第47話 記録という武器
翌朝、ギルドの受付前はいつもより混んでいた。
依頼票を剥がす音、革鎧が擦れる音、笑い声。
――いつも通りの“表の世界”。
でも、その裏にある視線の温度が違う。
セレスが入った瞬間、数人の冒険者が一拍遅れて口を閉じた。
「貴族」
「裁定」
「ルーベン」
――その単語が、ここ数日で酒場の噂になっているのが分かる。
リアナが小声で吐き捨てた。
「……見られてんな」
ミナは目を伏せ、祈り紐を指で撫でる。
「悪意の視線、増えてます……」
ハヤトは、言葉より先に“動き”を見た。
視線の移動。顔の向き。肩の角度。
電気の気配じゃない。
もっと露骨な“人の匂い”。
セレスは一切表情を変えず、受付へまっすぐ進んだ。
「依頼」
受付の職員が一瞬だけ詰まり、それから事務的な笑顔を作る。
「……はい。ええと……《エレキ・ストライド》様でしたね」
“様”。
普段はつけない。つけたのは、周囲の目を気にしているから。
セレスは淡々と言う。
「“記録に残る”依頼がいい。公共性の高いもの。報告書が必ず残るもの」
受付の職員が目を丸くする。
「公共性……?」
セレスは声を落として、しかし一字ずつはっきり言った。
「私の噂はどうでもいい。
でも、ギルドが“責任を問われる”という通達が出た以上、こちらは“守っていた事実”を積み上げる必要がある」
職員が喉を鳴らす。
「……なるほど。分かりました」
紙束をめくる手が早くなる。
そして差し出された依頼票は、見た目からして堅い。
「救助班補給物資の護送(医務室→前線詰所)」
「目的:治療薬・包帯・担架部材の輸送」
「条件:通行ルール遵守/罠印確認/報告書必須」
リアナが眉を上げる。
「これ、戦果地味すぎて誰も取りたがらないやつだ」
「地味で良い」
セレスが即答した。
ミナが依頼票を見て、静かに息を吐く。
「……医務室の物資が滞ると、本当に人が死にます。やりましょう」
ハヤトも頷いた。
「報告書が残るなら、なおさら」
セレスは受付を見た。
「報告書の様式。ギルド長印つきで」
職員が慌てて頷く。
「はい、準備します。……セレス様、いえ、セレスさん」
言い直したのが、妙に効いた。
セレスがほんの一瞬だけ目を細める。だが何も言わない。
◇
護送物資は、木箱三つと担架部材、包帯束。
運搬は二輪の小さな荷車だ。
ただし――問題は荷車ではない。
荷車を引くのが、護送役の新人二名だった。
昨日の見学護衛で会った青年と弓手。
目はまだ硬いが、昨日より呼吸が深い。
青年が頭を下げる。
「今日こそ、ちゃんと役に立ちます!」
弓手も頷き、荷車の取っ手を握り直した。
リアナが肩を回しながら言う。
「いいね。役に立つかどうかは、帰ってこれるかどうかだよ」
「はい!」
セレスが手を上げる。
「隊列を組む。荷車は中央。壁に寄らせない。糸罠は必ず確認」
ハヤトが荷車の金具を見た。
ただの運搬に見えて、実は危ない。
壁面ワイヤーに触れれば、金具は最悪の導体になる。
「荷車の金具、布で覆いましょう」
ハヤトが言うと、青年が慌てて頷く。
「はい! 布、あります!」
ミナが手際よく布を巻き、擦れないように紐で縛る。
「これで、万が一触れても引っかかりにくいです」
セレスが短く言う。
「良い。行く」
◇
第一階層の入口は、いつもより空気が湿っていた。
荷車の車輪が小さく石を噛む音が、やけに響く。
「中央一列。荷車は真ん中。
止まったら、全員止まる」
セレスが指示を落とす。
ハヤトは足裏の感覚を広げ、壁の継ぎ目と床の導電ラインを拾う。
電気のためでもあるが、何より――罠のためだ。
×印。
△印。
壁の注意書き。
自分たちが残した文字が、今日の荷車を守る。
文字が残る。
目印が残る。
そして生きて帰った報告書が残る。
通路の途中、空気がほんの少しだけ変わった。
冷える。
音が吸われる。
