第32話 電位差と電流
宿の朝は早い。
窓の外が白みはじめたころ、ハヤトは机に肘をついて、指輪の尖端を見つめていた。
火花は出ない。出さない。
でも、指先の奥には、まだ昨日の咆哮の余韻が残っている。
『よし、やるぞぃ』
教授の声が、いつも通りの“お爺さん口調”で響いた。
『静電気を“火花”で終わらせるな。
今のお前は、弾けさせて終わりじゃ。だから威力も、制御も、運に寄る』
『運を減らすのが学問じゃ。
今日は電位と電流じゃ』
ハヤトは眉をひそめる。
『まず電位じゃ。電位は“高さ”じゃよ』
『水の高低差と同じじゃ。
高いところから低いところへ、水が流れる。
電気も同じ。“高い”ところから“低い”ところへ流れる。
それを作るのが――電位差じゃ』
ハヤトは机の上のコップを見た。昨夜の水が少し残っている。
『流れないのではない。流れる道がないから流れんのじゃ。
火花は、道が無いから空気を破って一瞬で道を作って、すぐ消える』
『道を作れ。
小さく、細く、狙ったところだけ流せ。
それが電流じゃ』
ハヤトは唾を飲んだ。
『水じゃ。湿りじゃ。金属じゃ。塩じゃ。
身の回りの“通りやすいもの”を見分けろ』
ハヤトは立ち上がり、宿の食堂へ降りた。
まだ誰もいない時間帯。片隅に置かれた調味料の小瓶――塩。
「……少しだけ」
厨房の端の塩をほんのひとつまみ、紙に包んで持ち帰る。
机に戻り、コップの水へ落とすと、指で軽く混ぜた。
『いい。塩水は電気が通る。イオンがあるからの』
『今は“塩水は通る”でよい』
ハヤトは手元の針金(指輪)と、鉄の釘を並べた。
机の端に置いた銅貨も一枚。
『構図は簡単じゃ。
銅貨と釘で“電位差”を作れ。塩水で“道”を作れ。
そして、お前の魔力は――「押し出す」役じゃ』
『そうじゃ。
お前の静電気は、ポンプの力を持っておる。
だが今までは、押し出し先が空気で、全部散っておった』
ハヤトは息を整え、銅貨と釘を塩水に少し浸し、互いに触れないよう距離を取った。
指輪の尖端を、釘の頭に近づける。
指先から、ごく弱い静電気を“押す”。
……ぱち、ではない。
じわり、と。
音もなく、釘の周りの水面がほんのわずか揺れた気がした。
そして、銅貨の縁に、目に見えない“寄り”が生まれる。
『ほれ。今、流れた』
『小さすぎて目に見えんが、確かに“流れ”になった。
火花じゃない。瞬間じゃない。持続する方向じゃ』
ハヤトの胸の奥が、少しだけ熱くなった。
『そうじゃ。
敵の体を“道”にすれば、火花無しで中へ流せる。
ただし――距離と量を間違えるな。味方も道になる』
その言葉で、ハヤトの背筋がすっと冷えた。
◇
朝食の時間。
リアナはパンをちぎりながら、目を細めた。
「ハヤト、今日なんか目が違う。寝てない?」
「少し勉強してました」
「勉強って、戦い方の?」
セレスが紅茶を揺らさずに聞く。
「はい。火花じゃなくて、流す方法を」
ミナがスプーンを止める。
「火花……出ないほうがいいんですか?」
「出ないほうが目立たないです。罠も、群れも、音に反応するので」
セレスが即座に頷いた。
「正しい。今日は“確認と撤退”の仕事が続く。目立たない武器は価値が高い」
リアナがにやっと笑う。
「じゃあさ、今日のダンジョンで試す?」
「試すけど、無茶はしない」
ハヤトが言うと、ミナが小さく頷いた。
「……無茶しない、約束」
その言い方が真剣で、ハヤトは少しだけ目を逸らした。
「約束します」
◇
灰石の穴、第一階層。
今日の依頼は、追加で見つかった糸罠のマーキングと、通路の安全確認。
石喰いの広間には近づかない――その前提で入った。
通路は静かだった。
静かすぎる。
ハヤトは足裏の静電センサーを広げながら、指輪の尖端にも意識を残す。
火花を出さず、吸われ方だけを見る。
空気のざわつき。
小さな足音。
壁際を這うように近づく複数の気配。
「ゴブリン、三。こっちに来ます」
ハヤトが小声で言うと、リアナが短剣を抜き、セレスが杖を構え、ミナが一歩後ろへ下がる。
角から出てきたのは、槍持ち二、投げ石一。
石喰いの群れほどじゃないが、“戦い慣れた動き”だ。
「邪魔だ、退け!」
リアナが前へ出る。
だが、狭い通路で前に出すぎれば、投げ石が後衛へ飛ぶ。
ハヤトは息を吸った。
床は乾いている。
乾いている床は、流れにくい。
なら――
壁の割れ目。湿った場所。
そこに“道”がある。
ハヤトは壁際の湿った筋へ、静電気を薄く流した。
火花は出ない。音もない。
ただ、湿り気のあるそのラインだけが“通りやすい”道、すなわち「導電ライン」になる。
「リアナさん、右足、壁寄り踏まないで」
「え?」
「そこ、電気通します」
リアナは反射でラインを外す。
同時にゴブリン槍持ちが突く。
シュッ!
