第38話 回収クエストと静かな護衛
依頼票の紙は、端が少しだけ湿っていた。
それだけで、どんな依頼か分かる。
血と泥と、遅れて来る現実の匂い。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
「遺品回収・撤収支援(第一階層浅部)」
「対象:行方不明者一名(推定死亡)/遺族への引き渡しあり」
報酬は高くない。
それでも依頼が残っている理由は簡単だった。
誰も、やりたがらない。
「……行くわよ」
セレスが依頼票を剥がし、ため息ひとつだけ落とした。
リアナは笑って見せたが、声が軽くならない。
「こういうの、嫌い。……でも必要なのも分かる」
ミナは依頼票の文字を指でなぞり、静かに頷いた。
「遺品は……遺族の最後の支えになります。行きましょう」
ハヤトは、言葉にできない何かを飲み込んで頷いた。
喉の奥に、石喰いの咆哮じゃない別の重さが溜まる。
◇
ギルドの医務室前で、同行者と会った。
灰色の外套を着た男。ギルドの回収係――冒険者ではない。
荷物は小さな木箱ひとつだけ。中には封蝋付きの書類と、布袋。
男は礼儀正しく頭を下げたが、目が落ち着かない。
ダンジョンの空気を吸い慣れていない目だ。
「無理に見なくていい」
セレスが淡々と言う。
「必要なのは回収品の確認と、記録だけ。足元だけ見てついてきて」
「はい……」
リアナが男の背中を軽く叩く。
「怖かったら、私の後ろにいな。
うちの後ろは……まあ、死ににくい」
ミナが小さく微笑んだ。
「“死なせない”のではなく、“死ににくい”が現実的ですね」
「現実的が正義だよ、ミナ」
リアナはそう言いながら、ちらりとハヤトを見る。
昨夜から、視線がほんの少しだけ変わっている。本人は気づいていない顔だ。
ハヤトは気づかないふりをして、指輪の尖端を親指で確かめた。
今日は戦果を競う日じゃない。
“拾って、戻す”日だ。
◇
灰石の穴、第一階層。
通路の×印と△印が、今日はやけに鮮明に見えた。
誰かのために残した印が、今は自分たちの足を守る。
「中央一列、荷物を壁に擦らないように行く」
セレスが短く言い、回収係の男が小刻みに頷く。
ハヤトは床と壁の“気配”を読む。
罠はない。
代わりに、空気が妙に澱んでいる。
嫌な匂いは、嗅ぎ慣れてはいけない。
目的地点は浅部の小部屋だった。
通路の先、崩れた岩と古い焚き火跡のある場所。
そこに――装備が散っていた。
剣。
裂けた革鎧。
空の薬袋。
そして、血の黒い染み。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
身体は、見当たらない。
「……持っていかれた?」
リアナが低く言う。
セレスは周囲を見て、視線だけで答えた。
「魔物に引きずられた跡がある。奥へ続いてる。
でも、追わない。“遺品回収”が目的よ」
回収係の男が、顔を引きつらせながら木箱を開けた。
「……本人確認が必要です。名前の刻印があるもの、私物、印章……」
ミナが静かに言う。
「まずは散ったものをまとめましょう。無理に奥へ行かなくていいです」
ハヤトは装備の位置関係を見た。
争った跡は少ない。
つまり――不意打ちか、罠か。
そのとき、ハヤトの指輪が“吸われた”。
火花は出していない。
でも、尖端が空中の一点を強く感じる。
「止まってください」
ハヤトが言うと、全員が止まった。
「糸……あります」
セレスが杖先の光を斜めに当てる。
小部屋の入口、膝の高さ。薄い線が一本。
「……くそ。ここにもか」
リアナが歯を鳴らす。
「この部屋、回収する人間を狙ってる」
ミナが小さく震える。
「……遺品を拾いに来た人が、同じ目に……」
ハヤトは床に△印を追加し、入口の両端にも点を打った。
そして回収係の男に言う。
「この線より前に出ないでください。
拾うのは俺たちがやります」
「……はい」
男は青い顔で頷いた。
◇
遺品の回収は、戦闘より静かで、戦闘より重い。
ミナが一つ一つ布で拭い、名前の刻印を探す。
セレスが記録として順番に並べ、回収係が書類に書き込む。
リアナは周囲の警戒。
ハヤトは罠と、そして“寄ってくる気配”を読む。
小さい。
乾いた足音。
床を擦る爪の音。
ハヤトが小声で言う。
「小型。三……いや四。壁際」
リアナが短剣を抜いた。
「ネズミ?」
