてないし……」
「はあ?」
リアナは眉をひそめて、ハヤトの胸を指でつついた。
「お前さ、“斬るやつだけが戦ってる”と思ってない?」
「え……」
「剣が届くように足を軽くして、
踏み込みのタイミングを合わせて、
致命傷にならないように傷を繋いで──」
リアナは、前を歩くセレスとミナの背中を顎でしゃくる。
「あの二人がいて、やっと私が“派手に斬れる”んだよ。
それを全部ひっくるめて“戦ってる”って言うの。
静電気も、その一部」
ハヤトは言葉を失った。
リアナの視線は、真っ直ぐで、揺らがない。
冗談を言うときとは違う、冒険者の目だった。
『ふむ。よく分かっておる娘じゃ』
『割り切る必要はない。ただ、今の言葉は覚えておけ』
教授の声が静かに響く。
『回路は、一つでも欠ければ動かん。
剣も、炎も、治癒も、静電気も──全部が揃って、初めて“ひとつの力”になる』
ハヤトは、スライムの核が詰まった袋を見下ろした。
湿った重みが、少しだけ誇らしく感じられた。
◇
ギルドに戻ると、受付前は相変わらず人で溢れていた。
「お、帰ってきた!」
エリナが手を振る。
「初依頼、おかえりなさーい。全員無事ね?」
「当然」
リアナが袋をどさりとカウンターの上に置く。
「スライムの核、十五。ついでに粘液まみれ」
「後半いらない情報」
エリナは苦笑しつつ、袋の口を開けた。
「確認するわね。……うん、ちゃんと核だけ残してある」
「セレス様の火術が、きれいに焦がしてくれたので」
ミナが嬉しそうに補足する。
「ハヤト君の“足止め”がなかったら、もっと時間かかってたと思います」
「へえ」
エリナの視線が、ハヤトのほうに向いた。
「どれくらい効いたの? その静電気」
「えっと……」
ハヤトは言い淀んだ。
自分で自分を褒めるのは、どうにも気恥ずかしい。
それでも、何も言わないわけにはいかない。
「スライムが前に出てくるときに、底を地面に“くっつける”感じで。
前に進もうとする動きを、一瞬止めたり、踏み込みを弱くしたりはできました」
「それを狙ってできる時点で、十分すごいからね?」
リアナが横から口を挟む。
「二回目なんか、踏み込みズレたせいで、こっちの攻撃がど真ん中入ったし」
「やっぱりちゃんと効いてるのね」
エリナは感心したように頷いた。
「じゃあ、報酬の計算入れるから、ちょっと待ってて」
そう言って奥に引っ込んだ直後だった。
「おいおい、なんだありゃ」
背後から、聞き覚えのある嘲り声が聞こえた。
振り返ると、酒臭い息を吐きながら笑っている男たちが数人。
胸には、木札のEランクが揺れている。
「スライム退治で英雄気取りかよ。
それも、あの“使えねえ静電気”の坊主連れて?」
その言葉に、ハヤトの背中がぴくりと強張った。
「……またお前らか」
リアナが小さく舌打ちする。
ハヤトが貧民街で絡まれていたときの、あの三人組だ。
装備は少しだけ良くなっているが、態度はまったく変わっていない。
「よう、静電気マッサージ坊主。ギルドまで出張してきたのか?」
「今日の稼ぎも、施術料として回収してやろうか?」
取り巻きがゲラゲラ笑う。
ハヤトは、ぎゅっと木札を握りしめた。
前なら──何も言えなかった。
殴られるのが怖くて、黙って耐えるしかなかった。
でも、今は違う。
「……俺は、冒険者になりました」
自分でも驚くくらい、声は震えていなかった。
「静電気しか使えないですけど。
それでも、こいつらと一緒に魔物を倒してきました」
「はあ?」
リーダー格の男が鼻で笑う。
「スライム狩りを一回行ったくらいで、調子乗ってんじゃねえよ。
静電気なんざ、ちょっと厚着すりゃ無効だろうが」
そう言って、わざとらしく腕を組む。
「ほら、やってみろよ。
“最弱魔力”がどれだけのもんか、ここで見せてみろ」
ギルド内に、ざわ、とざわめきが走った。
見物人の視線が集まる。
「ちょっと、ここギルド内ですよ」
ミナが困ったように眉を寄せる。
「さすがに、喧嘩はまずいんじゃ……」
「喧嘩なんざしねえよ。ちょっと“施術”してもらうだけだ」
男がにやりと笑う。
「ビリッとくるやつを、よ。なあ?」
『……どうする、ハヤト』
教授の声が、冷静に問う。
『逃げてもよい。ここは戦場ではないし、ルールもある。
だが──』
自分でも驚くほど早く、心の中で答えていた。
『ふむ』
教授は、それ以上何も言わなかった。
ハヤトは一歩前に出る。
「一回だけです。それ以上はしません」
「おお?」
男が腕を差し出した。
「ほらよ。言っとくが“本気”でやれよ? ちょっとピリッとしたくらいじゃ──」
そこで、ハヤトは無言で男の手首を掴んだ。
昨日までの自分なら、ただビリッとさせるだけだっただろう。
でも今は違う。
“押し引き”の感覚を、体が覚えている。
皮膚の表面に、細かい電荷の偏りを作る。
指先と手首の間で、違う極性を出し入れしながら、感覚神経の周囲にだけ“押す力”を集中させる。
(痛みだけ狙って、筋肉までは刺激しない。 痺れさせるけど、動きは奪わない)
自分の中で設計図を引くようにイメージを固め──
「静電刺激」
ぱちん。
火花は、ほとんど見えない程度だった。
だが、男の顔が一瞬で引きつる。
「っっっっっ!?」
声にならない声。
指先から腕にかけて、ぴりぴりとした鋭い痛みが走ったのだろう。