リアナが小さく言う。
「……来る?」
ハヤトが頷く。
「小型。二。壁際」
新人弓手の呼吸が一瞬で浅くなる。
「……!」
ミナが後ろから小声で支える。
「息を吐いて。昨日と同じです」
影が滑るように出てきた。
影獣――二体。
狙いは明確だった。
前衛ではない。
荷車の横腹。物資だ。
影獣が跳ぶ。
爪が荷車の木箱に届く距離。
セレスが短く命じる。
「戦闘は最小。荷車を止めない!」
リアナが前へ出るが、斬りすぎれば荷車が壁へ寄る。
ここでの前衛は“道を守る役”だ。
ハヤトは瞬時に床の導電ラインを見つけ、そこへ薄い流れを敷いた。
火花は出さない。
音も出さない。
影獣が導線を踏んだ瞬間。
じわり、と脚が鈍る。
「今!」
リアナが最小の踏み込みで、短剣の柄で顎を打つ。
影獣の頭が横に弾け、軌道がずれる。
もう一体は荷車の金具に爪をかけようとする。
尖った金具――最悪の一点集中。
ハヤトは指輪の尖端に意識を寄せ、金具ではなく
「《エレキ・スパーク》!」
“影獣の爪先”へ微弱電流を引っかけた。
爪先は尖っている。そこに集中する。
バチッ、と小さく火花が散る。
「ギッ!」
影獣が反射で爪を引っ込める。
その瞬間、ミナの祈りが落ちる。
「《ブレス・シールド》!」
薄い膜が荷車の横に張り、影獣の次の踏み込みを弾いた。
リアナが短く吐き捨てる。
「触らせない」
短剣が閃く。
斬るのは胴ではなく、前脚の付け根。走れなくするため。
影獣が崩れ、残りは距離を取った。
追わない。止めない。荷車を進める。
セレスが淡々と声を落とす。
「良い。続行」
新人青年が震えた声で言った。
「……い、今の、倒したんですか……?」
「追い払った」
ハヤトが答える。
「目的は勝つことじゃない。物資を届けることです」
その言葉が、青年の目を少しだけ落ち着かせた。
「……はい!」
◇
詰所に着いたとき、救助班の隊長が眉を上げた。
「お前らか。……噂の《エレキ・ストライド》」
リアナが肩をすくめる。
「噂って便利だよね。勝手に増える」
隊長が笑い、木箱を受け取る。
「薬が間に合った。助かる。
最近、搬送が遅れててな……」
その言葉が重い。
遅れた分だけ、死んだ人がいるという意味だから。
セレスは一枚の紙を出した。
「報告書。確認と署名。
“誰が何を届けたか”。“途中で何があったか”。正確に残す」
隊長が驚いた顔をして、それから真剣に頷いた。
「……分かった。こういうのは必要だな」
署名が入る。
ギルド長印の欄へ回すための控えも作る。
ハヤトは、その一連を見て胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
◇
帰り道、セレスはいつもより言葉が少なかった。
報告書を胸に抱えたまま、まっすぐ歩く。
けれど、歩幅がほんの少しだけ速い。
路地へ入ったところで、セレスがふいに立ち止まった。
「……助かったわ」
声が小さい。
リアナとミナが目を丸くする。
セレスはハヤトを見ずに言った。
「荷車の金具。あそこに爪がかかったら、通達の件でギルドがさらに締め上げられる。
……あなたが止めた」
ハヤトは短く頷く。
「止めました。尖ったところは危ないので」
セレスの睫毛が微かに揺れた。
「……理屈で言わないで」
「え?」
セレスは一瞬だけ口を結び、それから淡々と付け足す。
「……ありがとう、って言ったのよ。今」
リアナが吹き出しかけて、慌てて口を押さえる。
「ぷ……っ」
ミナも小さく笑って、視線を逸らした。
ハヤトは少しだけ困って、でも逃げずに言った。
「……どういたしまして」
セレスは頬をそらしたまま歩き出す。
その耳が、ほんの少し赤い。
貴族の戦いは、まだ始まったばかりだ。
でも――今日、確かに一つ勝った。
剣でも魔術でもない。
紙と署名と、積み上げる事実で。




