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第38話 回収クエストと静かな護衛




 依頼票の紙は、端が少しだけ湿っていた。

 それだけで、どんな依頼か分かる。

 血と泥と、遅れて来る現実の匂い。

 視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。



「遺品回収・撤収支援(第一階層浅部)」



「対象:行方不明者一名(推定死亡)/遺族への引き渡しあり」



 報酬は高くない。

 それでも依頼が残っている理由は簡単だった。

 誰も、やりたがらない。



「……行くわよ」



 セレスが依頼票を剥がし、ため息ひとつだけ落とした。

 リアナは笑って見せたが、声が軽くならない。



「こういうの、嫌い。……でも必要なのも分かる」



 ミナは依頼票の文字を指でなぞり、静かに頷いた。



「遺品は……遺族の最後の支えになります。行きましょう」



 ハヤトは、言葉にできない何かを飲み込んで頷いた。

 喉の奥に、石喰いの咆哮じゃない別の重さが溜まる。



















ギルドの医務室前で、同行者と会った。

 灰色の外套を着た男。ギルドの回収係――冒険者ではない。

 荷物は小さな木箱ひとつだけ。中には封蝋付きの書類と、布袋。

 男は礼儀正しく頭を下げたが、目が落ち着かない。

 ダンジョンの空気を吸い慣れていない目だ。



「無理に見なくていい」



 セレスが淡々と言う。



「必要なのは回収品の確認と、記録だけ。足元だけ見てついてきて」



「はい……」



 リアナが男の背中を軽く叩く。



「怖かったら、私の後ろにいな。

 うちの後ろは……まあ、死ににくい」



 ミナが小さく微笑んだ。



「“死なせない”のではなく、“死ににくい”が現実的ですね」



「現実的が正義だよ、ミナ」



 リアナはそう言いながら、ちらりとハヤトを見る。

 昨夜から、視線がほんの少しだけ変わっている。本人は気づいていない顔だ。

 ハヤトは気づかないふりをして、指輪の尖端を親指で確かめた。

 今日は戦果を競う日じゃない。

 “拾って、戻す”日だ。



















灰石の穴、第一階層。

 通路の×印と△印が、今日はやけに鮮明に見えた。

 誰かのために残した印が、今は自分たちの足を守る。



「中央一列、荷物を壁に擦らないように行く」



 セレスが短く言い、回収係の男が小刻みに頷く。

 ハヤトは床と壁の“気配”を読む。

 罠はない。

 代わりに、空気が妙に澱んでいる。


 嫌な匂いは、嗅ぎ慣れてはいけない。


 目的地点は浅部の小部屋だった。

 通路の先、崩れた岩と古い焚き火跡のある場所。

 そこに――装備が散っていた。

 剣。

 裂けた革鎧。

 空の薬袋。

 そして、血の黒い染み。

 視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。

 身体は、見当たらない。



「……持っていかれた?」



 リアナが低く言う。

 セレスは周囲を見て、視線だけで答えた。



「魔物に引きずられた跡がある。奥へ続いてる。

 でも、追わない。“遺品回収”が目的よ」



 回収係の男が、顔を引きつらせながら木箱を開けた。



「……本人確認が必要です。名前の刻印があるもの、私物、印章……」



 ミナが静かに言う。



「まずは散ったものをまとめましょう。無理に奥へ行かなくていいです」



 ハヤトは装備の位置関係を見た。

 争った跡は少ない。

 つまり――不意打ちか、罠か。

 そのとき、ハヤトの指輪が“吸われた”。

 火花は出していない。

 でも、尖端が空中の一点を強く感じる。



「止まってください」



 ハヤトが言うと、全員が止まった。



「糸……あります」



 セレスが杖先の光を斜めに当てる。

 小部屋の入口、膝の高さ。薄い線が一本。



「……くそ。ここにもか」



 リアナが歯を鳴らす。



「この部屋、回収する人間を狙ってる」



 ミナが小さく震える。



「……遺品を拾いに来た人が、同じ目に……」



 ハヤトは床に△印を追加し、入口の両端にも点を打った。

 そして回収係の男に言う。



「この線より前に出ないでください。

 拾うのは俺たちがやります」



「……はい」



 男は青い顔で頷いた。



















遺品の回収は、戦闘より静かで、戦闘より重い。

 ミナが一つ一つ布で拭い、名前の刻印を探す。

 セレスが記録として順番に並べ、回収係が書類に書き込む。

 リアナは周囲の警戒。

 ハヤトは罠と、そして“寄ってくる気配”を読む。


 小さい。

 乾いた足音。

 床を擦る爪の音。

 ハヤトが小声で言う。



「小型。三……いや四。壁際」



 リアナが短剣を抜いた。