「ひょ、ひょえええっ!? な、なんだこれ……!」
「ちょっと痛みだけ強めにしました。
筋肉は動くはずですから、大丈夫ですよ」
ハヤトは淡々と言いながら手を離す。
男は、びりびりと震える指を見下ろし、呆然とした。
「な、なんだ今の……
前に貧民街でやられたときのビリビリと、全然違……」
「え」
ハヤトは、そこで初めて悟った。
今は違う。
クーロンの法則を知っている。
“押す”“引く”を、狙って使える。
同じ静電気でも、結果は別物だ。
「くっ……!」
男が顔を真っ赤にして、何か言い返そうとしたそのときだった。
「ギルド内での魔力行使は、原則禁止よ」
冷ややかな声が、場を凍らせた。
セレスだ。
いつの間にか一歩前に出ていて、男たちを真っ直ぐに見据えていた。
「でも今のは、あなたたちが“やれ”と言ったからやっただけ。
もし文句を言うなら、ギルドの規約に基づいて“喧嘩を売った側”として扱ってもらうわ」
その言葉に、男の顔色が変わる。
ギルド規約。
喧嘩の扱いは、依頼停止やペナルティに直結する。
「ち、違う。俺たちはちょっと、その……」
「それから──」
セレスは視線をハヤトに向ける。
「静電気を笑うのは勝手だけど、“結果”を見たあとも笑うなら、それはただの馬鹿よ」
淡々と、しかし容赦ない言葉だった。
「スライム退治の依頼報告、さっき聞いたわ。
火術と短剣と治癒だけじゃ、あの数をここまで短時間で片づけるのは難しい。
静電気の“足止め”があったからこそよ」
周囲の冒険者たちが、ざわ、とざわめいた。
「足止め……?」
「静電気で?」
「さっきの、あの一瞬のビリビリで……?」
好奇と驚きが入り混じった視線が、ハヤトに集まる。
居心地は悪いが、不思議と嫌ではなかった。
「ま、まあ、あれくらいなら大したことねえよ」
男たちは、強がりを言いながら後ずさりする。
「静電気なんざ、所詮は静電気だ。……行くぞ」
捨て台詞の割に、足取りは妙に早かった。
彼らの背中が見えなくなって初めて、ハヤトは大きく息を吐く。
「つ、疲れた……」
「よくやったわね」
セレスが、少しだけ目を細める。
「力の“見せ方”としては、悪くなかった」
「ありがとうございます」
「ただし」
セレスの声が、少しだけ厳しくなる。
「ギルド内で、安易に魔力は使わないこと。
今のは、あくまで“売られた喧嘩を最低限で買っただけ”だから、見逃されてるだけよ」
「……はい」
『その通りじゃ。
電気は便利だが、同時に“危ない力”でもある。扱いを誤れば、すぐに敵を増やす』
ハヤトは素直に頷いた。
◇
少しして、エリナが戻ってきた。
「お待たせ。スライム十五体分の核、全部確認したわ」
カウンターの上に、布袋が四つ置かれる。
「パーティ報酬として銅貨××枚。それを四人で等分ね。
あと、ハヤト君は“特殊魔力後方支援”としての実績ポイントも少しついたわよ」
「実績ポイント?」
「依頼の内容と、ギルド側の評価で加算されるやつ。
これが一定値を超えると、ランクアップの審査対象になります」
「へえ……」
そんなものがあるとは知らなかった。
「静電気の“足止め”っていうのは、かなり珍しい事例だから、治療部門と連携して評価高めにつけておいたわ」
エリナがウインクする。
「ちゃんと“やったこと”を報告して、“評価される場所”を作っておく。
それも、冒険者として生き残るために大事なことよ」
『……ふむ』
教授の声が、どこか感心したように響く。
『単に力を振るうだけでなく、その結果を記録し、評価する。
このギルドという仕組みは、なかなかよくできておるな』
『儂は本じゃと何度言えば。外には出られん』
くだらないやり取りに、少しだけ笑いそうになる。
布袋の重みは、そこまで大きなものではない。
三日分のマッサージ代より少し多い程度。
けれど──その重みは、今までとまったく違って感じられた。
自分の静電気で、仲間と一緒に稼いだ金。
冒険者としての、最初の報酬。
「これで、今日の夕飯は少し豪華にできますね」
ミナが嬉しそうに笑う。
「お肉……は無理でも、スープくらいは贅沢できます」
「よーし、じゃあ今日は私のおすすめの店行こうか!」
リアナが元気よく手を挙げる。
「安いけど量が多くて、味もそこそこ。新人冒険者御用達って感じのところ!」
「“そこそこ”って自分で言っちゃうんだ……」
「お腹が膨れればだいたい幸せでしょ?」
リアナの楽天さに、ハヤトは思わず笑った。
「セレス様も、一緒に行きます?」
「そうね」
セレスは少しだけ考えてから、静かに頷く。
「せっかくの“初報酬”だし。
あなたたちと、ちゃんと話しておきたいこともあるわ」
「話、ですか?」
「ええ。静電気のことも、あなた自身のことも」
セレスの視線は、いつになく真剣だった。
ギルドの喧噪の中、ほんの少しだけ、空気が変わる。
『よい。
こうして、人との“接点”が増えるほど、お前の電気は行き先を得る』
ハヤトは、自分の指先を見下ろした。
まだ、ぱちぱちとしか鳴らせない静電気。
それでも──確かに、変わり始めている。
マッサージだけの力から、仲間と戦うための力へ。
そして、世界にまだ知られていない“電気”という何かへ。
その変化の実感を、胸の奥で静かに味わいながら、ハヤトは仲間たちと並んでギルドをあとにした。




