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第45話 セレスの“戦い”が始まる



 翌朝、セレスはいつもより早く目を覚ました。

 窓の外はまだ薄暗い。街の石畳が夜露を含んで、しっとりと光っている。

 その湿り気が、妙に喉に引っかかった。

 鏡の前で髪をまとめ、指先で留め具を確かめる。

 冒険者の装備ではなく、今日は“貴族の装い”だ。

 首元の布、胸の飾り、家紋の刻まれた小さなブローチ。

 それをつけた瞬間、背筋が勝手に伸びる。

 鎧じゃない。

 でもこれは確かに、戦うための道具だ。

 廊下に出ると、リアナとミナとハヤトが待っていた。

 三人とも言葉少なで、目だけが真剣だった。



「本当に、私たちは入らないんだね」



 リアナが噛みしめるように言う。



「入らない」



 セレスは即答した。



「あなたが怒鳴れば、私が負ける。ミナが泣けば、私が弱く見える。ハヤトが出れば、相手の盤になる」



 言い方は冷たいのに、目は優しい。

 巻き込まないための線引きだと分かる。

 ハヤトが一歩だけ前に出る。



「……でも、見えるところにはいます」



「ええ」



 セレスは短く頷いた。



「“逃げ道”は確保して」



 リアナが鼻で笑った。



「逃げ道の確保は得意。特にムカつく相手からの」



 ミナが静かに祈り紐を握る。



「……何かあったら、すぐに走ってきてください」



 セレスは一度だけ微笑み、すぐ表情を戻した。



「行くわ」










旧礼拝堂は、街の外れにあった。

 屋根は古く、壁には修復跡。

 ここは信仰の場所というより、貴族が“人目を避けて話をする”ための場所になっている。

 入口にはルーベンの護衛が立ち、セレスの姿を見た瞬間に扉を開けた。

 中は冷たい。

 香の匂いと、石の匂い。

 奥の長机に、ルーベンが座っていた。

 左右に護衛。背後に書記官のような男が一人。紙束と蝋を用意している。



「来たか、セレス」



 ルーベンは微笑んだ。



「逃げないのは評価する」



「評価は要らない」



 セレスは席に近づかず、机の手前で止まった。



「用件を言って」



 ルーベンが指を鳴らすと、書記官が紙を一枚滑らせた。

 蝋印はまだ押されていない。つまり――これから押させるつもりの紙。



「“保護”の文書だ」



 ルーベンは穏やかな声で言う。



「君の後見が曖昧な期間がある。そこを“整える”。

 君は自由を得る代わりに、危険から遠ざかる。私の庇護の下でな」



 セレスの目が細くなる。



「庇護? 監禁の言い換えよ」



「言い方が悪いな。婚約でもいい」



 ルーベンはさらりと言った。



「君が“家の娘”である限り、家の秩序は必要だ。

 婚約は秩序だ。君の自由を守るための鎖でもある」



 鎖。

 本人が鎖と言ったことに、セレスの口角がほんの少しだけ上がった。



「あなた、自白が早いわね」



 ルーベンの笑みが薄くなる。



「セレス。君は賢い。だから理解できるはずだ。

 君が冒険者として動けば、君の名は汚れる。家の名も汚れる。

 それを理由に、家の敵が動く」



「……それが怖いの?」



 セレスが問う。

 ルーベンは眉を上げた。



「怖い? 違う。合理だ」



 セレスは、懐から小さな束を取り出した。

 記録庫で写した書類の控え。紐でまとめてある。



「合理なら、こちらも合理で返す」



 ルーベンの目がわずかに鋭くなる。



「ほう?」



 セレスは紙束の一枚を抜き、机に置いた。

 そして、もう一枚。さらにもう一枚。



「後見の“空白”は事実。けれどそれは、私の不備ではない。

 家の評議会側が更新を遅らせた記録がある」



 ルーベンの視線が、書記官へ動く。

 書記官が紙を覗き込み、ほんの一瞬だけ顔色を変えた。

