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第43話① ルーベン来訪



 朝の食堂は、湯気の匂いと金属食器の音で満ちていた。

 匙が皿に触れる小さな響きが、やけに耳につく。

 昨日の戦いの残像が、まだ体の奥に残っているからだ。


 リアナはパンを裂きながら、視線だけで入口を気にしていた。

 来ると分かっているのに、来てほしくない。

 そんな矛盾が胸の内で暴れている。


 扉が開き、ハヤトが入ってきた。

 いつものように軽く会釈をして、いつもの席に向かう。

 それだけの動作が、リアナの心臓を一拍だけ早めた。


「……おはよ」


 声が少しだけ硬い。

 リアナは咳払いで誤魔化して、スープに口を付けた。

 熱いはずの液体が、舌に届く前に冷たく感じる。


「おはようございます」


 ハヤトの返事は丁寧で、距離がある。

 その距離が、ありがたいのか、寂しいのか分からない。


「寝不足ですか」


 ミナが笑っているのに、目だけは鋭い。


「べ、別に。

 昨日の粉塵だよ。

 粉塵」


 ミナは何も言わず、ただ頷いてもう一口飲んだ。

 その無言が、余計に刺さる。


 セレスが食堂に入ってくると、空気が一段締まった。

 背筋が真っ直ぐで、表情は冷たく整っている。

 戦場でも変わらない顔だ。


「午前は整備。

 午後にギルド。

 余計な寄り道はしない」


 リアナが反射で返事をする。


「了解」


 ミナも小さく頷く。


「はい」


 ハヤトは一瞬だけ指輪に触れ、握り直した。

 尖った一点が、今日の彼の“刃”だ。

 リアナは昨日、あの一点が自分の前に差し込まれて、敵の動きが止まるのを見た。

 止まった一拍の間に、自分は斬れた。

 その一拍が、今も胸の内に残っている。


 ハヤトの腰の辺りで、薄い紙の擦れる音がした。

 誰にも見えないはずの本が、頁をめくる気配だけを残す。


『距離は命じゃ。

 近いほど救えるが、近いほど壊れる』


 ハヤトは返事を口に出さない。

 ただ、ほんの少しだけ目を細めた。

 リアナはその横顔に、昨日よりも重い影が落ちているのを見た。


 食堂を出る直前、ミナがリアナの隣に寄る。


「リアナさん。

 今日は無理しないでくださいね」


「……分かってる」


 言い返しは強くならない。

 それだけで、ミナは察したように微笑んだ。



 午前の整備で、盾の革縁を締め直す。

 鉄に触れた部分だけを覆うように、縫い目を増やす。

 漏電の道を切るためだ。

 リアナは自分の盾を撫で、昨日よりも少しだけ軽い気持ちになった。

 守りが、意思になる。


 午後、四人はギルドへ向かった。

 王都の石畳は乾いている。

 乾いているのに、空気は妙に重い。

 噂の重さだ。

 赤い印が増えたらしい。

 初心者の浅層で、死人が出かけているらしい。


 ハヤトは歩きながら、指輪の尖端を親指でなぞった。

 リアナはその仕草を見て、思った。

 この人は、戦いの前に“勝ち方”を握り締める。

 そして、握り締めたものを、仲間に分ける。


 ギルドの扉が見えた。

 その前に、人だかりができている。

 掲示板だ。

 赤い印が、増えている。

 耳を澄ますと、いつもなら聞こえる軽口が少ない。

 代わりに、短い吐息と、紙を剥がす乾いた音がする。

 誰かが札を見て、黙って帰っていく。

 その背中が、今日の街の温度を物語っていた。

 リアナは深呼吸し、指先で盾の縁を確かめた。

 守る準備はできている。

 問題は、何から守るのかだ。





 掲示板の前に立つと、赤い印が目に刺さった。

 一枚や二枚じゃない。

 札の端、依頼書の角、注意書きの上。

 赤が増殖している。


「……赤印、こんなに」


 ミナが小さく息を呑んだ。


「浅層なのに。

 事故か。

 それとも、誰かが“事故”を作ってるのか」


 リアナが吐き捨てるように言う。


 セレスは紙を一枚ずつ剥がし、目を走らせた。

 口を開かない。

 その代わり、指先が止まるところが危険の場所だ。


「負傷者多数。

 投げ槍あり。

 罠の報告。

 ……救助班の出動回数が増えてる」


 ハヤトは赤印の隣に書かれた小さな文字を読む。

 “新人単独禁止”。

 “通行ルール要”。

 “罠マーキング追加”。


 昨日までなら、誰かの善意に任せて放置されていた札だ。

 今は、血で書かれたように重い。


『現場のルールがない。

 だから死ぬ。

 ルールを作れば、死者は減る。

 ただし――ルールを作る者は恨まれる』


 教授の声が、ハヤトの耳の奥で淡々と響いた。


(恨まれるのは慣れてます)。


『慣れるな。

 恨みは刃になる』


 ハヤトは心の中で頷き、依頼書を一枚指で叩いた。


「これ。

 罠マーキングと通行ルール作成。

 報酬は地味だけど、今はこれが必要だ」


 リアナが肩をすくめる。


「地味で、めんどくさくて、でも必要。

 いつも通りだね」


 ミナは依頼書を見て、真面目に頷いた。


「怪我する人が減るなら……やりたいです」


 セレスが短く言う。


「決まり」


 その瞬間、背後のざわめきが、別の種類に変わった。

 怖さのざわめきだ。

 言葉が消えて、視線だけが動く。

 人だかりの中心が、受付の方へ引き寄せられていく。


 ハヤトは振り返る前に分かった。

 電気の気配じゃない。

 もっと厄介な“圧”だ。

 身分が、空気を押し潰してくる。


 受付の前に、黒い外套が見えた。

 金糸の刺繍。

 泥一つ付いていない靴。

 護衛が二人。

 冒険者の剣じゃない。

 儀礼と権力の剣だ。


「……貴族」


 リアナが低く呟く。

 セレスの足が、ほんの僅か止まった。


 掲示板の横には、負傷者の名前を並べた紙が貼られていた。

 戻らなかった者の名は、まだ書かれていない。

 書かれないだけで、消えている。

 それがいちばん怖い。


 近くで、若い冒険者が仲間に言っている。


「やめとけ。

 浅層でも、最近は変だ。

 “誰か”が罠を仕込んでるって話だ」


「でも、金が……」


「金より命だ。

 治療薬の値段、上がってるぞ」


 言い争う声が、途中で途切れた。

 皆が同じ方向を見る。

 目で“上”を見上げるような動き。

 権力を見上げる癖だ。


 セレスは紙を握り締めたまま、息を吐く。

 その吐息が、湯気みたいに細く揺れた。


「……嫌な予感がする」


 ミナが呟くと、ハヤトは即座に言った。


「俺が前に出る。

 でも、ここでは戦わない。

 言葉の戦いになる」


 リアナが鼻で笑う。


「言葉で勝てる相手ならね」


 セレスは返事をしない。

 代わりに、まっすぐ受付へ向かう。

 背中が、覚悟の形をしていた。


 黒い外套の男が一歩踏み出すだけで、ギルドの床板が軋むように感じた。

 周囲の冒険者が、無意識に道を空ける。

 怖いからじゃない。

 逆らう理由を失うからだ。

 男が口を開く。

 それだけで、笑い声も、紙の音も、吸い込まれた。



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