第42話 リアナの自覚
宿に戻った夜、リアナは自分の部屋に入って――扉を閉めた瞬間、背中をつけてずるずると床に座り込んだ。
「……はぁぁ……」
ため息が、変に長い。
疲れたからじゃない。
傷が疼くからでもない。
むしろ今日は、戦い方としては上手くいった。連携も噛み合っていた。
なのに。
(なんで、こんな落ち着かないんだよ)
頭の中に、さっきの光景が何度も浮かぶ。
湿りラインに落ちたハヤトの“流れ”。
槍先がぶれて、敵の踏み込みが止まる。
その一拍の間に、自分が斬って、終わる。
――勝ち方が、完成し始めている。
それはいい。
問題は、別のところにあった。
「……後ろに“止めてくれる”人がいるって分かったから」
自分で言って、自分で赤くなって、誤魔化して。
なのにハヤトは、真面目な顔で「頼ってください」と言った。
(ずるい)
リアナは頬を両手で挟む。熱い。
別に、告白でもなんでもない。
仕事の話だ。連携の話だ。――分かってる。
でも、分かってるのに、心臓が変な跳ね方をした。
◇
翌朝。
食堂に降りると、ミナが先に座っていた。
湯気の立つスープを前に、いつも通り静かに祈るように手を合わせている。
「おはよ」
「おはようございます、リアナさん」
ミナはにこりと笑った。
「……寝不足ですか?」
「え?」
リアナは反射で背筋を伸ばす。
「べ、別に?」
「目が少し赤いです」
「……それは、うん。昨日の粉塵だよ。粉塵」
ミナは何も言わず、ただ“分かってます”みたいな顔でスープを飲んだ。
リアナはそれが腹立たしくて、でも反論できない。
そこへセレスが降りてくる。いつも通りの姿勢、いつも通りの表情。
「今日の依頼は午後から。午前は装備の整備と休養」
セレスが淡々と言う。
「特にリアナ。脇腹の傷はまだ浅くない。無茶するな」
「分かってるよ」
言い返しながら、リアナは自分の脇腹に指を当てた。
確かに動けば痛む。でも、痛みは慣れる。
(問題は、そっちじゃない)
食堂の扉が開く。
ハヤトが入ってきて、軽く会釈した。
「おはようございます」
「おはよう、ハヤト君」
ミナが返し、セレスが頷く。
リアナは――
「お、おはよ」
声が少しだけ裏返りそうになって、慌てて咳払いで誤魔化した。
(やばい。私、変だ)
ハヤトは気にした様子もなく席につき、いつも通り淡々と食べ始める。
その“いつも通り”が、妙にムカつく。
◇
午前中は整備。
リアナは自分の短剣を研ぎながら、何度も視線が逸れるのを感じていた。
逸れる先は決まっている。
ハヤトの手。
布で指輪を拭く手。
紐を結び直す手。
道具を並べる手。
戦場でも、宿でも、あの手は落ち着いている。
斬らないのに、守る手。
「……」
リアナは短剣を研ぐ角度を間違えて、キィ、と変な音を立てた。
「痛い」
指の腹が少し切れた。ほんの小さな傷だ。
「リアナさん、動かないで」
すぐ横で声がした。
いつの間にかハヤトが立っていて、リアナの手をそっと取る。
「え、ちょ――」
言いかけて止まった。
手を取られた感覚が、妙に強い。
熱い。
自分の指が、急に意識の中心になる。
ハヤトは小さな布で血を拭い、薬草の軟膏を薄く塗って、包帯を巻く。
手つきが慣れている。無駄がない。
「……はい、これで大丈夫です」
「……ありがと」
リアナは包帯の白さを見つめて、変な気持ちになった。
自分は“前に出る役”なのに。
守られてる感覚が残る。
(なんなんだよ、これ)
顔が熱い。
ミナが少し離れた場所から、静かに見ていた。
そして、何でもない声で言った。
