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第29話 火花が選ぶ“見えない線”


 灰石の穴の入口は、昨日より人が少なかった。

 掲示板の赤印が増えたせいか、初心者は近づかない。

 代わりに、装備の揃った連中が出入りしている――視線だけで分かる空気があった。



「今日は“稼ぐ日”じゃない」



 セレスが一度だけ念を押す。

 汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。



「印を残して、情報を持ち帰る。救助ができるなら救助。でも、深入りしない」



「了解」



 リアナは軽く短剣を回し、ミナは外套のえりを正した。

 ハヤトは指輪の尖端に指先を添え、意識を切り替える。



『焦るでない。火花は“呼ばれて”飛ぶのじゃ』



 ダンジョンに入ると、光が死んだ。

 光が走る。回復の一拍が、死線を一歩後ろへ押し戻す。

 岩が匂い、湿り気が肌にまとわりつく。


 ハヤトは足裏の静電センサーを薄く広げながら、もう片方の意識を指先に残した。

 最初の分岐までの道は、昨日と同じ。

 スライム溜まりに入る手前、あの射出矢の罠がある通路。

 壁の×印が見えたところで、セレスが歩幅を落とす。



「ここね」



「はい」



 ハヤトは足を止め、床に広げていた感覚を“壁”へ移した。

 矢が出た継ぎ目の高さ。そこに視線を合わせ、指輪の尖端を近づける。

 距離は、指一本分より少し離す。

 近すぎると、火花が勝手に飛びかねない。

 意識を集中させ、ほんの少しだけ静電気を溜める。

 ……ぱち。

 火花は壁の継ぎ目ではなく、壁の少し下、石の割れ目に吸い寄せられた。



「……え?」



 ミナが小さく声を漏らす。

 ハヤトはもう一度、同じ位置で試す。

 同じように溜めて、同じ距離で。

 ……ぱち。

 やはり、同じ割れ目へ飛ぶ。



『ほれ』



 教授の声が落ち着いて言う。

 距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。



『金属がある。割れ目の奥じゃ』



 ハヤトは膝をつき、短剣ではなくチョークで石粉を軽く払った。

 割れ目の奥、岩に埋め込まれた“細い金属線”が一瞬だけ光る。

 ワイヤーだ。



「……これ、踏み板じゃない」



 ハヤトが言う。



「トリガーは別にあります。たぶん、このワイヤーが“引かれて”矢が出る」



「つまり、床を踏むだけじゃなく――」



 セレスが続ける。



「身体や荷物が触れて引っかかったら発動するタイプね」



 リアナが眉をひそめる。



「背負い袋とか、担架とか、そういうのが当たってもアウトか」



「はい」



 ミナが小さく息を飲む。



「救助搬送中に引っかかったら……」



 ハヤトは頷き、チョークで壁に印を追加した。×の下に細い線を描き、矢印で“壁面ワイヤー注意”と簡潔に書く。



「ギルドに追記します。これは……危険度高い」



「うん。こういう罠は新人を狙ってる」



 リアナが低く言う。



「動揺して壁に寄った瞬間、荷物が当たって――ってやつ」



 セレスが決める。



「通るなら、中央を通る。壁から距離を取る。隊列を一列に。

 ミナ、後ろを見て。誰か来たら止める」



「はい」



 ミナは振り返り、通路の奥を見張った。



















スライム溜まりは今日は避ける。

 依頼の目的はマーキングと確認。危険と手間が増える道は選ばない。

 セレスの判断で、昨日の“左のゴブリン側”へ進むことになった。



「数の問題、って言ってた方ですね」



 ミナが小声で言う。



「でも、今日は“当たらない”が正解。見えたら引く。情報だけ持ち帰る」



 セレスは淡々と答えた。

 ハヤトは足裏で床をなぞりながら、火花の“引っ張られ方”にも意識を向ける。

 すると、分岐から少し進んだところで、空気の中に引っかかりがあった。

 目では見えない。

 でも、指輪の尖端に溜めた静電気が、前方の一点へ“吸われる”感じがする。

 ハヤトは止まり、手を上げた。



