第40話 新人護衛依頼と強さの種類
依頼票を見たリアナが、露骨に嫌そうな顔をした。
「……新人の“見学”護衛?」
紙には太字で書いてある。
新人冒険者(2名)の第一階層見学・安全講習つき
目的:罠印の読み方/通行ルールの体験/緊急撤退の手順
条件:戦闘回避。危険兆候で即撤退
セレスが淡々と依頼票を剥がした。
「やる。ギルドが“死なせない仕組み”を作りたいなら、こういうのが必要」
ミナが静かに頷く。
「見学って大事です。怖さを知るのも、正しい撤退を覚えるのも」
ハヤトは依頼票の下に付いた追記を読んだ。
「指導役:静電制御士の知見を活用せよ」
胸の奥が少しだけ落ち着かない。
まだ自分が“安全”と言えるほど強いわけじゃないから。
集合時間、ギルドの入口に現れた新人は二人だった。
一人は背丈の低い青年。鎧がまだ新品で、肩紐の締め方が甘い。
もう一人は小柄な少女弓手。矢筒が腰の横で揺れている。
青年が深く頭を下げ、少女も慌てて続く。
リアナが腕を組み、わざと少しだけ怖い声を出した。
「先に言っとくけど、ここは遊びじゃないよ。死ぬ」
二人の顔色が一瞬で青くなる。
ミナがやんわりと横から言った。
「でも、今日は“死なないための練習”です。ちゃんと守ります」
セレスが指を一本立てる。
「まずルール。私が言うことは絶対。質問は“止まってから”。走りながら質問しない」
「はい!」
ハヤトは二人の荷物の位置と袖の長さを見て、短く言った。
「壁に寄らない。袖と外套は巻く。矢筒は背中に固定できるなら固定。
あと、足音を小さくしないでください。恐怖で忍び足になると転びます」
青年が目を丸くした。
「え、静かにしたほうが……」
「静かにするのは“音を出す敵”の前だけです。
罠と転倒は、静かにすると増えます」
セレスが頷いた。
「良い指導。行くわよ」
◇
灰石の穴の中は、相変わらず冷たい。
新人二人は入口に入った瞬間から目が泳ぎ、呼吸が浅くなる。
暗さと湿り気が、喉の奥を締めるのが分かる。
「一列」
セレスが短く言う。
隊列は、リアナ(先頭)→新人青年→ハヤト→新人弓手→セレス→ミナ(最後)になった。
セレスはあえて後ろ寄りに立つ。逃げ道を見張る位置だ。
「まずは印の説明」
ハヤトが壁の×印を指す。
「×の下に線があるのは、壁面ワイヤー。荷物が擦れると矢が出る可能性があります。
床の△は糸。膝の高さに張られてる。屈んで通る」
新人弓手が目を凝らす。
「……こんな細い印で分かるんですね」
「分かるように“場所”に打ってあります。見えなかったら止まって照らす。焦らない」
青年がごくりと唾を飲んだ。
「……もし、引っかけたら……」
「その前に止めます」
ハヤトは言い切る。言い切ってしまう。
そうしないと、この場の不安は増えるだけだ。
リアナが振り返って笑った。
「こいつの言い切り、だいたい本当だよ」
言い方は雑なのに、信頼が混ざっている。
新人二人が少しだけ安心した顔になる。
◇
通路をいくつか越え、浅い小部屋に差しかかった。
ここが“見学のゴール”の予定だった。
印を確認し、撤退の合図と隊列の組み直しを練習して帰る――それで終わるはず。
だが、ハヤトの足裏が拾った。
小さな振動。
複数の足音。
壁際を這うような動き。
指輪の尖端が、空中の一点に“引かれる”。
金属じゃない。湿り気――生き物の鼻先みたいな場所に。
「止まって」
ハヤトが小声で言った。
全員が止まる。
新人二人の肩が跳ねる。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
「魔物、三。奥から。たぶん小型。影獣か、屍肉喰いに近い」
セレスの声が冷静に落ちる。
「戦闘しない。撤退練習に切り替える。リアナ、前で道を確保。ハヤト、隊列固定。ミナ、最後尾の呼吸を見る」
「了解」
リアナが短剣を抜き、通路の角へ半歩出る。
しかし出すぎない。あの日の傷がまだ身体に教えている。
新人青年が震える声で言った。
「た、戦うんじゃ……」
「戦わない」
セレスが即答する。
「“戦わない”のが、今日の勝ち。だから撤退する」
その言葉に、青年は頷くが、足が動かない。
恐怖が、膝を固めてしまう。
角の向こうで、かさ、と音がした。
影がひとつ、滑るように現れる。赤い目。
「来た!」
リアナが短剣を前に出し、威嚇するように足を踏み鳴らした。
短剣の返しが、粘液や皮膜を裂く感触を拾う。
影獣は一瞬ためらうが、後ろの二体が押してくる。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
新人弓手が息を吸い込み、矢をつがえようとして指がもつれる。
「撃たない」
ハヤトが短く言った。
「矢が壁に当たると音で増える。今は走る」
「で、でも……!」
弓手の声が裏返る。
恐怖で視界が狭くなっている。
ハヤトは一瞬だけ迷い、次の瞬間、決めた。
