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第37話 罠印の追加依頼




 ギルドの掲示板は、朝から赤かった。

 赤い紐、赤い札、赤い印。

 “危険”を示す色が、紙の上で増殖している。



「灰石の穴・第一階層――罠多発、群れ増加、奥は危険指定……」



 セレスが淡々と読み上げる。声は冷静なのに、眉間だけがわずかに固い。

 リアナは鼻で笑った。



「もう初心者用の第一階層じゃないよね、これ。初心者殺しの第一階層」



 ミナは口を閉じ、掲示板の赤印を見つめている。

 助けられなかった人の顔が、まだ胸のどこかに引っかかっているのが分かる。

 ハヤトは、紙ではなく“空気”を見ていた。

 ギルドの出入り口の近くで、装備の軽い新人パーティが掲示板を見て、引き返していく。

 代わりに、顔つきの硬い連中が集まって、ひそひそと情報を交換している。

 そのとき、掲示板の下段に貼られた新しい依頼票が、目に入った。

 



「罠マーキング追加・通行ルール作成」



 報酬は地味。だが、説明欄が長い。

 ――壁面ワイヤー/透明糸/踏み板/射出矢。

 ――既存の×印だけでは不十分。

 ――通行ルートと注意点を、現地に残せ。

 セレスが依頼票を剥がす。



「これ。やる」



 リアナが肩をすくめる。



「うち向きだね。地味で、めんどくさくて、でも必要」



 ミナが頷いた。



「……はい。誰かがしないと」



 ハヤトは小さく息を吐いて、指輪の尖端を親指でなぞった。

 火花を出すためのものじゃない。

 “吸われ方”を見るための、目。



「行きましょう」



















灰石の穴の入口は、相変わらず冷たい息を吐いていた。

 中に入ると、光が死んだ。

 湿り気と石の匂いが、肌に張りつく。

 ハヤトは足裏の感覚を薄く広げ、同時に指先の意識も落とさない。

 床だけじゃない。壁。空中。通り道そのもの。



「隊列は一列」



 セレスが小声で言う。



「壁に寄らない。荷物は背中の中心。袖や外套が擦れないように」



「了解」



 リアナが先頭、セレスが二番、ハヤトが三番、ミナが最後。

 前に進むたび、壁の継ぎ目が増える。

 割れ目、欠け、古い火の跡。罠の隠れ場所だらけだ。

 分岐が見えた。

 以前×印をつけた射出矢の通路。

 壁の×が、薄暗がりの中で浮かんでいる。



「ここ」



 セレスが止まる。



「追加調査。ハヤト」



「はい」



 ハヤトは膝をつき、指輪の尖端にほんの少しだけ静電気を溜めた。

 火花は出さない。出したくなったら、溜めすぎだ。

 尖端を壁の割れ目へ近づける。

 ……引っ張られる。

 “そこに飛びたがる”感じ。

 ハヤトはチョークで石粉を払う。割れ目の奥に、細い金属線――ワイヤー。



「壁面ワイヤー。昨日確認したものと同じです。位置は×印の下、ここ」



 セレスが頷き、チョークで壁に追記する。

 ×の下に細い線。矢印。

 



