第25話 帰還報告と「静電制御士」の名
地上の光は、ダンジョンの闇より刺さった。
笑い声が混じる。遊びのつもりで、首を狙ってくる。
灰石の穴から出た瞬間、冬の空気が肺の奥に突き刺さる。
ゴブリンの刃は軽い。だから速い。だから数で来る。
冷たいのに、妙に甘い。生きてる匂いがする。
「……帰ってきたぁ……」
リアナが両腕を上げて伸びをした。汗で張りついた前髪が、風に揺れる。
ミナは、負傷した新人を支えたまま、静かに息を吐いた。
外套の裂けた端が、歩くたびに揺れる。
「ミナさん、交代します」
ハヤトが言うと、ミナは首を振った。
「いえ……ここまで来たら私が。治癒の具合も見たいので」
その声は疲れているのに、芯が折れていない。
さっきの小隊戦で、彼女は“後ろにいるだけ”じゃなかった。
ハヤトは歩幅を合わせ、負傷者の反対側に寄った。
いざというときに支えられる距離で、でも、無理に触れない距離で。
「さっき、怖かったですか」
小さな声で聞くと、ミナは一瞬だけ視線を落として――すぐに前を見た。
「怖かったです」
正直すぎる答え。
「でも、怖いって言って足を止めたら、あの人が……」
負傷者の顔をちらりと見る。
「命を落とします。だから……動きました」
ハヤトは頷いた。言葉が見つからなくて、代わりに足音を揃えた。
◇
ギルドの受付は、夕方でも混んでいた。
装備の汚れた冒険者が列を作り、討伐証明の耳や牙、採取物の袋を次々に出している。
呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。
その喧騒の中で、《エレキ・ストライド》の一行は目立った。
担がれている新人がいるからだ。
「医務室へ!」
受付の職員がすぐに動いた。
慣れた手つきで担架が運ばれ、負傷者は奥へ連れて行かれる。
「報告は……あなたたちね」
受付の女性職員が、目だけで四人を測った。
血の跡、裂けた外套、焦げた布、痺れで硬直した指――全部、見られている。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
「ダンジョン名。階層。交戦内容。負傷者の状況。簡潔に」
「灰石の穴、第一階層」
セレスが前に出る。声が落ち着いていて、無駄がない。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
「罠:射出矢を一件確認。位置は通路、北側分岐手前。×印つけ済み。
魔物:ゴブリン小隊(推定八体、指揮役含む)と交戦。指揮役を討伐、残党は撤退。
呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。
救助者:新人冒険者一名。脚部損傷と失血。搬送済み」
「……指揮役を落とした?」
職員の目が細くなる。
「新人で?」
「はい」
セレスは淡々と頷いた。
「こちらは四名、全員無事。軽傷一名は現地で治癒済み」
職員は短く息を吐き、記録に書き込んだ。
「……いい判断ね。全滅狙いをしなかったのは正しい。
その小隊の情報、もう少し詳しく。隊形、投げ槍の有無、回り込み」
ハヤトが口を開いた。
「前列は槍三、後列に投げ槍二、左右に回り込みが二、指揮役が一です。
通路に引き込めば崩せる形でした。広間で当たると危険です」
「広間の位置は?」
「第一階層、分岐から右へ。スライム溜まりを抜けた先の下り通路の奥です」
職員が顔を上げる。
「地図、描ける?」
「はい」
ミナがメモ用紙に簡略図を描き始め、セレスが罠の位置と印の意味を添える。
リアナは腕を組んで、たまに
「あそこ曲がると天井低い」
とか
「滑る床のラインはここ」
と口で補足した。
ハヤトは最後に、静電センサーで感じた“危険度”の区分を短く説明した。
レベル5=踏むな、レベル3=注意、など。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
職員はしばらく黙って聞いていたが、やがてペンを置いた。
「……あなたたち、ちゃんと“持ち帰った”わね」
褒め言葉だった。
「報酬は通常分+救助加算。
あと、救助者の身元確認が取れたら、追加で謝礼が出る」
そこで、横から鼻で笑う声がした。
「へぇ。静電気坊主が救助ねぇ」
Eランクの三人組だ。
カウンター近くで腕を組み、露骨にこちらを見ている。
「運が良かったんじゃねぇの? たまたま指揮役が倒れただけだろ」
リアナが一歩前に出かけたが、セレスが軽く手で制した。
代わりに、セレスが淡い笑みで言う。
「運も実力のうちよ。知らない?」
三人組の顔が引きつる。
その空気を切るように、職員が事務的に言った。
「登録情報、更新する?」
「はい」
セレスが頷き、迷いなく言う。
「役割欄に追記を。ハヤトは――」
リアナが横から、にやっと笑って口を挟む。
「静電センサー兼、静電制御士!」
「……静電制御士」
職員がその言葉を復唱し、ハヤトを見る。
「自己申告?」
ハヤトは一瞬だけ照れたが、目を逸らさずに頷いた。
「はい。罠探知と、足止めと、電気の偏位で隊形を崩す役です」
「分かった。記録に残す」
ペン先が紙を走る音が、妙に大きく聞こえた。
◇
ギルドを出たころには、空が赤かった。
医務室の前で、ミナが足を止める。
「……ハヤト君」
「はい」
「さっきの人、命は助かるって言われました」
ミナの声が、少しだけ緩む。
「よかったですね」
「はい……」
それから、ミナは外套の裂けた端を指でつまみ、困ったように笑った。
「……これ、弁償になりますよね」
「俺が直します」
ハヤトは即答した。
「え?」
「縫うくらいならできます。マッサージ師やってると、服の補修も覚えます」
ミナが目を丸くして、それから頬を赤くした。
「……そんなことまで」
「守ってもらったので」
言ってから、ハヤトは自分の言葉の意味に気づいて、少しだけ言い直す。
「さっき、ミナさんが踏ん張ってくれたから撤退できました。
だから……その、お礼です」
ミナは一瞬言葉を失い、やがて小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
その“ありがとうございます”は、治癒の礼でも、外套の礼でもなく、もっと別の何かに聞こえた。
◇
夜。
宿の小さな部屋で、ハヤトは椅子に座り、指先を眺めていた。
今日、何度も火花が跳ねた。
詠唱の間は無防備だ。短く切って、確実に当てる。
床、槍、短剣の尖端。
押し引き、偏位、壁押し。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
そして――守るために弾いた一本の矢。
『……よく生き残ったの』
教授の声が、いつもより静かだった。
『運だけではない。今日お前は、“距離”を見た。
味方を痺れさせた失敗を覚えておったから、無茶な近さを避けた。
小隊戦で押し固めたのも、力任せではなく“隊形”を見たからじゃ』
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
『足りぬから学ぶ。
だが一つ、確かめておけ』
『クーロンの法則は、“敵を倒す式”ではない。
お前にとっては、“どこまで近づけば危ないか”“どこまで離れれば届かないか”を決める、命綱の物差しじゃ』
ハヤトは、ゆっくり息を吐いた。
今日の戦いを思い出す。
半歩で味方が痺れた失敗。
半歩で矢が逸れた成功。
同じ半歩でも、結果が違う。
『お前はもう、“静電気しかできない少年”ではない』
教授の声が、少しだけ柔らかくなる。
『静電気を、考えて使う者になり始めておる。
それだけで、十分に武器じゃ』
ハヤトは頷いた。
机の上に置いたチョークの粉が、指に少し付く。
今日、壁に残した×印や△印が脳裏に浮かぶ。
危険を見つけて、仲間を通して、帰ってくる。
その積み重ねが、きっと“成り上がり”の第一歩になる。




