第39話 薬草採取と夜襲
依頼は簡単なはずだった・・・。
「薬草採取:薄青のミズナギ草(第一階層・外縁)」
浅い場所。罠も少ない。魔物も弱い。――そういう“はず”。
だが、ギルドの受付が依頼票を渡すとき、声を落としてこう言った。
「最近、外縁の出口付近で“襲われた”って報告が増えてるらしいです。
魔物じゃなくて……何か、影みたいだってみんな言っています。」
セレスは表情を変えずに頷いた。
「分かった。採取は短時間。長居しない」
リアナが笑って見せる。
「影ねぇ。斬れば消えるなら助かるんだけど」
ミナは依頼票の端を指で押さえた。
「……油断しないで行きましょう」
ハヤトは、指輪の尖端を触った。
影。出口付近。湿り気。――嫌な単語が揃っている。
◇
第一階層の外縁は、岩肌が薄く苔が生えており、長らく人の手が入っていないことを示している。
天井の裂け目から落ちる水が、細い筋を作っている。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
ミズナギ草はその湿った筋の近くに生える。
薄青い葉が、微かな光を受けて浮かび上がる。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
「これだ」
ミナがしゃがんで、根元から丁寧に摘む。
採取袋に入れ、葉が傷まないように布で包む。
リアナは周囲を見張りながら、ぼそっと言った。
「こういうの、ミナがいると安心だよね。雑にやると台無しだし」
「植物も命です。……雑に扱うと怒ります」
ミナが真面目な顔で言い、リアナが吹き出す。
「怒るのはミナだけだろ」
セレスは一切笑わず、地面と壁を淡々と見ていた。
「採取は二束で十分。予定より早く切り上げる」
「了解」
ハヤトは足裏の感覚を薄く広げ、導電ラインの位置を頭に入れていく。
水の筋は“道”になる。
電気の道にも、敵の足取りの道にも。
採取が終わった頃、空気が変わった。
冷たい。
そして、音が減った。
洞の出口――地上への分岐が見えるあたりで、気配が一段重くなる。
ハヤトは立ち止まり、指輪の尖端をほんの少しだけ前に出した。
火花は出さない。吸われ方だけ見る。
空中の一点が、じわ、と引っ張る。
「止まってください」
ハヤトの声が低い。
リアナが即座に止まる。
「罠?」
「罠じゃない。……生き物。小さい。複数」
セレスが無言で隊列を整えた。
リアナが前、セレスが二番、ハヤトが三番、ミナが最後。
「出口まで走る準備」
セレスが短く言う。
「出る直前に襲ってくる。そういう間合いの取り方をしてる」
その言葉が終わるより先に――暗闇が動いた。
壁と床の境目から、黒い影が滑り出す。
獣。だが毛並みは濡れた墨のようで、光を吸う。
四体。
目だけが、赤い。
「来た!」
リアナが短剣を抜く。
影獣は吠えない。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
音を立てずに跳ぶ。
最初の一体がリアナへ。
同時に二体が左右へ散り、後衛のミナを狙う角度に入る。
ハヤトは一瞬で導電ラインを見つけた。
床の細い水の筋。出口へ伸びる道。
「ミナさん、下がって! 水の筋、踏まないで!」
「えっ?」
ミナが反射で足を引く。
その瞬間、影獣の爪がミナのいた場所を薙いだ。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
風だけが通る。
「っ……!」
ミナの息が止まる。
ハヤトは“音を立てない流れ”を、導電ラインへ落とした。
電気は水に吸われる。道ができる。
影獣が水の筋を踏んだ瞬間――
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
じわり。
「ギッ……!」
声にならない痙攣。
影獣の脚が一瞬もつれる。
「今!」
リアナが短剣を振る。
斬るのは首じゃない。胴でもない。
短剣の返しが、粘液や皮膜を裂く感触を拾う。
肩口――前脚の付け根。
ザク、と短い音。
影獣が着地に失敗し、床を滑る。