ハヤトは床の導電ラインを見つけ、そこへごく薄い電気を流す。
火花は出ない。音もない。
ただ、足元に“ここを踏めば滑らない”という筋ができる。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
「足、ここ。線の上」
ハヤトが新人青年の肩を軽く押し、足の置き場を誘導する。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
同時に、指輪の尖端で影獣の鼻先へ微弱電流を“引っかける”。
痛めるほどじゃない。
ただ、踏み込みが一拍遅れる程度。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
「ギッ……」
影獣の動きが一瞬だけ鈍る。
「今、歩ける!」
ハヤトが言った。
「走らない。歩幅を大きく。転ばないことが最優先」
新人青年が、震えながら一歩踏み出す。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
リアナが角を保ち、短剣で“来る線”だけを切り払う。
斬らない。追わない。触れさせない。
刺すのではなく“叩き込む”。抵抗が増す前に。
セレスが低い声で命じる。
「隊列、崩すな。視線は背中。前の人の肩甲骨を見る。足元だけを見るな」
新人弓手の呼吸が乱れる。
「……っ、……っ」
ミナが後ろから小声で言った。
「息を吐いて。四つ数えて吐いて。大丈夫、吐けます」
弓手が、涙目のまま頷き、必死に息を吐く。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
呼吸が戻る。足が戻る。
影獣の一体が、横から回り込もうとする。
新人弓手の背後に入る角度。
ハヤトは床の水袋の残りをほんの少しだけ垂らし、回り込みのラインに薄い“道”を作った。
影獣が踏む。
じわり。
脚が止まる。
リアナがその隙に、短剣の柄で顎を打ち、距離を押し返す。
短剣の返しが、粘液や皮膜を裂く感触を拾う。
「こっち来んな!」
それだけ。
深追いはしない。
出口が見えた。地上の風の匂い。
セレスが一段強い声で言う。
「今から走る。合図で走れ。転んだら私が引っ張る」
ハヤトが頷く。
「合図、ください」
「――今!」
四人+新人二人が、一斉に走る。
走ると言っても、無茶な全力ではない。転ばない速度。
地上の光が、目に刺さった。
短剣の返しが、粘液や皮膜を裂く感触を拾う。
◇
外に出た瞬間、新人弓手がへたり込みそうになった。
だが、ミナがすぐに肩を支える。
「大丈夫。座って、息を整えて」
新人青年は膝に手をつき、苦しそうに笑った。
「……撤退って、こんなに難しいんですね……」
セレスがはっきり言う。
「撤退ができない者から死ぬ。今日覚えたのは、それよ」
青年が真剣に頷く。
「はい……」
弓手がハヤトを見て、小さく言った。
「……ありがとうございました。戦わなくても、守れるんですね」
「守れます。守るために“戦わない”選択が必要です」
ハヤトの答えに、弓手は何度も頷いた。
セレスは二人に最後の指導を入れる。
「ギルドに戻ったら、今日のルートと印を説明できるようにして。
“怖かった”も報告に含める。恐怖は情報よ」
「はい!」
二人は深く頭を下げ、ギルドへ先に戻っていった。
◇
新人の背中が見えなくなってから、リアナがぽつりと言った。
「……私さ」
「はい?」
ハヤトが振り返ると、リアナは短剣を鞘に戻しながら、目を細めた。
「昔の自分、ああだった。
怖いのに、強がって、足だけ固まって……」
セレスは何も言わず、少しだけ視線を落とした。
あの日の“固まった自分”を思い出しているのかもしれない。
リアナが続ける。
「でも今日、あんたがやったのってさ」
リアナはハヤトの手を見る。
その手は、昨日も今日も、血で汚れていない。
「斬ってないのに、守った。
……なんか、ずるい」
「ずるい?」
「うん。かっこいいのに、かっこつけてないのがずるい」
リアナは言ってから、自分で赤くなった。
慌てて咳払いをする。
「べ、別に変な意味じゃないから!」
ミナが小さく笑って、視線を逸らした。
セレスは紅茶でも飲むみたいに淡々とした顔で言う。
「変な意味に聞こえるわね」
「セレス!余計なこと言うな!」
リアナがわたわたしているのを見て、ハヤトは困ったように笑った。
その笑いが、リアナの胸に何かを落としたのを、本人だけが気づいていない。
セレスが歩き出す。
「帰る。報告して、休む。
今日は勝ちよ。“戦わずに生きて戻った”」
ハヤトは頷き、指輪の尖端を軽く握った。
電気は、派手に燃やすためだけのものじゃない。
恐怖で固まる足を、もう一度動かすためにも使える。
そして――誰かの視線が、自分の手に“長く”留まるようになっていることにも、
ハヤトはまだ気づかなかった。




