第46話 対等の言葉
礼拝堂から少し離れた路地で、リアナが最初に口を開いた。
「……どうだった」
セレスは歩きながら、息を整える。
外気が冷たいのに、胸の内側だけ熱い。
「“保護”の文書は引っ込めた。代わりに裁定の場を用意すると言った」
ミナの顔がこわばる。
「裁定……」
「相手の盤の上で戦うってことだ」
ハヤトが短く言った。
セレスは頷く。
「そう。だから準備がいる。私の言葉が、私の武器になる」
リアナが苛立ちを噛み殺すみたいに舌打ちする。
「……でもさ、あいつ。絶対、正面からだけじゃ来ないよね」
セレスは答えなかった。
答えなくても、全員分かっている。
貴族の戦いは、正面だけじゃない。
◇
宿に戻る途中、街の空気がさらに変わった。
道端で噂話をしていた人々が、セレスを見ると急に声を落とす。
露骨に距離を取る者もいる。
逆に、興味本位で目を輝かせる者もいる。
「……早いな」
ハヤトが呟いた。
情報が回る速度が、ダンジョンの足音より速い。
宿の前には、見覚えのある男が立っていた。
昨日の伝言役。あの冷たい目。
「セレス様」
男は丁寧に頭を下げた。
「ルーベン様より。裁定の場は七日後。司政官立会い。
そして――本日より、貴族位階者の“危険区域立入”に関する注意喚起が出ます」
リアナが一歩前に出る。
「は? 何それ」
男は笑わないまま言った。
「冒険者ギルドへの通達です。
“貴族位階者がダンジョンで負傷・死亡した場合、監督責任を問う”――そういう内容です」
ミナが息を呑んだ。
「……それって」
「セレスさんを、ダンジョンに行かせないための……」
ハヤトの声が低くなる。
男はゆっくり頷く。
「理解が早い。
セレス様が危険に身を置けば、ギルドが困ります。街が困ります。
だから――安全にお戻りください、という“親切”です」
“親切”。
その言葉が一番汚い。
リアナの拳が震えた。
「ふざけんな。こっちは命張って街を守ってんだよ」
「守っている?」
男が首を傾げる。
「それは“あなた方”の自己満足でしょう。
秩序は、上が守るものです」
セレスが一歩前に出た。
「伝言はそれだけ?」
「ええ。――ああ、もう一つ」
男の視線が、ハヤトに止まる。
「静電制御士。
あなたは“無能枠”のはずだが、最近名が出る。妙だ」
その言い方が、見下しではなく“処理対象”としての確認だった。
「才能は、誰が与えた? 誰が雇った?
……セレス様の遊びか?」
リアナが怒鳴りそうになった。
でも、その前に。
ハヤトが一歩、前に出た。
セレスの横ではない。
ほんの半歩前。
守る位置ではなく、同じ線に立つ位置。
セレスの目が一瞬だけ揺れる。
と言っている。
でも同時に、止められない何かも見える。
ハヤトは男をまっすぐ見た。
「遊びじゃない」
男が薄く笑う。
「なら何だ」
「必要な仕事だ」
ハヤトの声は大きくない。
でも、逃げない硬さがあった。
「この街で、死なないために。
俺は俺のやり方で戦ってる。セレスも、セレスのやり方で戦ってる」
男の眉が微かに動く。
「貴族の名を、呼び捨てにするのか」
「ここでは“冒険者”だ」
ハヤトは言い切った。
「俺たちは対等に命を預け合ってる。
あなたの主人の“都合”で、その関係を壊させない」
リアナが目を丸くした。
ミナが胸元を押さえる。
セレスは、ほんの少しだけ息を止めた。
男は一瞬だけ沈黙し、すぐ薄笑いを戻した。
「……面白い。田舎の無能が、よく吠える」
その言葉に、ハヤトは表情を変えなかった。
「吠えてない。宣言してる」
男の笑みが消える。
セレスが、ようやく口を挟んだ。