影から出てきたのは、ネズミより大きい――痩せた灰色の獣だった。
目が赤い。腹が異様に膨れている。
血の匂いに寄ってきた“屍肉喰い”だ。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
「ギィィ……」
鳴き声が乾いている。
怖がっていない。こいつは飢えている。
「早々に倒す。」
セレスが短く命じた。
リアナが前に出る――が、ここは小部屋。
踏み込みすぎると糸罠に触れる。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
ハヤトは即座に“道”を作った。
壁の導電ライン。そこに薄い電気を流し、獣の足元へ引っかける。
火花は出ない。音もない。
だが獣の動きが一瞬止まる。
筋肉が跳ね、足がもつれる。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
「今!」
リアナは最小の距離で踏み込み、短剣を横に払った。
刃が走る。浅ければ意味がない。深く、核を狙う。
斬るのは腹ではない。首でもない。
脚。走れなくする。
ザン、と短い音。
一匹が崩れ、残りが距離を取る。
血の匂いではなく、人間の弱さに反応した。
「下がって!」
ミナが叫ぶ。回収係の男が足をもつれさせる。
ハヤトは指輪の尖端に意識を寄せ、獣の鼻先――濡れて尖った部分へ“押す”。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
電気は湿りに吸われやすい。鼻先は“道”になる。
「《エレキ・スパーク》」
じわり、と流れた微弱電流。
「ギッ――!」
獣が顔を振り、突進の軌道がずれる。
その隙にリアナが飛び込み、短剣の柄で顎を打って転がす。
セレスが杖先を床に落とす。
「《フレア・ダスト》」
粉塵が舞い、獣の目が眩む。
リアナが二匹目を確実に仕留め、残りは逃げた。
戦闘は短かった。
それでも、回収係の男の肩は震えていた。
「……す、すみません……」
「謝らなくていい」
ミナが優しく言う。
「怖いのが普通です。……でも、ここで倒れた人も、きっと怖かった」
その言葉で男は黙り、目を伏せた。
◇
最後に、ミナが小さな布袋を拾った。
中身は、割れかけた指輪。
安物の金属。だが、内側に小さく刻印がある。
「……これ、婚約指輪です」
ミナの声が静かに揺れた。
回収係が、息を吸う。
「……奥方……いえ、婚約者が待っています」
リアナが口を結ぶ。
セレスも、視線を逸らさない。
ハヤトは、指輪を見つめる。
派手な剣も、魔術も、最後には布袋に収まる。
それが嫌だった。
だからこそ、印を残す。知識を残す。生きて戻す。
「戻りましょう」
セレスが言った。
「これ以上、ここにいる理由はない」
◇
帰路は静かだった。
通路の印が役に立つ。
中央一列。壁禁止。糸は△。ワイヤーは×の下。
回収係の男は何度も立ち止まりそうになったが、ミナが背中に手を当てて支えた。
ハヤトはその背後で、罠の気配を拾い続ける。
地上に出た瞬間、回収係の男が膝をついた。
「……ありがとうございました……」
声が震えている。
それでも、礼は礼として届いた。
ギルドに戻り、遺品を引き渡す手続きが始まる。
回収係が書類を揃え、ミナが布袋を丁寧に箱へ収める。
リアナは窓の外を見ていた。
妙に黙っている。
ハヤトが近づくと、リアナがぽつりと言った。
「……あんたさ」
「はい」
「さっき、回収係の人が狙われたとき」
「……はい」
「私、間に合わなかった。
でも、あんたのやつ――音もしないのに、止めた」
リアナは自分の短剣を見下ろす。
「強さって、斬るだけじゃないんだね」
ハヤトは返事に困って、短く言った。
「……生きて戻るための強さです」
リアナは一瞬だけ笑って、それから真面目な目になる。
「その手、守るためにあるんだな」
言ってから、リアナ自身が少しだけ黙った。
言葉が勝手に出たみたいに。
ミナが少し離れた場所でそれを聞き、何も言わずに視線を落とした。
セレスは紅茶のカップを持ったまま、何かを考えるように静かだった。
ハヤトは指輪の尖端をそっと握る。
今日の仕事は、敵を倒して終わりじゃない。
誰かの手に、残ったものを返して終わりだ。
その重さに、慣れてはいけない。
でも、背負って歩くしかない。




