第24話 小隊戦、壁に押しつけろ
「生き物が溜まっている」
匂いだ。
ハヤトの静電センサーも、床より先に“空気のざわつき”を拾った。
ひとつ、ふたつ……ではない。
複数の塊が、同じ方向へ向かって動いている。
「止まって」
ハヤトが小声で言うと、リアナが即座に足を止めた。
「ゴブリン?」
「多分。……五、六。いや、もっといるかも」
セレスが息を呑む。
「この通路幅だと、正面から数で押されたら厳しいわね」
「だから押し返す」
リアナが短剣を握り直し、笑う。
「いいじゃん、うちには“押し引きの人”がいるんだから」
ミナが外套の襟を握ったまま、真剣な目でハヤトを見る。
「無理はしないでください。……あなたが前に出すぎたら、私……」
「分かってます」
ハヤトは短く答え、指先に静電気を集めた。
先に行くほど、床がわずかに広がる。
通路の先が、部屋に繋がっている構造だ。
静電気が返す感触が、壁から“空間”に変わる。
広い場所では、敵の数が生きる。
そして――もうひとつ。
床の端に、微かな“温度の違い”がある。
人の汗。血。呼吸。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
倒れている気配。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
「……誰か、います。人です」
「生存?」
セレスの声が硬い。
「分かりません。でも、倒れてる。動けない感じ」
リアナが舌打ちした。
「新人がやられたか……」
◇
曲がり角を抜けると、そこは小さな“集会場”だった。
天井が少し高く、壁には古い火の跡。
床には、折れた矢と、血の染み。
呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。
そして――中央寄りに、人が倒れていた。
若い男。革鎧は裂け、片脚が不自然にねじれている。
呼吸はあるが、意識が朦朧としている。
その周りを、ゴブリンが囲んでいた。
六体。いや、奥の陰にさらに二体。
合計八体。
しかも、すぐに分かる。
こいつら、バラバラじゃない。
前に槍持ちが三、後ろに投げ槍が二、左右に回り込み役。
中央奥に、腕輪や骨飾りをつけた“指揮役”がいる。
「……小隊だね」
リアナが低く呟く。
「厄介なやつ」
ゴブリンの指揮役が、鼻を鳴らしてこちらに気づいた。
「ギィ……!」
短い声。合図。
前列の槍持ちが、同時に槍を構えた。
来る。
「作戦は一つ」
セレスが即断する。
「逃げ道を作る。負傷者を回収して撤退。全滅狙いはしない」
「賛成」
リアナが前へ半歩。
「でも、前列は潰さないと回収できないよ」
ミナが身を屈め、祈りの構えを作る。
「私が回復と担架代わりをします。……ハヤト君、あなたは——」
「押し固めます」
ハヤトは床に静電気を広げ、敵の足元の“線”を読み取った。
前列三体の足運び。
槍の間合い。
そして左右の回り込み役が、壁際の狭いラインを使おうとしている。
ハヤトは、静電気を“壁側”へ寄せた。
敵を真ん中で受けると数で押される。
呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。
だから、壁に押しつけて“形”を崩す。
「リアナさん、真ん中を空けて。右壁側に寄せます」
「了解」
リアナが一歩引き、身体を斜めにして槍のラインをずらす。
槍が突き出される瞬間、ハヤトが床に電気を走らせた。
「《マルチ・《エレキ・シフト》》!」
ぱち、ぱち、と小さな火花が床を走る。
前列ゴブリンの足首が一瞬だけ引かれ、踏み込みの軸がズレた。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
槍の穂先が、狙いより外側へ流れる。
「今!」
リアナが、槍の“外側”へ滑り込む。
短剣が閃き、一体目の喉を裂く。
血が噴き、ゴブリンが喉を押さえて倒れる。
距離が詰まる。次の一手を迷う暇はない。
だが残り二体が、即座に間合いを詰めてくる。
槍は長い。短剣が届く前に刺される。
笑い声が混じる。遊びのつもりで、首を狙ってくる。
ハヤトは息を詰め、床の電気を“壁”へ引いた。
「《エレキ・ウォールプレス》!」
押す。押し込む。
呼吸が浅くなる。怖さは、速さに変わる。
敵の足元を“壁方向”へ誘導する力。
ゴブリン二体の踏み込みが壁側へ寄り、互いの体がぶつかる。
汗が手袋の内側で冷える。滑れば終わりだ。
隊形が崩れる。
「セレス様、今です!」
「《フレア・スラッシュ》!」
セレスの火が、壁際へ偏った二体の腕と槍柄を舐めるように走った。
木柄が焦げ、握力が落ちる。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
一体が槍を落とし、もう一体は反射で後退する。
「リアナ、指揮役を見るな。前だけ潰せ!」
セレスの声が鋭い。
「分かってる!」
リアナが二体目へ踏み込み、短剣で脇腹を抉る。
短剣の返しが、粘液や皮膜を裂く感触を拾う。
だが、後列から投げ槍が飛んだ。
シュッ――ッ!
