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第35話 責任を取りなさい




 数日後。

 ギルドの騒ぎは少しだけ落ち着いた。

 第一階層の奥は“危険指定”になり、救助班と上位ランクのパーティが組まれるようになった。

 《エレキ・ストライド》は、一旦、浅い階層の安全確認と地図整備に回されている。


 派手な戦果はないが、確実に人が死ににくくなる仕事。

 リアナの脇腹の傷は、ミナの治癒で塞がった。

 ただ、深かった分だけ、動くとまだ痛むらしい。







 その夜。

 宿の廊下の突き当りで、セレスがハヤトを呼び止めた。



「……少し、時間いい?」



「はい」



 誰もいない静かな場所。

 窓の外には街灯の光。

 セレスは腕を組み、いつものように背筋を伸ばしている。

 でも、目が少しだけ違った。

 強いだけの目じゃない。どこか、人間の弱さを知った目だ。



「この前のこと」



 セレスが言う。



「私、あのとき……本当に何もできなかった」



 ハヤトは黙って聞いた。



「読みが外れて、人が死ぬと思った。

 頭の中で……リアナが倒れて、ミナが叫んで、あなたがゴブリンに引きずられて――

 “未来”が勝手に確定して……足が動かなかった」



 セレスは唇を噛み、少しだけ視線を落とす。



「怖かった」



 その告白が、彼女にとってどれだけ珍しいかは、言わなくても伝わった。

 ハヤトはゆっくり頷いた。



「……俺も怖かったです」



「そう」



 セレスは息を吐く。



「でも、あなたは動いた。

 私を起こすために……謝って、叩いた」



 頬を指で軽く触れ、セレスは苦笑した。



「人生で初めてだったのよ。

 人から暴力を振るわれたの」



 ハヤトの背筋が固まる。



「……本当に、すみません」



「謝るの、もういい」



 セレスははっきり言った。



「不思議なのよ。

 あれはあなたの電気でビリッときたわけじゃない。

 でも……全身に電気みたいなものが走った。背骨に沿って、びりびりって」



 セレスは自分の胸元に手を当てる。



「……正気に戻れた。

 ありがとう」



 ハヤトは言葉が出ず、ただ頭を下げた。

 セレスは、少しだけ口角を上げる。



「でもね」



 その“でも”が、妙に貴族っぽい。

 命令ではないのに、逆らいにくい“響き”がある。



「暴力を振るわれたのは初めてよ。

 責任、取ってね」



「責任……?」



 ハヤトが目を瞬くと、セレスはふっと笑った。



「逃げないこと。

 私がまた怖くなって止まったら、今度も起こしなさい。

 そして……あなたも、私も、誰も死なせないって約束を守ること」



 ハヤトは、胸の奥が熱くなった。



「……はい。逃げません」



 セレスの目が細くなる。



「あなた、知らないでしょうけど」



 ほんの少しだけ、誇りの色を滲ませて言う。



「これでも私は“有名な貴族”なのよ。

 家の名前を出せば、街の顔色が変わる程度には」



 ハヤトは驚いて口を開いた。



「……そうなんですか」



「そうよ」



 セレスは肩をすくめる。



「だから、普通の人は私に近づかない。

 媚びるか、距離を取るか。

 対等に叱るなんて、まずしない」



 セレスは少しだけ視線を逸らし、窓の外の灯りを見た。



「私はずっと、“正しく判断できる人間”でいないといけなかった。

 家の名のために。私自身の価値のために。

 ……間違えたら、終わるって思ってた」



 そこで、セレスは小さく笑う。



「でも、あの日は間違えた。

 そしてあなたが、私を“ただの人間”として扱った」



 頬を叩いたことを、美化する気配はない。

 ただ、事実として受け止めている。



「悪くなかったわ」



 セレスは言った。



「……対等な関係になった気がした」



 ハヤトは息を飲んだ。



「俺は……対等かどうかは分からないです。

 でも、セレス様が止まったら困るし、怖いし……

 それでも一緒に戦いたいです」



 セレスは少し黙ってから、ふっと息を吐いた。



「“様”はいらないわ。

 それも、対等じゃない」



「……分かりました。セレス」



 呼び捨てにすると、口の中が妙に乾く。

 セレスはその反応を見て、少しだけ意地悪く笑った。



「よろしい。

 じゃあ、責任。ちゃんと取って。最後まで」



 その“最後まで”は、戦いの話だろう。

 逃げない、折れない、見捨てない――その意味だと、ハヤトは理解した。



「はい」



 ハヤトが答えると、セレスは廊下を歩き出しかけて、振り返った。



「もう一つ」



「何ですか」



「次に私が震えたら……叩く前に、一度だけ呼びなさい」



「呼びます」



「それでも戻らなかったら?」



 ハヤトは、迷わず言った。



「……そのときは、またビンタで起こします」



 セレスは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。



「……怖い男ね、あなた」



 そう言って、セレスは背筋を伸ばして歩いていった。

 その背中はいつも通り凛としている。

 でも、どこか少しだけ――軽く見えた。


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