第27話 静かな夜
「……先に私にして」
セレスは椅子を引き、背もたれに深く腰を預けた。
普段の凛とした姿勢のままなのに、肩の線だけがわずかに硬い。
「首と肩ですね」
ハヤトは背後に立ち、いきなり押さず、まず指先で“張り”を探した。
力ではなく、場所。どこが一番苦しいのかを当てる。
「……ここ、だいぶ使ってます」
「戦場で視線を固定するからね」
セレスは淡々と言ったが、その声はいつもより少し低い。
ハヤトは、首の付け根に片手を置き、もう片手で肩甲骨の上を軽く支えた。
押すのではなく、呼吸に合わせて“沈めて、戻す”。
ぐ……す、と筋肉がほどける音が、手のひら越しに伝わった気がした。
「……あっ」
セレスの喉が小さく鳴る。
すぐに、咳払いひとつ。
「……驚いた。そこ、的確ね」
「張り方が分かりやすいです。強い人ほど、無意識に同じところを固めます」
「強い人、ね」
セレスが短く笑った。
笑うのに、肩が少しだけ下がる。
ハヤトは、首筋から鎖骨の上あたりにかけて、指の腹で小さく流す。
血の巡りが戻ると、肌の温度が微妙に変わる。
「……あったかい」
セレスの言葉が、ぽつりと落ちた。
「静電気じゃないですよ」
「分かってる。……でも、安心する」
その「安心する」が、妙に胸に残った。
セレスはいつも正しくて、判断が早くて、強い。
でも今は、椅子の背にもたれて、ほんの少しだけ“任せてくれている”。
「……ハヤト」
「はい」
「今日、ギルドで役職を書いたでしょう」
「静電制御士、ですか」
「あなたの言葉で説明して」
ハヤトは手を止めずに答えた。
「危険を感じて、味方の道を作って、敵の形を崩して……帰ってくるために使う人、です」
セレスはしばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……いい。派手じゃなくて、現実的」
そして、声が少しだけ柔らかくなる。
「あなたは、派手な魔力を持っていない分、怖がることができる。
怖がって、考えて、動ける。……それは、才能よ」
褒められたのだと気づくのが遅れて、ハヤトは少しだけ耳が熱くなった。
「ありがとうございます」
「……うん」
セレスの返事は短い。
でも、肩の力は確実に抜けていた。
最後にハヤトは、首の付け根を軽く包むように押さえてから、すっと手を離した。
「セレス様、終わりです」
セレスは一拍遅れて目を開けた。
「……危ないわね」
「何がですか」
「このまま眠りそう。判断役が寝たらパーティが困る」
リアナがベッドの上から、もごもご言う。
「もう寝ていいよ……セレス様……」
「寝ない」
言い切るのに、いつもの鋭さがない。
それが可笑しくて、ミナが小さく笑った。
◇
「次は……ミナさん」
ハヤトが言うと、ミナは外套を膝の上に置いたまま、少しだけ肩をすくめた。
声が控えめなのに、どこか覚悟が混ざっている。
ミナは椅子に座り、背筋を伸ばした。
けれど背中は固い。緊張が残っている。
「力、入ってます」
「……分かります」
ミナは目を伏せた。
「今日、矢が飛んできたとき……体が固まりました。
治癒の祈りをする手が、少し震えて」
ハヤトは、ミナの肩に手を置く。
強くは押さない。逃げ道を作るように、ゆっくり温めていく。
「震えてもいいです」
ハヤトは言った。
「震えたまま、動けたなら、それで十分です」
ミナの肩が、ふっと落ちた。
「……そう言ってもらえると、救われます」
その言葉があまりに真っ直ぐで、ハヤトは一瞬だけ手が止まりそうになった。
でも止めない。止めたら、距離が変わる。
ハヤトは、肩から背中の上をゆっくり流す。
僧衣の布越しに、細い筋肉の緊張がほどけていくのが分かる。
「……ん」
ミナが小さく息を漏らし、すぐに口を押さえた。
「す、すみません」
「謝らなくていいです。呼吸が緩むのはいい反応です」
ミナの耳が赤くなる。
「……リアナさんが“癖になる”って言ってた意味、分かりました」
「言ってましたね」
「……明日から、怖いのに、頑張れそうです」
ハヤトは、背中の中心から少し外へ、左右に流していく。
祈りの姿勢で固まりやすい場所。肩甲骨の内側。
「ミナさんは、前に出ないのに……前に出た人より、疲れることがあります」
「どうしてですか」
「ずっと“誰かを見てる”からです。自分の痛みより、他人の痛みを先に拾う」
ミナはしばらく黙って、やがて小さく頷いた。
「……はい。そうかもしれません」
ハヤトは、ほんの少しだけ圧を深くした。
ミナの肩がびくりと跳ねる。
「痛いですか」
「痛くないです……ただ、そこ……」
ミナは言葉を探して、顔を横に向けた。
「そこ、胸の奥が軽くなるみたいで……不思議です」
ハヤトは息を整えた。
変な方向に考えない。これは、疲労がほどける反応だ。
「大丈夫です。ちゃんと戻します」
最後に、ハヤトは肩を包み、すっと手を離した。
「終わりました」
ミナは目を開けて、ゆっくり肩を回した。
「あ……軽い」
それから、外套の端をぎゅっと握り、ほんの少しだけ視線を上げる。
「……ハヤト君」
「はい」
「今日、守ってくれたことも……こうして整えてくれることも……
同じ感じがします」
「同じ?」
「はい。乱れたものを、戻してくれる。……だから、安心します」
ハヤトは返事に迷って、結局、素直に言った。
「安心してもらえるなら、よかったです」
ミナは小さく笑って、それから少しだけ真剣な顔になった。
「じゃあ、私も……あなたが無理をしたときは、ちゃんと戻します。治癒で」
横でセレスが、静かに息を吐く。
「……このパーティ、夜のほうが結束が強いわね」
「セレス様、それ言うと台無しです」
リアナがベッドから顔だけ出して、にやにやした。
「でも、いい夜じゃん。ね、静電制御士」
ハヤトは返さず、手を拭いて立ち上がった。
誰かを倒すためじゃなく、明日も生きて帰るために――その手を使った夜だった。