「ネズミ?」



 影から出てきたのは、ネズミより大きい――痩せた灰色の獣だった。

 目が赤い。腹が異様に膨れている。

 血の匂いに寄ってきた“屍肉喰い”だ。

 視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。



「ギィィ……」



 鳴き声が乾いている。

 怖がっていない。こいつは飢えている。



「早々に倒す。」



 セレスが短く命じた。

 リアナが前に出る――が、ここは小部屋。

 踏み込みすぎると糸罠に触れる。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。

 ハヤトは即座に“道”を作った。

 壁の導電ライン。そこに薄い電気を流し、獣の足元へ引っかける。

 火花は出ない。音もない。

 だが獣の動きが一瞬止まる。

 筋肉が跳ね、足がもつれる。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。



「今!」



 リアナは最小の距離で踏み込み、短剣を横に払った。

 刃が走る。浅ければ意味がない。深く、核を狙う。

 斬るのは腹ではない。首でもない。

 脚。走れなくする。

 ザン、と短い音。

 一匹が崩れ、残りが距離を取る。

 血の匂いではなく、人間の弱さに反応した。



「下がって!」



 ミナが叫ぶ。回収係の男が足をもつれさせる。

 ハヤトは指輪の尖端に意識を寄せ、獣の鼻先――濡れて尖った部分へ“押す”。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。

 電気は湿りに吸われやすい。鼻先は“道”になる。

 



「《エレキ・スパーク》」



じわり、と流れた微弱電流。



「ギッ――!」



 獣が顔を振り、突進の軌道がずれる。

 その隙にリアナが飛び込み、短剣の柄で顎を打って転がす。

 セレスが杖先を床に落とす。



「《フレア・ダスト》」



 粉塵が舞い、獣の目が眩む。

 リアナが二匹目を確実に仕留め、残りは逃げた。

 戦闘は短かった。

 それでも、回収係の男の肩は震えていた。



「……す、すみません……」



「謝らなくていい」



 ミナが優しく言う。

「怖いのが普通です。……でも、ここで倒れた人も、きっと怖かった」



 その言葉で男は黙り、目を伏せた。



















最後に、ミナが小さな布袋を拾った。

 中身は、割れかけた指輪。

 安物の金属。だが、内側に小さく刻印がある。



「……これ、婚約指輪です」



 ミナの声が静かに揺れた。

 回収係が、息を吸う。



「……奥方……いえ、婚約者が待っています」



 リアナが口を結ぶ。

 セレスも、視線を逸らさない。

 ハヤトは、指輪を見つめる。

 派手な剣も、魔術も、最後には布袋に収まる。

 それが嫌だった。

 だからこそ、印を残す。知識を残す。生きて戻す。



「戻りましょう」



 セレスが言った。



「これ以上、ここにいる理由はない」



















帰路は静かだった。

 通路の印が役に立つ。

 中央一列。壁禁止。糸は△。ワイヤーは×の下。

 回収係の男は何度も立ち止まりそうになったが、ミナが背中に手を当てて支えた。

 ハヤトはその背後で、罠の気配を拾い続ける。

 地上に出た瞬間、回収係の男が膝をついた。



「……ありがとうございました……」



 声が震えている。

 それでも、礼は礼として届いた。

 ギルドに戻り、遺品を引き渡す手続きが始まる。

 回収係が書類を揃え、ミナが布袋を丁寧に箱へ収める。

 リアナは窓の外を見ていた。

 妙に黙っている。

 ハヤトが近づくと、リアナがぽつりと言った。



「……あんたさ」



「はい」



「さっき、回収係の人が狙われたとき」



「……はい」



「私、間に合わなかった。

 でも、あんたのやつ――音もしないのに、止めた」



 リアナは自分の短剣を見下ろす。



「強さって、斬るだけじゃないんだね」



 ハヤトは返事に困って、短く言った。



「……生きて戻るための強さです」



 リアナは一瞬だけ笑って、それから真面目な目になる。



「その手、守るためにあるんだな」



 言ってから、リアナ自身が少しだけ黙った。

 言葉が勝手に出たみたいに。

 ミナが少し離れた場所でそれを聞き、何も言わずに視線を落とした。

 セレスは紅茶のカップを持ったまま、何かを考えるように静かだった。


 ハヤトは指輪の尖端をそっと握る。

 今日の仕事は、敵を倒して終わりじゃない。

 誰かの手に、残ったものを返して終わりだ。

 その重さに、慣れてはいけない。

 でも、背負って歩くしかない。





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