だが二体目がセレスへ跳んだ。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
セレスの杖へ噛みつく角度。
セレスは一歩も引かず、杖を横へ流す。
「《フレア・ダスト》」
火ではなく、粉塵。
乾いた光の粒が舞い、影獣の視界が白む。
影獣が一瞬ためらった。その一瞬を、ハヤトが拾う。
指輪の尖端に意識を寄せ、影獣の爪先に“跳ねる量だけ”押す。
バチンッ。
小さな火花が一瞬だけ弾ける。
影獣の脚が外へ流れ、攻撃の線が逸れた。
セレスの杖が影獣の顎を打つ。
ゴン、と鈍い音。影獣が転がる。
残る二体が、完全にミナへ向いた。
後衛の柔らかい場所を知っている動き。
真っ直ぐじゃない。左右に揺れ、間合いをずらしてから飛ぶ。
「ミナ!」
リアナが叫ぶが、距離がある。
ハヤトは息を吸った。
ミナの足元。
導電ラインを避けて立っている。
なら、逆に――影獣が踏む“水”を作る。
ハヤトは腰の水袋を掴み、床へ少しだけ水を垂らした。
細い線。ミナの前、影獣が踏み込む場所に。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
その水の線へ、静電気を“流し込む”。
影獣が踏む。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
じわり。
「ギッ!」
脚が止まる。
もう一体が飛ぶ――が、同じ水線に前脚が触れた瞬間、動きが鈍った。
ミナが咄嗟に祈りを投げる。
「《ブレス・シールド》!」
薄い光の膜が一瞬だけ張り、爪が弾かれる。
その反動で影獣が体勢を崩す。
「そこ!」
リアナが一気に距離を詰めた。
短剣が閃き、二体の“背中の筋”を最小で断つ。
血の色は暗い。影がほどけるように崩れていく。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
残った一体は、傷を負いながら壁際へ滑り、闇に溶けた。
静寂が戻る。
呼吸だけが、荒い。
◇
しばらく誰も動けなかった。
セレスが最初に口を開く。
「追うな。出口へ。今のは“誘い”だ」
リアナが舌打ちしながら頷く。
「分かってる。奥で待ってるやつがいる、って感じがした」
ミナは胸に手を当て、ゆっくり息を吐いた。
「……ありがとうございます。守ってもらいました」
言いながら、ミナはハヤトの足元を見る。
床の細い水線。そこに残った僅かな湿り。
「今の……水を使ったんですね」
「はい。道があると、流れが作れるので」
セレスが短く言った。
「合理的。静電気を“戦術”にした」
褒め言葉。
それなのに、ハヤトの胸は少しだけ締まった。
影獣の動きは、魔物のそれじゃない。
人間の狙い方だ。
出口付近まで戻ると、空気が軽くなる。
地上の風が混ざる。
リアナが、歩きながらぽつりと言った。
「……あんたさ」
「はい」
「さっき、ミナが狙われたとき」
リアナは短剣を鞘に戻し、視線を前に固定したまま続ける。
「私、間に合わなかった。
でもあんたは、音も出さずに止めた」
その言い方は、怒っているみたいで、でも違った。
「守るって、こういうことなんだなって思った」
ハヤトは言葉を探して、結局短く答えた。
「……生きて帰るためです」
リアナは鼻で笑う。
「それ。そういうところが腹立つ」
「え?」
「自覚ないところ」
リアナは一瞬だけハヤトの手を見る。
血もついていない手。けれど、さっき確かに命を守った手。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
「その手、守るためにあるんだな」
また同じ言葉が落ちた。
今度は、前より静かに。
言ってしまったあと、リアナは自分でも驚いたように口を閉じた。
頬が少し赤い。
ミナはそれを横目で見て、何も言わずに視線を落とす。
セレスは淡々と前を歩きながら、ほんの一瞬だけ振り返った。
その目が、鋭いのに、どこか複雑だった。
ハヤトは指輪の尖端に触れ、湿り気の残る床を見下ろした。
電気は見えない。
でも、見えないものほど、誰かを守れる。
そして――見えない感情も、少しずつ形を持ち始めていた。




