第23話 守るための静電気
岩トカゲの死体を背に、四人は足早にその場を離れた。
血の匂いは、ダンジョンでは鐘みたいなものだ。
鳴らせば鳴らすほど、寄ってくる。
「右手の通路、少し下りになってる」
セレスが小声で言う。
「足元、崩れやすい。ハヤト、違和感ある?」
「……あります。段差が不自然です。ここ、踏み外すと滑りそう」
ハヤトは、足裏から薄く静電気を広げながら、進むべき“固い線”を選んだ。
さっきまでの戦いで、体の奥がじわじわ熱い。
それでも、気を抜いたら死ぬ。
ミナは外套の襟を握り直し、後ろで静かに息を整えている。
冷えは落ち着いたとはいえ、スライム騒ぎのあとで体力も精神も削れているはずだ。
「ミナさん、歩幅小さめで」
ハヤトが言うと、ミナは小さく頷いた。
「はい……ありがとうございます。足元、見えにくくて」
通路は、さっきより暗かった。
天井の高さが下がり、空気がまた湿り始めている。
そのとき――
カチ、と硬い音がした。
金属と石が擦れる、乾いた嫌な音。
「止まって!」
ハヤトの声が鋭くなる。
全員が反射的に足を止めた、その直後。
壁の継ぎ目から、細い矢が飛び出した。
シュンッ!
狙いは、後ろ――ミナの胸の高さ。
「ミナ!」
リアナが叫ぶより早く、ハヤトの体が動いていた。
ミナの前に滑り込むように踏み出し、片腕を横に伸ばす。
そして、指先から“押し返す”ように静電気を放った。
バチッ!
空気の中に、青白い火花の線が走る。
矢の金属の先端が、僅かにぶれる。
軌道がミナの正面から外れ、ハヤトの伸ばした腕の外側を掠めて壁に刺さった。
キン、と金属音。
矢羽が震え、静かになる。
一瞬、世界の音が消えたみたいだった。
「……っ」
遅れて、ハヤトの腕に熱が走る。
掠めた。
革の袖の上からでも分かる。浅いが、確かに切れている。
「ハヤト君!」
ミナの声が裏返った。
彼女は外套を抱えたまま、目を見開いて立ち尽くしている。
矢の先端が、ほんの少しでもズレなければ――と思った瞬間、息が詰まったのが分かる。
「大丈夫、掠っただけです」
ハヤトは腕を押さえながら言った。
言葉より先に、血がにじんだ。
「掠っただけ、じゃありません!」
ミナが一歩踏み出しかけて、足を止める。
近づけば、また何かが飛ぶかもしれないから。
セレスがすぐに状況を見た。
「罠よ。壁の射出式。踏み板か、ワイヤーか……」
リアナが歯を食いしばり、短剣を構えたまま周囲を睨む。
「今の音、床だった。踏んだの誰?」
「……俺です」
ハヤトは即答した。
「違和感の分類が遅れました。すみません」
「謝るな!」
リアナが低く言う。
「止めなかったら、ミナが刺さってた!」
ミナは、その言葉にびくりと肩を震わせた。
ハヤトは矢が刺さった壁を見た。
矢尻は、金属。
尖っている。
尖っているから、電気が集まった。
集まったから、押し返せた。
偶然じゃない。
今のは、気づきが“守る力”になった瞬間だった。
『よく反応した』
教授の声が、静かに響く。
『罠は速い。考える前に身体が動いたのなら、もうお前の“技術”じゃ』
『踏んだのは事実じゃ。だが、止めたのも事実じゃろう』
ミナの声が震えた。
「……ハヤト君。どうして、そんな……」
どうして自分の前に出たのか。
問いかけの形をしているのに、答えはもう分かっているみたいな声だった。
ハヤトは少し困って、でも視線を逸らさずに言った。
「だって、ミナさんが後ろにいたからです」
それだけだ、と言うみたいに。
ミナは口を開いたまま、言葉を失った。
瞳が揺れて、やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……私、いつも後ろで治すだけで」
ぽつり、と落ちる声。
「皆さんを支えるのが役目だって思ってましたけど……
守られる側になるのって、こんなに……胸が、苦しくなるんですね」
ハヤトは、腕の痛みより、その言葉のほうが刺さった気がした。
「怖かったですか」
問いかけると、ミナは小さく頷いた。
「はい。すごく。……でも」
そこで、ミナは少しだけ笑った。
涙が出そうなのを、必死でこらえるみたいな笑い方。
「ハヤト君が前に出た瞬間、怖いより先に……
『やめて』
って思ってしまいました。あなたが傷つくのが、嫌で」
その言葉に、ハヤトは一瞬、息を止めた。
ミナは、そこまで言ってから、自分の言った意味に気づいたみたいに頬を赤くする。
「あ……いえ、その……すみません、変なことを」
「変じゃないです」
ハヤトはすぐに言った。
言い切ってしまってから、自分でも驚く。
でも、本心だった。
「俺も……ミナさんが傷つくの、嫌なので」
沈黙が落ちる。
暗い通路の中で、二人の間だけ、妙に空気が澄んだみたいだった。
「……おいおい」
リアナが、わざとらしく咳払いした。
「二人とも、今ここダンジョン。罠のど真ん中。いい雰囲気は帰ってからね」
「リアナ!」
ミナが慌てて声を上げる。
セレスは苦笑しつつも、すぐ表情を戻した。
「ミナ。治癒を」
「は、はい」
ミナは膝をつき、距離を保ったまま手をかざす。
「《ヒール》」
温かい光がハヤトの腕を包み、痛みがじわっと引いていく。
切り傷が塞がり、血が止まる。
「……ありがとうございます」
「いえ」
ミナは顔を上げないまま、少しだけ小さな声で言った。
「私のほうこそ……ありがとうございます。助けてくれて」
その“助けてくれて”が、ただ命を救われたというだけじゃないことは、声の震えで分かった。
ハヤトは気まずくならないように、壁の矢を見て言った。
「罠の位置、分かったので、印つけましょう」
「そうね」
セレスが頷く。
「ミナ、チョーク。リアナは前方警戒。ハヤトは――」
「静電センサーで、次の踏み板探します」
ハヤトが言うと、リアナがにやりと笑った。
「いいね。その調子。今のは“守った”って実績も追加だ」
ミナが壁に×印をつける手が、少しだけ震えていた。
でも、彼女はその震えを止めようと深呼吸し、最後に小さく、落ち着いた声で言った。
「……ハヤト君」
「はい?」
「次からは、私も守られるだけじゃなくて……
ちゃんと、あなたを守れるようにします」
ハヤトは一瞬言葉に詰まり、それから静かに頷いた。
通路の冷たい空気の中で、二人の間に、目に見えない約束が結ばれた気がした。