狙いは、後衛。ミナ。
「ミナさん、下がって!」
ハヤトが叫ぶ。
同時に、指先の電気を投げ槍へ“当てる”のではなく、投げ槍の先端近くに“逃げ道”を作るように流した。
バチッ。
槍先が微かに弾かれ、軌道がずれる。
ミナの肩をかすめ、外套の端が裂けただけで壁に刺さった。
ゴブリンの刃は軽い。だから速い。だから数で来る。
「……っ!」
ミナが息を呑むが、すぐに顔を上げた。
「大丈夫です!」
その声が揺れていない。
さっき守られた彼女が、今は踏ん張っている。
視界が狭くなる。耳だけが、風切り音を拾う。
「負傷者、回収します!」
ミナが床を滑らない位置取りで、倒れている新人へにじり寄る。
足元の湿りが、判断を一拍遅らせる。
しかし、左右の回り込み役がミナへ向かって走り出した。
「させない!」
ハヤトは“回り込み役の足元”に電気を集中させた。
壁際の狭いライン。
そこに足を置く瞬間だけ、引っかける。
「《エレキ・バインド》!」
ぱちっ。
二体のうち一体がつんのめり、もう一体はその背中にぶつかる。
速度が止まる。
「リアナ!」
「任せて!」
リアナは前列の三体目を斬り捨てると同時に、回り込み役へ飛んだ。
短剣の柄で顎を打ち上げ、倒れたところへ刃を突き立てる。
残る回り込み役は、呻き声を上げて後退する。
指揮役が叫んだ。
「ギィィッ!!」
合図。
後列が一斉に投げ槍を構える。二本、三本――。
ミナが負傷者を抱えたままでは、避けられない。
「セレス様!」
ハヤトが叫ぶ。
「煙、ください!」
「了解!」
セレスが火を床に叩きつけ、焦げた粉と埃を爆ぜさせた。
「《フレア・スモーク》!」
視界が曇る。
投げ槍の狙いが鈍る。
その隙に、ハヤトは
「《エレキ・バインド》!」
床へ電気を“帯”のように敷いた。
敵の前列を、もう一度壁へ押しつけるために。
味方の退路を一本にするために。
「《エレキ・ウォールプレス》――最大!」
押し込む。
壁へ。壁へ。壁へ。
槍持ちの残党が壁に詰まり、後列の投げ槍役も射線を失う。
指揮役が苛立ち、前へ出ようとする。
その瞬間。
リアナが、煙の中から“音で”位置を取った。
短剣が一閃。
指揮役の喉元に、薄く赤い線が走る。
「ギ……っ」
声が出ない。
倒れる。
隊形が、一気に崩れた。
投げ槍役が迷い、回り込み役が逃げ腰になる。
小隊が小隊ではなくなる。
「今、撤退!」
セレスが叫ぶ。
「ミナ、引ける!?」
「引けます!」
ミナが負傷者の腕を肩に回し、歯を食いしばって立ち上がる。
脚が震えている。重い。だが、離さない。
ハヤトは最後尾に回り、床の電気で“追ってくる足”だけを引っかけ続けた。
追撃の足音が乱れる。
追う意思が削れていく。
リアナが最後に一度だけ振り向き、威嚇のように短剣を振った。
「来るなら来い! 首、追加で落としてやる!」
ゴブリンたちは、追ってこなかった。
倒れた指揮役を見て、うなり声を上げながら後退していく。
小隊の“頭”が落ちれば、残りはただの群れだ。
◇
少し離れた安全地帯まで戻ったところで、ミナが膝をついた。
「……はぁ……っ」
負傷者を横に寝かせ、すぐに治癒の光を流す。
「《ヒール》……《ヒール》……」
裂けた脚の筋肉が、ゆっくりと戻っていく。
骨の歪みは一度には治らない。だが出血は止まり、呼吸が落ち着く。
リアナが壁にもたれ、肩で息をした。
「いやぁ……数、やばかったね」
「よく全員無事で抜けたわ」
セレスが汗を拭い、ハヤトを見る。
「ハヤト。壁押し、完璧だった。あれがなければ崩された」
「……距離がちょうど良かっただけです」
ハヤトはそう言いながら、ミナの外套の裂け目を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
ミナが顔を上げる。
「ハヤト君。さっき……投げ槍、また逸らしてくれましたよね」
「はい。尖ってるところに……電気が乗るので」
ミナは小さく息を吐いて、ほっとしたように笑った。
「……あなたが前に出るのも怖いですけど、あなたが後ろにいると、心強いです」
その言葉に、ハヤトは返事が遅れた。
代わりに、少しだけ目を伏せて言う。
「ミナさんが治してくれるから、俺も無茶しないで済みます」
ミナの頬が、ほんのり赤くなる。
セレスが乾いた声でまとめた。
「今日はここまで。負傷者を連れて帰還する。撤退条件も満たしてる」
リアナが即答する。
「賛成。私、今の小隊もう一回やれって言われたら嫌だもん」
誰も反対しなかった。
戦いに勝ったから帰るのではない。
勝てたうちに、帰る。
それが冒険者のルールだと、四人とも理解していた。