「止まってください。ここ、ワイヤーがあります」



 リアナが即座に足を止めた。



「見える?」



「見えないです。けど、火花が“そこ”に飛びたがる」



 ハヤトはほんの少しだけ溜め、極小の火花を飛ばした。

 ……ぱち。

 空中で、あり得ない場所に火花が弾ける。

 何もないはずの空間で、火花が一点で止まった。



「……ほんとにある」



 リアナが息を呑む。

 セレスが杖の先をかざし、火を出さずに光だけで照らす。

 斜めから光が当たって、ようやく見えた。

 透明に近い細い糸。壁から壁へ、膝の高さで張られている。



「引っかかったら、終わりね」



 セレスが低く言う。



「矢か、落とし穴か、呼び寄せ罠か。どれでも嫌」



 ミナが小さく呟く。



「……これ、誰が仕掛けたんでしょう」



 ハヤトは答えなかった。

 でも、胸の奥に冷たいものが残る。

 “魔物の罠”ではない。

 人間の手癖がする。



『罠は、弱い者を狙う』



 教授の声が言う。



『弱い者とは、“力がない者”ではなく、“状況を知らぬ者”じゃ』



『そうじゃ。だからお前たちは、印を残す』



 ハヤトはチョークで床に小さな△を描き、その横に細い線と“糸”の文字を添えた。

 そして、全員が一列で、糸の下をくぐる。

 リアナが冗談めかして言う。



「静電制御士、今日めっちゃ仕事してる」



「こういうのが本業です」



「本業はマッサージだろ」



「静電制御士の本業は……みんなが安全に帰れるようにすることです」



 ハヤトが負けじと言って、リアナが



「それかっこいい」



と小声で笑った。



















 さらに進むと、通路の先に“広がり”が見えてくる。

 昨日、小隊とぶつかった広間だ。

 セレスが手を上げて止めた。



「音を聞け。空気を嗅げ。足音を感じろ」



 四人が呼吸を落とす。

 ハヤトは足裏の感覚を広げ、空気のざわめきも拾う。


 ――いる。


 複数。動きは遅い。

 でも、数がまとまっている。



「……四、五、いや、七」



 ハヤトが小声で言う。



「広間の奥に固まってます。動き回ってるというより、待ってる感じ」



「小隊の残党?」



「かもしれません。指揮役はいない感じです」



 リアナが短剣を握る。



「じゃあ行ける?」



 セレスが即座に切る。



「行かない」



 その一言で、空気が締まった。



「目的を忘れるな。今日は討伐じゃない。

 ここに“群れが残っている”という情報が取れた。それで十分」



 リアナは悔しそうに口を尖らせたが、すぐに頷く。



「了解。欲張らない」



 ミナがほっとしたように息を吐く。



「……戻りましょう。印だけ、残して」



 ハヤトは広間へは入らず、手前の壁にチョークで印を残した。

 丸の中に点を七つ。“群れ”の簡易記号。

 そして矢印で、広間の方向を示す。

 そのとき。

 広間の奥から、低い唸り声が漏れた。



「ギ……」



 誰かが匂いを嗅いだ。

 こちらを見た――そんな気配。

 リアナが半歩前に出ようとして、セレスが静かに手を伸ばす。



「動くな」



 ハヤトも息を止める。

 火花を溜めない。余計な刺激を与えない。

 ゴブリンの体は軽い。だから速い。だから数で来る。


 数秒。


 唸り声は遠ざかった。

 群れが“戻った”。



「……今の、危なかった」



 ミナが小さく呟く。



「匂いで気づかれたんだと思う。血も焦げもないのに、勘が鋭い」



 セレスが言う。



「だから、今日はこれで終わり。撤退」



 誰も反対しなかった。

 ハヤトは指輪の尖端を指で包み、意識を落とした。

 火花は便利だ。でも、便利なものほど、余計な音を立てる。

 帰還の道を辿りながら、ハヤトは壁の印を一つひとつ確認した。

 ×印。

 糸の△。

 群れの丸。

 それらは、戦利品より地味で、誰も褒めてくれないかもしれない。

 でも、次にここを通る誰かの命を、確かに一つ救う。



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