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第44話 貴族のルール



 ルーベンが去ってからのギルドは、元の喧騒に戻った――ように見えた。

 けれど、何かが一枚挟まったみたいに、空気が重い。

 笑い声が少ない。依頼票を剥がす手が遅い。

 そして何より、受付の職員たちがやけに忙しそうだった。

 セレスは表情を変えずに、ギルド長へ近づいた。



「……今の話、詳しく聞かせて」



 ギルド長は一瞬だけ目を泳がせ、周囲を確認してから小声で答えた。



「……奥の部屋だ。ここでは話せん」










奥の部屋は、紙の匂いがした。

 帳簿、契約書、寄付名簿。

 冒険者が汗で稼ぐ場所の裏側に、冷たい文字の世界がある。

 ギルド長は扉を閉め、深く息を吐いた。



「……セレス。お前の名前が出た時点で、嫌な予感はしてた」



「誰から?」



「ルーベンの家からだ。正確には“名代”。

 ここ数日、支援金の流れが止まりかけてる。追加の監査も来る」



 リアナが机を叩きそうになって、堪えた。



「監査って何だよ。金出してるからって、何でも言えるのか?」



「言えるんだよ」



 ギルド長の声が苦い。



「……少なくとも、この街じゃな。

 支援が切れれば、医務室の薬も、救助班の装備も、滞る。

 人が死ぬ」



 ミナが唇を噛んだ。



「そんな……」



 ハヤトは拳を握った。

 剣でも電気でもどうにもならない“仕組み”が、ここにある。

 セレスはただ静かに聞いていた。

 怒りを見せない。焦りも見せない。

 でも、その沈黙の硬さで分かる。内側は燃えている。



「ルーベンは何を要求しているの」



 セレスが問う。

 ギルド長は視線を落とし、言った。



「……お前を連れて帰ることだ。

 “保護”って言葉を使っていたが、要するに囲う。

 お前が冒険者として動くのを止めさせたい」



 セレスは頷いた。



「予想通りね」



 リアナが叫びそうになるのを、セレスが指先だけで制した。



「私がここで暴れれば、ルーベンの思う壺。

 ギルドは“貴族に喧嘩を売った”ことになる」



「じゃあ、どうするんだよ!」



 リアナが歯を鳴らす。

 セレスはギルド長の机の上の書類を一枚取った。

 寄付名簿。支援者の名前と金額、用途。

 その紙を眺めながら、淡々と口にする。



「“貴族のルール”で戦う」



 ハヤトが小さく言った。



「ルール、って……」



「言葉と契約と、立場の取り合い」



 セレスは紙を戻す。



「剣で勝てない相手に剣を抜けば、負ける。

 だから私は、相手の得意な盤で勝つ」











ギルドを出た瞬間から、圧は始まった。

 依頼票が減った。

 いや、減らされた。

 《エレキ・ストライド》に回ってくるはずの地図整備や浅層の護衛が、他へ回っている。

 受付の職員が気まずそうに目を逸らす。



「……すみません。上から、指示が……」



 上。

 誰の上かは言わなくても分かった。

 リアナが歯を食いしばる。



「これ、露骨すぎ」



 セレスは答えなかった。

 怒りを言葉にしない代わりに、視線が一点に定まっている。

 考えている目だ。計算する目だ。

 宿へ戻る道、セレスは急に足を止めた。



「……今日は街の記録庫に行く」



 ミナが驚く。



「記録庫……?」



「貴族の名を使うなら、まず“自分の名”を正しく扱う必要がある」



 リアナが眉をひそめる。



「仲間、減らされたのに単独行動?」



 セレスは首を横に振った。



「単独じゃない。あなたたちは一緒。

 でも――ここから先は、言葉の戦い。感情で口を挟むと、私が負ける」



 その言葉は、誰に向けたものか分かりすぎる。

 ハヤトの喉が鳴った。



「……分かってます」



 分かっている。

 でも、胸の奥の熱は、消えない。



















街の記録庫は、石造りの小さな建物だった。

