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第34話 初めての一撃



 ハヤトは一歩前に出た。



 槍列の向こうで、リアナが血を押さえながら立っている。

 呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。

 背後では、石喰いの足音が近づく――ドン、ドン、と地面が鳴る。



 そして、隣では。

 セレスが、崩れかけたまま固まっていた。

 膝がガクガク震え、杖を握る手が空を掴むみたいに頼りない。

 いつも正しい判断をくれる人が、今は“正しさ”に潰されている。



「セレス様」



 ハヤトは、叫ばなかった。

 叫んだら余計に割れてしまう気がしたから。



「……ごめんなさい」



 セレスの瞳が揺れる。

 謝罪の言葉が、震えたまま落ちる。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。



「私が……私が……」



「違います」



 ハヤトは言った。短く、強く。



「あなたのせいじゃない。

 でも今、あなたが止まったら――リアナさんが死にます」



 ミナが息を呑む音がした。

 リアナが、血の滲む口元で何か言おうとして、言葉が出ない。

 汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。

 セレスは視線を上げられない。

 恐怖が、足元から彼女を縛っている。

 石喰いの足音が、もう一段大きくなった。


 時間がない。



「……本当に、すみません」

 ハヤトは、喉の奥を絞って言った。



 その謝罪は、“あなたを起こすためにやる”という宣言でもあった。

 ハヤトはセレスの正面に回り、彼女の頬に手を添える。

 一瞬だけ温度を確かめるみたいに触れて――


 パァン!!


 と乾いた音が通路に響いた。

 全力のビンタだった。


 セレスの顔が横に振れる。

 頬に赤い跡が浮かぶ。

 ミナが「っ!」と声にならない声を漏らし、リアナが目を見開いた。


 セレスは一瞬、完全に固まった。

 まるで溺れていた人間が水面に顔を出したみたいに、肺が空気を奪った。



「……っ、な……」



 セレスの瞳が焦点を結ぶ。

 震えていた足が、止まる――止まりきらない。それでも、立つ意志が戻る。



「……ハヤト」



「はい」



「今の……」



「すみません。必要でした」



 セレスの頬が熱を持つ。

 怒り――ではない。驚きと、恥と、恐怖の残り火。

 でも、目は戻っていた。

 判断の目だ。


 石喰いの足音が、ほとんど背後だ。

 ゴブリンの槍列も、押し寄せてくる。

 汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。

 セレスは一瞬だけ状況を見渡し、すぐ声を張った。



「――全員、生きて帰る! リアナを回収して撤退!」



 震えが消えたわけじゃない。

 声の端が、かすかに揺れている。

 それでも、命令は命令として通った。



「リアナ!」



 セレスが叫ぶ。



「倒れるな! “今”は倒れるな!」



「了解……ッ!」



 リアナが歯を食いしばり、膝を伸ばす。



「ミナ、治癒を前に投げて! リアナの血を止める!」



「はい!」



 ミナの光が走る。



「《ヒール・スレッド》!」



 糸のような治癒が、リアナの脇腹を縫い止める。

 出血が一段落ち、顔色がわずかに戻る。

 視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。



「ハヤト!」



 セレスが続ける。



「槍列を壁へ押し固めて! “道”を作る!」



「分かりました!」



 ハヤトは指輪の尖端に意識を寄せず、火花を出さない。

 導電ラインを探す。壁の割れ目。通りやすい筋。

 そこへ、薄い電気を“流す”。

 槍先がぶれる。

 握りが緩む。

 踏み込みが遅れる。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。



「リアナ、抜けろ!」



 ハヤトが叫ぶ。

 リアナは血を押さえながら、短剣を低く構えたまま後退する。

 刺すのではなく“叩き込む”。抵抗が増す前に。

 退くのではない。“戦いながら下がる”。

 セレスが火を床へ落とす。



「《フレア・スモーク》!」



 視界が曇る。

 ゴブリンの投げ槍が迷う。

 その迷いの一瞬を、ハヤトが逃さない。


 電気の“流れ”を床に細く敷き、追う足だけを引っかける。

 ゴブリンが転び、後ろがつんのめり、隊形が潰れる。

 隊形が潰れれば、数は武器にならない。

 だが――背後。

 石喰いの影が、煙の向こうに立った。

 巨体が通路に入りきらず、壁を削る。

 ゴリ、と石が砕ける音がした。

 石喰いが腕を振り上げる。

 通路の壁ごと叩き潰す軌道だ。



「来る!」



 セレスが叫ぶ。



「全員、壁から離れろ! 中央へ!」



 ハヤトは瞬時に判断を切り替えた。

 火花を出すな――だが、今だけは“軌道を逸らす”必要がある。

 ハヤトは指輪の尖端に電気を集中し、石喰いの爪へ“跳ねる”量だけ押し込む。

 視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。


 バチンッ!


 青白い火花が一瞬だけ爆ぜ、石喰いの腕がほんの少し外へ流れた。

 ドゴォン!

 拳が壁を砕く。石片が飛び、粉塵が舞う。

 だが、直撃は避けた。



「今だ、抜ける!」



 セレスが叫ぶ。

 リアナを中心に、四人は一列で走った。

 ハヤトが最後尾で追撃の足を引っかけ、セレスが煙で視界を潰し、ミナが治癒を切らさず、リアナが倒れない。

 汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。



 通路の曲がり角を二つ越えたところで、ようやく石喰いの足音が遠のく。

 ゴブリンの追撃も、止まった。



 誰も死んでいない。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。

 息だけが、荒い。

 セレスは壁に手をつき、肩で呼吸をした。

 頬の赤い跡が、まだ残っている。

 そして、震えた声で、でもはっきりと言った。



「……生きた。

 生きて、帰れた」



 ハヤトは短く頷き、リアナの傷を見てから、セレスを見た。



「……すみませんでした」



 セレスは返事をしなかった。

 返事をする余裕がないのか、言葉が見つからないのか――それはまだ分からなかった。



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