ハヤトは壁の導電ラインから、ゴブリンの槍の金属先端へ“流れ”を引っかけた。
槍先は尖っている。
そこに電気が集まる。
火花は出ない。
でも――
「ギィッ!?」
槍持ちの指が痙攣し、握りが一瞬だけ緩む。
槍の穂先がブレて、突きが外れる。
「今!」
リアナの短剣が閃く。
喉ではなく、腕。腱を狙う。
スパッ。
槍持ちの腕が落ち、武器が床に転がる。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
残りの槍持ちが吠え、前へ出る。
投げ石がミナへ狙いを付ける。
ハヤトの視界が狭くなった。
指輪の尖端に意識を集中し、投げ石に混ざった小さな金属片――石に刺さった釘の頭を見つける。
笑い声が混じる。遊びのつもりで、首を狙ってくる。
拾い物の石だ。運悪く釘が残っている。
そこへ、ほんの少しだけ“押す”。
……バチ、ではない。
コツ、と軌道がずれる程度の微かな偏位。
投げ石がミナの肩を外れ、壁に当たって砕けた。
「っ……!」
ミナが息を呑むが、すぐに立て直す。
「大丈夫です!」
セレスが杖を振る。
「《フレア・ダスト》!」
土埃が舞い、ゴブリンの視界が曇る。
その瞬間、リアナが二体目へ踏み込み、短剣で脇腹を深く切る。
刺すのではなく“叩き込む”。抵抗が増す前に。
ゴブリンが崩れ落ちる。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
残る投げ石役は逃げに転じた。
だが通路は狭い。逃げ道は角の向こうだけ。
「逃がすな、は今回は不要」
セレスが冷静に言う。
「情報優先。追うな」
リアナが舌打ちして止まる。
「わかったよ」
ハヤトは息を整えた。
手のひらが汗で少し冷たい。
『よい』
教授の声が短く褒める。
『流れを作った。槍先を“尖端”として使った。
そして味方を道から外した。全部、理屈通りじゃ』
胸の奥が、じんわり熱い。
ミナがそっと近づいて、小声で言った。
「……今の、音がしなかった。
それなのに、止まりましたね」
「止めました。火花より安全です」
「うん……でも」
ミナは言いかけて、少しだけ頬を赤くした。
「……あなたが“見えないところで守ってる”感じがして、安心しました」
ハヤトは返事に詰まって、結局、短く頷いた。
「……はい」
セレスが通路の壁に新しい印をつけながら言う。
「今日のは収穫ね。
“音を立てずに止める”。それは石喰い相手にも、きっと鍵になる」
リアナが短剣を布で拭って笑った。
「静電制御士、進化してるじゃん。
そのうち、私の短剣いらなくなる?」
「それはないです」
ハヤトは即答した。
「俺は止めるだけ。倒すのはリアナさんとセレス様です」
リアナが満足そうに鼻を鳴らす。
「よし。役割分担、最高」
ハヤトは指輪の尖端に触れた。
火花だけが電気じゃない。
“高さ”と“流れ”を作れば、静電気は武器の形を変える。
そしてその変化は――次に来る“主”への道の、最初の一歩だった。