 入口には紋章が刻まれ、番人がいる。冒険者の顔では通りにくい場所。

 セレスは一歩前へ出て、静かに名を告げた。



「セレス・ヴァルディオル。閲覧権を行使する」



 番人の目がわずかに見開かれる。

 態度が変わる。声が低くなる。



「……失礼しました。どうぞ」



 リアナが小声で囁いた。



「やっぱ有名なんだ……」



 ミナは息を呑んで、セレスの背中を見る。

 セレスは振り返らずに言った。



「ここでは私語を控えて。耳がある」



 中は紙と革の匂い。

 棚には家系図、婚姻記録、後見契約、土地の権利書。

 セレスは迷いなく一角へ向かい、束になった書類を引き抜いた。

 まるで、最初から場所を知っていたみたいに。

 ハヤトは、セレスの別の顔を見た気がした。

 セレスは書類を開く。

 指先が早い。目が冷たい。



「……“後見”の更新が、数年前に一度途切れてる」



 リアナが口を開きかけて、ミナが袖を引いた。

 セレスの集中を邪魔しないために。

 セレスは続ける。



「ルーベンが“保護”を言い出す根拠は、この空白。

 私の後見が曖昧な期間を、弱点として使うつもり」



 ハヤトが小声で言った。



「……埋めればいい?」



 セレスは頷く。



「埋める。正確には“正しく繋ぎ直す”。

 私の名が、誰の鎖にも繋がれていないことを証明する」



 ミナが小さく問う。



「……証明できるんですか?」



「できる。鍵は――母方の記録と、家の評議会の議事録」



 セレスは紙束を閉じ、別の棚へ向かった。

 その背中が、冒険者の背中ではなかった。

 戦場は変わっても、戦う姿勢は同じだ。



















夕方、宿へ戻る途中。

 路地の入口で、見慣れない男が待っていた。

 服は平民寄り。だが立ち方が護衛のそれだ。

 目だけが冷たい。



「セレス様」



 男が言う。“様”をつけて、わざと丁寧に。



「ルーベン様より伝言です。明日、正午。旧礼拝堂。

 貴族としての“確認”の場を設ける、と」



 リアナが一歩前へ出そうになる。

 セレスが、指一本で止めた。



「分かった。伝えたと伝えなさい」



 男は頷き、視線を横に滑らせた。

 ハヤトを見る。リアナを見る。ミナを見る。

 そして薄く笑った。



「……仲間、ですか。

 泥の中で拾った玩具は、壊れやすい。気をつけて」



 リアナの拳が震えた。

 ミナが青ざめた。

 ハヤトの中で何かが切れそうになる。

 だが、セレスが先に前へ出た。



「玩具ではない」



 声が低い。鋭い。



「彼らに触れるなら、あなたの主人に伝えて。

 私は“貴族の顔”を捨ててでも噛みつく、と」



 男の笑みが消えた。

 一瞬だけ、セレスの目に怯えが浮かぶ。

 男は何も言わずに去った。



















宿の部屋。

 セレスは窓の外の暗い街を見ていた。

 背筋は真っすぐ。だが、肩の力が少しだけ抜けている。

 リアナが堪えきれず言う。



「……明日、行くの?」



「行く」



 セレスは即答した。



「逃げたら“逃げた”という事実を与えるだけ。

 それが一番まずい」



 ミナが小さく呟く。



「怖い……」



「怖いわよ」



 セレスは、驚くほど素直に言った。

 そして、すぐ表情を整える。



「でも、怖いからこそ、準備する」



 ハヤトは、胸の奥の熱が抑えきれず、口を開きかけた。

 でも、セレスが先にこちらを見る。

 その目が、言っている。

 でも同時に、別のものも滲んでいた。

 ハヤトは喉の奥で息を飲み、短く言った。



「……俺は、そばにいます」



 セレスは答えなかった。

 答えない代わりに、ほんの少しだけ頷いた。

 貴族の戦いは、剣の音がしない。

 でも確実に、人を追い詰める。

 その静かな圧迫の中で、四人は同じ部屋にいて、同じ夜を過ごした。




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