「伝言役がこれ以上居座るのは迷惑よ。帰りなさい」
男はセレスに一礼し、最後にハヤトを見て言った。
「……裁定の場までに、口の利き方を覚えることだ」
そう言い残して、男は去った。
◇
宿の扉が閉まると同時に、リアナが爆発した。
「ハヤト!! 今の――」
「リアナ」
セレスが短く遮る。
怒っている声じゃない。
むしろ、心を落ち着かせるための声。
リアナが口を閉じる。
ミナも黙った。
セレスはハヤトを見た。
睨むようで、違う。
「……私、言ったわよね。余計なことはしないで」
ハヤトは目を逸らさない。
「分かってる。でも、あれを許したら、俺たち全員が小さくなる」
セレスの指先が、机の端を軽く掴む。
怒りじゃない。震えだ。
ミナが恐る恐る言った。
「セレスさん……大丈夫ですか」
「……大丈夫」
セレスは言いながら、息を一度吐いた。
そして、ハヤトへ視線を戻す。
「あなたの言葉で、ギルドが困る可能性もある」
「ある」
ハヤトは認めた。
「でも、俺は“対等”でいたい。
あなたが一人で戦って、俺たちが後ろで縮こまるのは違う」
リアナが小さく頷く。
「……それ、私も思う」
ミナも、ゆっくり頷いた。
「巻き込まない優しさは分かります。
でも、信じてもらえないと、寂しいです」
セレスは、一瞬だけ表情を崩した。
ほんの僅かに、弱い顔。
それをすぐ戻して、淡々と言う。
「……信じてないわけじゃない」
言葉が、少しだけ不器用だった。
「ただ、私が“貴族として戦う”と決めた瞬間に、あなたたちは盾にされる。
それが怖い」
リアナが歯を見せて笑った。
「盾なら慣れてる。むしろ盾のほうが得意」
「リアナ……」
「冗談」
リアナは真面目な目で続ける。
「でもさ。こっちは仲間なんだよ。
セレスが怖いなら、怖いまま一緒に立ってやるよ」
ミナも小さな声で言った。
「……私も」
セレスは目を伏せた。
頬の奥が、じんと疼いた気がした。
あのときの音。
戻ってきた世界。
頼れる背中。
セレスは目を上げた。
「裁定の場までに、準備することがある」
空気が引き締まる。
「一つ。ギルドの支援金の流れを洗う。誰が誰に首輪をつけているのか確認する。
二つ。私の後見の空白を“正しく繋ぐ”証拠を固める。
三つ。噂対策。――私を“軽い女”に仕立てる話も来る」
リアナが顔をしかめる。
「うわ、ほんと汚い」
「汚いのが貴族の戦い」
セレスは淡々と言って、ハヤトを見る。
「四つ」
そこで少しだけ間が空いた。
「……あなたの立場を固める」
「俺の?」
「静電気が“無能枠”なら、あなたは切り捨てられる。
だから、“役に立つ”ことを公的に残す。記録に。依頼の実績に。
誰かの気分で消せない形にする」
ハヤトが頷く。
「分かった。地味な仕事でもやる」
「地味が強いのよ」
セレスはそう言って、ほんの少しだけ口角を上げた。
そして、最後に言った。
「……私は戦う。ルーベンと。逃げない」
宣言。
それは自分に言い聞かせる言葉でもあった。
ハヤトは短く答えた。
「俺たちも逃げない」
セレスは一瞬だけ目を細めて、視線を逸らした。
頬が熱いのをごまかすみたいに。
「……勝手に決めないで」
「勝手に決めます」
ハヤトが真面目に言うと、リアナが吹き出した。
「はは、強いじゃんそれ」
ミナも小さく笑った。
セレスは紅茶を一口飲み、静かに言った。
「……じゃあ、対等に。
私も、あなたたちを信じる」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が少しだけ軽くなった。
剣も魔法も出ていないのに、
確かに――戦いが始まっている。