「リアナさん、その包帯、似合いますね」
「は!?」
「白が映えます」
「そ、そういう問題じゃない!」
リアナが慌てて立ち上がると、傷が少し疼いて「うっ」と声が出た。
その瞬間、ハヤトが反射で支える。
「無理しないでください。脇腹、まだ――」
「わ、分かってるって!」
リアナは振りほどこうとして、逆に距離が近くなった。
近い。
近すぎる。
ハヤトの息が、頬にかかる距離。
リアナは思わず視線を逸らし、耳まで赤くなる。
(やばい、やばい、やばい)
ハヤトは何も気づかない顔で離れた。
「すみません、反射で」
「……反射って言うな!」
意味の分からない怒りが飛び出て、リアナは自分でも困った。
◇
昼前。
セレスが紅茶を片手に、淡々と書類を整理していた。
依頼の報告書、地図、罠位置のメモ。几帳面すぎるほど整っている。
その横で、リアナが短剣を弄びながら落ち着きなく足を揺らしていると、セレスが唐突に言った。
「リアナ」
「なに」
「戦闘中、視線がハヤトに寄っている」
ミナがむせた。
「けほっ」
リアナは固まった。
「は……?」
セレスは眉一つ動かさない。
「前を見るべき瞬間に、後ろを見る。
致命的な癖になる前に直しなさい」
「ち、違う! 連携確認だよ、連携!」
「連携確認なら一度で足りる」
セレスは淡々と続ける。
「あなたは“守られている”感覚に慣れていないだけ。
それに浮かれている」
「浮かれてない!」
リアナの声がひっくり返る。
ミナがそっとフォローするように言った。
「……でも、安心すると視線が動くのは、自然かもしれません」
「ミナまで何言ってんの!」
リアナは頭を抱えた。
セレスは紅茶を一口飲み、視線だけで刺す。
「否定はいい。自覚しなさい。
自覚しない感情は、戦場で牙になる」
リアナは言い返せなかった。
セレスの言葉は正しい。嫌になるほど正しい。
◇
午後、依頼の準備で廊下を歩いていると、ハヤトが後ろから追いついてきた。
「リアナさん」
「な、なに」
「さっき、セレスが言ってたこと」
リアナの心臓が跳ねた。
(聞いてたの? 聞いてたの!?)
「……気にしないでください」
ハヤトは真面目な顔で言った。
「連携の確認、俺もしてます。俺も前衛の動き見てます」
リアナは、力が抜けそうになった。
「……はぁ」
「俺、何か悪いことしましたか?」
「してない。してないけど……」
リアナは言いかけて、言えなかった。
“悪いのは私だ”なんて、口にしたら終わる気がしたから。
ハヤトは困ったように首を傾げた。
「……?」
その顔が、さらに腹立つ。
「その顔やめろ」
「どの顔ですか」
「わかんないけど、とにかくやめろ!」
リアナは早足で逃げるように歩いた。
背中が熱い。頬も熱い。耳まで熱い。
◇
夜。
リアナはまた自室で、短剣を机に置いたまま天井を見つめていた。
(私は、何がしたいんだよ)
戦いがしたい。生きて帰りたい。強くなりたい。
それはずっと変わらない。
でも、その中心に、最近もう一つの“重さ”が増えた。
ハヤトが前に出ると腹が立つ。
でも、いないともっと腹が立つ。
目で追ってしまう。声を探してしまう。手を見てしまう。
守られるのが、怖い。
守られるのが、嬉しい。
その矛盾が、胸の奥でぐちゃぐちゃに絡まっている。
「……私、あいつのこと……」
言葉にしようとして、止めた。
名前を付けたら戻れなくなる気がした。
でも、頬の熱さは消えない。
心臓の変な跳ね方も止まらない。
リアナは、布団に顔をうずめて小さく唸った。
「……くそ」
認めたくないのに。
もう、始まっている。