「壁面ワイヤー注意」



「荷物こすり厳禁」



 リアナが低く言った。



「これ、搬送のとき地獄だね。担架とか絶対当たる」



「だから通行ルールが必要」



 セレスは短く言い切った。



「“中央一列”と、“荷物の高さ制限”も書く」



 ミナが小声で付け足す。



「……焦って壁に寄る人が多いので、“壁に寄るな”を太字にしたいです」



「採用」



 セレスが即答する。判断が速い。

 ――あの日の震えが嘘みたいに。

 ハヤトはその横顔を見て、胸の奥が少しだけ落ち着くのを感じた。



















分岐から左へ。広間には近づかない。

 通路の空気は冷たく、音が吸われる。

 ハヤトは足を止めた。



「……糸、あります」



 リアナが即座に止まる。



「見える?」



「見えません。でも、尖端が“そこ”に吸われる」



 ハヤトは最小の量だけ溜めて、火花を出さないギリギリの“引き”を見た。

 空中の一点が、吸い込むように存在感を持つ。

 セレスが杖先の光で斜めに照らすと、薄い線が浮いた。



「透明糸。膝の高さ。壁から壁へ」



 ミナが喉を鳴らす。



「……子どもの髪の毛みたい」



「引っかかったら終わり。矢でも落とし穴でも呼び寄せでも」



 セレスが言い、ハヤトに視線を向ける。



「マーキング、追加」



「はい」



 ハヤトは床に△を描き、横に短い線と



「糸」



 さらに、壁側にも同じ高さで小さな点を二つ打つ。線の両端の目印だ。



「これで、照らさなくても“ここに糸がある”って分かります」



 リアナが感心したように言う。



「印の付け方、うまくなったよね。前は×だけだったのに」



「死にたくないので」



 ハヤトが淡々と言うと、ミナが小さく笑った。



「……それが一番の理由ですね」



















通路を戻りかけたとき、別のパーティがやってきた。

 四人。装備は軽いが、目がまだ甘い。

 掲示板の赤印の意味を、本当には理解していない目だ。



「おい、ここ通れる? ×印があるって聞いたけど」



 先頭の男が、壁を覗き込みながら言った。

 荷物の肩紐が、ワイヤーのある高さをかすめそうになる。



「止まって!」



 ハヤトの声が鋭くなる。

 男が驚いて動きを止めた瞬間、荷物の端がぎりぎりで止まった。



「そこ、壁面ワイヤーです。荷物が擦れると矢が出ます」



「え……?」



 男の顔色が変わった。

 セレスが一歩前に出て、冷静に言う。



「通るなら中央一列。壁に寄るな。袖や外套も擦らせるな。

 それと、膝の高さの糸罠がある。印を見ろ」



 リアナが短剣の柄で床の△印をトンと叩く。



「これが糸。ここを跨ごうとしたら引っかかる。屈んで通れ」



 新人パーティの後衛が青ざめた。



「……俺たち、知らなかった……」



 ミナが優しく、でもはっきり言う。



「知らないまま進むのが、一番危ないです。

 今日は撤退したほうがいいと思います」



 先頭の男が唾を飲み、仲間を見る。

 そして、悔しそうに頷いた。



「……戻る。ありがとう」



 四人が引き返していく背中を見て、ハヤトは息を吐いた。

 戦わずに救えた命が、たしかにあった。

 セレスが小さく言った。



「今の判断、良かった」



 褒め言葉は短い。

 でも、その短さが逆に刺さる。



「……ありがとうございます」



 ハヤトが答えると、セレスは一瞬だけ視線を逸らした。

 頬の、薄い赤みはもうほとんど消えている。

 なのに、ハヤトはその場所を見ないようにしてしまった。

 見たら、何かが戻ってきてしまう気がしたから。



















帰還の道で、ハヤトは要所ごとに大きめの印を追加した。

 ・



「中央一列」



 ・



「壁禁止」



 ・



「荷物擦るな」



 ・



「糸=△」



 短く、強い言葉。

 読みやすい位置。

 チョークの残りが少なくなるまで、迷いなく描く。

 地上へ出たとき、空気が一段軽くなった。

 ギルドで報告を済ませると、受付の職員が顔を上げて言った。



「通行ルールまで残したのか。助かる。

 こういう仕事、できる奴が本当に少ない」



 リアナが得意げに胸を張る。



「うちの静電制御士、地味に最強だから」



 ミナがくすっと笑い、セレスは静かに頷いた。



「今日はこれで良い。誰も死ななかった」



 その言葉が、ただの結果報告じゃなくて、祈りのように聞こえた。

 ハヤトは指輪の尖端をそっと握り、心の中で繰り返す。

 この世界で、電気はまだ知られていない。

 だからこそ――学ぶことが、誰かを生かす。

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