第35話 責任を取りなさい
数日後。
ギルドの騒ぎは少しだけ落ち着いた。
第一階層の奥は“危険指定”になり、救助班と上位ランクのパーティが組まれるようになった。
《エレキ・ストライド》は、一旦、浅い階層の安全確認と地図整備に回されている。
派手な戦果はないが、確実に人が死ににくくなる仕事。
リアナの脇腹の傷は、ミナの治癒で塞がった。
ただ、深かった分だけ、動くとまだ痛むらしい。
♢
その夜。
宿の廊下の突き当りで、セレスがハヤトを呼び止めた。
「……少し、時間いい?」
「はい」
誰もいない静かな場所。
窓の外には街灯の光。
セレスは腕を組み、いつものように背筋を伸ばしている。
でも、目が少しだけ違った。
強いだけの目じゃない。どこか、人間の弱さを知った目だ。
「この前のこと」
セレスが言う。
「私、あのとき……本当に何もできなかった」
ハヤトは黙って聞いた。
「読みが外れて、人が死ぬと思った。
頭の中で……リアナが倒れて、ミナが叫んで、あなたがゴブリンに引きずられて――
“未来”が勝手に確定して……足が動かなかった」
セレスは唇を噛み、少しだけ視線を落とす。
「怖かった」
その告白が、彼女にとってどれだけ珍しいかは、言わなくても伝わった。
ハヤトはゆっくり頷いた。
「……俺も怖かったです」
「そう」
セレスは息を吐く。
「でも、あなたは動いた。
私を起こすために……謝って、叩いた」
頬を指で軽く触れ、セレスは苦笑した。
「人生で初めてだったのよ。
人から暴力を振るわれたの」
ハヤトの背筋が固まる。
「……本当に、すみません」
「謝るの、もういい」
セレスははっきり言った。
「不思議なのよ。
あれはあなたの電気でビリッときたわけじゃない。
でも……全身に電気みたいなものが走った。背骨に沿って、びりびりって」
セレスは自分の胸元に手を当てる。
「……正気に戻れた。
ありがとう」
ハヤトは言葉が出ず、ただ頭を下げた。
セレスは、少しだけ口角を上げる。
「でもね」
その“でも”が、妙に貴族っぽい。
命令ではないのに、逆らいにくい“響き”がある。
「暴力を振るわれたのは初めてよ。
責任、取ってね」
「責任……?」
ハヤトが目を瞬くと、セレスはふっと笑った。
「逃げないこと。
私がまた怖くなって止まったら、今度も起こしなさい。
そして……あなたも、私も、誰も死なせないって約束を守ること」
ハヤトは、胸の奥が熱くなった。
「……はい。逃げません」
セレスの目が細くなる。
「あなた、知らないでしょうけど」
ほんの少しだけ、誇りの色を滲ませて言う。
「これでも私は“有名な貴族”なのよ。
家の名前を出せば、街の顔色が変わる程度には」
ハヤトは驚いて口を開いた。
「……そうなんですか」
「そうよ」
セレスは肩をすくめる。
「だから、普通の人は私に近づかない。
媚びるか、距離を取るか。
対等に叱るなんて、まずしない」
セレスは少しだけ視線を逸らし、窓の外の灯りを見た。
「私はずっと、“正しく判断できる人間”でいないといけなかった。
家の名のために。私自身の価値のために。
……間違えたら、終わるって思ってた」
そこで、セレスは小さく笑う。
「でも、あの日は間違えた。
そしてあなたが、私を“ただの人間”として扱った」
頬を叩いたことを、美化する気配はない。
ただ、事実として受け止めている。
「悪くなかったわ」
セレスは言った。
「……対等な関係になった気がした」
ハヤトは息を飲んだ。
「俺は……対等かどうかは分からないです。
でも、セレス様が止まったら困るし、怖いし……
それでも一緒に戦いたいです」
セレスは少し黙ってから、ふっと息を吐いた。
「“様”はいらないわ。
それも、対等じゃない」
「……分かりました。セレス」
呼び捨てにすると、口の中が妙に乾く。
セレスはその反応を見て、少しだけ意地悪く笑った。
「よろしい。
じゃあ、責任。ちゃんと取って。最後まで」
その“最後まで”は、戦いの話だろう。
逃げない、折れない、見捨てない――その意味だと、ハヤトは理解した。
「はい」
ハヤトが答えると、セレスは廊下を歩き出しかけて、振り返った。
「もう一つ」
「何ですか」
「次に私が震えたら……叩く前に、一度だけ呼びなさい」
「呼びます」
「それでも戻らなかったら?」
ハヤトは、迷わず言った。
「……そのときは、またビンタで起こします」
セレスは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「……怖い男ね、あなた」
そう言って、セレスは背筋を伸ばして歩いていった。
その背中はいつも通り凛としている。
でも、どこか少しだけ――軽く見えた。