 セレスは淡々と言葉を続ける。



「母方の系譜記録も整合している。

 つまり、あなたが“保護の根拠”にしている空白は、あなたの支配の根拠にはならない」



 ルーベンはゆっくりと笑った。



「紙は紙だ。解釈は力で決まる」



「解釈を決める場がある」



 セレスは即答する。



「家の評議会。もしくは街の司政官の裁定。

 あなたが本当に“秩序”を望むなら、裁定の場に出なさい」



 一瞬、礼拝堂の空気が張った。

 ルーベンの護衛が微かに動く。

 力で黙らせればいいという空気が生まれる。

 だがルーベンは手を上げて止めた。



「……面白い」



 ルーベンは指先で机を叩く。



「君はいつから、そんなに戦えるようになった?」



 セレスの喉が一瞬だけ詰まった。

 怖い。怖いのは――目の前の男じゃない。

 “選択肢が奪われる”恐怖。

 貴族は、気づかないうちに道を狭められていく。

 笑顔で、丁寧な言葉で、首輪をはめられていく。

 セレスの膝が、ほんの少しだけ震えた。

 心臓が冷える。

 息が浅くなる。

 あの日の感覚がよみがえる。

 読みが外れて、人が死ぬと確信して、足が動かなくなったあの瞬間。

 そのとき――頬の奥が、じん、と疼いた気がした。

 叩かれた熱ではない。

 でも、確かに“戻る”感覚。

 セレスは小さく息を吐き、足の裏に力を入れ直した。

 ルーベンが優しい声で言う。



「君は疲れている。恐怖もあるだろう。

 私の手を取れば、全部終わる。君は救われる」



「救われる?」



 セレスは一歩だけ、机に近づいた。



「それは、あなたの都合で“救われる”という意味よね」



 ルーベンの笑みが消える。



「……セレス」



「私は奪われない」



 セレスの声は静かだったが、石みたいに固い。



「私は“保護”を拒否する。

 そしてあなたの要求は、正式な裁定の場で扱う。

 それが嫌なら――あなたが秩序ではなく支配を求めていると証明される」



 ルーベンが目を細めた。



「裁定の場に出れば、君は噂で汚れる」



「噂は、私の命を奪えない」



 セレスは言い切った。



「私は、ここで死なない。選択肢を渡さない」



 ルーベンは沈黙した。

 礼拝堂の静けさが、逆に耳に痛い。

 やがてルーベンは肩をすくめ、笑みを戻した。



「いい。裁定の場を用意しよう。

 君がそこまで言うなら、私は“秩序の側”として出る」



 その言葉は承諾に見える。

 でも、罠だ。場を用意するのは相手。土俵は相手のもの。

 セレスはそれを理解した上で、頷いた。



「受ける」



 ルーベンが書記官に視線を投げる。



「今日の“保護文書”は取り下げだ。

 代わりに、裁定申請の準備を」



 書記官が慌てて頷き、紙を引っ込める。

 セレスは踵を返した。

 背中を見せるのは怖い。けれど、ここで怯えを見せたら負ける。



「セレス」



 ルーベンが呼び止めた。

 セレスは振り返らないまま答える。



「何」



「君は――誰にそんなやり方を教わった?」



 その問いに、セレスの胸が一瞬だけ熱くなる。

 教わったわけじゃない。

 でも、あの手の強さと、あの目の真っ直ぐさが、確かに自分を支えている。

 セレスは振り返らず、ただ言った。



「……私自身よ」



 扉を開ける。外気が冷たい。

 礼拝堂を出た瞬間、リアナとミナとハヤトが遠巻きに待っているのが見えた。

 三人の顔は固い。何も聞かなくても、待ってくれていた顔。

 セレスは胸の奥の震えを押し込め、いつもの歩幅で近づいた。



「……始まったわ」



 それだけ言った。

 貴族としての戦いが。

 剣の音がしない、息が詰まる戦場が。



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